第四話「熱砂の邂逅」⑥
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斜陽が差し込む修練場は燃えるような朱に染まっている。
そこは随分と年季が入った木造式の平屋で、十メートル四方の内部に調度品の類は少ない。あるのは壁に掛けられた西洋の剣や胴を守るナイロン製のジャケット、そして頭部をすっぽりと覆う保護具くらいである。防具はいずれもフェンシングの競技で使うような形状だ。
普段ならば閑散としているはずの修練場であるが、いまは清澄なる剣戟の音が響いている。
マシューはまさにその剣戟の当事者であった。
対する相手は自分よりずっと背が低く小柄だ。されど、技の冴えは己を凌駕してあまりある。彼は次第に圧倒されだした。
だがマシューにもプライドがある。甘いひと突きを、手首を外側に返して捌き、踏み込んだ。
と、急に辺りが夜の雪景色に変わった。
木造の修練場も、手にしていたはずの剣も、なにもない。細雪がしんしんと積もり、月光を反射して薄っすら明るい夜である。
そこは修練場を出て、隣接する母屋の洋館へ向かう途中の大きな庭に差し掛かるところであった。春になればライラックやスイートピーといった花々が色鮮やかに咲くその庭は、いま、雪花が覆う夜のしじまにある。
「どうして、そんなに頑張るの?」
不意に背後から少女の落ち着いた声がして、マシューは振り向いた。
短いブロンドの髪をした見目麗しい少女が、白いワイシャツに黒いチノパンだけという潔さで銀雪に立っている。
背丈は伸びているが、その者はさきほど剣を交えていた相手である。ただ、記憶の欠片は彼女の名前だけが抜け落ちていた。
そこでようやく、マシューは自身の意識が浮上する感覚を覚えはじめた。
(夢、なのか)
そう思った矢先、
「お前のように、私も強く――」
少女の言葉とともに、いつかの夜が遠退いていく。雪夜と少女の姿が闇へと消えて、現実の音が聞こえてくる。
その合間に「お前じゃ無理だ」と複数の誰かの声が差し込まれて、
「はっ!」
とマシューは意識を取り戻した。
芝居がかった目覚め方に、ベッドのそばに座っていた九垓は鼻で冷笑した。
「イチコロだったな」
などと言ってへらへら笑いながら、自分の首筋を手刀でとんとんと軽く叩いて見せる。
マシューは九垓を恨めしそうに見ながら体を起こした。その動作の意図は解せなかったが、顔つきがなんとも憎たらしい。
壁や天井は見慣れたもので、ここが自分のカーゴフローターのなかであることはすぐにわかった。だが記憶は混濁している。それでも体は覚えているようで、自然と首筋をさすった時、
(そういえば、こいつに)
と気を失う直前の出来事を急に思い出した。
「どれくらい眠っていた?」
マシューは訊いた。
忘れてはならないのは、自分が赤い艦を追う身であることだ。集落のことは自分から首を突っ込んだとはいえ、ただでさえ足止めを食っている状況である。
「三時間ってとこかね」
「さ、三時間!? 艦は!」
マシューはベッドから身を乗り出した。
「それが、まだカスピ海くんだりにいるんだよなあ」
九垓が腑に落ちない様子で言うのに対し、マシューは心底安心した顔をして、乗り出した身を萎れた草みたいにへたらせた。
のっぺりとしな垂れるマシューは、これからどう追うかで頭がいっぱいである。部屋の自動扉が開き、誰かが入室してきても気にも留めない。
「アニキ。あと二時間くらいはかかるってさ」
(二時間……?)
マシューは九垓の声が妙に若々しく感じた。しかしそんなことは二の次である。青年というよりは少年のような声色であるのは単にふざけているだけだと思って、適当に応えた。
「なにが二時間だって?」
と、ぱっと顔を持ち上げたらば、座った九垓の横に見たことのない少年がいるではないか。
「誰だ、お前」
「あんたこそ誰」
いかにも悪餓鬼といった顔つきで少年は問い返した。歳は十を数えているだろう。Tシャツに半ズボン姿で、露わになった肌には切り傷や擦り傷が目立つ。活発な少年に見えるが、それにしては痛々しい傷跡であった。
「オレはアニキに言ってんの。おじさんには話してない」
「お!?」
危うくわかりきった切り返しをしかけたが、かろうじて思い留まった。こんな小僧に喚くなど、大人の品位に欠けるというもの。
マシューは居住まいを正すと咳払いをひとつし、努めて紳士に問い直した。
「き、君はどこから、き、来たのかなあ?」
「兄貴、顔顔」
今度は九垓が突っ込んだ。マシューのおぞましい作り笑いに鼻白む少年の心を代弁したのだ。
それに少年は直球をもって応える。
「狂ってんのか?」
純粋さは、濁った大人の心には時として辛辣になる。
そしてマシューの堪忍袋の緒は短い。紳士の皮は秒ではがれた。
「貴様! 私を誰だと心得る! 光のゲッツェンことヴェルナー・ゲッツェンが――」
「わかった、わかったから」
九垓は暴れ馬をなだめるかのごとくマシューを制すると、
「こいつはゴウザブロウ。助けた住民のなかに混ざってやがった」
と少年を顎で示した。
「イシカワ・ゴウザブロウだ! 覚えとけ!」
剛三郎は身を半歩前に出し、腰に手を当て、胸を張る。奇しくも、自己紹介の口上を途中で止められたマシューも同じ格好であった。
(どっちも餓鬼んちょだわ)
九垓は向かい合って微動だにしない大きな子供と小さな子供を見て、密かに嘆息を漏らした。
「して、二時間というのは?」
少々遠回りしたが、マシューは最初の問いに戻った。
「ああ。兄貴のグスタフ、ここの連中が直すってよ。助けてくれた礼だと」
九垓はそう答えると少年に首をねじ向け、
「もうちっと早くなんねぇのか、ゴウザブロウ?」
と訊く。
「無理言うなよ、アニキ。結構派手にバラしちゃってんだからさ」
「手加減したんだがなあ」
九垓と剛三郎のやり取りを聞いていたマシューは、
「ちょ、ちょっと待て」
と思わず流れを遮った。
「その、なんだ。兄貴ってのは、私か?」
自信なげに自分を指差すマシューであったが、
「おう、そうだ」
と九垓は答え、
「なんでおじさんが」
と剛三郎は答える。
自然、マシューの視線は剛三郎に向く。
「少年。お前の言う兄貴とは?」
まるで哲学じみた問いであったが、剛三郎は臆することなく九垓を指差した。
それを受けた九垓は煩わしそうな面持ちで、
「俺に弟子入りしたいんだと」
と二度目の嘆息を吐いた。
「オレもアニキみたいに強くなるんだ」
少年の宣誓を聞いた途端、マシューははっとした。
――お前のように、私も強く。
忘れかけていた夢の内容が、いま一度呼び覚まされる。けれど、そちらに意識を向ける間もなく、
「兄貴。こいつ孤児らしいんだ」
九垓は剛三郎を指して言った。
我に返ったマシューは、九垓の同情するような顔を見てその胸の内を察した。
自分も孤児であった。九垓の弁を信じるならば彼もである。自分たちがこうして生きていられるのは、運よく介添えにあやかれたからに違いない。剛三郎には、いまがその時なのであろう。
ただ、マシューにはひとつ気になることがあった。
「お前、日本から来たのか?」
名前の響きからしてその可能性は高い。だが少年は堂々と名乗り上げたにもかかわらず、
「たぶん……」
と煮え切らない返事をした。
「たぶん?」
マシューは怪訝に片眉を吊り上げた。
「わかんないんだよ。城みたいのは見たけど、ほとんどどっかの建物のなかだったから」
さきほどの威勢のよさはどこへやら、剛三郎はしおしおとして答えた。
(収容所の類か?)
マシューは推察すると同時にこのさきを案じた。九垓への懐きようを見れば、剛三郎が次に発する言葉は容易に想像がつく。弟子になりたいというなら当然、一緒についてこようとするはずだ。
しかし、九垓の対応は冷淡なものであった。
「なんにせよ、弟子は取らねぇし連れても行かねぇ」
椅子から立ち上がり、出入口へ向かう。その背中に剛三郎は食い下がった。
「なんでだよ、アニキ!」
「俺はお前のアニキでもなけりゃ……ってこれ、どっかで聞いたな」
九垓は足を止めるとマシューに半身を向け、
「充分だろ。これで恩は返した。じゃあな、兄貴」
そう告げると、開いた自動ドアのさきへ踏み出した。
「オレも行く! 連れて行ってくれよ!」
それでもしつこく懇願する剛三郎に、
「俺は傭兵だ。相応の対価さえ貰えれば大抵の仕事は請け負う。お前が雇うってんなら考えてやらないこともないぜ、坊主」
と、九垓は冷たくあしらった。
対する剛三郎は言葉を失った。
少年である剛三郎には少々酷に映るかもしれないが、九垓は己の信条に則り、現実的な回答をしたまでである。情がいくらあろうとも飯が食えないことくらい、やり取りを見届けるマシューもわかっている。
だがマシュー・ゲッツェンは、なかなかどうして胆力のある男であった。
「私が雇おう」
鶴の一声に九垓と剛三郎が一斉に振り返る。
「本気か?」
九垓はその真意を問うた。
無論、本気である。金の当てもある。伊達に基地司令を務めてきたわけではない。なによりせっかく見つけたアーキグスタフをみすみす逃す手はない。
「私を誰だと思っている。光の――」
「わかった!」
九垓はそれ以上言わすまいと慌てて待ったをかけた。そして、
「けどよ、高いぜ?」
と、人の足元を見るようなさもしい顔をして見せた。
そこで「いくらだ?」などと聞いてしまっては男が廃る。そんな気がしたマシューはしかつめらしい顔つきで腕を組み、
「何度も言わせるな。なんのことはない。ただし、支払いはアルカン領に入ってからになるがな」
とさらりと条件づけした。
九垓にしてみれば、その程度は好条件のうちであった。なにせ、連合の支配域はもう間もなくである。
「オーケー。なら、契約成立だ。こいつはどうする?」
剛三郎のことである。とんとんと進む会話に、少年は不安げな視線をマシューに送った。
「保護する。アルカン領に行く間だけな」
マシューが是非もなしと言い切るのを聞いて、剛三郎の表情は一転して晴れやかになった。すると剛三郎はずんずんとマシューに寄って行き、
「それじゃ、オレも雇ってくれ!」
と、はつらつとして言い放った。どうしてもアニキの真似がしたいらしい。
「却下だ」
マシューはあっさり一蹴した。
「ええ! なんでさ!」
「なんでもかんでもない。お前、まだ兵役に就ける歳じゃないだろう」
剛三郎はぎくりとした。
「いくつだ。十二か? 十三か?」
いびるように詰問するマシューに、
「……十一」
少年はなんとも悔しげにつぶやいた。曲がりなりにも男児らしい。小さな男のプライドである。その気持ちはマシューにも覚えがあった。
「あと六年したら考えてやる。せっかくだ、いまはアニキに教えてもらえ」
「え、俺かよ!」
話がそちらに転がるとは思わなかった。九垓は目を丸くするも、すでにマシューとは雇用関係を認めてしまっている。それが仕事とあらば従うしかない。
とはいうものの、まるで昔の自分を見ているようだ、と思ったのはマシューだけではない。九垓もこの少年にかつての自分と重なるものを覚えていた。
「よろしくな、アニキ!」
剛三郎が向ける無垢な笑顔に、九垓はやれやれと頭を掻く。
そこに、
「あー、それとな」
と、マシューが思い出したように言った。
「そのアニキっての、やめないか。どっちかわからん」
提案したそばから、九垓と剛三郎は理解できないといったふうに顔を見合わせる。それだけで意思疎通したふたりを代表して、剛三郎が前に出てこう言った。
「しゃあねぇ。じゃあ、マシューのあんちゃんな」
(話聞いてなかったのか?)
そうマシューが抗議の弁を垂れようとするのにさきんじて、九垓が口を開いた。
「いいから行こうぜ。兄貴は機体の調整、ゴウザブロウは男どもの手伝いだ。いくぜぇ野郎ども」
覇気のない九垓の下知に、
「おっしゃあ!」
と剛三郎だけが盛大に気炎を上げるのを見て、マシューはがっくりと肩を落とすのであった。




