第三話「ヒトならざる者」⑥
岩壁の上にしゃがみ、月を背に谷底を覗き込むグスタフが一機、分厚い刃をした大太刀のごとき剣を背負い、艦の出方を窺っている。
連合の主力機であるグスタフ<フォルクス>の長所は、優れた拡張性と動作の信頼性の高さにある。選択式の装備はどれも使いまわしが利くことから、柔軟な対応が求められる現場の評判はいい。
マシューが今回受領した機体は、斬撃主体の近接戦闘装備<シュナイデン>である。この装備は、神楽夜に撃破された際の近・中距離用装備<アングリフ>の機体と連携を想定した設計思想を持つ。が、いまの彼の機体にはアングリフ用の銃火器が握られて、その銃口からは硝煙が上がっていた。
二発目の威嚇射撃を放ったばかりであるが、なんの反応もない。艦は明かりも消えているようだ。
(遅かったか!)
マシューはすでに逃げられたと思い、舌を鳴らした。
「これでは、ゲッツェン家の名折れだ……くっ」
ハウトマンと交信したのち、機体とともに送られてきたのは転属の辞令であった。アルカン領の所属となったのは念願叶ったりであるが、身分は基地司令から部隊長へ降格。それも自分以外の隊員がいないときた。裸の王様以前である。
マシューはなんとしてでも目撃した<アーキタイプ・グスタフ>を鹵獲しなくてはならない。それが自身の名誉、ひいては名門ゲッツェン家の地位を更生する唯一の道であるからだ。
(ハウトマンのもとを離れられたのは僥倖だが、しかし)
このままでは遅かれ早かれ立ち行かなくなる。ここはまだハウトマンの勢力下だ。マシューにはあの男が、お払い箱にした者に慈悲をかけるとは思えなかった。
カーゴフローターの燃料やグスタフの装備は当分持つだろうが、安全に補給を受けたいのならアルカン領、つまり西へ抜ける必要が出てくる。
(この私が、盗人の真似など)
とはいえ、赤い艦に手がかりがあるかもしれない。マシューは機体を立ち上がらせ、谷底へ降りようとした。
すると艦の後方ハッチが開きはじめ、マシューの悔しげな瞳は一転して歓喜の色に変わった。
「いた! 出たな、サムライ!」
まるで目当ての昆虫を見つけた少年さながらに目を輝かせ、マシューは機体の外部スピーカーを起動させた。
格納庫から躍り出たゼルクは、左右に反り立つ岩壁を蹴り、三角跳びの要領でよじ登ってマシューの前に降り立った。岩壁の上はグスタフが歩行できる程度に平らである。
希求の再会を果たしたマシューは、手にしたアサルトライフルを腰部に懸架すると、背中の大太刀を抜き、切っ先を向けてお決まりの文句を垂れた。
「よくぞ来た! さすがはサムライ! まずは私から名乗ろう。私は光のゲッツェンことヴェルナー・ゲッツェンが嫡男、連合軍ユーラシアァッ!?」
最後に頓狂な声を上げながら、マシューは顔面に繰り出された拳を寸でのところで躱してみせる。
神楽夜は舌を巻いた。
(この感じ)
覚えのある手ごたえであった。
「あの時の奴か!」
確証はない。迅速な反応だけで判断した。
「き、貴様っ! 名乗りの前に!」
うしろに飛び退きながら、マシューは剣を薙いで牽制する。
マシューの声は筒抜けであるが、神楽夜のほうはそうではない。
「いちいち覚えてんのか、そんなの」
どれだけ悪態をつこうとも相手には届かない――はずなのだが。
「作法であろう! サムライの!」
妙に会話が成立していた。
ちなみに、戦前に名乗りを上げる文化は古き日本に存在したそうだが、それも鎌倉時代あたりまでとされている。以降の戦では、自軍の鼓舞などを目的に行われたようだ。時代とともに戦の形が変容し、その過程で消えた文化であった。
「いつの時代だ、よっ!」
踏み込んだゼルクは、中段に構えた敵機<フォルクス・シュナイデン>の懐へ瞬時に入った。それだけで、敵が持つ長大な刀身の威力は減衰する。
(取った)
極至近距離。ゼルクは身を横に回転させて勢いをつけ、相手の右脇腹めがけ、まわり込むように右肘をねじ込もうとした。
対するフォルクスは左足を軸に、回転するゼルクの背を見ながら時計回りに半回転し、体の正面以外は決して見せないように動いた。そして、構えた剣を手前に引くようにして下げた。
(まずい!)
斬られる。
察した神楽夜は相手に背を向けた格好でいる。咄嗟に、右籠手に備えられた刀身を肘のほうへ滑り出し、背に振るわれる敵の刃を振り向くことなく受け止めた。
刀剣同士が火花を散らす。
斬り結んだ状態で、フォルクスはぐいと力を込めてゼルクを押し出した。崖の際に立たされていたゼルクは、頭から転がるようにして谷底へ落ちた。
そこへ、飛び降りたフォルクス・シュナイデン自慢の一刀が振り下ろされる。
「成ぇぇ敗ッ!」
マシューの雄叫びが渓谷にこだまする。
上段から下ろされた大太刀は、それを扱うグスタフの質量もろともゼルクを襲った。地上へ連れ去らんとする勢いがつく。ゼルクは斬撃をかろうじて右の籠手で防いだものの、浅くはない傷が残った。
「サムライ、討ち取ったり!」
マシューは誇らしげに言い放ったが、
「なに!?」
突として剣が空ぶり、動揺を見せた。
視界に青い光が炸裂したと思いきや、自機より下にいたはずの敵機が、すでに右横にいたのである。
ゼルクの右籠手の一部が展開し、推進器が蒸気を上げている。瞬間的に加速し、斬撃の軸線から外れたのだ。
「その腕か!」
落下しながら、マシューは二の太刀、三の太刀と打ち込んだ。だが決定打には至らず、両者は空中で数度打ち合いを演じると、地上に激突する寸前に分かれ、着地した。
フォルクス・シュナイデンが持つ巨大な剣の切っ先がゼルクに向けられる。
「昼より動きが鈍いな、サムライ!」
その言に、
(やっぱりか)
と神楽夜は安堵した。日中に屠ったと思った相手が生きていたことは、消沈していた彼女には朗報である。
けれどもそれが、彼女を大きく迷わせる。
「姉ちゃん?」
朔夜のその問いに続く沈黙が「なぜ決めきれないのか」と急かしてくるように神楽夜には思えた。
技を放てば、きっと相手の命を奪うだろう。そう考えると、いまはなぜか瞼の裏にジックとアルマの姿が浮かび、神楽夜は拳を強く握り締めた。
対峙した相手にも、待っている人がいるかもしれない。
だが。
――自分がどういう役目でここにいるのか、わかってないんじゃないのかい?
同時に、シーカーの叱責も彼女の胸に刺さった。己に課せられた使命、その重大さに、自分はまだ向き合えていない。
(自分の、役目……)
それは養父を見つけること、そして、繭に対抗しうるアービターを連れ帰ることだ。決して人を殺めることではない。むしろこの旅は、青い繭の危機から人々を守るためのものであるはずだ。それははじめからわかった上で、ここに来ている。
なら、なにが心に緩みを生むのか。神楽夜は己に問うた。
答えは考えるまでもない。
経験だ。黄金の繭を撃退したという事実が、自身に慢心ともいえる隙を生みだしている。それだけではない。自分はまだ、皆が繭を恐れる理由を知らない。だからこそ、どうにかなる、と高をくくってしまう。
目の前の障害を排除してでも、鍾馗らが求めるところに至るべきなのか、確信が持てないのだ。それは、甘えた考えなのか。
それでもひとつだけ、確かなことがある。
命より重いものなど、この世にはない。
神楽夜は静かに息を吸って、相手との間合いを目算した。
「戦力だけを奪う」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた姉に、朔夜は場の空気が止まったと錯覚した。姉の声は聞いたことがないほど落ち着き払っていた。
「神の腕」
神楽夜は淡々と技の構えを取った。右籠手の各装甲が展開し、青く輝く至宝が露わになる。
「焔覇爆装!」
左頬に寄せた右拳がへその前を通り、弧を描いて振りかぶられる。気迫が赤い炎という形を得て具現化し、ゼルクの全身を包み込む。
神楽夜は狙いを定めた。
片や、ようやく宝玉にお目にかかれたマシューは、
「ネビュラ・クォーツ!」
と、いまにも飛びつきそうな勢いでその名を叫んだ。
やはり間違いではなかった。自分が見たものはアーキタイプだった。これを手に入れアルカン領に戻る。まさに凱旋だ。マシューは讃えられる未来を想像し、胸を高鳴らせる。
そして、意気揚々と大太刀を脇に構え、きたるあの技に備えた。籠手の推進力にものをいわせた一点突破の正拳突きである。
マシューはその特性を見抜いていた。さきほど空中で斬り結んだ時だ。消えて見えるほど急加速は、狙いを定めて撃たれた銃弾に近い。制動などできるはずがない。
見切り、躱し、すれ違いざまに足を斬る。
「その機体、このマシュー・ゲッツェンが貰い受けるッ!」
マシューが高らかに気炎を上げたのを合図に、神楽夜は籠手の推進器を全開にし、大地を蹴った。
ゼルクの速さは、人間の動体視力の限界なぞ優に超えている。しかしマシューは違和感を覚えた。はじめて見た時よりも、ゼルクの飛ぶ位置が数段高い。
思考が追いつく前に体が動いた。横に振り抜く大太刀の軌道をわずかに持ち上げる。
が――。
(な、んだと)
大太刀が宙を舞った。
ゼルクは横に一閃する大太刀を寸前で掻い潜り、肘から伸びた籠手の刃で、すれ違いざま、大太刀を握る小手先のみを斬り裂いたのであった。
「くっ……!」
手首から小さな爆発を起こし、フォルクス・シュナイデンは岩壁の上へ飛び去る。
「また外したな! 覚えていろ。このマシュー・ゲッツェンは、必ずお前を手に入れて見せる!」
捨て台詞が闇夜に消える。降り注ぐ静かな月光に、神楽夜はゆっくりと空を仰いだ。




