第五話「痛み」①
暗闇のなかに男の深い慟哭が聞こえ、朔夜は呆然とあたりを見回した。
すると少年の周囲は瞬く間に火の海と化し、立ち昇る黒煙が空を灰色に染め上げていく。一面に折り重なる瓦礫の山々はどれもこれも炎に焼かれ、まるで地獄絵図を目の当たりにしているかのようだ。
(あれ、は……)
朔夜はそこに、ひとつの人影を見つけた。跪き、なにかを抱えている男の背中だ。
激しくむせび泣く男が天を仰いだ時、男の陰から真っ白い人の腕がだらんとこぼれ、力なく揺れた。
その間も男は、泣き喚きながら誰かの名を叫んでいる。しかし声はまわりで起こる爆発音にかき消され、よくは聞き取れない。
次第に朔夜の視界は、縁から青い炎に焼かれはじめる。そうして、目にしていた景色は火をつけた写真のように消え去ると、今度は、白い大地に青い空の爽やかな景色に挿げ替わった。
雪原であった。地平線まで凹凸のない雪景色の上には、雲ひとつない抜けるような青空が広がっている。
思わず胸いっぱいに空気を取り込みたくなったが、それは叶わない。そも、朔夜は自分の体を視認することすらできないのだ。
あるのは、宙に浮いた視点だけである。
その視線のさきにぽっかりと、黒い穴が突如として現れた。さきほど見たような青い炎に縁取られたその穴に、朔夜は理由もわからず手を伸ばしたくなった。
行かねばならない。早く、いますぐにあのさきへ。
出どころのわからぬ焦燥感は早く飛び込めと急き立てるが、どれほど手を伸ばしたつもりでも、肉体のない朔夜にはどうすることもできない。
自分はいったいなにに焦っているのか。そう省みた時、朔夜の視界は求めて止まない穴のなかへと吸い込まれていった。
そこは、青い光によって形作られた丸いトンネルのようだった。
朔夜が目にする内側には、見覚えのない風景がいくつも流れていく。やがてそのなかに、養父の顔、ジックの顔、砂漠を彷徨っているらしい東洋風の男の姿が過ぎ去る。
そして寂れた教会の景色が続き、最後に、これまでのものとは打って変わって現代的な高層ビルが見え、ついには果ての見えぬ暗闇にたどり着いた。
「そうだったのね」
背後からした女の声に、朔夜は意識を振り向けた。
葡萄色のワンピースにこげ茶色の編み上げブーツを身に着けた、赤毛の女が視界に収まる。
「……アルマ、さん?」
そこに立っていたのは紛れもなくアルマ・ブレイズだった。彼女は長い赤毛の三つ編みを肩にかけ、手をへそのあたりで組み、姿勢よく立っている。
アルマは優しく微笑み、
「でもきっと大丈夫。いまのあなたなら――ううん。もうとっくに気づいていたんだもの。そう。もう、あなたの人生を生きて、いいのよ。―――――ル」
と、信じられないくらい流暢に話した。
朔夜は、その時抱いた驚きのままに目を覚ました。視界に飛び込んでくる見知った天井は、ヴェントゥスの客室のものである。
(プラハ……どうして)
なぜ姉にそんなことを告げたのか。自分のことだというのに少年は、その理由を説明できなかった。
明かりが消えた薄暗い部屋のなかで、朔夜は静かに身を起こす。
(そうだ……)
夢のなかに出てきたアルマ・ブレイズは、なにか妙なことを言っていなかったか。
けれど、彼女が口にした最後の言葉。その音だけが、朔夜には思い出せなかった。
第五話「痛み」




