表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/224

第七話「この幕間よ、永遠に」④

 同じ頃、マシュー一行を乗せたカーゴフローターはアルカン領の首都パリに近づきつつあった。

 教会から逃げ延びて四時間。朝日を浴びてなお眠りこける四人のなかで、はたと目を覚ましたのは剛三郎である。座席から体を起こし、自動操縦さまさまといえる車内の光景を前に寝ぼけ眼をこすりながら、

「水飲みたい」

 と叶わぬ願いを口にした。

「もう少しの辛抱だ。我慢しろ」

 答えたのは運転席に座る九垓(くがい)である。いくら疲れ果てていたとしても、そこは傭兵。寝ていても反応は素早かった。

 依然、一行の水事情は厳しい。住民を助けた砂漠の集落では、機体の修理こそ受けられたものの肝心の水は手に入らず、ここに至るまでポリタンクは干上がったままだ。

 少年には、最後に喉を潤した教会が、いまやオアシスに思えてくる。どうして教会で恵んでもらわなかったのか、との思いを胸に、剛三郎は小さく唸りながらどさりと席に沈み込んだ。

 ――水だけは、ありますから。

 教会でマシューの介抱をする間、イネッサはガラスの水差しを持って来てそんなことを言っていた。

 その時の剛三郎ははじめ、「こんな朽ちかけた教会に蓄えられた水など、飲めるかどうか怪しいものだ」とあからさまに訝しんでいた。

 しかし、出された水は驚くほど澄みきっていて、ひとくち含めばすっと喉を流れ落ち、乾ききった五臓六腑にひんやり染み渡るではないか。その爽快感は、思い出すだけで生唾を飲み込まずにはいられなくなるほどだ。

(飲みたい)

 険しい顔で目を(つむ)っていた剛三郎はついに堪えきれなくなり、

「イネッサ……?」

 と運転席のうしろに座る彼女のもとへ歩み寄った。

 イネッサは黒革のローファーを脱ぎ、備品の薄手のブランケットにくるまって、まるで薄茶色のさなぎのように座席の上で膝を抱いている。

 返事はない。あんなことがあったあとである。仕方がない、と剛三郎が踵を返そうとしたところ、

「……手を」

 とイネッサが消え入りそうな声で言い、ブランケットの間からその細腕を覗かせた。

 飴でも手渡そうとするかのように握られた左手を見て、剛三郎は言われるがまま両手を差し出す。

 すると、

「うわ!」

 イネッサの手から滴ったなにかに、剛三郎は慌てて両手を払った。その声に、助手席でいびきをかいていたマシューは体をびくつかせながら「なんだ!」と跳び起きた。

 滴るそれをよくよく見た剛三郎は、

「水だ! 水だよ、あんちゃん!」

 と笑顔を弾けさせる。

「水だあ?」

 マシューが怪訝そうに刮目すれば、確かにイネッサの拳からつたつたと雫が垂れている。それは次第に量を増し、しまいにはちょろちょろと朝日に(きら)めきだしたではないか。

 マシューは目を丸くして、

「床! 床が! ポリタンク! ポリタンクを持ってこい!」

 と剛三郎を走らせた。

 空っぽのポリタンクが置かれるや、水は(せき)を切って流れを強め、二十リットルの空箱はあっという間に満たされていく。

「すっげえ!」

 歓喜する剛三郎の横では、マシューが「奇跡だ」と感涙に打ち震える。そんな彼らのうしろで「余計な水分を流すな」と呆れ顔を浮かべるのは九垓である。

「どうなってんだ、それ」

 九垓の疑問は至極当然であった。

 イネッサのかざした左手からは、天の恵みのごとく流水が止まない。それはイネッサの手のひらから出ているのではない。蛇口を全開にしたのかと疑う勢いで、なにもない空間から落ちているのだ。

 やがて、疲れたらしいイネッサが手を引っ込めても、水はポリタンクがいっぱいになるまで延々出続けた。

 その間のふたりのはしゃぎぶりといえば子供じみた――確かに片方は子供であるが――もので、

「満タンだあ……」

 と感嘆するマシューに至っては涙を流し、赤子を愛でるかのごとくポリタンクを撫でまわす始末である。

 水が飲めるというありがたみを表現したい気持ちはわかるが、あけすけにいって気持ち悪い。九垓は顔を引きつらせ、

「なあ。そろそろ種明かししようぜ」

 とイネッサに目をやった。

 彼女はさきほどから変わらずうずくまったままでいる。うつむいて頭からブランケット被り、朝日を避けるふうですらある。その心は、彼女とともに逃げ延びた彼らであれば想像するまでもない。

 だが、九垓は筋合いもなく腹を立てていた。あからさまに嘆息して見せると、

「願ったり叶ったりじゃねえか」

 嫌味を込めてそう言った。

 これにはさすがのマシューも「おい、クガイ」と止めに入る。けれども九垓は鼻を鳴らして踵を返し、運転席に腰を落ち着けてしまった。

「なに怒ってんだ?」

 マシューはひそひそと剛三郎に()くが、少年が知るわけもない。剛三郎は首をかしげ、

「ところでさ」

 と逆にマシューへ問うた。

「ちゃんと洗ってあんの? これ」

 マシューに言われ、倉庫からポリタンクと一緒にアルミ製のコップもふたつ持ってきたのはいいが、随分使い古されて小汚い。せっかく澄み切った水が飲めるというのに、これでは腹を下しそうである。

 が、

「ああ、たぶんな」

 などと、マシューはおざなりな答えを返す。正直どうでもいいのだ。水が飲めればそれでいいのである。

(大丈夫かよ)

 じと目を向ける剛三郎を気にするふうもなく、マシューはすぐさま一杯を飲み干した。

「っはあ! 最高!」

 なんとも純粋な笑顔である。それを怪訝に見た剛三郎は、

「アニキも飲むか?」

 と、運転席でつんとすまし顔でいる九垓に訊いたが、

「いや、俺はいい」

 と、これまたにべもない。

 心なしか険悪な雰囲気である。ここは責任者たる自分が収めねばなるまい。ひと心地ついたマシューは並々と水を注いだコップ片手に、

「貴重な戦力に倒れられては困るぞ」

 と、それをぐいと九垓に差し出した。

 しかし九垓は、

「悪ぃな、兄貴。ただより怖いモンはないってさ。それに――」

 と前方を指差し、「もう着くぜ」と不敵に笑って見せる。

 言われたマシューが前方へと首をねじ向ければ、石造りのアパルトマンが左右に隙間なく立ち並ぶそのさきに、黒々とした城壁が覗いていた。

 そこは、パリ北西部にあるアルカン領最大の基地<リュエール・デ・ゼトワール>であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ