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第二話「決意の証憑」⑦

 恐怖に振り返るとそこには、二メートル近い長身で、つばが広めの赤いテンガロンハットを被った、西部劇に出てくるような恰好の男が立っていた。肩から上体を覆う赤いポンチョは、砂漠で見たあの赤い布によく似ている。――否、そのものだ。

 思えば、表にホバーバイクが乗り捨ててあった。神楽夜は直感した。

(あのときの)

 警戒を強める姉弟に、男は血走った目を向け怒鳴り散らした。

「アルマをどこへやった!」

 その怒気たるや、いまにも殺しにかかってきそうである。

「アルマって」

 神楽夜は答えに窮しながら、弟をうしろへやった。

 男は埒が明かないと判断したか。ついに右手を左腰へと伸ばした。その恰好からして抜くのは銃か。

 神楽夜は男の一挙手一投足に全神経を集中させた。だが男の右手が向かうさきには、銃も、ましてや剣の姿も見られない。

(なにする気だ)

 身構える神楽夜の前で、男の左足がぼんやりと光を放ちだす。光は青白い炎へと姿を変え、左腰に寄せた男の右手へと伸びていく。男はそれを握ると、炎のなかから、身の丈ほどある刀身を持った、ひと振りの剣を引き抜いた。

 剣は、形状こそ西洋のレイピアに似ている。男が抜刀すると、刀身は鞭のごとくしなり、天井をかすめて火花を散らした。

 針のさきじみた剣先が神楽夜の胸元に向けられる。男との距離は三メートル以上あったはずであるが、もはや相手の間合いにある。男が半歩前に出るだけで、突きが届く。

 その状況にあってなお、神楽夜は一歩たりとも退かなかった。むしろ己のうちに、恐怖以外の言い表せないなにかが湧き起こるのを感じ、胸の高鳴りさえ覚えていた。

 だからこそ、対峙する男はますます不可解でならなかった。相手は子供だ。てっきり逃げるか、もしくは命乞いするかと想像していた。

 子供がいるのは仮に迷い込んだからとして、年上そうな娘がうしろの少年を守ろうとするその行動までは理解できる。

 しかし、それを抜きにしても、対するこの娘はどこかおかしい。

(なんだ、こいつ)

 娘はさきほどから、向けられた剣先でなくこちらを睨んでいる。闇を背に、獣のごとく鋭い赤目をじっと向けてくるそのさまは、あまりに異様というほかない。

 逃げるべきは自分のほうではないか。そんな気さえ湧いてくる。

「アルマはどこだ」

 男はたまらず問いを重ねた。だがそれに答えは返らず、ただ冷たい沈黙だけが降りてくる。

 瞬きをせず、呼吸すら感じさせず、娘は虎視眈々と機を窺っている。

(それに)

 それに、この娘は恐れてなどいない。恐れているならば、あんな愉しげに口端を歪ませられるわけがない。

 そう、いま彼女は充足を感じていた。一触即発といった現状に、図らずも満たされていたのである。

 黄金の騎士と対峙した時にはなかった感覚だ。その理由を彼女はよくわかっている。あれは機械を介した幻想に過ぎないのだ。腕がちぎれようが首がなくなろうが、それは機械が損傷するというだけで、搭乗者たる自分自身に直接、害が及ぶわけではない。

 では、いまはどうだ。

 肌に当たる剣風がある。鼻をつく死臭がする。突きつけられた剣先は、確かに自分を向いている。そこには紛れもなく死の気配があり、ゆえに生きていると実感できる。

 自分は確かにここにいるのだと、まざまざと感じることができる。その手応えを覚えたこの娘が、たかが剣を向けられたくらいで怯むはずがなかった。

 朔夜はそんな姉の心境も、そして男の胸中も知る由はなく、ふたりの静かなる攻防を、固唾を呑んで見守った。

 と、その背後で突如、がしゃがしゃと踏み鳴らすような金属音が再開する。朔夜は叫びながら、海面に跳ね上がる(いわし)のごとく身を弾ませた。

 はしなくも、それが開戦の狼煙となった。

 反射的に腕を突き出した男は、動いたことを後悔した。剣は娘を捉えることなく、闇から現れた白い人型の胸を刺し貫いている。

 それよりも、娘はどこか。

 慌てて視線巡らせれば、娘は視界の右下で体を沈み込ませていた。男が突き出した右腕を利用し、視線を遮るような位置取りをしている。

 うしろ手に少年を壁際へ追いやった娘は、すでに、腰に右の拳を溜めていた。

(しまった!)

 男は急いで剣を引き戻しながら横へ薙いだ。刹那、剣は甲高い音とともに壁を噛む。

 それが娘の狙いだった。

 即座に放たれた娘の拳は、男の体を天井まで突き上げた。そしてその身が重力に引かれて床へ激突しそうになる寸前、もう一撃、容赦のない蹴りが捻じ込まれた。

 加えられた凄まじい横方向への加速に、赤いポンチョがなびく。それも束の間、カウボーイは、金属製と思しき壁に背中からめり込んだ。

 赤いテンガロンハットがはらりと落ち、顎にかかる長い赤毛が露わとなる。二十代も半ばと見えるカウボーイは、全身を襲う鈍痛に口を開け、目を白黒させた。

 だが、男に口内の出血を味わう余裕はない。すぐさま胸倉を掴まれた彼は、壁に(はりつけ)にされた状態から、娘にされるがまま床へと組み伏せられる。

 神楽夜はうつ伏せに倒れたカウボーイの右肩に素早く寄り、彼と直角になるように正座する。そして男の右腕を天に向けて持ち上げた。それだけでも肩が痛むところだが、神楽夜はさらにそれを抱きしめるように腕組みし、その状態で男の頭のほうへ重心をかけ、()めた。

 うつ伏せの男は右目の端ぎりぎりで、自分を組み伏せた娘を見上げた。

 影がかかった顔のなかに、赤い瞳だけがぎょろりとこちらを見下ろしている。

(アルマ……)

 ここで終わるのか。男は心中に尋ね人の名を呼んだ。

 するとそこへ、

「放してください!」

 と女の声が駆け抜けた。

 その声に、男はまさかと首を動かす。

 自分を組み伏せた娘とは反対側、明かりの消えた暗い通路の前で、こげ茶の編み上げブーツに海老色のワンピースの裾が揺れた。

「アルマ!」

 カウボーイがそう叫ぶなか、神楽夜は現れた人物の風貌に唖然とし、動きを止めた。

 重厚なガスマスクで顔を覆い、ワンピースのフードを被ったその者は、声や胸元で祈るように組み合わせた手の細さからして、女のようである。

 女は荒い息のまま懇願を続ける。

「お願いです。放して、ください」

 しかし、神楽夜はそのあまりの風体に呆然としたままでいた。

 見ず知らずの男に突然怒鳴られ、あまつさえ襲われた直後、こんな怪しげな者が「放してくれ」と願い出てきても、「はい、わかりました」とはなるまい。

 それを察したらしい女は、白く細い指でフードを取り去ると、両手でガスマスクを重そうに外した。

 神楽夜は息を呑んだ。その者は、背中のなかほどまである赤毛を三つ編みでひとつにした、少しくせ毛の、人形のように美しい娘だった。

 娘の目には邪気がない。澄んだ青い瞳に、神楽夜の動物じみた勘が働いた。

 カウボーイは神楽夜から解放されるなり、その娘に駆け寄った。

「アルマ! すまない、やはりひとりにすべきじゃなかった」

「ううん。私が、見つかっちゃった、から」

 彼女は言葉の端々でせき込んだ。喘鳴(ぜいめい)を伴うものだった。

 男と同じ赤毛の娘は、神楽夜とそう変わらない歳に見える。とはいえ、神楽夜は己の年齢を知るすべがない。養父に拾われてから随分経つが、その肉体は縦にも伸びず横にも広がらず、まるで時間が止まったようですらある。その瑞々しさから十代後半と推測するのみだが、その不確かさは、鏡を見るたびより強く、神楽夜の心を(さいな)んだ。

 神楽夜は赤毛の娘に、その不確かさを見た。朔夜にも通ずるものだ。地に足がついていない、あるいは、終わりが近づいている儚さのような感覚。神楽夜はこの時、後者だと感じた。

「着けたほうがいい」

 ガスマスクをすすめる男に娘は小さく首を振ると、いまだ厳しい目を向ける神楽夜を見つめ、

「放して、くれて、ありがとう」

 と、呼吸を深くしないよう努めて言った。謝意を述べる目に、やはり嘘はない。

「いや、それより」

 神楽夜はふたりを比べるように見た。なぜ襲って来たのか。ふたりの関係は。訊かねばならぬことはいくつかある。

「あ……夫のジック、です。私はアルマ。アルマ・ブレイズ」

 せきが込み上げるのだろう。小刻みに呼吸するアルマに夫は「もういいだろう」と促し、ガスマスクを着けさせた。

 赤毛の男――ジックは、()められた右肩をさすりながら帽子を拾い、壁に刺さったままの剣を引き抜いた。神楽夜は一瞬警戒したが、剣はたちまち青い炎となって消える。

 そのまま彼はしゃがみ、足元に転がっている人型をいじりだした。

 それを、アルマはうしろから覗き込む。

「どう、使えそう?」

「……いや、さっぱりだ。どうやって動いているやら」

 人型は、人間の骨に似た金属製らしき骨格に、素材のわからぬ灰色の繊維を筋肉のようにまとわせた形をしている。胸と腰が背骨に似た部品だけでつながったその形状は、皮を剥ぎ、一部の肉を削ぎ落した人間のような印象だ。

「なにこれ……」

 神楽夜は不可解な面持ちでそれを注視した。

「もう少し探そう。最悪、ここで一晩越してもいい」

 ジックは夫婦の間に漂う落胆の色を振り払うように言い、立ち上がった。

 一方、姉弟は当初の目的を果たしたわけであるから、長居は無用である。こんな奇怪な人形がいる場所に留まる理由はない。それにいま頃、修理を終えたシーカーが探しているかもしれない。

 なにより、このままいては、姉の面倒なところがまた出かねない。朔夜は姉の腕を強く握った。

 神楽夜は催促する朔夜と視線を交わすと、力強く頷きを返した。それに安堵した朔夜は、ここまでの短い冒険を振り返って表情を緩めた。

 これでようやく帰れる。朔夜は来た道を戻ろうと体を反転させた。

 すると背後から、

「なにか探してるんですか?」

 姉がよくわからないことを口走った。

「え!」

 驚いたのは朔夜だ。

 姉弟と呼ばれるようになって八年。阿吽(あうん)の呼吸にはほど遠いらしい。

 なぜそう受け取ったのかと、朔夜は批難がましい目を姉に向けた。

 困惑したのは朔夜だけではない。訊かれた夫妻もである。

 アルマは言葉を選ぶ様子で、

「……はい。実は」

 と言いかけて、夫の制止を受けて口をつぐんだ。

 代わってジックが詰問を繰り出す。

「お前ら、どうやってここに来た」

「えっと……」

 さすがの神楽夜でも考えた。昨晩、密入国という言葉を覚えた甲斐があったというものである。

 ここで真実を告げることはできない。しかしどう返したものか。

 困窮する姉の腕を朔夜は力任せに引っ張った。

「大丈夫! 大丈夫です! それじゃ、僕たちはこれで」

 ここまで折れてきた朔夜だったが、これ以上は譲れない。多少怪しまれようが、人様の問題に首を突っ込めるほど暇ではないのだ。姉を引きずるその勢いに、決意の固さがにじみ出ていた。

 踵を返してずんずんと数歩、朔夜はぱっと肩を掴まれた。なにかと振り返った目の前に、ガスマスクが急接近する。

(ひっ)

 朔夜は大きくたじろぎ、けれども、すぐに目をしばたたかせた。

 姉弟はアルマに抱き留められていた。なにゆえそうするのか見当はつかない。でも、首まわりを包む誰かの温かさは不思議と嫌な気持ちにならず、ふたりは戸惑いながらも身を委ねた。

 誰かに抱きしめられるなど、神楽夜も朔夜も、これがはじめてのことだ。

(な、なんなの)

 一向に放す気配のない赤毛の娘に、神楽夜も朔夜も、いよいよどうしたものかと困りだす。

 そこへ、

「違うぞ、アルマ」

 と、ジックが真顔で口を開いた。

「そいつらは拉致されたんじゃない」

 続く夫の言に、アルマは姉弟から勢いよく身を離し、

「え、そうなの?」

 と驚きの声を漏らす。が、ガスマスクのせいで、単に驚いただけなのか、それとも訊いているのか、判別がつかない。であるから神楽夜も、

「あ、ああ……まあ」

 などとはっきりしない応答となる。

 そう、アルマは早合点していた。砂漠は盗賊による略奪がしばしば行われるが、奪われるのはなにも金品だけではない。人身売買も恒常的である。アルマは少女と少年のわけありな様子から、この子らもその例に漏れず被害に遭い、当てもなく彷徨(さまよ)っている、と勝手に考えたわけだ。

 さきほどの抱擁は、それに対するごく自然な、慈しみの表れであった。

「赤い(ふね)に乗っていたな?」

 ジックは姉弟(きょうだい)に歩み寄り、()いた。

(どうして)

 神楽夜は目を丸くした。こちらの情報はなにも与えていないはずである。

 だが、神楽夜のその反応こそ、男の欲しい答えであった。

(当たりか)

「艦を修理しているんだろ。どれくらいかかる」

 もちろんジックは推し当てて訊いた。けれど、神楽夜にそんなことを見抜けるはずはない。

「……わからない。状況を見てみないとって」

 馬鹿正直にもそう答えた。

(ちょうどいいな)

 まさか明言するとは思わなかったが、これで考えが定まった。

 土に(まみ)れた娘はともかく、少年はきれいな身なりをしている。おそらくは客だ。この少年を人質に艦を簒奪(さんだつ)するとして、最初の難敵はこの娘に違いない。

(どこか広い場所があれば)

 そこで娘を仕留められる。さきほどは不意を衝かれたために組み伏せられたが、()()を使える広さがあれば、こんな小娘ひとり、大した脅威にはならない。仮に艦が武装していたとしてもだ。

 それに、闇討ちするにこれほどうってつけな場所もない。どうやらなにかの施設であるようだし、探せば襲撃に都合がいいところも見つかるだろう。

(適当に奥へ連れ込むか)

 カウボーイは腹に一物を抱えると、

「上にあったホバーバイク、見たか?」

 そう出し抜けに訊いた。そして神楽夜が「ああ、うん」と応じるや、

「連合に襲われてな。あれのエンジンをその時にやって、代わりになるものを探してる。だが――」

 と饒舌(じょうぜつ)にも身の上を語り出し、妻を見やった。

「ジック……?」

 振り返ったガスマスクが小首をかしげる。が、カウボーイは困り果てた顔つきのまま、

「アルマはこのとおり無理がきかない。……言えた口じゃないが、助けてもらえないか」

 いけしゃあしゃあとそう懇願してみせた。

 さらに、

「もしかしたら、探せば艦の修理に使えるものもあるかもしれん」

 などとつけ加え、駄目押しする。

 だがそこまでするまでもなく、最後の言は神楽夜に効いた。自身の軽率な行動による損失を賄えるかもしれない。浅はかだが、本人は至って真面目にそう考えた。

 シーカーとは昨日顔を合わせたばかりの間柄である。どんな男かはまだ見極めきれない。だから、いくら雇っているとはいえ、ひどく不評を買うことは避けたい。それが災いして、砂漠のど真ん中に捨て置かれては堪ったものではないからだ。

 姉のその愚直さを、弟はよく理解している。もちろん、困っている者を放っておけないことも。ゆえに、ここは止め役たる自分の出番であろう。朔夜は「せっかくですけど」と口を開こうとした。

 しかし、

「ふたりとも、お名前は?」

 アルマに機先を制される。その口調は弱々しく、まるで小さい子供を相手にするような問いかけだ。

 こういう時、偽名を名乗るようシーカーは教えていなかった。そうなると神楽夜は、武術の師の教えどおり、礼には礼をもって返すことを選ぶ。

「私はカグヤ。こっちは弟のサクヤ」

 それを聞いたジックは「姉弟?」と怪訝に眉根を寄せた。彼から見るに、髪色以外似ているところなどない。

(まあ、なら話は早い)

 身内だというのなら、どちらか一方を押さえれば、自ずともう一方も言うことを聞くだろう。

 そう考えていると、

「それで、当てはあるの?」

 今度は神楽夜が訊いた。

「ちょ、姉ちゃん」

 当然、しかめ面を向ける隣の弟は「いい加減にしろ」と言いたげである。が、この馬鹿姉がこうと決めたら突き進む性分であることは、ここまでの道程が暗に示している。

 ジックが再び襲ってくる可能性はなきにしもあらずだが、さきの戦闘で力の差が歴然としている分、低いだろう。だいたい、あの麟寺(りんじ)鍾馗(しょうき)、さらに養父である灯弥(とうや)に武術を仕込まれた姉に挑もうなど、朔夜からすれば命知らずもいいところである。

(もう……!)

 朔夜は早々にさじを投げた。それをよそに、ジックは赤いポンチョを翻して背を向ける。面するは、さきほどアルマが出てきた暗い通路である。

「電源は生きてるし、こんな人形もいるくらいだ。期待していいと思うが」

「そ。なら一緒に行く」

(やっぱりこうなる……)

 やけに軽い調子の姉に、朔夜はげんなりと肩を落とした。このとおり、弟は甚だ乗り気でない。

 しかし、実のところ神楽夜にはもうひとつ思いがあった。

 アルマの抱擁を受けて感じたことだ。もとより邪気はないと思っていたが、アルマは純粋に自分たちのことを思い、あのように抱きしめてくれた。そんな振る舞いをする彼女が一緒にいるのだから、このジック・ブレイズという男も、おそらく信用に足るのではないか、と考えたのである。

 見たところ、ジックはアルマを非常に気にかけている。そのアルマの悲鳴を聞いたジックが取り乱すのも、いま思えば無理からぬことと理解できる。どうりで彼女の安否ばかり気にしていたわけだ。

 そんなジックの肩を、正当防衛だったとはいえ痛めてしまったことを、神楽夜はいささか悔やんでいた。もし自分らが去ったあと、夫妻のもとにさきほどの人形がまた現れ、襲われでもしたら。そう考えると、とても放って行く気になれない。そこは、朔夜が見込んだとおりだ。

 せめてここを無事に出るところ見届けねば。そういう使命感にも近い感情を、神楽夜は抱いていたのである。

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