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第五話「痛み」③

 果たしてクラドノに近づくにつれ、<アームド・ゼルク>が持つ<ネビュラ・クォーツ>はその反応を強く示した。

 クラドノは、旧プラハの湖から北西へ進んださきの都市である。

 かつてはグスタフの部品を製造するなど重工業の分野で栄えていたが、<プラハの悲劇>があって以来、深刻な過疎化に陥った。十万人以上いたとされる人口は減りに減り、いまとなっては連合領内での市民権を失った浮浪者がわずかに身を寄せるのみである。

 いうまでもなく、住み心地だけならば砂漠とは雲泥の差がある。それなのに人が寄りつかないのは、単に復興が難しいからだけではない。湖を中心とした広範囲にわたり、強力な磁場異常が起きているためだ。

 連合の研究機関によれば、この磁場は、ジャミング・タワーが発するものとよく似ているという。長時間接すると人間の精神を病むともいわれ、実際、死んだはずの両親が見えたなどという超自然的な報告の例もある。

 それのどこまでが真実なのか。調査が打ち切られたいまとなっては知るすべがないが、人口が急激に流出したのは、そうした異常者が年々増えたことが大きかった。無論、連合はその因果関係を認めはしなかったが。

 連合がこの一帯を禁域と定めて二十年になる。神楽夜はそのような背景など露知らず、ひとけのないクラドノの地へ足を踏み入れた。

 ゴシック様式をはじめとした古典建築の連なりは、廃墟というよりも一種の美術品というほうが相応しい。夜の(とばり)が降りるにつれ、建造物はその影を深め、一層の厳かさを湛えはじめている。

 暗雲垂れこめる空の下、徐々に影絵となっていく街並みは、いつか地下で見たあの街のようだ。

「ひとりで大丈夫かな?」

 神楽夜は背後の三人に振り向き、訊いた。シーカーのことである。

「残るって言うんだからいいだろう。それにさっきの話が本当なら、連絡役は必要だ」

 ジックが答えた。

 シーカーは教会を探しに出るという神楽夜たちを引き留めず、その場に残ると言ったのであった。その彼を乗せたヴェントゥスはいま、街の一角にあるショッピングモール跡に停泊してある。

 ちなみにジックの言う「さっきの話」とは、ここに至る道中でシーカーのもとへ入った通信のことを指している。湖周辺の磁器異常が近かったために受信できなかったものが、距離を置いたことで届いたのだ。

 シーカーいわくその内容は、ロンドンまでの道筋が立ちそうだ、というものらしかった。それが本当ならば、今後の予定についても調整する必要が出てくる。シーカーはその連絡役も兼ねて艦に残った。

 しかしそれを脇に置いても、ヴェントゥスへの愛情溢れる彼のことだ。残ると言い出すことは当然に思える。が、神楽夜は湖で見たシーカーの鬼気迫る顔が頭から離れず、一抹の不安を引きずった。

 そしていまはもうひとつ、疑念を抱くことがある。

「それよりアルマ。お前も休んでいたほうがいいんじゃないか?」

 妻に気遣わしげな顔を向けるジックがその心を代弁した。

 けれどもアルマは、

「え、あ、大丈夫。早くアービターを探そう」

 と、両の手のひらを胸の前で振ってみせる。

「せめてマスクはしたほうがいい」

「心配しすぎだよ。大丈夫だから。……あ、ほら。あっちに明かり、見えない?」

 アルマが指差すさきを見れば、遠くに小さい点のような橙色が浮かんでいた。

「ランタンだ」

 神楽夜が目を凝らしてそれを確認するや、

「行ってみよう」

 とアルマが小走りで先導する。その背中に神楽夜とジックは「無理をしているのではないか」と眉をひそめ、渋い面持ちで続いた。

 神楽夜がランタンと言った橙色に近づくにつれ、黄昏に落ちる街には不釣り合いな子供のはしゃぎ声が響きだした。子供は数人いるようである。

 ランタンはアーチ状をした石造りの門の上、真ん中のあたりに灯っていた。門は鋳物らしき黒い格子の扉で閉ざされていて、許可なき者の進入を阻んでいる。一行はその前で立ち止まり、声の出どころを探して視線を振り撒いた。

 そこへ、

「もう暗いんですから、静かにしましょう。さ、戻りますよ」

 と若い女の声が届いた。

 格子の向こうを見れば、細いマトリョーシカのような人影がひとつ横切っている。そのあとに小さい人影が雛鳥のように続き、

「あ、お客さん! シスター・イネッサ、お客さん来てるよ!」

 と、少女の声とともにそのひとつが動きを止めた。はしゃぎ声を上げていたのはあの子供たちらしい。

「指を差してはいけません。みなさん、さきに神父さまのところへお戻りなさい」

 そう言う女に子供らは無念そうな声色で返事をし、しおしおと奥の建物へ消えていく。

 それを見届けた女はおずおずと振り返ると、遠慮がちに門へ歩み寄って来た。

 くるぶしまである黒い修道服と頭を覆ったフード。それがマトリョーシカのように見えた影の輪郭の正体であった。

「あの、なにかお困りで?」

 フードから覗く女の顔は、着衣が黒一色であることも相まってやけに白く見える。琥珀色の目に青い髪をした、気の弱そうな女だった。

 訊かれた神楽夜の思考は一瞬固まった。女に見惚れたのではない。もっともらしい理由を考えていなかったからだ。

(えっと)

 これでは間が持てない。

 と思いきや、

「食べ物がなくて」

 と、横からすかさず身を乗り出した朔夜に、神楽夜は驚きもそこそこに首肯した。

「食べ物、ですか」

 反復した修道女は思案顔をして、朔夜と神楽夜、そのうしろのジックとアルマへそれぞれ視線を流すと、

「……どうぞ、なかへ」

 そう言って伏し目がちに門を開け放った。

 神楽夜たちは修道女に引き連れられ、がたついた石畳の道を真っすぐ奥へと進む。その両脇には手入れがされず伸びきったままの芝生をはじめ、さまざまな草花が生い茂っている。

(なんか……)

 場そのものが沈んでいると、神楽夜はわずかに顔をしかめた。

 この娘とて武道家の端くれ。周囲に立ち込める気の淀みを感じ取るくらいはできる。

 その視線を正面に戻せば、石造りの教会とその右手に伸びる二階建ての建造物が見て取れた。どちらも壁に蔦が這い、一見すると幽霊屋敷のようである。

「どうぞ」

 修道女は教会の前で肩越しにそう告げると、なかへと続く木製の扉を押し開け、さらに奥へと進んだ。

 誘われるまま続くと、一行の全身に冷気がもたれかかった。

 外観どおりの石造りをしたそこは、幅が十五メートルあるかないか、奥行きは二十メートル程度と、実に小ぢんまりとした礼拝堂であった。

 明かりの類はない。最奥のステンドグラスからもたらされる心許ない外光だけである。仄暗いその礼拝堂には、木のベンチがそれなりに整列して並んでいた。

 修道女はその合間をするすると滑るように抜けていく。

 やがて右側の壁沿いにあった木製の扉の前に立ち、彼女はそれを開けると、再び「どうぞ」と機械的に案内した。

 そのさきは、隣接する二階建ての建築物へ伸びる回廊であった。

 回廊は中庭に沿って石柱が規則正しく建ち並び、柱同士の頭を結ぶ下がり壁はアーチを描いている。それらにも蔦が這いまわり、忘れ去られた神殿のような趣がある。

 神楽夜たちはそそくさと行ってしまう修道女に遅れまいと、荒れ果てた中庭を尻目に直進する。そして、修道女が開け放った突き当りの扉を抜けた。

 するとそこは、一転して洋館の造りであった。入ってすぐ正面に階段がある。

 案の定、明かりはない。建物は神楽夜たちが入った扉から右手に長く伸びて、奥に行くにつれ不気味な闇が飲み込んでいる。その闇のなかに、右手の壁に並ぶ小さいガラス戸から、薄っすらとした夜光が物悲しく差していた。

「こちらでお待ちいただけますか?」

 修道女は建物に入って左手奥の談話室を解放し、いくつかある燭台(しょくだい)のろうそくにマッチで火を灯すと、

「すぐ戻りますので」

 と言い残し、その場をあとにした。

「ありがとうございます」

 朔夜がすれ違う修道女に礼を述べる間、姉はといえば、

(やっぱり電気通ってないんだ)

 などと吞気なことを考えながら、揺れるろうそくの光によって浮かび上がる、寂しげな室内を流し見ていた。

 室内にはふたりがけのソファが二脚、神楽夜たちから見て左右に置かれ、背の低い木のテーブルを挟んで向かい合っている。その奥にあるのは小ぶりな暖炉だ。

 朔夜はソファの一角に腰を落ち着ける。ジックも早々に自分の位置を定めたらしく、出入口の横で壁に背を預け、静かに腕組みして時を待った。

「かわいい暖炉」

 そう言ってアルマは暖炉に近づくと、しげしげと眺めた。そして暖炉の上の写真立てに気づき、顔を寄せた。

 写真には幸せそうなひと組みの家族が写っていた。夫婦と思しき男女とひとりの少女が、手入れされた芝生の上で身を寄せ合い、澄み切った青空に負けない純粋な笑顔をこちらに向けている。

 動きを止めたアルマを気にかけ、神楽夜はその背に近づいた。そしてアルマの視線のさきにある写真を肩越しに認め、

(これって)

 と、ひとつの推測に行き当たった。

 男女の足元で芝生に座る少女の髪。その髪色が、さきほどの修道女のものに似ている。

(ってことは……)

 と思案に耽りかける寸前、談話室の扉が乾いた音を立てて開き、神楽夜たちは一斉に首をねじ向けた。

 入ってきたのはさきほどの修道女とひとりの神父であった。明かりが少なく確証は得られないが、神楽夜はその神父に写真の男性の面影を見た気がした。

(親子か?)

 その疑問をよそに、口元にひげを蓄えた初老の神父は、ゆったりとした口調で話しはじめた。

「外から人が来るのは何年ぶりかな。私はここで神父をしております、イヴァンです」

 と、神父は握手の相手を探し、ちょうどよく横にいたジックに手を差し出した。

 ジックは壁から背を離して渋々と応じながら、

「俺はつき添いでね。ジックだ」

 と言って神楽夜へ顔を向けた。

 神父はそれに(なら)い、神楽夜にも握手を求めた。神楽夜が名乗りながら握り返した神父の手は、指の関節がごつごつとして大きいうえ、乾燥しているのかさらさらとした感触で、一瞬ではあったが傷跡の多さが目についた。

 神父は全員と握手を交わすと、

「昔はたくさん人が住んでいたんですがね。今じゃこの有様だ。みなさんは、どちらから?」

「東からです」

 ここは朔夜が答えた。

「夕方、街はずれに艦が一隻来たようですが、それかな?」

「はい。実は盗賊に襲われて、食べるものがなくて」

(うわあ)

 神楽夜は弟の二枚舌に絶句した。よくもそうぽんぽんと嘘が出てくるものである。

 やはり目覚めてからの朔夜はどこか変だ。急に大人びたというか、狡猾(こうかつ)さがにじみ出ている。確かにこれまでも姉に助け舟を出す機会はあった。だがそこに相手を騙そうとする意図はなかったはずである。

 それにこういう時の弟ならば、まずは一歩引いて周囲を観察するはず。だのに、神父からの「どちらまで?」という問いに対し、

「ロンドンです」

 と、朔夜はへその前に置いた右腕に左手を添えて、非常に落ち着いた様子で受け答えを続ける。その顔に曇りは見られない。

 朔夜の言に「何度か行ったことがある」と語ったイヴァン神父は、

「見てのとおり、ここには大して物がない。孤児の保護もしているので、みなさんの腹を満たす量は差し上げられないが、それでもよろしいかな」

 と客人らを見回した。

「ありがとうございます、神父」

 朔夜が力強く頷く。

「宿もないのでしょう。特にお構いできないが、よろしければ泊まっていかれるといい。部屋は余っておりますゆえ」

 イヴァン神父はそう言うと、傍らに控えていた修道女に案内を指示した。

 すると、

「いいのかい?」

 それまで黙っていたジックはそう口を開くや、

「さっき会ったばかりの俺たちを泊めるなんて」

 と、神父に怪訝そうな目を向ける。

 対して、神父は目じりにしわを作った。

「いいですとも。たとえ罪人であろうと、ここは受け入れますよ」

 そう語る神父の横、心ここにあらずといった表情で立つ修道女を、ジックは見逃さなかった。

「娘のイネッサです。案内させましょう」

 イネッサと呼ばれた修道女は神父に促されて前に出ると、フードを取り、神楽夜たちに小さく会釈をした。青い髪は緩く癖がつき、肩口より少し長いくらいだった。

 一行はイネッサに続いて談話室を出ると、すぐ左にある階段をのぼりはじめる。階段はところどころ腐って、一段踏むごとに具合の悪そうな軋み声をあげた。

 上階に近づくにつれ、子供たちの笑い声が聞こえてくる。

「元気な子供たちですね」

 アルマは感心するが、イネッサはそれを非難と受け取った。

「静かにするよう聞かせます。すみません……」

「あ、違うんですよ! うるさいとかじゃなくて。孤児と聞いたので、てっきり落ち込んでいるんだと思って」

 アルマは行き違いを正すべく慌てて言い直したが、イネッサはひと言「すみません」と返すだけで続かない。言い方もまるで定型句じみており抑揚がなく、まるで子供への関心がないようですらある。

 申し訳ない思いもさることながら疑問も大きくなったアルマは、踊り場で折り返すイネッサの顔を盗み見た。

 踊り場の窓から差す月明りに埃が(きら)めき、その月光に愁いを帯びた横顔が垣間見える。アルマの脳裏には、瞬間的に暖炉の上にあった写真が思い出された。やはり写真で笑顔を見せていた娘は、このイネッサで間違いない。

 イネッサは階段をのぼりきると、今度は左へ折れる。そのまま直進し、修道院の一室だったというひと部屋に一行を通した。

 広さが学校の教室くらいある室内に、木で作られたベッドが左右四台ずつ並んでいる。まるで病院の大部屋だ。外部に面した側には木製の窓が連なり、カーテンはなく、夜光が差し込んでいる。

 そのなかでイネッサは、慣れた手つきで壁にある燭台のいくつかに明かりを灯してまわった。

「イネッサさんは、昔からここにいらっしゃるんですか?」

 そう()いたのがアルマであったために、ジックは意外そうな顔でそれを見守った。

 イネッサは肯定すると、

(まゆ)のことがあってから、みんな出ていきました」

 と寂しげに、部屋の隅に置いてあったランタンに火を分けた。

 次は神楽夜が問うた。

「あの子供たちは?」

「戦災孤児だったり難民だったり、いろいろ。父が連れて来るんです。私にはわかりません」

 関わりたくない。目を伏せるイネッサはそう言いたげである。その彼女へ、

「あのぅ……」

 と弱々しく朔夜が声をかけた。

「どうしたの、サク?」

 訊いた途端、神楽夜はもじもじとする弟を見て大方の予想がついた。

「あ、いや、トイレを……」

「ひとりで行けないのか、サクヤ?」

 おちょくるジックに朔夜は、

「行けるよ! 場所がわかんないんだって」

 と抗議の目を向ける。が、その顔は限界のようで青ざめている。

「こちらです」

 部屋を出るイネッサに朔夜が続くが、ふらついた足取りはいまにも倒れそうで危なっかしい。

「私も行く」

 この姉も甘いもので、神楽夜はすぐにふたりを追った。

 室内に、久方ぶりとなる夫婦だけの夜が訪れる。

「苦しくないか?」

 ジックは窓辺に立ったアルマに訊いた。

「いろんな人が生きているってわかって、なんだかおもしろくなっちゃった」

 窓の桟に溜まった埃を指でなぞり、

「いままでふたりだったから、その反動かもね」

 と、アルマは微笑みながら月を見上げた。

 一方、トイレに向かった神楽夜らは一階にいた。この建物に入って右手に行った突き当たりである。

 弟が用を済ます間、神楽夜は廊下の壁にもたれて待った。傍らのイネッサはランタンを持ったまま微動だにせず、うつむいたままでいる。

 冥暗と無音は神経を鋭くする。神楽夜はようやく、この教会に入った時から感じていた気配に意識を向けた。

(やっぱ、変だ)

 闇に溶け込んだ何者かの気配は、先日の地下で感じたものに似ている。体に押し寄せ、へばりついてくる粘着質な悪意。それは亡者の類か。

(場所が場所だからか?)

 神楽夜に祀木(まつるぎ)家が持つような霊感の類はない。ただ第六感ともいえる直感は、この場に長く留まるべきでないと警鐘を鳴らしている。

 近くに墓地でもあるのだろうか。それとなくイネッサに訊こうとした時である。

「……ロンドン」

 とつぶやく声がして、神楽夜は思わず修道女を見た。

 するとイネッサは瞬きもせず手元の火を見つめたまま、

「ロンドンに行かれるんですよね」

 と、なにやら思い詰めた様子で言葉を続ける。

「そうです、けど」

 神楽夜はいよいよ妙に思えたがひとまずは肯定し、次の言葉を待った。

 しばらくの沈黙を挟んだイネッサは固く瞳を閉じると、

「お父様、ごめんなさい」

 そうまたしてもつぶやく。かと思えばまじまじと見つめてくるものだから、神楽夜はすっかりたじろいでしまった。

 イネッサは意を決した顔つきで「私を」と口を開きかける。しかし、矢先に響いた靴音にはっとそれを飲み込んだ。

 次いで、

「ほう、客人かね」

 という重々しい男の声が、彼女たちを包む夜暗(やあん)に響き渡った。

 神楽夜が靴音とともに近づいてくる何者かに目を凝らせば、闇を捉えたその視界の彼方に金の十字架が閃いた。

(誰だ)

 身構える神楽夜が横目にイネッサを見やれば、彼女はさきほどの情強(じょうごわ)な面持ちから一転、どこか怯えた様子でうつむいている。

 ついに靴音が間近に迫り、神楽夜は顔を戻すなり睨みを鋭くした。

 そこには、腕を腰のうしろで組んでこちらを見下ろす屈強な神父がいた。イネッサの父とは別の男である。

 宵闇に垣間見えるその顔は、浅黒い肌に白毛交じりの口髭を生やした精悍なものだ。しかし浮かべる微笑みは穏やかなもので、神父としてでなくとも好かれそうな印象である。

 ただ、この娘は瞬時に見抜いた。

(なんだ、こいつ)

 どれほど善人を装っても、血に飢えた獣のごときその目までは誤魔化しきれない。鍾馗も稽古中に時折そのような目をするが、あれは厳しさの表れだ。いま対峙するこの男のものとは違う。この神父の目の奥にあるものは、どこか侮蔑を孕んだように感じられる。

「この、人は」

 神楽夜は神父を刮目したままあとずさった。

「申し訳ないが、シスター・イネッサは別の仕事があってね。さあ、シスター・イネッサ。お父様が探していたよ」

 神父にそう道を開けられたイネッサは、

「……はい、グラディア様」

 と顔を上げずに答える。胸の前でランタンを握る両手にはいっぱいに力が込められ、小さく震えていた。

 それを見た神楽夜は、

(嘘だ)

 と胸中に断じた。案内を命じたのはほかでもないイネッサの父である。

 けれどイネッサはなにを告げるでもなく、グラディアと呼ばれた神父の脇を、頭を垂らして通り抜けた。

 そうなると、とうとうふたりきりである。神楽夜はイネッサの背を見送るグラディアに警戒心を露わにし、眉根を厳しく寄せた。一方のグラディアは、

「随分と気が立っているようだが」

 と余裕のある口ぶりだ。そして、

「あのまま立ち話をされては、夕食が遅くなってしまう。晩餐の用意は彼女の役目だそうでね」

 そう続けると、微笑みをたたえた横目で神楽夜を見やり、なぜかその目を一瞬見張った。

「なにか?」

 神楽夜は敵意をにじませ訊く。

「いや。最後の晩餐は賑やかなほうがよいだろう。どうかな?」

「最後の?」

 どういう意味かは知らないが、この神父と食事をとるのは気が進まない。だが、断りの文句が瞬時に出てくるほど、この娘の頭は聡くない。だから考える間にトイレの扉が開いたのは渡りに船であった。

 疲れた様子で現れた朔夜は見知らぬ男の存在に息を呑んだ。しかし、神父の瞠目ぶりはそれ以上で、まるで死人が歩いているのを見つけたかのように愕然としていた。

 が、それも刹那のこと。

「まさかな」

 グラディアは言い聞かせるようにつぶやくと、踵を返して去って行った。

 その背に、神楽夜は厳しい視線を向け続けた。

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