第七話「この幕間よ、永遠に」③
ふたりしていったいどんな風の吹き回しか。神楽夜はその疑問を、シーカーが運転する件の高級車で街へ出たあとも引きずった。
ドアに肘を預け、退屈そうに見つめる車窓には、石造りの多いロンドンの街並みが流れていく。彼女の隣に座す鍾馗もまた、腕組みをした難しい顔つきで反対の窓を眺めている。
両者は別に意を違えたわけでもない。だのに、そんな重々しい沈黙を続けるふたりに、運転席のシーカーは実に渋い顔つきでバックミラーを一瞥した。
せっかくの高級車とあって意気揚々とハンドルを握った彼であったが、いまは一刻も早くこの場から抜け出したい一心である。目的地の<シスル・タワー>まで小一時間とかからないのが幸いだ。
(まったくやりづらい)
そう嘆息するシーカーの心中など露知らず、神楽夜の頭は、さきほどの朔夜とのやり取りでいっぱいであった。
夫妻を信用していないという話ではない。アルマの妙な目つきも気にならないわけではない。それよりも神楽夜がいま憂慮するのは、朔夜にまだ言えていないということだ。
「気づけなくてごめん」
ただひと言そう謝るだけなのに、どうしてこうも言いづらさを覚えてしまうのか。結局、切り出すのに都合のいいきっかけばかりを求めてしまい、ここまでずるずると来てしまっている。
(こんなんじゃ駄目だ)
娘は車窓から視線を外してため息を吐いた。と、ちょうどその瞬間、彼女はふと合点がいった。
(問い続けろ、か)
思えば、自分はずっとそうしてきた。降りしきる雨の夜、あの家で目覚めた時からずっと、そうしてきたではないか。
――さすればその輪が、お前に力を貸すだろう。
脳裏に残響するアレスの言葉に、神楽夜は、
(ちゃんと言おう)
と、厳しいまなざしを窓に映る自分に向けた。
一方で気になりだすのは、自分を知るあの人物の正体についてである。黒い忍び装束に似た衣服に、背負った一対の刀、頭部を覆い隠す黒いヘルメット。全身黒ずくめという特徴からいえば、あの黒騎士にも似通ったところがある。
(エルソード……)
白銀機関の大佐ということ以外は知らないが、まとう雰囲気はよく似ている。けれども印象は別物だ。目元が見える分、感情が読み取りやすいということを除いてもである。どちらも共通して強い意志を感じるものの、アレスはどこか、もっと大きい使命を背負っているような感じが神楽夜にはするのだ。
(使命感、ね)
神楽夜は横に座る鍾馗を盗み見た。
老師は、車窓に流れるロンドンの街並みに特段興味を示すわけでもなく、ただ黙して見つめている。普段の着流しとは異なってスーツであるからか、細身ながらもがっしりとした体躯であるのが見て取れる。
使命感といえば、神楽夜は彼の背中に時折、強くそれを感じてきた。
(いや、まさか)
確かに扱う技は近かったが、あの中身がこの老師であるだろうか。
(けど、ここに来てるしな……)
そう訝しい横目を密やかに向けていると、
「どうした」
鍾馗は窓の外へ顔を向けたまま神楽夜に訊いた。さすがに翳祇家の筆頭には筒抜けであったらしい。
「え、あ」
不意を突かれた神楽夜はどもり、やむなく、
「アレス・ヴァールハイトってやつに会った。老師、知らない?」
と問うた。
すると驚くことに、
「どこでだ」
と、鍾馗は咎めるような顔を向けてくるではないか。神楽夜はなにやら禁忌に触れたような気がして、
「プラハと、そのあと行ったクラドノって街で……」
と少し気圧され気味に明かした。
鍾馗はしばらく思案顔で黙り込むと、か細く「プラハか」とつぶやいた。その顔は、なにか納得したふうに見える。
そして表情を変えぬまま横目で神楽夜を見やり、
「お前も見たであろう。繭がもたらしたものを」
と続けた。
首肯する神楽夜の心に、巨大なクレーターにできた湖が思い出される。荒廃した街並みが夕日に焼かれるあの景色は、いつか自分の居場所もこうなるのかという思いも相まって、そう忘れられるものではない。
おそらくそれは鍾馗も同じなのであろう。
「あの時も多くの犠牲を払った。人類の最高戦力といわれるアービターを四人も失って、ようやく街ひとつで収められたのだ」
その口ぶりにはいいようのない無念さがにじんだ。
「……どうだ、カグヤ。いまの日本に未来があると思うか?」
うつむいたままそう問う彼の顔こそが、その答えを物語っている。だから神楽夜は沈黙を返事とした。
鍾馗は慙愧に堪えないといった面持ちのまま、言葉を紡いだ。
「だが我々は立たねばならぬ。いつまでも月の傀儡ではおれんのだ。己の居場所は、己の手で守らねば。そのために準備もしてきた」
語調に悲壮にも似た力強さを帯びはじめた彼は、そこで間を置くや顔を上げ、再び車窓へ首を向ける。
そして、
「解き放つのだ。いまこそ――必ず」
と、重々しく口にした。
老師がいまどのような顔でいるのか、神楽夜から窺い知ることはできない。ただ明確に感じ取れるのは、「翳祇鍾馗は国を背負っている」ということだ。
(老師……)
神楽夜は、しばしばその背に垣間見た使命感の出どころを理解した。
この男は国の未来をなによりも案じている。ならば、自らこの地を訪れたのもなんら不思議なことではない。むしろ、灯弥の探索を自分たちにだけ任せるほうが考えにくいことだ。はじめからこうするつもりで自分たちを送り出したのだと、改めて神楽夜は推し量った。
そのとおり、鍾馗は最初から二段構えでいた。
だが、日本がそのために高い対価を払ったことを、神楽夜たちは知らない。
現有するグスタフの技術のすべてを提供する。それが、今回の渡欧に全面協力した軍需企業<ヴォルファング社>と交わした条件である。その意味するところはつまり、日本の連合諸国に対する優位性の喪失だ。
公にはされていないが、大方の見立てどおり、日本は月からの技術供与を受けている。といっても渡されるのは、月では時代遅れになった代物ばかりだ。それが日本を通じて外に流出したとしても、白銀機関にとっては痛手になるものではまったくない。
けれども、技術力で劣る地球の一企業であるヴォルファング社からすれば、まさに宝の山に映る。それに、連合の共通通貨<リル>の取引ができない以上、日本に切れる手札といえば、それくらいだったのである。
ただ、世界から目の仇にされる日本と関係を持つということは、世界的企業の印象からすればいいものではないのは明らかだ。それでも求めようとするヴォルファング社の心を紐解くには、彼らが身を置く商況に目を向けるとわかりやすい。
近年の彼らを取り巻く商況は、百年前の大戦以後、これといって大きな有事もなかったために凪いでいた。
しかしそんななか、ヴォルファング社は、競合先である<シスル・エンタープライズ>に、宇宙に居を構える<レジデンス>相手の市場占有率拡大を許してしまう。
そのためヴォルファング社は、たとえ月が型落ちの烙印を押した技術であっても、日本という悪しき国の肩を持つことになっても、起死回生の一手としてなんとしてでも、手に入れたい思いがあったのである――と、極めて簡潔に述べればこんな具合だ。
そんな彼らに日本が話を持ちかけたのは、いまから一年以上前のことになる。鍾馗たちとて、行方知れずの威武灯弥を探すため、入念に準備を進めていたのだ。
けれどもその計画は、黄金の繭の覚醒によって大きく狂わされることになった。
そしてそれに触発されたか、日本海に沈む青い繭まで覚醒の兆しを見せはじめたというのは、日本を発つ前に鍾馗の口から明かされたことである。
その時の鍾馗は神楽夜たち姉弟を地上から行かせることに対し、「願わくば、ほかのアービターに関する情報だけでも手に入れば」くらいに考えていた。
ところが、実際の成果は想像以上のものになった。その点については、もはやいうまでもないだろう。
ゆえに鍾馗は、
「正解であったよ」
と相も変わらず顔を外に向けて言い、
「やはりアービターはめぐり合う運命のようだ」
と、今度は神楽夜に首をねじ向けた。その顔は、いつもの厳めしいものである。
「まさかそのひとりを連れてこようとはな。見つけたというほかのふたりも、早急に手を打たねば」
そう言った鍾馗が首を戻した矢先、彼らはゆっくりとした停車の慣性に体を揺らした。
「ここか」
鍾馗は右手の窓のさきを見て目つきを鋭くする。その視線をなぞるべく、神楽夜は座ったまま上体を前傾させた。
見れば、なにやら白い神殿のような佇まいの建物がある。一部がガラス張りとなったそれは、どうやらはるか天上まで伸びているようだ。
「ここは?」
神楽夜が訊けば、
「シスル家が保有するマンションだ。九時に約束してある」
と、鍾馗は横目で答える。それと同時に、彼の横の扉がシーカーによって開けられた。
「え!?」
約束しているとは初耳である。神楽夜は頓狂に声を上ずらせるが、
「ほれ、行くぞ。貴様らがおちおち寝坊しておるから時間がないのだ」
言うが早いか、鍾馗は呆れた様子でそそくさと車を降りていく。
「あ、ちょ」
待ってくれ、などと口にする間などない。神楽夜は遅れまいと急ぎ降車した。
いざ見上げれば、ロンドンの市中では珍しい二十四階建ての建造物が屹立する。車窓から見えていた一階部分は神殿のようと評したが、それは一階だけの話で、上階からは至って現代的な外観のビルであった。
だが、背が高いというだけでこの娘の度肝を抜くには充分である。なにしろ、そういった建造物は京都の城くらいしか見たことがないのだ。
(聞いてないよ……)
金持ちとは聞いていたが、まさか絵に描いたような高層ビルに住んでいるとは。神楽夜は馬鹿のように口をあんぐり開けたまま、ひっくり返りそうになるくらい空を見上げた。
(住んでる世界が違うわ、これ)
確かに、ひとけのない山奥の古ぼけた民家に住まう己とは、天と地ほどの差があろう。
とはいえ、幾度となく死線をくぐり、苦しみもがいてきた旅路もこれでひとまず報われると思えば感慨深い。
約束しているということは、これから会うのはおそらく、養父と最後に会ったとされるシスル財閥の令嬢、レジーナ・シスルであろう。
いくら外見に無頓着な神楽夜といえど、人と会うのにこんな身なりでいいのか、と気にするくらいの繊細さは持っている。後頭部でひとつに結わえた髪を縛り直し、体中の埃を払い、「よし」と勢い込んで建物内に足を踏み入れた。
のだが、
「面会できない!?」
その期待は出だしから大きく裏切られることになる。
神楽夜のまぬけな声は、美術館で大声をあげるような場違いさであった。
「これ、静かにしろ」
たしなめる鍾馗が対応したドアマンに事情を訊くと、一通の書状を手渡された。
書状には、当然ながら面会できない理由が記されているわけであるが、その理由がなんと、
「……失踪?」
そう。レジーナ・シスルが、行方をくらましたというものであった。




