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第三話「ヒトならざる者」④


      *


 暗黒のなかで扉を引き開けた神楽夜(かぐや)たちは、目の前に現れた空間を見て呆然とするあまり、その場に立ち尽くしていた。

 そこは半球状の天井を持つ広大な地下空間だった。奥行きだけ見ても、ざっと五百メートルはある。それまでと違うのは、地下にありながら、月明かりに似た淡い光に満たされていることだ。光は、ここまでの通路と同じ材質と思しき壁や床、はるか頭上の天井からも発せられている。おかげで神楽夜らは、ジックの篝火に頼らなくとも内部の状況を知ることができた。

 しかしその明るさは、奥へ行くにつれ弱まっている。突き当りが一面ガラス張りとなっており、光を発していないからだ。どうやら、そこからさらにさきがあるらしい。

 一同は恐る恐るなかへと足を踏み入れた。

「ここは……」

 あたりを見回しながら、神楽夜は驚嘆の声を漏らす。

 しばらく歩みを進め、空間のなかほどに至ると、彼女の視界の右手に、壁沿いに並ぶ扉が捉えられた。三方枠に収まったその扉たちは四箇所あり、さきほど引き開けたものとすべて同じ仕様のようである。だとすると、やはり通電はされていないか。

 姉弟に続いて歩み寄ったジックが確認するが、

「動いては――ないな」

 案の定、機能していない。

 ジックは引き締まった顔つきで首を左へねじ向け、次いでそれを自身の傍らに立つ妻へと向ける。「行くか?」と目で問うたのだ。無論、答えはわかりきっている。

 アルマはガスマスク姿のまま、力強い首肯でもって夫の問いに答えた。

 それが妻の願いであるというならば、叶えないわけにはいかない。ジックは一瞬だけ渋面を覗かせたがすぐに取り直し、奥へと歩みを再開する。アルマと姉弟もそのあとに続いた。

 明かりが弱まっていくに従い、ガラス壁との距離が徐々に縮まっていく。その壁は丸みのある天井の縁に沿って湾曲しており、向かって右端に、人がひとり通れるだけの開口が設けられていた。三方を枠で縁取られていることから、通用口と見て間違いない。扉らしきものはなく、開け放たれている。

 そう観察するうち、神楽夜は、

(あれ)

 と、ガラス壁の向こう側が完全な暗闇でないことに気がついた。周囲が明るかったためにわからなかったが、薄っすらとした橙色の光が下方より生じているのが見える。間接的な、非常にか弱い光量だ。

 いったいなにがあるのか。ガラス壁までたどり着いた時、神楽夜は眼下に広がるその光景に自分の目を疑った。

「街――?」

 まるで深夜の街並みを上から見下ろしているようだった。二十メートルほど下にあるその街に、ひとけは一切感じられない。

 だのに、鋳鉄かなにかでできた街灯が橙色の明かりを灯して、光を傘のように地面に落としている。神楽夜がガラス壁に近づく際に感じた橙色の光源はそれだ。その街灯は闇のなかにぽつぽつと、通りの真ん中に規則正しく建ち並び、そこが石畳の街道であることを明らかにしていた。

 車の往来もできるほど幅広いその街道は、徐々に上へ傾斜するように伸び、最奥で左へ緩やかな曲線を描いて途切れている。おそらく、さらにさきがあるのだろう。

 その通りを挟んだ両側には、大小さまざまな建造物が闇に沈んでいる。住居らしき建物は、高さが十二メートルほどはあるか。隣接する建物同士が、境目なく連なり続く景観は、欧州の街並みに近しい印象だ。しかし、いまは巨大な黒い壁にしか見えない。さながら影絵のようである。

「なんで、こんなところに」

 神楽夜の言葉はその場にいる者の心を代弁した。ここに至るまでの施設内の様子から、誰もが当初、ここは研究施設かなにかであろうと思っていた。だが現に直面したのは、よくいって幻想的、悪くいって怪異的な街の様子である。

 なにゆえ地下にこれほどの街が。その疑念から、神楽夜は街のなかに目を凝らした。

 すると、

「おい、あれ」

 隣にいたジックが不穏な声をあげ、ガラス壁越しに上を指さす。神楽夜たちはそのさきを目で追い、みな一様に驚愕の顔つきとなった。

 街灯の明かりが届かず、ひと際濃い闇となった頭上の空間に、まるで巨大な満月でも浮かぶかのごとく、ぽっかりと円形にくり抜かれた場所がある。そこに、灰色の大地に建つ白い塔が、背後に星を(きら)めかせながら収まっていた。

 そして、

「地球……?」

 見切れるように中途半端な形ではあるが、見知った惑星が塔の左手奥に見えている。

「なんなの、あれ」

 神楽夜が目を奪われていると、右隣にいたジックが突として駆け出した。

 彼はガラス壁の端にある通用口に至ると、そこから、開いた右手を頭上の塔へと突き向ける。すかさず、伸ばされた腕のさきに火球が生まれ、それは塔めがけ一直線に飛翔した。

 遠のくにつれて火球はどんどん小さくなる。やがて塔をすり抜け、ついには天井に当たったらしく、小さな爆発を起こして役目を終えた。

 ジックは己が放った炎のゆく末を見届けると、

「ホログラムだ」

 と、あとを追って来たアルマたちに断じた。

 さきにも触れたとおり、街に生者の気配はない。ならば頭上に浮かぶ映像は、いったいなんの目的で投影されているのか。一同は(いぶか)しげに顔を見合わせた。

「降りてみるか」

 ジックは通用口に首を戻す。

 神楽夜たちがそれに倣って下を覗き込めば、壁に沿って階段が続いていた。マンションの外部に見られる避難階段によく似た、鋼製らしき折り返し階段である。

 この場所が仮になにかの居住区画だとすれば、電源に通じる手がかりが見つかるかもしれない。ジックは先陣を切って階段を下りはじめる。

 ただ、結果如何によらず、彼はここで探索を終わりにする気でいた。少々、アルマを歩かせ過ぎた。うしろに続く彼女はもうずっと息苦しそうに、胸元に手を当てている。

 それは夫妻の背中を目で追う神楽夜も気がかりだった。だが、いま娘の意識は、下階に立ち込める得体の知れない気配に向けられている。

 妄執、とでもいおうか。地上でこの施設の入口が開いた時に感じたものだ。それがこの下から溢れ出ているように神楽夜には思えたのである。

 抱いたその恐怖心は、引きずり込もうとする亡者の呼び声を忌避する、一種の生存本能に近い。けれど彼女は、それをとっくに冒険心へとすり替えていた。

 その証拠に神楽夜は、ガラス壁にへばりついたままの弟へ首をねじ向けると、

「サク、行くよ」

 と、なに食わぬ顔でそう言う。早く続かねば、夫妻に置いて行かれてしまう。

 しかし、朔夜は一向にその場を動こうとはしない。

(なんだ、怖いのか?)

 弟の心境をそう推し量った姉は努めて軽い調子で、

「なに、大丈夫だって。ちゃっちゃと見て帰ろ」

 と、さきに下りるようさらに催促する。が、それでも朔夜は街に視線を注いだままだ。よもやここまで頑なとは思わず、神楽夜は怪訝に眉をひそめた。

「置いてくよ?」

 定番の最後通告に、朔夜はようやく階段へ歩を運ぶが、その足取りはやはり重い。神楽夜の前を横切る際も顔はうつむいたままで、心なしか懐疑的な色さえある。

(腹痛いのか?)

 もしや、自分がこしらえたあのサンドウィッチか。神楽夜はそんな疑問を抱きつつ、一行の最後尾について階段を下りだした。

 下へ行くに従い、まるで深海都市のような街並みが近づいてくる。

 大空洞のなかは一行から見える限り、壁も床も金属に似た人工物で覆われている。ここまで通ってきた場所と差異がない印象だ。

 街は物音ひとつしない。死んだように静かである。だのに、街灯には明かりが灯り、道を照らすという奇妙な齟齬(そご)。その違和感は、闇に隠れる何者かの息遣いを感じさせてならない。なにより、頭上の白い塔の映像がきな臭いことこの上ない。

 怖気混じりのその感覚は、下にたどり着くなり一層強くなった。

 一行は階段を下りたさき、右手に並ぶ黒く高い壁のような建物たちに沿って歩き、橙色の光が漏れる街道を目指す。そして、そこへ入ろうと右折した時である。

「人!?」

 怯えた朔夜が急に立ち止まり、あとに続く姉に背をぶつけた。

 朔夜が向ける視線を追えば、石畳に落ちる街灯の光の端、かすかに、人の足首のような影が立っている。

 ジックはたまらず例の剣を抜き、

「誰かそこにいるのか」

 威圧も込めてそう問うた。

 が、返答はない。動く気配のない影に一同はじりじりと詰め寄る。

 剣の間合いに入ろうかというところで、神楽夜は持っていたペンライトを向けた。

「さっきの、人形……」

 闇から光へ半歩踏み出そうとして止まったそれは、上でアルマや朔夜に襲い掛かったあの機械人形であった。

 人形であるがゆえ当然だが、その顔は能面のように生気がない。生きたいという希望がまるで感じられないのだ。このようにひとけのない場所でそれと遭遇するのは、朔夜でなくともうろたえることだろう。

「生きている個体(やつ)がいるかもしれん。さっさと引き上げよう」

 ジックは剣を炎に返しながら振り返るが、

「でも、それじゃ……」

 アルマは渋った。ホバーバイクのエンジンが直らなければ、砂漠を徒歩で行くことになる。もとより覚悟の上ではあるものの、それは彼女にとってより死に近づく、綱渡りに等しい自滅的行いである。

 無論、ジックも理解している。しかし、

「もういいだろう。これ以上は危険だ。せめて食料だけでも見つけられればよかったが、これじゃな……」

 と、顔を横に向けた。

 街灯に近い建物は、その明かりで内部をわずかに窺い知ることができる。ジックが無念そうに見つめるさきには、商店だったのか、ショーウインドウの向こうの店内に、ガラス瓶やら缶詰やらが散乱していた。

 何者かの生活の跡か。それともすでに荒らされたあとなのか。

 神楽夜はペンライト片手にその建物へ近づき、さらになかを覗き込んだ。

(あれ?)

「おい!」

 ジックが静止の声をかけた時には遅かった。すでに神楽夜は商店のガラス戸を引いて、その身をなかに滑り込ませている。

 店内は小ぢんまりとして広くはない。舞い上がる埃に腕で口元を覆い、散らばったごみの間に足の踏み場を見つけながら進めば、数歩で目的の場所へたどり着いた。

 彼女は足元にある紙の束を拾い上げる。隅をホチキスで止められた分厚いそれは、なにかの報告書のようだが、煤けて内容の詳細まではわからない。

 だが、

「……トの憑依実験。被験……の構成、因……子?」

 解読できる範囲を読み上げる限り、とても公にできるものではなさそうである。

(憑依、実験……)

 ここにいた人間はいったいなにを研究し、どこへ行ったのか。神楽夜はここに来てから感じていた陰鬱(いんうつ)とした空気が、ことさら重くなったような気がした。

 そして、その感覚が正しいことを、すぐに思い知ることになる。

「姉ちゃん!」

 鬼気迫る朔夜の声に、神楽夜は背筋が凍る思いで振り返った。すると、ジックがしまったはずの剣を再び構え、神楽夜から見て右手、つまり街道の奥を睨みつけている。

 すぐさま外へ駆け出た彼女は、ジックの隣に並ぶなり目を見張った。

「あれは!」

 坂になった街道の彼方、闇に蠢く無数の赤い点がある。ゆらゆらと左右に揺れるそれが街灯の光をくぐった時、寸分のずれなく行進する機械人形の大群が明らかとなった。

 街道いっぱいに広がる赤い点の正体は、人形たちの目だった。人形らはゆっくりと距離を詰めてきている。その速さに合わせるかのように一定の間隔で響く金属音は、侵入者を排除せんと行進する、彼らの軍靴の音である。

 一糸乱れぬその動きに、神楽夜はいつか見た奇妙な夢を思い出した。真っ黒な人影が、首を左右にかしげ続けるあの夢である。

「走れ!」

 ジックは叫ぶなり火球を放つと、アルマの手を取り駆け出した。

 闇に浮かぶ赤い光は火球を避けて散開する。彼らの背後でそれが弾けると、逆光が物々しい数の人形を照らし出した。

 それがきっかけとなったか。大群は急激に速度を上げ、合戦場にて一番槍を求める武者のごとく、堰を切って坂を駆け下りてきた。

(まずい!)

 脱兎のごとく逃げ出した神楽夜たちは、街灯の明かりを背に左へ折れ、壁のように並ぶ建物の前を横切り、階段の下へ一目散に向かう。

 その視界の向こうに、また赤い光が揺れていた。人形の一部が退路を塞ぐようまわり込んできていたのである。

(囲まれる!)

 ジックは脱出の道順を思い出しながら、うしろのアルマを尻目に見やった。

 つないだ手が心細い。懸命に足を動かしてはいるが、彼女はすでに走れる体ではない。一刻も早く安静にしなくては、発作がまたひどくなる。

 やはり引き返すべきだった。悔恨とともにジックは奥歯を噛み締めた。

(似てるな、あの時と)

 そう回顧するのは、アルマとふたりで逃げ出すと決めた日のことである。その日も、ふたりはこのように手をつなぎ、駆けていた。

 彼の脳裏に、ここへ来る途中のアルマの言葉が思い出される。

 ――行こ。ふたりで。いろんな、ところ。

 アルマのその願いを、彼は叶えたかった。それは、彼の望みでもあったからだ。

 ただ幸せでいてくれれば、それでよかった。

(俺は……)

 かろうじて階段の下にたどり着いたが、アルマは激しい咳にもがき、体を折り曲げ、両膝を地について苦しんだ。短く、体を前後に揺するようにして咳き込んでいる。限界だった。

「アルマ!」

 ジックは剣を青い炎へ還し、彼女を抱きかかえようとその背に手をまわした。

 これが最後の抱擁になるとは考えたくない。しかし、たとえこの身が引き裂かれても、彼女だけは日の当たる場所へ還してやりたい。こんな暗い場所で終わるのは、自分だけでいい。

(あいつらも)

 巻き込んでしまった姉弟も生かして還すのだ。そう意を決するや、ジックは神楽夜たちに険しい顔をねじ向けた。

 見れば、姉が弟を抱えている。それなのにさすがというべきか、神楽夜の息はまったく上がっていない。ジックの期待以上であった。

「アルマを頼めないか」

 ジックは神楽夜を見据えて言った。

 なんとも身勝手な話だ。アルマの介入でなし崩しに和解したが、神楽夜にしてみれば一度は命を脅かされた相手。それも、つい先刻見知った仲である。助ける義理はない。ジックからすればそう思える。

 だからこそ彼は、神楽夜に向けるその眼光に、哀願とも懇願とも違う熱を込めた。その熱い視線を、神楽夜は見定めるように受けて立つ。

 大挙して押し寄せる人形たちの足音が、勢いを増して一行に迫る。

 刹那の沈黙を経て、

「サク、あんたうしろ」

 神楽夜は抱えていた弟を手早く地に立たせ、身を屈めた。

 続けて、

「ベルト、これに掛けて。手、絶対に離さないでよ」

 と矢継ぎ早に指示を出す。

 以前触れたように、ここで見捨てる姉ではないことを朔夜は知っている。強く頷きを返すと、姉が履く藍色のカーゴパンツの太い腰ベルトに、一度外した自分のベルトを交差するように通し、再度固定する。そして姉の背にしがみついた。

「あんたは? まだ走れる?」

 神楽夜は言いながら、手ぶりで「アルマをこっちに」と示した。

 なにを考えているのか見当がつかず、ジックは困惑の表情を浮かべる。もしやふたり抱えて逃げるつもりか。確かに一緒に逃げて欲しいという意味で言いはしたが、そういうことではない。第一、娘ひとりに人間ふたりを抱えさせるなど、いくら切羽詰まった状況とはいえ、ジックに頼めるはずがない。いくらこの娘の身のこなしが鋭くともだ。

 あまりに突飛な考えにジックは余裕がないことを忘れ、つい呆けた。

 一方、神楽夜はその様子にジックの意を「応」と受け取った。強引にアルマを抱えると、

「じゃ、さき行くから」

 大きく屈伸し、軽々と跳躍した。

(な!)

 ジックは目の前で行われたことに理解が追いつかず、目を丸くした。

 彼女の動線を目で追ううち、神楽夜はあっという間に階段のはるか上、ガラス壁までもうわずかというあたりにまでたどり着いている。

(人間、なのか)

 尋常、という言葉では足りない。神楽夜は大人ひとりに子供ひとりを抱えたまま、一度目の跳躍で建物の屋根へ、続く二度目の跳躍で階段の上へと跳び移ったのである。そのまま階段の手すりを蹴って登り、いまいるあの場所に至っていた。

 街道から漏れる街灯の光に、機械人形たちの影が伸びる。

「く……」

 ジックは我に返った。いまから階段をのぼっても追いつかれる。

 すると、

(届くか?)

 彼は左足に青い炎を灯し、そのなかから得意の長剣を取り出した。

 そして狙いを階段の手すりに定め、釣り竿を振るうように一投する。

 長大な刀身はみるみるその長さを伸ばして欄干に巻きつくや、ジックの身を勢いよく引き上げた。

 その勢いのあまりジックは宙で一回転し、折り返し階段の踊り場にからくも降り立つ。

(あっぶねー……)

 だが、悠長に肝を冷やしている時間はない。人形どもは階段だけでなく、壁を這い上がって追って来ている。

 ここからは本当に体力勝負だ。ジックはうしろを見ることなく全速力で駆け出した。

 壁がぼうっと光を放つ大広間を抜け、半開きのドアへ身を押し込め、暗闇へ。暗黒のなかに響く清流に似た水音が、もはや懐かしく感じられる。

 そこで誤算だったのは、目が明るさに慣れてしまっていたことだ。それでもジックは駆けた。つまずき転んでも、這いつくばってでも、生きようと駆け続けた。

 不思議とつらくはなかった。この時ばかりではない。アルマと生きると決めた日から、彼につらい時間などひと時もなかった。

 追手の影に怯えて過ごす昼も、無事に目覚められるか不安になる夜も、彼女が――アルマがいれば。笑って生きていてくれればそれだけでいいと、彼は間違いなく思えていた。

(そうだ……)

 ここで死ぬわけにはいかない。彼女の最期を看取るまでは。

 ジックは鉛のように重くなった体に鞭打って、両足を回し続けた。

 ようやく最後の階段の前にたどり着く。彼は暗闇のなかでそれを見上げると、頭上に火球を放って手すりの位置を確かめた。

(あそこか)

 おおよその当たりをつけた時、ついに人形どもが半開きの扉をこじ開けはじめた。体当たりでもしているのか、ジックのいる暗黒の空間に金属の激突音が反響する。

 それだけでも気持ちは焦る。されどジックは努めて冷静に、さきほどと同じ要領で剣を使い、一息にのぼって通路へ出た。

 あとは左に行き、神楽夜と交戦したT字路をさらに左に行けば出口だ。

 けれども、この施設は久方ぶりの来客を易々と帰すつもりはないらしい。通路には、嫌になるほど聞いた金属の足音が響いている。

(やはり上にもいたか)

 ジックは剣をしまうことなく走り出した。

 その靴音に反応したか。ジックが向かうさきから、金属の足音が急速に近づいた。T字路に差し掛かる瞬間、ジックは左折と同時に覚悟を決めた。

 飛び出した途端、眼前に機械人形の腕が伸びた。顔面を狙った貫手だ。それを頬すれすれで(かわ)し、体当たりで相手を弾き飛ばす。

 間合いが取れたところで、ジックはフェンシングのような構えから突きを放った。

 胸を貫かれた人形は衝撃も相まってうしろへ吹き飛び、後続の人形どもを薙ぎ倒した。が、出口を挟んだ通路の奥では、飛び飛びについた照明が、続々と押し寄せる人形の姿を明らかにしていた。

「くそ!」

 悪態が口を突いて出た。

 左右の通路からする足音が近い。このままでは挟み撃ちにされる。ジックは出口に向かい、人形の群れに飛び込んだ。

 突きを駆使し、正面の人形を討ち果たして邁進する。時には複数の個体をいっぺんに串刺しにし、突き進んだ。それでも、出口付近の敵は数を増す一方である。そして悪いことに後方も固められ、もはや押し退きも叶わない。

 しかしジックは安堵を覚えていた。ここまで来てアルマの姿がないということは、外に出られたと見ていいだろう。

(……何者だったんだ、あいつ)

 ジックは己を組み伏せた娘を思い出し、鼻で笑った。

(幸運、だったな)

 少なくとも、アルマを悪いようにはしないだろう。ジックにはそう思えた。

 串刺しにした敵を蹴り飛ばして剣を抜く。そして背後から迫る気配を察知し、彼は振り向きざまに剣を薙いだ。

 刹那、甲高い音を立てて、壁は剣を噛む。

「ハ……」

 まさか神楽夜を相手にした時と同じ失態を演じるとは。思わず呆れた笑いが飛び出した。

「長すぎんだろ」

 押し寄せる人形の波が、彼を蹂躙すべくその手を伸ばす。ジックはその様子を人生最後の光景にしたくない一心から目を閉じ、大切な人を思い浮かべた。

 叶うのなら、アルマをもう少し笑わせてやりたかった。そう思いながら、迫り来る運命に身をゆだねた一瞬――。

 彼の後方、すなわち出口の方向から、爆発音とともに突風が荒れ狂い、人形どもが砕け散った。

 衝撃にあおられ前のめりに転倒したジックは、慌てて体を起こそうとする。その矢先、彼は、目の前に颯爽と割り込んでくる娘の背中を見た。

 ひとつにまとめた黒髪が、獲物に食らいつく蛇のごとく流れる。

「カグヤ!?」

 しかし答えはない。なぜならば、神楽夜の視線は波状に迫る人形たちに集中しているからだ。

 彼女が鋭く息を吸った瞬間、ジックの目の前に群がった人形の四肢が爆ぜ、無惨にも壁や天井や床に飛び散った。

 神楽夜の猛攻は加速する。爆裂する一拳一足は、見る者を震撼させる風圧を伴って、正確に人形らを駆逐していく。出口までの道が拓くのに、そう時間はかからなかった。

「立って」

 神楽夜に腕を掴まれ、ジックはやっと身を起こした。

 通路の奥には赤く光る人形たちの目が増えている。

 ふたりは脇目も振らずに出口へ跳び込むと、坂になった最後の通路を駆け上がった。そのさきにある地上に続く扉を抜ければ、すでに陽は落ちたあとだった。

 背後で自動扉が閉まる。神楽夜とジックは振り返って身構えた。

 扉が開く様子は――ない。

 ふたりはそろいもそろってぐったりと、張り詰めたものを抜くように安堵の溜息を漏らした。

「長すぎなんじゃないの?」

 神楽夜が横目で文句を垂れる。ジックには実に耳が痛い話だ。

 あの狭さで長い獲物の特性を活かすのは難しい。心得ていたにもかかわらず不覚を取ったのは、勢い任せで情熱的な彼の性格もあるが、技術の面で戦闘経験が足りなかったことが大きい。

 それは、神楽夜との初戦にも表れている。

 神楽夜ははじめて彼と対峙した時、抜刀された剣が天井をかすめるのを見て勝てると踏んだ。相手が激情に任せ、間合いを見誤ったところに隙を見つけたのである。ジックが異様だと感じた彼女の笑みは、余裕の表れが理由のひとつだった。

「お前……」

 ジックは、神楽夜が戻ってきたわけをそこで察した。途端に自分の至らなさに嫌気が差し、言い訳が口を突いて出そうになる。同時に感謝の言葉もだ。

 しかし、その前に確認せねばならぬことがある。

「アルマは!」

 この男にとって、妻の無事がなによりも優先される。神楽夜がホバーバイクのほうへ顔を振り向けるのを見て、ジックはすぐにそちらへ駆け寄った。

「アルマ!」

 アルマは車両のサイドカーに座らせられていた。その傍らに立つ朔夜は思わしくない顔つきで彼女を見守っている。

 サイドカーの彼女は激しく咳き込み、喘ぐように酸素を求めた。服の胸元をきつく握り締めた両手は、乱れる呼吸に上下する。嘆かわしく表情を歪めたジックは、跪いてその手を握った。

 そこに神楽夜が歩み寄った。

(ふね)に行こう。サク、これ動か――」

 と、弟に視線を移してはっとした。

 弟は芳しくない容態に動転しているのかと思ったが、違う。朔夜はアルマたちを見ていない。見ているのは、彼女の上。なにもない、夜の闇を見つめている。なにかに魅入られたように、ただ一点を凝視したままでいる。

 神楽夜は急に背筋が寒くなり、

「サク!」

 と、その肩を掴んで揺らした。

「な、なに?」

 朔夜はまるで聞こえていなかったようで、体をびくつかせ、青ざめた顔を向けてくる。

「早く戻ろう。これ、動かせないよね?」

 神楽夜は改めてホバーバイクを指さした。

「……やってみる」

 朔夜はいつもと同じく車体に手を触れ、目を閉じ、意識を潜らせた。

「――たぶん、動く。ちょっとだけなら」

 との自信に満ちた返答に、すがる面持ちで見つめていたジックはすぐエンジンの始動を試みた。

 起動スイッチを押すこと数回、エンジンは確かにかかった。

(なんなんだ、本当)

 ジックは困惑の色を浮かべる。

 人間離れした身体能力の娘に、不可思議な力を使う少年。組み伏せられた時に感じた、かかわるべきではないとの予感が再燃する。

 だが、いまは妻を安静にさせなければ。ジックは神楽夜をうしろに、朔夜をサイドカーに座るアルマの脇に乗せ、静かに車両を浮上させてその場をあとにした。

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