第六話「断決する者たち」⑥
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頭がアーチを描く縦長の窓からは、静かに夜行が差し込んでいる。部屋のなかは明かりがなく、整然と並んだベッドがぼんやりと浮かび上がる程度である。
その埃っぽいベッドに腰掛け、頬の切り傷に消毒液の染み込んだ脱脂綿を押し当てられたマシューが、
「いでっ!」
と大げさに顔を背けると、
「あんちゃん、なっさけねえ」
剛三郎はげらげらと笑った。さすが、ここまでの移動中に仮眠をとっていただけ元気である。
「お前なあ。へらへら笑ってないで少しは手伝え、イリューシナさんを」
とは言うものの、救出されてこのかた、へらへらし続けているのはマシューのほうである。
イネッサ・イヴァーノヴナ・イリューシナという彼女の名を知ったのは、マシューがかろうじて残ったコクピットから引きずり出された時のことだ。
が、手当てをする修道女は、
「あの、イネッサでいいです」
と改めて告げた。
「しっかし、よく生きてたねえ、あんちゃん」
まったく剛三郎の言うとおりである。
赤い艦につけた発信機の反応が途絶えたプラハまで行き、西側に見えた紫電の輝きを手がかりに<サムライ>を見つけたまではよかった。あとは知ってのとおり、三度目の敗北を味わったわけであるが、機体が爆散したにもかかわらず五体満足、ぴんぴんしている。ヘルメットのフェイスシールドが割れ、それで顔に傷を負っただけで済んだのは、まさに天命があるからに違いない。今回は気絶もしなかった。
その喜びを一番噛みしめているのはマシュー本人であろうが、他人から言われるとより実感が増すというもの。
(父上……! マシューは生きて、生きております!)
マシューは眼より随喜の涙を溢れさせた。さぞ嬉しいのだろうが、表情はさきほどと変わらぬ笑顔である。人生の頂にでも達したかのようなその顔に、剛三郎はどん引きした。
「クガイは、どこだ?」
感涙がひとしきり収まるや、マシューは見当たらない私兵の所在を問うた。
「アニキなら車にいると思うけど」
剛三郎の答えにマシューは顔つきを渋くする。
事は一刻を争う。足取りは発信機があるからいいとして、問題なのは、ここが連合の勢力下だということである。ひょいと横取りされては堪ったものではない。
(おのれ、二度ならず三度までも)
喜色満面から急転直下、憤怒の様相を呈したマシューは、
「ゴウザブロウ。クガイを呼んで来い。積んである水と食料、ランタンも全部持って来るよう伝えよ!」
と下知を下した。
「了解であります!」
剛三郎は軍人よろしく直立して敬礼すると、小走りで部屋を出て行った。
それを見届けると、
「ところで、イネッサ」
マシューは首を彼女に振り向けて、
「さっきのサムライのようなグスタフについて、なにか知らないか?」
と訊いた。彼女の希望どおり、呼び方に遠慮はない。
「サム、ライ……ですか?」
イネッサは生まれてから二十年、この地から出たことがなかった。異国の文化に触れる機会などもちろんなく、侍という言葉もはじめて聞いた。
「だれか、普段見かけない人が訪ねて来たりは?」
質問が変えられるや、イネッサははたと思いついたふうに「あ」と漏らし、
「ありました。四人」
「四人?」
「はい。赤い帽子をかぶった背の高い男性と赤毛の女性、それから黒髪の女の子と男の子でした」
(家族、か?)
赤い帽子の男というのは、例のカウボーイで間違いないだろう。連合の基地を襲撃した時の記録には、赤毛の女が近くにいたという報告もある。なれば、女のほうも決まりだ。
<サムライ>が稼働中、そのふたりが機体のそばにいたのをマシューは見ている。そうなると、残るは黒髪の少女と少年か。
「名前とか、どこから来たとかは?」
重ねられたマシューの問いに、イネッサは、父イヴァンが談話室で面会した際に聞いたものをそのまま伝えた。
「カグヤ・イヴ……」
マシューは、おそらく<サムライ>の操縦者であろう少女の名を反芻した。
(東から来た、か)
ほかの者にしてみれば曖昧な情報でも、追い続けて来たマシューであれば確信が持てる。
(当たりだ)
とマシューはほくそ笑む一方、
(しかし、イヴ、とは)
その語感に小さな違和感を覚えた。記憶の底に、似た音の名があったのだ。それを引っ張り上げようとした時、
「あの……」
とイネッサが切り出した。
「みなさんは連合の方、でしたよね?」
「ああ、申し遅れました。私はマシュー・ゲッツェン。光のゲッツェンこと、ヴェルナー・ゲッツェンが嫡男にして――」
いつもの調子でのべつ幕なしに語りだしたマシューであったが、イネッサが突然、
「わ、私を!」
と、のっぴきならない様子で迫ったものだから、たちまち呆けてしまった。
マシューが神妙な面持ちで次の言葉を待っていると、イネッサは胸の前で祈るように合わせた両手にいっそう力を込め、
「私を、ここから連れ出してもらえませんか」
と言った。
「つ、連れ出すぅ!?」
マシューは背後からした九垓の声に跳び上がった。何事かと振り向けば、抜き足差し足の体勢で固まる剛三郎と、荷物を抱えて呆れ顔を浮かべる九垓がいた。
「なにしてるんだ」
マシューの詰問に、
「い、いやあ」
剛三郎は極まりが悪そうに引きつった笑みで返した。
そのうしろから、
「おいおい、兄貴。これ以上は増やせないぜ? 食いモンだってこれしかないんだ」
と九垓は軍用のバックパックの中身をひらひらと掲げて見せる。が、
「お前が食ったんだろうが!」
マシューは条件反射で反論した。途端、顔中の痛みにがっくりと肩を落とし、イネッサへ居直ると、
「ちなみに、どうして?」
と力なく理由を訊いた。
「どこでも……。ここでないところなら、どこでも構いません」
マシューは突然なにを言い出すのかと訝しんだが、うつむくイネッサの顔には焦燥の色が浮かんでいる。
(冗談、というわけではなさそうだな)
しかし、無下に扱う気はないにしても、事情がわからねば首を縦には振られない。それは相談を持ち掛けたイネッサも重々承知している。
マシューに向かいのベッドへ座るよう勧められた彼女はそこへ浅く腰掛けると、手探りするように言葉を紡ぎはじめた。
「……私は、明日、ヴァチカンへ行くんです」
「ヴァチカン?」
「はい。そこで私は……たぶん、神に召されるでしょう」
あまりの突拍子のなさに、マシューは困惑した顔を隠そうともせず眉をひそめ、横で聞く九垓たちと顔を向き合わせた。
神に召されるとは、すなわち死を意味する。だが、科学技術が発達したこの現代において、生贄を捧げるような野蛮な行いがなされるとは考えがたい。ゆえにその言葉を聞いた時、マシューははじめ儀式的な表現だと捉えた。
しかし、
「死ぬんです。私」
と単調に断ずる彼女に、考えを改めざるを得なくなった。
「死ぬって……」
そう絞り出すのがやっとのマシューにイネッサは続ける。
「そのために、あの人が……母を連れて行ったあの人が、また」
そこで一同の耳に屋内に響く靴音が届いた。どうやら近づいてきている。
イネッサは唇をわずかに震わせ、
「私……行きます」
そう言ってベッドから腰を上げた。恐ろしいのか、結んだ手まで震えている。
結局イネッサはマシューの呼び止める声を無視して、まさに逃げるように部屋を出て行った。
三人はしばらく彼女が出て行った扉のほうを見ていたが、足音は知らぬ間に止んでいる。
代わりに誰かの腹の虫が鳴いて、
「とりあえず、作戦会議だ」
とマシューは持って来させた食料を確認すべく、バックパックを漁って愕然とした。
「本当に、これだけか?」
マシューはこれ以上ないくらい真面目に、されど詰問する調子で訊いた。どこかに置いてきたのではないか、と尋ねるふうである。
それに対し九垓は、
「え? それだけだぜ」
しれっと答えた。
マシューの吐く溜息は深い。
残る食料は主食や副菜などがひとつの箱に収められたレーション(軍用糧食)がふたつ。これでも節約してきたつもりであったが、やはり九垓がはじめに食べ過ぎであった。
(仕方あるまい)
ここはすでにアルカン領である。補給はそれほど困難な話ではない。マシューは残りのレーションふたつをベッドの上に広げると、続けてランタンを取り出した。
「ん?」
明かりができてようやく気づいたことだが、バックパックのなかは妙に雑然としていた。サバイバル・ナイフやら空の弾倉やら、果ては閃光弾まであった。水を入れるためのポリタンクもある。
「これ、私のだろう?」
マシューは使い古されたサバイバル・ナイフを見ながら言った。カーゴフローターには使われていない新品のバックパックもいくつかあったはずである。それに、このナイフは亡き父の形見だ。
「あん? そうだぜ? ちゃんと整理しとかねえとな、兄貴?」
九垓はもうレーションを囲って口をもごもごさせている。そんな九垓をアニキと慕う剛三郎も同様だ。そんな彼らにマシューは、
「ほかの中身はどうした」
と問いを重ねた。
「ちゃんと車ンなかにあるって。ちょうどいいのがそれしかなかったんだ」
会話がそこで途絶えたことに、九垓は不思議そうに雇い主を見た。
「兄貴?」
マシューは手にしたサバイバル・ナイフをわずかに引き抜いた。
年季の入ったケースから顔を出した刀身が、月明かりを反射し、煌めく。その鋭さが、マシューの脳裏にさきほど拾い損ねた名前を浮かび上がらせた。
カグヤ・イヴ。イヴ――。
そう。
(――トウヤ・イヴ)




