第七話「この幕間よ、永遠に」⑥
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ヴェントゥスの赤い船体に手を触れ、念じるように瞼を閉じた朔夜は、難なく出入口を解錠した。それを見てジックは、
「残るって言ってんだから、わざわざ鍵かけなくてもいいだろうに。なあ?」
と役目を終えた朔夜に同意を求めたが、朔夜は空いた扉を向いたまま、納得いかない様子で首をかしげている。
「どうしたの?」
アルマがその背中に訊けば、
「……この艦、やっぱり」
と朔夜は言葉を詰まらせた。違和感を言葉にしたかったが説明のしようがなかったのである。
なんでもない、と強引に会話を終わらせてなかへ入る少年に、夫妻は顔を見合わせ、あとに続いた。
いくら機械のなかを覗き見ることができて、一体化するという奇特な性質があっても、朔夜には艦船に関する知識がない。車や戦闘機もしかりだ。そのため、ヴェントゥスの推進器と船体そのものに感じたどちらの違和感も説明を諦めるしかなかった。
ただ、知識がないといってもグスタフだけは別である。オーバーホール(部品単位まで分解すること)をしなければわからないような不具合でさえ、外装に触れただけで言い当てるほど、その造詣は深い。
それをどこで身に着けたのか、朔夜自身に覚えはない。おそらくなくした過去と関係があるのだろう。そう考えはするけれども、朔夜は姉ほど自身の不確かさに悩んではこなかった。
そもそも自分が何者であるかなど考えたことすらない。子供であれば、その多くが考えないであろう。ゆえに少年はあの雨の夜、威武灯弥の家で悪夢から覚めた心地で目を開けて以来、ただ純粋に、ありのままを受け入れて過ごしてきた。
しかし、あの時。ヨリーンアム渓谷での戦いで絶叫とともに気を失ってからというもの、朔夜は己の内に揺らぎを覚えるようになった。
眠るたびに見るのである。雲ひとつない蒼穹の下、果ての見えない真っ白い大地が続く映像を。寒々しいその景色は、果たして自身の記憶から来るものなのか、それともただの夢でしかないのか、朔夜には判別できない。
ただ、その夢を見るたび、ある感情に胸を締めつけられるのだ。
それは、いままで抱いたことのない「憎い」という感情。はじめて感じる痛みにも似たその激情に、少年は苛まれるのである。
そのわけを求めようにも、自分には過去がない。知るすべがない。どこに求めればいいかも、わからない。
(姉ちゃんも、こんなだったのかな……)
朔夜はここに至り、姉が長らく抱え続けてきたであろう苦しみを思い、顔に暗い影を落とした。
「やっぱり冷却装置がいかれてるな」
艦の格納庫にてホバーバイクの一部をばらし終えたジックは、車体を眺めて腕を組みながらそう言った。彼の足元にはエンジンまわりの部品が整列している。
さすが、数年にわたってアルマと逃避行を続けるだけあり、この手の修理は慣れたものだ。特に、連合が主に採用しているヴォルファング社製の車両は必然的に扱う機会も多く、経験も豊富である。もちろん、このホバーバイクもその例に漏れない。
(街に行くしかないか)
ジックが渋い顔つきで帽子を拾い上げ、横で部品の整理をしていたアルマを見れば、彼女は手を止めたまま明後日のほうを向いている。その視線を追ったさきにいるのは朔夜だ。
「アルマ?」
呼びかけたが反応はない。ジックは語気を強めて続けて呼んだ。
「アルマ!」
「わ、なに?」
アルマは琥珀色の目を丸くした。
「どうした? 調子、悪くなってきたか?」
ジックは心配げに訊いたが、
「ううん、そうじゃなくて」
と彼女は再び朔夜を見た。
「元気ないから……」
それはジックもわかっている。クラドノで、一時的とはいえ生き生きとした顔になったのに、この落差。
「カグヤとなにかあったのか?」
夫妻はそろって眉をひそめた。
姉弟仲は悪そうには見えないが、ジックがそう考えるのも無理はない。教会から逃げてからというもの、ふたりが会話しているところは見ていないのだ。
(それか、旅の疲れが出たか)
ジックは片手で顎をさすると、
「俺が街に行ってくるから、アルマ、あいつを頼んでいいか?」
そう言いながらトレードマークともいえる赤いポンチョを脱ぎ、持っていた帽子とともにホバーバイクのサイドカーに放り込んだ。
面が割れていないらしいことは、さきのクラドノで襲ってきたマシュー・ゲッツェンなる男の反応からして、おおよそ察しがつく。カウボーイの印象ばかりが先行しているのであれば、服装さえ変えれば、誰も自分をそれだとは思わないであろう。
そそくさと身支度を整えるジックであったが、
「え! 私も行きたい!」
などと、アルマは無邪気な笑顔で食い下がった。
違和感を覚えたが、アルマが知らない場所に行きたがるのはいまにはじまったことではない。
しかし、街にはそれなりに人がいるはずである。一度発作が起きてしまえば、自分の胸を掻きむしるように苦しむのはわかりきった話だ。夫として、そんな姿はもう見たくはない。
「お前な。調子がいいからってそんなことしてると、また咳止まらなくなるぞ」
責めるふうでなく、やや呆れた調子で優しくジックは言った。
「あ、うん……。あ、でも、マスクして行けば」
と、何処から取り出したるは顔面を覆うガスマスクである。それは、かつて襲撃した連合の基地で手に入れたものだ。全体的に暗い緑色で、目元が丸いレンズのそれは、どこか蝿の顔にも見える。
「目立つだろ。だいたい街に行きたいなら、あいつの誘いに乗ったほうがよかったんじゃないか」
あいつとは言うまでもなく鍾馗のことだ。夫のその言い分に、アルマは、なにか思うところがあるような顔つきで口をつぐんだ。
(やっぱ、なんかあんのか)
ジックはそう察しつつも、顔には出さない。が、疑念はますます膨らむばかりである。
アルマと鍾馗は初対面のはずだ。自分も会ったことはおろか、見たことすらない。だのに鍾馗に対するアルマの態度といえば、夫である自分でさえ知らない圧が感じられた。
そう、ここ最近のアルマはいままでとは違った表情をする時がある。
はじめは、ベッドでゆっくり眠られることや、神楽夜から分けてもらう艦の食事がいいからだろうと思うようにしていた。だが、あれだけ酷かった咳は嘘だったと思えるくらいぴたりと止んでいるし、それに伴ってか雰囲気も明るくなったように感じられる。決して気のせいではないはずだ。
けれど、
(まあ、行きたいなら)
と、ジックは沸き起こった疑問に見て見ぬ振りをしてしまう。
いつものことなのである。アルマに甘く接するのは、なにも今回ばかりではない。ヨリーンアム渓谷の地下都市に行った時もそうであった。
それが結果的にアルマを苦しめることになると頭ではわかっていながらも、ジックはそうせざるを得ない。否、そうしたい。なぜなら、アルマ・ブレイズが生きているという事実があるだけで、ジック・ブレイズは満足だからである。
「わかった」
ジックは観念したふうに首をもたげた。その途端、「ほんと!」とアルマは太陽が昇ったように笑顔になった。
そしてその顔を沈んだ様子の朔夜へと向ける。
「サクヤくんも行こう!」
声をかけられた朔夜は、一瞬の間を挟んだのち、
「……うん」
と、やはり浮かない顔つきで頷いた。




