第二話「決意の証憑」⑧
先導するブレイズ夫妻に続き、姉弟は闇へと足を踏み入れる。
明かりの落ちた通路は、深夜の病院じみている。完全な暗闇でないのが、かえって不気味な想像を駆り立てた。
先頭を行くジックは、歩き出すなり虚空に左手をかざした。すると左足が青白く光り、かざした手のさきに赤々とした篝火が生まれた。
「魔法……」
神楽夜はそんな本を読んだのを思い出した。拾われて間もない頃に養父が持ってきたものだった。
「そう、見えるよね」
アルマは肩越しに応じる。
「私も最初、そう、思った。これね、すごくいいの。私たち、ふたりで旅、してるから。遺跡とか、施設とか、暗いとこ、多いから……」
歩きながらの会話は堪えるのか、アルマの息継ぎは細かい。肺の底まで空気を触れさせないよう、浅い呼吸を続けているようだ。
そんな彼女に、
「休まなくていいか?」
と、ジックは気遣いの言葉をかけた。だが決して、彼女の話を妨げようとはしない。
アルマは「大丈夫」と短く答え、歩き続けた。
なにが彼女を蝕んでいるのか。そうまでしてなにを求め、旅をするのか。神楽夜は湧き上がった疑問のやり場を求めたが、いまのアルマに訊くのは忍びない。
「ジック。こういう場所って、ほかにも?」
あえてジックに問うた。その意をこの男はすぐに汲み取った。
「……ああ。ここまで状態がいいのははじめてだがな。最近まで使われていたのかもしれん」
確かに、ジックの篝火によって照らし出される通路内の様子は、雑然としたところがまったくない。いまでも手入れがされているかのようにきれいだ。
(ほかにもあるんだ、こういうとこ)
神楽夜がそう思いながら通路の観察を続けていると、せっかく気を利かせたにもかかわらず、
「ふたりは、どこから、来たの?」
と、アルマが再び口を開いた。それに神楽夜は迂闊にも、
「日本――」
と言いかけ、慌てて口を閉じる。
が、少し遅かった。
「日本だって?」
ジックは足を止めて神楽夜に首をねじ向け、そこでアルマの異変に気づいた。
「アルマ、苦しいか?」
「う、うん……だいじょぶ。だいじょぶ、だから」
そうは言うものの、だいぶ息が上がっている。胸元を押さえ、前屈みになったその背中を、ジックはゆっくりさすった。
「さっき走ったせいか……。悪い。もう戻ろう」
力なく告げたジックに支えられ、アルマは上体を起こす。
その様子を見つめていた朔夜は、
(やっと戻れる……)
と内心安堵しつつ、来た道を振り返った。
ジックと戦ったT字路の明かりは、もう随分遠くなっている。二百メートル近くは歩いただろう。
ここに至るまで脇道や新たな扉の出現はない。篝火だけでは見落としているかもしれないが、壁を走る淡い光は断続的に続いて――いなかった。
「あれ……」
朔夜が指差したさきに、アルマの具合を見ていた神楽夜とジックは顔を振り向けた。そこだけ光が途切れ、少しの空間を開けて、また続いている。
ジックは篝火を向けた。
「扉、か」
これまで通ったものと同じ台形型の扉だ。しかし表示灯は消えている。この通路の状況からして、通電はされていまい。開く可能性は低いと思えた。
扉に釘づけになったジックの赤いポンチョの端を、白い手が力なく握る。
「アルマ……」
それに気づいたジックがうしろを見やれば、アルマはなにかを言いたげに彼を見つめていた。
「行こ、ふたりで。いろんな、ところ」
苦しげに紡がれたその言葉がどんな意味を持つのか、神楽夜には窺い知れない。ただ、ジックにはそれで充分だったようだ。
「――わかった」
扉を見据えたジックは、胸中に背反する期待を抱えながら、そこへ歩み寄る。
(開かないでくれ)
そうすれば、心おきなく戻ることができる。あとはこの姉弟の艦を奪い、旅を続ければいい。
しかし一方で、アルマを救う手がかりがここにあって欲しいとも願わずにはいられない。
身勝手であることは、彼自身がよくわかっている。それでも、願わずにはいられないのだ。そのために、彼らは途方もない旅を続けているのだから。
(開いた……)
空気の噴出する音とともに扉は横へと滑り開き、ジックは唖然としたまま、次なる闇への入口を見た。
どこからか、さらさらと小川が流れるような音が聞こえてくる。
ジックは一度うしろのアルマたちを向いてから、奇異そうな顔で、篝火を扉のなかへそっと差し出した。
入ってすぐ欄干があった。それを越えたさき、下のほうに、明滅する橙色の点がいくつか見える。どうやらとてつもなく広い空間であるらしい。
欄干はジックから見て左側から真っすぐに伸び、すぐに右へ直角に折れている。火を近づければ、色は艶めく黒だとわかった。
胸のあたりまであるそれに沿って火を右へ動かすと、欄干は右下へと傾斜して続いている。それに倣ってさらに火を下げると、そこは、鋼板で作られたらしい階段になっていた。
「下がある」
ジックに言われた一同は、彼のあとに続き、壁伝いに設けられたその階段を降りた。並びはジック、アルマ、朔夜、そして神楽夜の順である。
一段一段確かめながら鋼板を踏む靴音が四人分、暗黒のなかにこだまする。
ひんやりとした手すりに掴まり、慎重に歩を進めるうち、神楽夜は、
(あ、そういえば)
自分がペンライトを持ったままであることを思い出した。
(な!)
朔夜は突如うしろから浴びせられた強い光に驚くと、
「持ってるなら最初から使ってよ!」
と首をねじ向け、姉に激しく駄目出しする。
片や、姉は肩をすくめて見せるが、詫びた様子はまったくない。それに対しての悪態もほどほどに、一行が下へ行けば行くほど、水音は近くなってきた。
音は、階段を降りる左側からしきりに続いている。神楽夜がライトで照らしたが、闇が深すぎる。さきほどから見える、明滅する橙色の光以外、なにも知ることはできない。
階段は一度も折れることなく、ひたすら下降し続ける。そして、明滅する明かりがくるぶしの高さに至った頃、ようやく終わった。
橙色の明滅は、視界の向こうまで続いていて、壁下に規則正しく配されているようである。その間隔から推定するに、この場所は奥行きだけで五十メートルはある。
ジックは篝火で足元を照らしながら水音の出どころを探った。求めていた広い場所だったが、神楽夜を手籠めにする考えはとうに失せていた。
ふと、あるあたりで炎がゆらゆらと反射し、ジックは足を止める。
「水だ」
神楽夜がライトで照らすと、ジックのいる位置からさきがすべて水面らしかった。流水の音は両側の、おそらく壁のあたりからしている。
神楽夜は水面の上で光を滑らせた。
その光が一点で止まる。
「あれ」
ゆらめく水面を縦に分断するように溝が走り、かすかに、下へと降りる段が見える。
一行がその前に行くと、溝は深く大きく、下へと続く階段になっていた。降りたさきに、こちらへ向かって一筋の、縦に細長い光が漏れ出している。
アルマはジックの袖を引っ張った。行こうと言っている。彼はもちろん、神楽夜も同じ心である。
けれど朔夜だけは違った。この環境に恐れたわけではない。説明が難しい感覚であったが、そう、禁忌に触れる気がしたのだ。
今度の階段は鋼板でも金属のパネルでもない。石でも、おそらくは樹脂でもなさそうな、高い密度を感じさせる質感をしている。
階段を降りるに従い水音が上へと遠ざかる。
光の筋は、閉まりかけの扉から漏れていた。台形ではなく真四角の、人がひとり通るくらいの扉だ。例のごとく取っ手はなく、これも自動で開閉する仕組みらしかった。
ジックは火を消し、神楽夜はペンライトを朔夜に預け、ふたりしてわずかな隙間に両手の指を差し込む。その状態で、左に向かって目いっぱいの力で引き開けていくと、漏れ出ていた光が大きくなり、闇のなかへ広がった。
そして神楽夜は、目の前に広がる光景に愕然と息を呑んだ。
つづく




