第四話「熱砂の邂逅」④
果たしてようやくたどり着いた集落であるが、足を踏み入れたマシューらを出迎える者はひとりとしていなかった。
乱雑に並んだ石造りの家は、開口部に扉も窓も設けられてはおらず、非常に開放的である。なかを覗けば鍋や皿といった生活雑貨が残されたままで、一部には忽然と人が消えたかのように食事が残されている家まであった。
家の合間を縫って進み、大きい通りに出る。その時、風に乗って硝煙の臭いが漂いはじめ、九垓は風上へ首をねじ向けた。
通りに面した家屋がいくつか崩れたなかに、箱型を組み合わせたような黄土色のグスタフが一機、その胴体だけを横たえている。破壊されて間もないようだ。その傍らには、真新しい死体がいくつか転がっていた。
「みんな連れて行かれたってことかね、兄貴?」
「さてな。見たところ女子供だけだろう」
マシューは顔をしかめた。
砂塵と血液にまみれる死体は男性と思われるものばかりであった。砂に染み渡る赤黒い血はまだ乾いていない。
九垓はマシューの反応が意外だった。軍属であるならば死体のひとつやふたつは見慣れたものだろうに、しかしマシューには明らかに狼狽の色が窺えたのだ。
その理由は戦場の経験が少ないからではない。単に許せなかったのだ。無法者が跋扈する砂漠に生きる以上、このような末路を迎えることは免れ得ないことではある。だが、己が利欲のために他者の命を奪う輩が、マシューには許しがたかった。
その脳裏に、
――父とは、秩序を守る者なのだ。
という男の声がよぎる。それは、彼がわずかに覚えている生前の父の言葉である。その言葉どおり、父は世界の秩序を守るべく戦い、黄金の繭という大いなる脅威を退けた。
亡き父の志を受け継ぐからこその怒りと、受け入れがたい無力感とが、マシューに拳を握らせる。
(連合はなぜ、このような事態を放っておくのだ)
マシューはやり場のない憤りを抱えたまま、カーゴフローターへ踵を返そうとした。
それを、九垓はすかさず身を寄せて制した。そして顔を寄せると、
「兄貴」
とマシューにだけ聞こえる大きさで、周囲に気を巡らせつつ言った。それまでの砕けた雰囲気から一転して険しい表情に、マシューも警戒心に眉をひそめる。
すると、吹き抜ける砂塵に紛れて定かではないが、視線を感じた。マシューは静かに、腰に携行した拳銃に手を伸ばす。
その矢先、
「軍人さん? あんた、連合の軍人さんかね?」
と、しわがれた声がどこからかかけられた。
「誰だ」
マシューは銃を抜きながら声のした家屋を向いた。九垓はそれを尻目に見ただけで、マシューの背後の警戒を続けた。
「ああ頼む、娘を……村の者たちを助けてやってはくれんか」
廃墟と思われた家のひとつから、いまにも折れそうな杖をつき、骨と皮だけの老人が姿を見せた。手入れされていない白い髭を口元からもじゃもじゃと伸ばし、僧侶が着る袈裟のような衣服に身を包んでいる。そのさまは長老然として見えた。
「頼むよ、軍人さん。いまならまだ間に合う」
老人の訴えに、マシューは銃を下げはじめた。
「囲まれたぜ」
背中の九垓がそう言うのに反応し、マシューは目だけで左右の状況を確認した。
無人と思われた家やそれらの間にある細道から、みすぼらしい身なりの男たちがゆらりと現れ出し、その数は次第に増えて二十人ほどになった。年齢はさまざまだが、誰も彼も日に焼けて、屈強な体つきである。
そのうちのひとりが前に出て、
「表のフローター、あんたらのだろう?」
と親指でマシューたちが来た方角を指した。
マシューは怪訝そうな顔で、
「そうだが。お前たちにやれるものはないぞ。こちらも水がなくて困っているんでな」
と突き放すように言った。
「いや、そうじゃない。連合のものだったから、てっきり賊を追って来たもんだと」
男の言葉は実に無念そうで、最初の印象と違って力ないものであった。それきり、老人も周囲の男たちもみな、同様の面持ちでうつむいてしまった。
マシューは彼らの沈黙が意味するところを察した。しかし、いまは水の補給と赤い艦の追撃が優先である。
(仕方があるまい)
マシューは断りの文句を述べようと口を開きかけたが、九垓が機先を制した。
「助けてやりたいのは山々なんだけどな、これ、あんの?」
九垓は親指と人差し指のさきをくっつけて、手の甲を下に向け、金銭を意味する手ぶりをして見せた。
その試すような顔つきに、男は話す相手を間違えたと知った。それでも男は律儀に、
「金はない。水は、普段なら運ばれて来ているはずなんだが、たぶん、奴らにやられたんだろう」
と答えた。
「水売りか」
今度はマシューが口惜しそうに言った。
砂漠には無数の難民キャンプが存在するが、水道設備が整っていることはまずない。そのため難民のなかには、湖などから水を汲み、どこからかくすねてきた浄水器で飲み水に変え、それを売りさばくことで食い扶持を稼ぐ者がわずかにだがいた。
難民らの間では物々交換が主流であったが、一部では独自の貨幣を用いた取引も見られた。ただ、連合勢力内では<リル>が共通通貨であり、難民らのそれは無価値に等しい。男が金を持っていないと言ったのは、このためである。
褐色肌のその男は続けた。
「ああ。枯れかけのバルハシ湖から汲んでくるんだ。浄水器があれば、そこに行くといい」
無論、水売りを生業とする者との争いは避けられないだろうが。男はそこまで言うことなく背を向け、集まった男たちに、
「行こう。準備ができた奴から北側に集まってくれ」
と下知を発した。
男たちは大した装備もないまま、あの盗賊に挑もうとしている。
さりとて、マシューらにそれを止める道理はない。ただ彼らの背中を見送るのみである。
その背中が、いつか見た父のものに重なって見えたからだろう。マシューは腹の虫がおさまらないのを感じていた。
(秩序を、守る……)
マシューが記憶する父親の姿はわずかなものであったが、玄関の戸を開けて朝日のなかへ消えていく大きな背中を、彼は鮮明に覚えている。
いまでこそ、あの日見た背中が、戦地に赴く緊張や悲しみを含んだものであったとわかる。それがなぜいま、男たちのそれと被って見えたのか。
彼らは父と違い、守るための力を持たぬというのに。
(それでも、行くというのか)
であれば、いまの自分は父にも、あの男たちにすらも及ばない。
「兄貴、俺らも行こうぜ。急がねぇと見失う」
この時も、赤い艦はマシューたちから離れていく。九垓に促され、マシューはうしろ髪を引かれる思いでカーゴフローターへの帰路をたどりはじめる。
背中に刺さる老人の視線を、確かに感じながら。
カーゴフローターに乗り込むとエンジンを始動させ、マシューは手動で方向転換した。はじめこそオアシスに思えた集落の景色が、いまは釈然としない空気をまとって背後へ遠退いていく。
操縦桿を握るマシューはむっつりと口を閉ざしたままである。
それを見た九垓は内心、
(へえ)
と、情に流されなかった彼を評価した。
合理的なのは仕える側として好むところである。一時の激情にかまけて策を失するような輩も見てきただけに、マシューの任務を優先する態度は大いに気に入った。
ただ、踏ん切りがつかない雰囲気を引きずるのは感心しない。
九垓は助手席から立ち上がって操縦席の傍に寄ると、
「さーて、赤い艦はどこまで行った?」
と軽い調子で、地図が映ったモニターへ顔を寄せた。彼なりの気遣いのつもりであった。
しかし、その顔は地図を見た途端に一変する。
(あ?)
九垓はなにかの見間違えかと思った。
モニターに示された赤い印はカスピ海へと近づいている。目標である赤い艦の印だ。だが、自分らが乗るカーゴフローターを示す青い点はそれに向かって行くどころか、反対の方角へ向かっているではないか。
「お、おい、兄貴! 間違ってる。反対に行ってるって!」
慌てる九垓に対して、マシューに動じる様子はない。それもそのはずである。
「お前、ひとりで片付けられると言ったな?」
マシューの問いに九垓は困惑の色を浮かべた。そしてすぐに勘づく。この男はこれから、賊の一団を蹴散らす腹である。
(やっぱその気か)
呆気に取られて黙していると、マシューはそれを答えに窮していると取り、
「なんだ、ただの大ぼらか」
と九垓をけしかけた。
そこまで言われると九垓も黙ってはいられない。
「やれるさ。けどよ、人助けより艦を追ったほうがいいんじゃねぇか?」
雇われた以上は反抗する気などさらさらないし、仕事となれば駄賃に見合う分は確実にこなす。それを信条とする九垓だけに、ここでの寄り道は時間の無駄に思えた。
戦術の提案も傭兵の仕事であるがゆえ、そう具申したまでであったが、どうにも雇い主の意思は固いらしい。マシューの目は進行方向を見据えたまま動かない。
「接収する」
マシューは前を見つめたまま言った。
「……兄貴、まさかとは思うけど」
「水だけじゃない。もちろん、グスタフもだ。修理に使わせてもらおう」
(絶対いま思いついただろ)
あとからつけたような理由だったが、手っ取り早いことには違いない。
「でも艦はどうする? 離れちまうぜ?」
わかりきった九垓の問いにマシューはしたり顔を浮かべた。
「このマシュー・ゲッツェンの計画に狂いはない」
「どこがだよ」
思わず本音が出た。それでもマシューは表情を崩さず、
「はじめからだ。このさきはアルカン領。そうなれば網にかかるのを待つだけ、という寸法だ」
と得意げである。
一方の九垓はといえば、なんと大雑把な、と言いたそうに苦笑した。
ならば追う必要があるのか。九垓のそんな疑問の目が面白くなかったマシューは、片手でモニターを操作して九垓に向けた。
「奴らはジャミングの薄い場所を最短で西に向かっている。私が追いたてたからに違いない」
そうまくしたてるが、九垓の視線は変わらず冷ややかなものである。なんと穴だらけな作戦であろうことか。
マシュー・ゲッツェン。亡き父ヴェルナー・ゲッツェンは勇将と名高い傑物で、連合内でもひと際人望の厚い人物であったとされる。先導者としてかくあろうとする彼こそと、領主に薦める声も数多あった。それは、自らが抱く理想や夢を、民衆に語って聞かせていたためであろう。
また彼には、理想を実現するだけの才覚があった。現に、アルカン領を連合内で最大の規模たらしめたのは、ほかならぬヴェルナーの尽力あってのことである。細々とした領地の統合を促し、より円滑な運営を図ったのだ。
黄金の繭を討滅し、華々しく世界の頂点に君臨するはずだった男はしかし、繭と刺し違えるようにしてこの世を去った。
その男を父に持つマシューであったが、遺伝とは不思議なもので、指導者としての才は受け継がれなかったようだ。継いだとすれば、知ってのとおり、世の秩序を守らんとする心意気くらいのものである。
しかしそんな彼も、九垓からすれば若くして指令の地位まで登り詰めた男。その口から出る真意はどれも閉口する杜撰さであるが、まさか司令ともあろう者がそんな浅慮であるはずがない。
(要は、捨て置けないってか)
マシューが司令であるという嘘は、かえって九垓に、無策であることを好意的に受け取らせた。
「戦闘は指示だけすればいいんだろう、クガイ・リー?」
マシューは横目で問うた。自分が言ったことである。もちろん二言はなかった。
「いいぜ。格の違いってのを見せてやるよ」
九垓の返答にマシューは不敵な笑みを浮かべると、車両を一気に加速させた。




