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第七話「この幕間よ、永遠に」⑦

 土地勘がない三人は、朔夜が身に着ける腕時計型の端末を頼りに、一時間ほどかけて南へ歩を進めた。目指すは街中(まちなか)にあるとされるジャンク屋である。

 夫妻の間に立つ朔夜は時計を見るように左腕を持ち上げ、眼前の空中に投影されたロンドン市内の地図を難しい顔で見つめながら、先導役を務めている。その地図の情報によれば、そういったガラクタを扱う店が集まる通りがあるようだ。

 それを横目に見下ろしていたジックは、朔夜の手元から視線を外すと、周囲を睨むように見渡した。

 街道は、真ん中に流れる車道を挟んで石畳の歩道が敷かれている。彼らが行くのはその上だ。さらにその脇には三、四階建ての、これまた石で作られた集合住居が壁のように建ち並ぶ。決められた階にしかないベランダにはところどころ鉢が置かれ、色とりどりの花が柔らかな陽光に揺れている。どこを切り取っても穏やかな異国の風景だ。

 けれどこの男には、まったく違う景色に映ってならない。

 街路樹の陰でコーヒーに口をつける青年、すれ違うふたり組の女性――どれもありふれたこの街の日常であるが、彼らが突としてこちらに手を伸ばし、襲い掛かってこないという保証はどこにもない。

 ここは連合の領内である。どこにあの研究所の追手が紛れているかもわからない。もしかすれば自分たちはすでに囲まれていて、もう袋小路に追い詰められているのかもしれない。

 そんな危機感が、あたりに向ける男の目を鋭くするのは致し方のないことだ。追われ続けるがゆえの、もはや悪癖ともいえる態度である。

 だが、せっかく目立たぬよう身なりに気を配ったというのに、それではまるで意味がない。

「ちょっと、ジック」

 朔夜を挟んで隣を歩くアルマからそう戒めが飛び、ジックははたと顔を改め、

「店まではあとどのくらいだ、サクヤ?」

 と、少年の目の間に浮かぶ地図を覗き込んだ。それに倣うようにしてアルマも朔夜に顔を寄せる。

 すると、

「フィッシュ・アンド・チップス……?」

 彼女はつぶやきながら小首をかしげた。

 さすが、朔夜は端末の扱いにすっかり慣れたようである。端末が投影する地図には近場のレストランに赤い印がつけられ、店内の様子や提供される料理の写真が拡大されて映し出されている。そのなかに、フィッシュ・アンド・チップスはあった。

 楕円形で深さのある白い皿に、太めの棒状に切られたフライドポテトがどっさり敷かれ、その上にきつね色に揚がった白身魚の切り身がどんと乗っている。そのわんぱくさは少年の興味を大いに惹くに違いない。

「なんか、おなかすいちゃって……」

 朔夜は恥ずかしさを隠すような苦笑いをアルマに向ける。確かに、時刻はすでに正午を過ぎている。

「そうだよねえ」

 アルマは歩きながら腕を組み、なにやら考えるふうに眉根を寄せる。けれどその途端、彼女の夫はなぜか制するように「おい……」と小声を発した。

 実のところ、夫婦の懐事情は芳しくない。目的のラジエーター一基買えるかどうかも怪しいのだ。無論、手持ちで足りるものを探すつもりではいるが、そう運よく手に入るかどうか。

 そんな状態であるのに、外で優雅に昼食とはいくまい。まさか、いい歳をした大人ふたりが、そろいもそろって子供におごってもらうわけにはいかないだろう。

「いや、飯なら艦で」

 ジックがそう言いかけた矢先、朔夜は眼前の地図を睨みながら思案の唸りを発し、

「フィッシュ・アンド・チップス……」

 と、イギリス国民食の代表格たるその名をまたも口にした。よほど気になるのか。

 とはいえ、夫妻の側から行こうとは言えない。懐が寒いのはさきに触れたとおりであるし、万が一にも朔夜に金を使わせれば、鍾馗に借りを作ることになるからだ。

 そして、それを察することができない朔夜でもない。

 朔夜は考える。もし姉が夫妻の立場なら、なんと言うだろうかと。

 なんのことはない。はばかることなくずけずけとこう言うことであろう。

「別に使ってもいいんでしょ、そのお金」

(言うなあ、姉ちゃんなら。絶対)

 朔夜はすぐに想像できた自分に軽くため息を吐いた。我が姉ながら(つら)の皮のなんと厚いことか。しかし、いくら望めども、この夫妻がそういった物言いをするはずはない。

(姉ちゃんたち帰ってきてからだなあ)

 夫妻を身内である神楽夜と比べるのも悪いかと思い直し、朔夜は諦めの弁を述べようとした。

 その刹那、

「せっかくだから行ってみよっか」

 なんとアルマがそう言った。

 朔夜とジックの足がはたと止まる。

「おい、でも」

 すかさずジックは止めに入るが、「大丈夫だよ」とアルマは振り向きざまに微笑み、

「無駄遣いしちゃ駄目とは言ってたけど、ご飯は必要でしょ? 生きてるんだから」

 上体を屈めて少年の顔を覗き込む。

「それに、いましかできないって思うなら、いまやるべきだよ」

 その言葉に、朔夜ははっとアルマを見つめると、左手首の端末が映し出す地図へ遠慮がちに視線を戻した。


 ――自分の居場所は自分で作るものだよ。

 もらった言葉が胸を締めつける感覚に、朔夜は目的の店で買ったフィッシュ・アンド・チップスの入った箱を大事そうに胸元に持ち、満足げな顔で両脇の夫婦を交互に見る。

 ジックはケバブ片手に、アルマは紙袋を手に提げ歩いている。英国の伝統ある街並みを時折指差したりして笑うふたりは、とてもまぶしい。

 そのまま通りかかった公園に入って、木のベンチに並んで腰かけ、それぞれ買ったものを広げた。

(結局、こうなったか……)

 ジックは人知れず胸中に嘆息したが、それは自分の卑しさに対してである。

 はなから自分らの懐事情など関係ないのだ。もちろん、大人であるから奢らねば、などという見栄を張る必要だってない。朔夜が食べたいと言い、そのための金をあの鍾馗から渡されているのだから、一緒に店に行くだけでいいではないか。

 だのに自分は、「一緒に店に行けば、朔夜のことだ。きっと自分たちにもなにか買おうとするに違いない」などと下衆な思いを巡らせた。まったくもってため息しかでない。

(けど、まあ)

 現に朔夜の世話になってしまったわけだが、視線を手元にやれば、握ったケバブはアルミホイルと薄茶のグラシン紙の間から、赤ん坊のように顔を覗かせている。

(いましかできないこと、か)

 どこか言い訳のようだが、いまはいいかと、ジックは満を持してかぶりついた。

 あふれんばかりのラム肉が香ばしく、もりもりのキャベツとピクルスがしゃくしゃくとして満足感を加える。そこに、にんにくの効いたヨーグルトソースの酸味がうれしい。それらを包み込むピタの生地はもっちりしていて、噛めば噛むほど甘味が感じられた。

 と、ケバブを味わうその男の横で、

「うわあ、おっきい!」

 朔夜は、アルマが紙袋から取り出した箱を見て歓声を上げた。ランチボックスの名に違わぬ大きさである。三人のなかで一番のボリュームだ。

 ボール紙でできた箱を開ける時のわくわく感は、朔夜とアルマの目を輝かせた。外で食べるというのがまたいい。ふたりの無邪気なやり取りを眺めて、ジックは静かに微笑んだ。

 ランチボックスの主役は、香草やスパイスと焼かれたひとくち大の鶏肉たちだ。蓋を開けた瞬間から魅惑的なハーブの香りがふわりと広がった。こちらにもサラダがたんまりと入っている。にんじんの橙色のおかげでボックスのなかは色鮮やかだ。

 最後は、朔夜の興味を惹いたフィッシュ・アンド・チップス。これまたボール紙でできた横長の白い箱に収まっている。ぱかりと蓋を開ければ、一面に広がるはきつね色である。写真で見たとおりの山盛りポテトと、その下に隠れるようにして魚のフライが横たわっている。厚めでざくざくとした食感がしそうな衣に包まれるのは、ほくほくとしたタラである。

 こうした料理を出す店は日本にもないわけではない。諸外国との交流が絶たれて以来、材料が手に入らないために独自の変化を遂げているものもあるが、朔夜の限られた行動範囲ではそういった店に出くわすことがまずなかった。

 ロンドンに行けと鍾馗に言われ、朔夜はまっさきに養父の書斎を漁った。旅が好きだったのか、養父の部屋には見たこともない外国の雑誌がところ狭しと書棚に納まっていた。それをこっそり読むのが朔夜の楽しみであり、フィッシュ・アンド・チップスはその時に見つけたものであった。

「ピクニックみたい」

 降り注ぐ木漏れ日のなかで、アルマが笑った。

 ジックは「ああ」と穏やかな時間を噛み締めながら空を仰ぐ。

 もう逃げる必要なんてないのかもしれない。そう、それこそ朔夜に言ったように、自分の居場所を作ってしまえばいいのだ。どこかに住処を決めて、まっとうに仕事をして、アルマとふたりで生きていけばいいのではないのか。

(日本、か)

 ジックは極東の島に思いを馳せた。連合に与しない、地球上で唯一の反逆者。流れ者の自分にはあつらえ向きの場所かもしれない。

 気になるのは鍾馗が出してくるだろう条件であるが、

(その対価がなんであれ、アルマと生きられるなら)

 望むところだと、ジックはまた空に誓う。

「なにをお願いしてるの?」

 ぼうっと空を見たまま固まる夫に、アルマが訊いた。

「なあ、日本に、住みたいか?」

 ジックははるか頭上を流れる雲を見つめたままそう言う。

「もしかして、さっきのお話?」

「ああ」

 上げていた顔をうつむかせたジックは、食べかけのケバブをくるくると弄びながら、言葉を選んだ。

「ずっと逃げてきて、この一年は一番穏やかだった。でも、やっぱり夜になると怖い。次の朝を無事に迎えられるのかわからなくて……。だから思ったんだ。いや、気づいた。怖いのはきっと、帰る場所がないからだって」

「帰る、場所……」

 ジックの話を聞いていた朔夜の脳裏に、昨晩の姉の背中が思い出された。

 頑として退かない姉。自分なしでも戦える姉。その事実に突き放されたような苦みを覚えた朔夜であったが、

(そっか……。姉ちゃんは守ったんだ。帰る場所を。――日本を)

 そう腹落ちした。

 納得する朔夜の横で、ジックは続ける。

「だからさ。もしアルマがいいって言うなら、一緒に日本に行って、住むかどうか考えよう。どうだ、アルマ?」

「楽しそう。いいよ。それで、さっきから空見てたわけね」

 アルマもさきほどのジックを真似て空を見上げる。そして、

「この人ね、願いごととか、なにかを決める時はいっつも空見てるんだよ」

 おかしいよね、とアルマは朔夜に笑った。

「私ね、すごい感謝してる。カグヤちゃんとサクヤくんに出会わなかったら、きっとまだあの砂漠で苦しんでた。それに、いつか空を飛んで旅をするって願いも、いま叶ってる。だから、ありがとう。――今度、カグヤちゃんにも言わなきゃね」

「そんな……。姉ちゃんも僕も、なにかしてあげられたわけじゃないのに」

 朔夜はしおれるように顔を伏せる。その頭を、ジックの大きい手が撫でまわした。

「いいんだよ。俺たちはお前らの気遣いに助けられたんだ。だから、いいんだ」

 頭を撫でる手はだいぶ荒かったけれど、その温かみは気恥ずかしいくらい、朔夜の心に安らぎを与える。他人に認めてもらえる力強さを教えてくれる。

 しかし、まだまだ少年である。

「あ!」

 一瞬の隙を突かれ、朔夜は温存していたポテトをひとつ取られた。くすねたジックは黙々とそれを味わいながら、

「ん」

 と不愛想に食べかけのケバブを差し出してくる。それを朔夜は、

「いらないよ! それ食べかけじゃん!」

 と全力で首を横に振って押し戻した。

「なんだと! 俺の食いかけが汚いってか!」

 ふたりのじゃれ合いをまるで親子か兄弟のようだと思いながら、アルマは、この平穏が永遠に続くことを願って、微笑みを空に投げた。

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