第十八話「零れゆく命」⑬
廃屋の合間が生み出す暗がりから、グラディアはいまにも崩れ落ちそうな身を引きずり、姿を見せた。
宇宙からの砲撃でほとんど更地になったとはいえ、周囲は瓦礫が山積し、獲物を追う彼の視界を遮っている。手負いでなければ難なく跳び上がり、あたりを睥睨するところだ。
が、いまは体力を残しておかねばならない。腕一本を落としたはいいが、相手はアービター。こちらの損耗具合を加味すると、ふたりを相手取るのは、あと一度の戦闘が限界である。
そう考えながら深々と嘆息した、その矢先だった。
あたりに突として霧がかかりはじめ、彼は即座に歩みを止めるや、周囲の気配を探るべく鋭い視線を走らせた。
すると不意に右側から、槍のごとく鋭利な氷柱が突き出される。
「っく!」
これをグラディアは一歩退くことで躱したが、間髪入れず二撃目がその背中に襲いかかる。退路を潰す狙い澄ました一撃に、彼は身をひねって横へ跳びながら思った。
(これは――)
自分の技ではないか、と。
そう、フランスの基地を襲撃した夜のことだ。九垓駆る<風雷>に対し四方八方から、浮遊させた両手の牛刀による斬撃や刺突を繰り出した。それを再現するかのごとく、矢継ぎ早に襲い来る氷柱の猛攻は、次第に殺気を増していく。
際限がなくなっていくのだ。濃霧のなかから飛び出る氷の得物は、一本や二本ではない。神父の視界に収まるだけでも十三本。出現した場所に様々な角度で滞空したまま、不気味に静止し続けている。
それだけの数を出せるのであれば、ひと息に殺せたのではないのか。
(ええい……!)
その過程にもてあそぶ意思を感じたグラディアは、両の目を赤く輝かせるなり、自身の周囲に荒れ狂う赤き旋風を巻き起こした。
たちまち氷柱は砕け散り、霧は裂かれて無へと帰す。
そして晴れ渡った視線のさき、瓦礫の山の頂に、彼女はいた。
月光を浴びて立つマトリョーシカのごとき人影を睨み上げ、グラディアは左の刃を構えて腰を落とす。
対して、夜風に青い髪を遊ばせる修道女は、両手に一対の槍を携えたまま、異形の神父を厳然と見下ろした。存在をも否定せんとするその眼力には、「ここで終わらせる」という明確な意志が燃えている。
瓦礫を駆け上がろうにも、この位置取り――向こうは氷塊の雨を降らせてくるに違いない。ひと筋縄でいかないことは明白だ。
それに、あの槍――。
感じられるのは風のアービターが持つ力の波動だ。得物が形をなしている以上、死んだというわけではないだろうが、状況からして動けないと見える。
ここが勝負どころか。グラディアはそう断ずるや、
「かくれんぼは終わりだ! イネッサ・イヴァーノヴナ・イリューシナ!」
叫ぶなり全身から赤い稲妻を放出し、再び巨大な異形へと変貌を遂げた。わずかながらも体力を温存してきたのはこのためだ。この姿ならば人間のような「制限」もない。
だがその様子は、万全と言うには程遠い。神父の姿であった時と同様、腕のない右半身は爛れたように損壊したままで、左腕も、水銀色の液体によって細長い直剣を急造しただけという有様だ。当然、象徴たるツノはひしゃげ、ムカデのごとく蠢いていた大量の足に至っては跡形もない。
されどグラディアートルは、翳る顔面に六つ目を赤く輝かせた。
「これは断罪だ! 喜べニンゲン。大いなる道がなるその前に、もとのカタチへ還してくれよう!」
女の手の内は知れている。ならばいち早く肉薄し、その背に宿りし<ネビュラ・クォーツ>を斬り抉るまで。
そう刹那の思案を挟んだグラディアートルであったが、その思考は、突如眼下にほとばしった閃光によって断ち切られた。
怪訝に目を凝らせば、瓦礫の上で左半身を前に立つ修道女は、グスタフになることもなく、左手に携えた長槍から激しい雷光を発している。直視できぬその激烈さは、彼女の内にたぎる、赫赫とした闘志の発露のようだ。
しかしその勇ましさとは打って変わり、彼女は深沈たる面持ちで異形を見上げる。
そして、
「――取り戻す」
と、まるで言い聞かせるようにつぶやくや、光輝燦爛とする左の槍を天に掲げた。
直後、感じるはずのない「悪寒」が駆けたグラディアートルは、左腕の長剣を修道女めがけ、一瞬のためらいもなく突き立てる。
だが。
「ぬ……!」
伸びきることなく止まった自身の左腕に、巨躯なる異形は戸惑いの声を漏らさずにはいられなかった。
それもそうだろう。
向けた刃のさきには、氷壁はおろか、遮るものが一切ないのだから。
そのからくりを、グラディアートルは瞬時に理解した。が、それよりも、雷光放つ長槍を掲げ、仇敵を睨み上げるイネッサが放つ、勇猛なる叫びのほうが早かった。
「告げる!」
言い放った彼女の足元に、鮮烈な輝きを伴って円形の陣が出現する。幾何学模様を内包したそれは、イネッサが持ち上げる<九天棍>が雷光を強めるにつれ、その閃耀を高めていく。
加えて異形の周囲には、徐々に小さな稲妻が駆けはじめた。
異変を察知したグラディアートルは、夜闇に燦然と輝く修道女を忌々しく睨み下ろすが、それまでだ。左腕を突き出した体勢のまま、身動きひとつ取ることすら許されず、天地の変容を見届けるしかない。
そこに容赦なく、イネッサは咆哮した。
「時は我が左より落ち! 流転の右にて還らず!」
するとその言葉に倣うかのごとく、異形の周囲に激しい雷撃が絶え間なく落ちはじめ、さらに大小さまざまな氷塊が空中に突として現れだした。
それらは次第に渦を巻き、急速に水銀色の異形を包み込んでいく。
次いで、
「其は万象の理! なれば!」
と吠え猛った彼女の左手から、雷と化した長槍が天へ翔け上がった。
夜天へ至った雷は、すぐさま放射状に弾けるようにして九つの光球へ分かれ、光の輪を形作る。その光輪の内側には、イネッサの足元で輝く陣と対の、新たな陣が描き出される。
その陣が放つ光は、彼女に、さながら神仏に注ぐ身光のごとく、温かな輝きをもたらした。
それを浴びた彼女は三叉の槍を両手に握り、右半身を前に穂先を斜め下に向け、構える。
そして――。
「かの異形に赦しを与えん! リキッド! エアァァッ!!」
そう高らかに神秘の濫觴を謳い上げ、得物の石突を足元に突き立てた。
直後、地上と天空にあるふたつの陣はまばゆい閃きを放ち、彼女がいる京都市の一帯を覆い尽くさんばかりに巨大化する。それに伴い、グラディアートルを包む竜巻も規模を増し、陣によって区切られた空間を撹拌するように、一層激しく逆巻きだした。
嵐のなかは、鋭利な氷塊と雷撃が目にも留まらぬ速さで荒れ狂い、渦中のものをことごとく粉砕する地獄の窯である。
無論、ただなかにいるグラディアートルも例外ではない。吃驚と憤懣に満ちた唸り声を上げながら、全身から凄まじい火花をまき散らし、その分厚い装甲を難なく削り取られていく。
異形にとって腹立たしいのは、この技もまた己の猿真似であることだ。さきほど受けた氷柱による奇襲といい、女はこちらの手を模倣している。それが、「ニンゲンに圧倒される」という屈辱により拍車をかけ、異形に怨嗟の叫びを上げさせた。
「おのれぇぇッ!!」
しかし、突き出したまま固まった左の刃も、象徴たる頭部のツノも、いずれもたちまち爆散し、塵芥と化していく。
やがて胸の装甲が爛れた右側から抉られた時、宝珠が放つ紫の光芒が、その隙間より漏れ出でた。
急所が曝された以上、もはや猶予はない。息を呑んだグラディアートルは修道女の姿を探し、開闢と見紛う旋風のなかに視線を走らせる。
すると突如、身を包んでいた黒い風が裂かれるようにして晴れ、青き光条が前方より差し込んだ。
「な――」
グラディアートルは光の出どころを見て絶句した。
はるか彼方、目線の高さで夜を泳ぐ水龍――その上に。
いままさに投擲せんと三叉の槍を担ぐ、あの修道女の姿があった。
「イネッサァァアッ!」
異形が黒々とした怨念を吐き出すなか、青い闘気を身にまとうイネッサは、逆手に握った槍を放し、傍らに浮かべる。
それを、
「とっとと――失せろッ!」
凄絶なる形相で放った怒号とともに撃ち出した。
腰のひねりは湧き立つ憤怒を絞り出すようで、それに追随してしなる右腕は、相手の頭蓋を叩き潰さん勢いである。そのさまはまさに撃鉄というに相応しい。
そうして放たれた三叉の槍はひと筋の閃光となり、夜天を翔けて宝珠へ突き立つ。が、異形が胸に隠し持つ<ネビュラ・クォーツ>からすれば、撃ち込まれた槍なぞ、毛ほどの大きさでしかない。ひびは入ったが、さすがに射抜くまでには至らなかった。
「それが現身の限界だ!」
グラディアートルは嘲りを含んで吠え猛る。だがイネッサは凛々しき面を変えぬまま、異形に向かって飛翔する水龍の上で、右手を天に高々と伸ばした。
その手に、頭上の陣の外周にあった九つの光球が、螺旋を描いて結集する。光は寄り集まるなり一瞬の煌めきを経て、託された一本の長槍へと姿を戻す。
それをしかと両手で握り締め、左半身で構えたイネッサに、グラディアートルは決死の覚悟を見た。
「貴様……!」
戦慄するその声を、イネッサの身命を賭した叫びがかき消す。
そして彼女は、眼前に迫った<ネビュラ・クォーツ>の、三叉の槍が穿った同じ場所へと、<九天棍>を豪快に突き立てた。
その刹那だった。
「――ぁ」
宝珠の表面に増したひび割れから猛烈な光が飛び出し、かろうじて視力を残していた彼女の左目を焼いた。
壮絶な悲鳴が夜を斬り裂く。
けれども、イネッサは踏みとどまった。わずかに引いた身を戻し、歯を食いしばり、腰を入れ、槍を握る手になおも力を込めた。
ここで折れるわけにはいかない。でなければ、この槍を託してくれたあの男に顔向けができない。勝って帰ると誓ったのだ。たとえこの身朽ち果てようとも、この怪物には――否、過去の己には負けられない。
逃げ続けたあの日々にだけは。
渾身の力で槍をねじ込むその意気が、ついに、宝珠の割れを強める。するとそこから青白い炎が溢れ、たちまち水銀色の巨躯に、燎原の火のごとく燃え広がった。
グラディアートルは地獄の業火に焼かれる亡者のように喚き散らし、苦しみに悶え、身をよじる。しかし、そのさまが見えぬイネッサに槍を手放すという判断はつけられまい。異形が暴れ狂う勢いに振り回され、あえなく宙へ放り出された。
されど、彼女の口元には笑みが浮かぶ。
全身を打ちのめして響く異形の悲鳴。それこそ、勝鬨以外のなにものでもないのだから。
束の間、グラディアートルは天へ絶叫を放つと、全身の至るところから光の筋を伸ばし、空間を歪曲させんばかりに爆発四散する。
その膨大な閃光は、あたりを一瞬にして昼のように照らし、瞬く間に呑み込んでいった――。




