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第三話「ヒトならざる者」①

 革靴の音がひとり分、地下道のような薄暗い空間に響いていた。

 つや気のない黒い金属パネルで覆われたその道は、意匠性などこの場には必要ないと主張するようである。その場を照らすのは、天井に規則正しく並ぶ電灯だけだ。空調が作動しているのか、地鳴りのような駆動音がしきりに続いている。

 点々とした明かりの下をくぐるたび、わずかの間だけ、そこにいるふたりの姿が浮き彫りになる。

 そのうち――つば広の中折れ帽を被った男は、立ち止まって天井からの明かりをスポットライトのように浴びると、藍鼠(あいねず)色のトレンチコートを翻して振り返った。だが顔は、帽子の影が落ちて判別できない。

「もしかして、うるさいですか?」

 男は自身のうしろに続く人物に()いた。

 続く人物は電灯と電灯の光の間に生まれた影のなかで足を止め、

「……いや、気にしておらん」

 と、渋い声色で真摯に答える。

「正直、感服しました。ご同業として、同じ歳を食うならそうなりたい。最近はなまってばかりで」

 そう言う帽子の男の口調には、歳を取ることを喜んでいる節がある。そんな男に、

「ワシの生き方なぞ、褒められたものではない」

 と、翳祇(かげるぎ)鍾馗(しょうき)は自嘲気味に返した。

 男が感心したのは、鍾馗の足運びについてである。ふたりとも革靴であるのに、こだまするのは男のものだけだ。それが気になったのは、ほかならぬ男自身だった。

 意識しなければ、鍾馗がどの程度離れているかわからない。ともすれば、うしろにいるのかさえ疑わしくなる。だがそこで不安げな素振りを見せれば、男は培ってきた傭兵としての経歴に傷がつく気がした。

 そのため、安易なカムフラージュのつもりで話を振ったが、意外にも、答えは予想に反したものだった。真面目一辺倒の堅物に思えた老人が、一瞬だけ見せた覇気のなさに、男は、影として生きる者が抱える闇を垣間見た。

 翳祇鍾馗とのつき合いは十年以上になる。互いによきビジネスパートナーとしてやってきた。けれども男に、翳祇鍾馗という人物を深く知る機会はなかった。だからこそ、生き様を感じさせる(あざけ)りが貴重に感じられたのである。

 午前中に立ち寄った墓前での様子といい、この二日で見る鍾馗の印象は、これまでと異なるものだ。帽子の男は、今回の依頼をはじめに聞いたときに感じた疑念を、確信に変えつつあった。

 確固たる意志。それも、身の破滅を(いと)わない修羅の道を、この老人は選んだのだ、と。

(証憑(しょうひょう)、ね)

 字面のごとく()かれている。だからますます男は、事の顛末を見届けたいと思い、こうして同道したのであった。

 彼らの行く黒い通路は、右へ緩いカーブを描いている。幅は大人がすれ違える程度はあるが、天井は圧迫感を感じるほど低い造りだ。

 進むと、ある一点から天井の電灯は消え、飛び飛びに足元を照らす赤い非常灯だけとなる。しかし、彼らの歩調に乱れはない。

 やがて左手の壁に、三方を枠で縁取られ、わずかに引っ込んだ面が見えてきた。枠に収まっているのは、壁材と同じパネルで仕上げられた扉だ。

 鍾馗を先導する男はその前に立つと帽子を取り、枠の横に備えられた箱状の、インターフォンに似た機器に顔を寄せた。

 すると真っ黒だったその箱は、表面の画面を点灯させ、男の顔を照らし出した。白色の光にしかめるその顔が、ぼうっと闇に浮かび上がる。四十も半ばを過ぎ、グレイが混ざる髪をうしろに撫でつけたその男は、頬がこけ、目は鷹のごとく、なにが楽しいのか片方の口端を吊り上げている。

 現に、彼は楽しくてしようがなかった。これから開けるのはパンドラの箱だ。商売が凪いでいた間の損失を帳消しにできるほどの、またとない繁忙の時を自ら作り出すのである。愉快でないわけがない。

 男がじっとして数秒、眼前の画面は白から緑へと変遷した。すると、枠に収まった扉が上方に引き込まれ、その奥に、さらに深い闇が現れた。

 男は体を戻すと帽子を被りなおし、一連の様子をうしろで眺めていた鍾馗をなかへと先導する。

 踏み込めば、数十メートルさきの正面に、みぞおちの高さまで伸びた銀色の円柱が見えている。両手で包み込める程度の太さをしたその円柱に、彼らは迷いなく歩み寄った。

 帽子の男がその上に右手を置く。と、その途端、彼らのいる空間そのものが、たちまち眩い光に包まれた。鍾馗はそこではじめて、その部屋が巨大な円柱状であることを知った。

 彼らの正面、視界の百八十度を覆って余りある巨大な画面が、その部屋を照らし出した光の出どころである。

 そこに映る青き星――地球。衛星軌道より少し月寄りの位置で見下ろす母なる星に、鍾馗は不覚にも目を奪われた。

「ここに手を置いてもらえますか。それでほかの人間には操作できなくなります」

 男に言われて我に返った鍾馗は、指示どおり円柱に手を置こうとした。

 そこへ、彼らの背後、出入口のほうから靴音が響く。

 いまこの場にほかの者がいるとは聞いていない。何者かと入り口に首をねじ向けた鍾馗は、通路へ漏れ出た明かりに白衣の裾がはためくのを見て、

「……ナハト」

 と、驚きを孕んで目を見開いた。



 第三話「ヒトならざる者」




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