第七話「この幕間よ、永遠に」⑤
基地のその名は星明かりを意味するフランス語から来ている。連合の、ひいては人類の希望の星たらんと名づけられたものだ。その願いに違わず、基地は連合内でも指折りの大戦力を有している。
かつて父が勤務したその基地は、マシューにとって長らく憧憬の念を向ける場所であった。ゆえに、女性の事務官に先導される間はきょろきょろと落ち着きなく、さながら遊園地に来た子供のように目を輝かせていた。
そのうちにマシューは、基地内のとある一室に通される。
すると、
「おお、マシュー!」
口髭を雲のように蓄えた老人ケイン・アルカンは、熱い抱擁で彼を出迎えた。恰幅のいいそのなりは、いまが十二月であれば、子供たちにプレゼントを配り歩くあの老人を彷彿とさせるに違いない。
「アルカン中将閣下、お元気そうでなによりです」
「閣下なんてよしてくれ。いつもどおりおじさんでいいよ」
マシューは最大限の礼を尽くしたつもりでいたが、自身の後見人であるアルカンには不要であったようだ。
「ありがとう、アルカンのおじさん」
「まあ座ろう。紅茶でいいかな?」
アルカンは穏やかな声色でマシューにソファを勧めると、自前のティーセットを用意すべく、壁沿いに置かれた木製の食器棚へと身を翻す。
マシューはその背中から、ぐるりと室内に視線を流した。
室内は三十平米ほどの広さで、白い壁紙と、床には白樺の木の表面を思わせる絵画のようなタイルカーペットが敷かれている。
出入口に立つ彼から見て右側には、木製の重厚な執務机がひとつ置かれ、そこから反対に目をやれば、壁の上半分を占める窓の向こうに基地内の様子が見渡せた。ちなみにアルカンが立つ食器棚はマシューの真正面にある。
基地のなかの一室にしては随分柔らかい印象であるのは、きっとアルカンの趣味だろう。マシューはそう思いながら、部屋の真ん中に置かれたソファへと歩み寄った。
本革でできたロータイプのソファはくすんだ青色で涼しげだ。とても年季が入ったそれを、マシューは以前から知っている。ソファはアルカンの私物で、数年前までは彼の自宅の客間に置いてあったのだ。
マシューは士官を目指し勉学に励んでいた時分、アルカンの家を訪れては軍人のなんたるかを教わっていた。このソファはその時によく座った、大変なじみ深いものなのである。
「これ、持って来られたんですね」
アッサムのまろみある香りが広がりはじめた頃、マシューは座したソファに指を滑らせながらアルカンに言った。
アルカンは、表面に鳥や花の装飾があしらわれた木製のトレイに茶器を乗せ、ローテーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろしながら、優しく微笑んだ。
「ああ。君のお父さんが私の三十八回目の誕生日にくれたものなんだよ。あの年のことはよく覚えている」
「三十八回目……」
「君が産まれた年さ」
言われて、マシューはソファにはっと視線を落とした。
アルカンは茶葉の頃合いを見図るとティーカップに注ぎ、
「本当に真面目なやつだった。毎年そうやって誕生日を祝ったり。軍人だからいつ死ぬかわからんと言って、三十八になるまで子供を作らずいたりね。私やルーベンは、それをいつも冷やかしていた」
と語りながらミルクをたっぷり、さらに砂糖を三杯も入れた。さすがにマシューはそこまではしないが、ひとくちすすってから少しばかりミルクを加えた。
そして、いまは亡き父に思いを馳せる。
アルカンの話に出てくる父は、いつも知らない顔をしている。
ちなみに、アルカンの話に出てきたルーベンとは、シスル・エンタープライズのCEO、ルーベン・シスルを差している。いまごろ神楽夜たちが探しまわっているレジーナの父親だ。アルカンとルーベンは、マシューの父ヴェルナーと古くからの友人であった。
アルカンは紅茶をかき混ぜ、
「それが、まさか」
と無念そうに言い、ふと思い留まって「あ、いや」と危うく言葉を飲み込んだ。父親が死んだ当時の悲しみを思い出させてしまうと危惧したのだ。
けれども、その時五歳だったマシューに、感傷を呼び込むような思い出はない。だが、言わずともその想いを汲んだマシューは揺らめく紅茶を眺めながら、
「父は本望だったと、私は思っています」
そう本心を口にした。
「あまり記憶はないですが、父親とは秩序を守るもの、と言っていました。軍人もそうであると。だから、きっと本望だったんです」
父親との記憶は五歳で止まっている。その時の印象ばかりが強いのは、父が一緒にいてくれる時間が、それまでの短い人生のなかで一番長かったせいであろう。
マシューの父ヴェルナーは、繭へ挑むことがどれほど絶望的なことかを知っていた。アービターがそろっていても、それが覆るわけではないことも。だから残り少ない時間をすべて費やして、息子に己の考えを伝えたのである。
それもひとえに子を思うがゆえであったからだと、いまならば理解できる。だから尊敬もする。
しかし、少年にも満たない純真な子供には、父の高潔な生き方は強い憧れであると同時に、呪いにもなり得た。
アルカンはそんなマシューが心配でならなかった。巡り合わせの悪いことに、父が戦死してすぐ、実母が出奔したからなおさらだった。
そうなるとマシューは、父の遺志を濃く受け継いだあまり、父の死が開けた心の穴をそれで埋めるしかなくなってしまう。
結果としてマシュー・ゲッツェンがどうなったかは、もう語るまでもないだろう。
あの時、手を差し伸べていれば。そういった自責の念を抱えるからこそ、アルカンは亡き盟友の忘れ形見に、ことあるごとに便宜を図るのである。
が、いまはそれを話す時ではない。
「そうだろうな……。すまない、疲れているだろうにこんな話を」
アルカンは話題を変えた。
「いいニュースがある。ハウトマンから聞いたかもしれないが、君はすでにこの基地の所属だ。急な編入だったから、君にも都合がいいと思って独立部隊にしてある」
「独立、ですか」
「私の直轄にした。好きにやるといい。ああ、代わりに、と言ってはなんだが」
そこでアルカンは立ち上がり、執務机に向かった。そこに置いてあるふたつ折りの黒いファイルを手に取って戻ると、それを広げ、
「この機体のテストをしてくれないか」
とマシューの前に差し出した。
資料は左側に機体の外観を捉えた図面、右側に機体性能が列記されている。ざっと見ただけで、これまで乗った<フォルクス>とは雲泥の差があった。機体名には<ヘルシャフト・カスタム>とある。
「おじさん、これは」
マシューは驚嘆の息を漏らしながらアルカンへ顔を戻した。
「次世代機のテストベッドだ。ルーベンのところで作らせている。最終段階で実戦のデータがほしいんだが、どうかな?」
アルカンはそう言うが、無論、ただの口実である。試験の工程がつつがなく完了したものをルーベン・シスルに頼み込んで融通したのだ。
そんなことなど知る由もないマシューは、
(これなら、あのサムライも)
とファイルを握る拳に力を込めるや、
「もちろん。ゲッツェンの名にかけて、必ず!」
食い入るようにアルカンへ顔を寄せた。
やる気に満ちあふれるその姿勢はよいのだが、やはりどこかに父の影がちらつくのがアルカンは気がかりでならない。やんわりと「そこまで気張らなくてもいい」としながら、
「それで、そのアーキタイプの件なんだが」
そう別の話を切り出した。実のところ、こちらが本題である。
声色が役職相応のものに変わり、マシューは緩んだ顔を引き締めた。
「はい。戦闘記録も残ってあります」
「そうか。それはあとで調査班に提出してほしい」
いやに手応えのない返事にマシューが疑問を覚えた矢先、アルカンは少し言い出しづらそうに口を開いた。
「……実はな。昨日、ヴォルファング社と話し合って、ロンドンでの用が済むまで我々は手出ししないことにした」
「て、手出ししないって、あのアーキタイプはもしや」
ヴォルファング社が作ったものか。アルカンはマシューの言いかけたその言葉を察して、
「いや、そうではない。あれは……日本絡みだ」
と苦々しく言った。
(やはりか)
それを聞いたマシューに特別驚きはなかった。むしろ薄々感じていた疑問が晴れて清々しさすら感じたほどだ。
アルカンが言いよどむのは、日本と関わるべきではないとの考えによる。それはマシューもよく知っている。
「連絡を取りたかったんだが、昨日の夜はどこにいたね?」
そう続けるアルカンの口ぶりには、わずかに詰問の調子があった。
なにやらまずい気がする。マシューはおずおずと「クラドノです」と答えた。
「クラドノか……どうりで。車に機体がないのは、あれと戦ったからか。その顔の傷も」
マシューは肯定するしかない。アルカンとヴォルファング社の密約を知らなかったとはいえ、<サムライ>と交戦したのは事実だ。その時期からして自分は、早速約定を反故にしたということになるのだろう。
(私としたことが、なんたる不覚!)
「申し訳ありません……」
平に謝るマシューに、アルカンは醸し出していた厳しい雰囲気を引っ込めた。
「いや、いいんだ。急に話を持ってきた彼らにも非はある。去年あたりから何度も交渉を受けていてね。おとといも昼食会に招かれて、そこでロンドンまでの話が出たんだ。とりあえず、ロンドンにいる限りは放っておくしかない」
(ロンドンにいる限り、か)
まるで、そこからさきはどう動いてもよいというふうにも聞こえる。しかしアルカンの心中を察するならば、口実もなく手を出すことはご法度であろう。日本とはただでさえ関わりたくないのだ。たとえば、いわれもなく向こうから攻撃してきたとか、それなりに理由がなければ難しい話に思える。
が、
(口実! あるではないか立派な口実が!)
マシューはふと思いついた。
「おじさん。サムライ――いや、追ってきたアーキタイプは赤い艦と一緒ですよね?」
確認するマシューにアルカンは不思議そうな顔をして肯定する。
するとマシューは得意げに不敵な笑みを浮かべ、
「その艦には、あの<カウボーイ>が乗っています」
と言った。そして当然ながら怪訝な顔つきになるアルカンに、マシューはたたみかけた。
「どういうわけか、その艦と行動をともにしている。やつは基地の連続襲撃犯だ。そんなやつを野放しにしておくのも、ましてや匿うなど許されることではありません、閣下」
最後の敬称はあえて選んだ。
連合軍を率いる者としての判断に迫られたアルカンは、今日一番の渋い表情になった。
マシューの言うことはもっともである。ヴォルファング社との約束はロンドンまでの話であるし、さきほどマシューが感じたように、そのさきの話についてはなにも決まってはいない。そも、実害を被っている以上、凶悪なテロリストは処罰してしかるべきである。
カウボーイが基地を襲撃した証拠も、艦に同乗しているらしき証もマシューにはある。そこまでそろいながら即断できないのは、アルカンのよさであり欠点でもあった。マシューはそれを知るからこそ、
「わかった。考えておこう」
とアルカンが結論をさき延ばしにしても急かすことはしない。
わざわざ自分を独立部隊にして機体まで支給するのだ。あまつさえヴォルファング社に「ロンドンにいる限り」と条件をつけたあたり、艦に対しどういう行動を取るのか、アルカンの腹ではすでに決まっているのかもしれない。
そんな期待を胸にマシューは冷めた紅茶を飲み干した。
そこへ、
「ところで、一緒に連れてきた者たちのことだが」
アルカンはもうひとつの問いを投げた。
それもマシューにとっては相談しなければならないことである。個人的に雇った九垓はいいとして、保護した剛三郎とイネッサはなんらかの手を打たねばなるまい。
「はい。ひとりはここに来る間に雇った傭兵です。子供と女性は――」
束の間、説明するマシューの脳裏に異形の神父の姿がよみがえった。
素直に言うべきか考えた末、
「……おじさん、そのふたりをここで預かってもらえませんか」
「うん? 構わないが、どうした」
アルカンはマシューの言動の機微を感じ取った。その理由をマシューからつぶさに語り聞いたあと、
「改造人間……」
と浮かない顔で顎髭をなでつけた。
彼の「まるで知らない」といった様子にマシューは、
「おじさんでも心当たりはない?」
と駄目押しした。
「マシュー、これはデリケートな話だ。多くを語ってはあげられない」
アルカンはやんわり首を横に振りながらも、
「だがこれだけは言える。私ならそんな非人道的な研究はやめさせる。人間はその尊厳に生き、まっとうに死なねばならないからだ。ふたりのことは心配しなくていい。子供のほうは孤児院になるだろうが、行先も任せなさい」
と力強い言葉を返した。
マシューとしては十分満足のいく答えである。ほかでもないケイン・アルカンがそう言うのだから心配など無用のものだ。
それにマシュー自身、はじめから裏の事情を聞かせてもらえるとは考えていなかったし、当の本人も、
(いまは伏せておこう)
と、つまびらかにしていない部分が多々あるからお互い様である。
仮にいま九垓やイネッサの能力について明かせば、ふたりに余計な負担を強いることになりかねない。特に、九垓はまだしもイネッサには酷だろう。
マシューは逃げるのに夢中で、イネッサの父親が死ぬさまを実際に見たわけではない。けれど、階段を駆け下りるさなかに聞いた父を呼ぶ彼女の悲鳴と、そのあとの状態を見ればだいたいの察しはつく。同じく父親を亡くした者として、いまはそっとしておいてやりたい情が勝った。
もちろん、アービターを保有できれば、連合軍の戦力が盤石となるのはいうまでもない。連合も相応の対価を払うだろう。それはわかっている。
しかしマシューはいま、思うのだ。
その前に、本人がそれをよしとするかが大切ではないか、と。
彼らが持つ<ネビュラ・クォーツ>目当てに砂漠を横断してきた者が、どの口でそれを言うのかと思うかもしれないが、マシューは本気でそう考えている。
少なくとも彼は、父のようになりたくて軍に身を置いている。それは、父という自分を定めるにたる理想が身近にあったからだ。そういった軸すら持たぬ者に、いきなり他人のために命をかけろといったところで、難しい話であるのは想像にかたくない。だから、本人が納得する必要があるというのだ。
だが、そうはいっても実際は、マシューとて答えを出せているわけではない。
父がそうであったように、見ず知らずの誰かのために、身近な人間を、果ては己をも犠牲にするような生き方を自分は選べるのか。
その問いを暗雲のごとく心に引きずりながら、マシューはアルカンに見送られ執務室をあとにした。
「尊厳に生き、まっとうに死ぬ、か」
閉じられた執務室の扉に振り返り、誰に宛てるわけでもなくつぶやいた。
父はその瞬間、なにを思ったのだろう。まっとうに死ねたのだろうか。
亡き父を慮るマシューは、いつか自分にもその時が訪れるのだろうと想像するだけで、逃げ出してしまわないか不安になる。
詰まるところ、マシューが連合軍で中佐という肩書きを得られたのは、ケイン・アルカンという人物がいたからである。その事実を無意識に遠ざけてきた彼は、同じようにアルカンとの接触も避けてきた。尊敬はすれども、対面すれば己の小ささを突きつけられる気がして、元来の臆病さも手伝って逃げ続けてきたのである。
されど、今日の面会でマシューがそれを感じることはなかった。そして残念なことに、己に起きはじめた変化にもまた、気づくことはない。
しかし、アルカンは違う。
九垓、剛三郎、イネッサ。あのマシューが、彼らの行く末を案じた。家名の矜持ばかり優先させ、他人と深く関わろうとしない最近の様子からは、想像もできないよき変わりようである。
だからこそアルカンはマシューの成長を後押しすべく、彼が去った執務室でひとり、次なる策を練りはじめるのであった。




