第二話「決意の証憑」⑥
戦闘のあった地点から南西へおよそ七百キロ。砂漠のど真ん中にヨリーンアムと呼ばれる渓谷がある。
日が傾き出したことで深い影を落とすその谷合に、無事逃げおおせたかに思われた赤き艦<ヴェントゥス>は、身を潜めるようにして停泊していた。
異変は、ゼルクを回収し、追撃を撒くために速度を上げた時に訪れた。操縦席の警報音がヴェントゥスの限界を訴えたのである。おそらくは被弾の影響だろう。
さきの長い旅だ。不安の芽は早めに摘んでおくに限る。シーカーは損傷具合を確認するべく、連合から発見される可能性が高い平地を避け、こうして谷底を選んで停船させたというわけだ。
切り立った山に挟まれたその場所に、西に傾いた陽光は届かない。外に出たシーカーはライトを片手に甲板を行き、被弾箇所を探した。
(なんで手ぇ出すかねえ)
毒づくさきは神楽夜の行動に対してだ。
神楽夜は正当防衛と言い張ったが、仕事の性質上、騒ぎは避けるべきだった。これでは連合を敵にまわしたも同然。追手が来るのも時間の問題である。
谷底は身を隠すにはうってつけだが、ここで夜襲を受けてしまえば、逃げ場のないヴェントゥスはひとたまりもない。なにより、もし航行に支障をきたすようであれば、修理を急がねばならない。
一方、修理の手伝いを断られた神楽夜は、砂利ばかりの荒涼とした土地を、とぼとぼと歩いていた。その背にかける言葉が見つからず、少し距離を取って続く朔夜も、心なしか気落ちしたふうである。
落日迫る谷底は、まるでそんなふたりの心象を反映したかのように、鬱屈した空気が漂っている。
見上げれば、両側は切り立つ岩壁がそびえ立ち、間を川のように空が流れる。神楽夜から見て右側の岩壁の頭からは、いくつもの西日が、まるで飛び込み台のように光の帯を突き出している。
その光にいくら手を伸ばしたところで、届くことはない。岩壁をよじ登ったとしても、光の出どころが途方もなく遠いことを知らされるだけだ。
(……なにやってんだかな)
神楽夜は深々と嘆息した。
あれは正当防衛足り得るはずだ。さりとて、重くのしかかる殺人という咎から目を背けることはできない。ここに至り、この娘にしては珍しく、麟寺の言う「責任」の意味を真面目に考えようとしていた。
そんななか、健気につき従う弟を突き放さないでいるのは、ひとえに神楽夜の甘えであるといえよう。当然本人も理解している。そして、都合がいい自分に半ば嫌悪もしているが、簡単に割り切れるようならば苦労はしないというもの。どう折り合いをつけていいかわからぬまま、結局小一時間、こうして谷底を彷徨っている。
朔夜の目に映るその背中は、いつもの傍若とした姉らしくない。
「姉ちゃん、あんまり遠く行かないほうがいいよ」
とうとう危惧した弟が声をかけた。けれども、
「ひとりにさせてってば」
姉はつい意固地になる。
「ひとりも危ないって」
「あんたが一緒でも変わんないでしょ」
神楽夜は苛立ちを露わに、少しばかり歩調を早める。
と、
「この距離なら、ゼルク動かせる」
朔夜は、その言葉がいまの姉にとって無情な響きを宿すとは考えずに、つい口を滑らせてしまった。
こう来れば、神楽夜の心中は穏やかでない。
「あっそ……。あんただけでよかったんじゃないの、これ」
意図してそう言い捨てた。
背後で弟が言葉に詰まるのを感じたが、神楽夜は放って歩き出す。それでも朔夜は一定の距離を保ち、あとを追った。
つまさきに視線を落として歩く神楽夜は、そのうち視界の彼方に、岩壁の合間から陽光が差しているのを見つけて、ふと足を止めた。彼女から見て右手から光が漏れている。
谷底に差す一筋の光は、周囲が織りなす光陰も相まって一層神々しく見え、彼女はそちらに吸い寄せられるように近づいた。
果たして、そこは険しい斜面だった。登ったさきには、ここまで続く切り立った岩壁が立ち上がっている。光は、その岩壁の頂上が円形に抉られたことで覗いた、西日がもたらしたものだった。
神楽夜はもはやすがる思いだった。自身に降り注ぐ光を目指し、唐突に斜面を登りはじめる。赤ん坊のように手足をつきながら中腹まで至ったものの、しかし結局は滑落して、もといた場所に戻された。
「姉ちゃん……」
斜面の下で待ち構えていた弟が手を差し出す。
四つん這いの状態から立ち上がろうとした神楽夜は、それに顔を上げ、途端に瞠目した。
そしてやにわに立ち上がるや弟の横をすり抜けて、斜面と反対側の岩壁に歩を進めた。
もう姉の意図は想像もつかない。朔夜はただその背中を追うのみである。
ついて行くと、岩壁は縦に斬り裂かれ、ふたりの大人が両腕を広げて歩ける程度の道が抜けていた。
西日を背後から受ける神楽夜は、それによって伸びた弟の影を踏みながら、奥へと進んだ。
両脇にそびえ立つ岩壁を這うように視線を持ち上げると、岩壁の表面の一部が、左右ともまったく同じ高さで、半円に抉り取られていた。それも、その欠損は地面に向かって斜めに続いている。それを目でなぞりながら背後を向けば、さきほど転げ落ちた斜面の上の、抉られた岩壁と直線になるようだった。隕石でも駆け抜けたのだろうか。
興味深げに観察して歩く姉を怪訝に見つめる弟は、その動きを真似て、肩越しに背後の西日を見やる。そこから視線を戻し、この途方もない行脚がいつ終わるのかと考えだした、その時だった。
姉がふいに足を止めた。
「ちょ」
だが、出かかった文句はすぐに引っ込んだ。
たどってきた細道はすでに終わり、天蓋の崩れた洞窟のような場所にふたりは立っていた。瑞々しいつゆ草に似た植物が一面を覆い、その光景は、とても砂漠の真ん中にあるとは思えないほど、緑に溢れている。
真っ暗というわけではないが、日も暮れ時である。ましてや、明かりは細道から差し込む斜陽と、崩れた天井からだけだ。直径にして二十メートルほどの洞窟は、奥に行くに従ってその影を濃くしていた。
朔夜は立ち止まったまま動かない姉を不審に思い、前にまわり込もうとして、彼女の視線のさきを見た。
「なに、あれ……」
地面から巨大な手首が突き出ていた。二メートル以上ある高さで、五本の指すべてを天に向けてそろえている。植物に侵食され、右か左かは判別がつかないが、少し内側に入った親指が向かって右にあることから、おそらく右手であろう。絡みついた蔦の合間からは、青っぽい金属らしき一部が覗いている。
朔夜はなぜか、ここに長居してはいけないような気がした。ところが悪いことに、姉の好奇心はすでに釘づけだ。手首に近づき、つぶさに観察している。
「これって」
なにかを見つけたらしい姉に朔夜が寄っていくと、手首のうしろに隠されるようにして、一台のホバーバイクが放置されていた。神楽夜が砂漠で目撃したものによく似ている。サイドカーには荷物が残ったままだ。
あたりを見回す神楽夜の視界に、洞窟の奥で明滅する赤い光の点が捉えられた。点はいくつかあり、規則正しい配置をしているようにも見える。そこはちょうど、西日で伸びた手首の影がかかる、洞窟の最奥に位置していた。
(まずい)
朔夜はますます嫌な予感がした。この場所にではなく、姉に対してである。
繭の時もそうだったが、この姉は好奇心が刺激されるといやに積極的になる。血はつながらないのに変なところは養父に似ていると、いつだったか鍾馗が言っていたのを朔夜は覚えている。
こういう場合、止める役はだいたい、鍾馗か朔夜にまわる。麟寺は囃し立てるばかりであるし、姉はこの調子と来れば必然だろう。しかし、姉に気圧されて折れるのが弟の常であった。
そこで、朔夜はふと思った。姉はもしや、この旅を楽しんでいるのではないか。さきの戦闘でも、やけに思い切りがよかった。そうなると、いよいよ姉は止まらないだろう。
その不安は見事、的中する。
「どうする?」
姉が選択権を委ねるような言い方をしても、朔夜にはわかっている。こちらが渋ったところで、出てくる答えは変わらない。姉はこう言うはずだ。ちょっと見てくるから、と。
「じゃ、サクはここにいていいよ。ちょっと見てくるから」
(やっぱり)
朔夜は肩を落とした。
かといって、気にならないわけではない。癪だが己も少年。未知の世界に胸躍らせる年相応さは持っている。
姉に従って近づくと、岩壁に這った蔦の一部が鋭利ななにかで切り払われ、垂れ下がっていた。神楽夜はのれんをくぐる要領でそれを除け、覗かせた目を見開いた。
高さ二メートル、幅三メートルはあろうか。岩壁にめり込んで、台形に組まれた金属の額縁があった。それは白銀に似て、光沢の少ないステンレスのような材質で、なかに同じ質感の金属板がはめ込まれていた。
「扉……?」
といっても取っ手の類は見当たらない。赤く明滅する光は板の四隅に配置されており、まるで表示灯のようだ。もしこれが扉だとしたら、表示灯のその色味からして閉鎖だろう。
全体的に土汚れがひどいのは、長らく土中にあったためか。けれども板の表面には、土が真新しい横筋を作っている。どうにも横に引き開けるらしい。
その土汚れが示すのはつまり、永い眠りから覚まされたあと、少なくとも一度は動いているということだ。
神楽夜は土を払おうと手を伸ばした。すると、赤かった表示灯が薄緑へと変わり、空気が噴出する音がした。ぎょっとした姉弟は反射的に身を退いた。
はめ込まれていた金属板が横へ引き込まれ姿を消す。口を開いた古の魔窟は、引き込むように風を飲み込み、その音はまるで亡者の怨嗟のように唸りを上げた。
姉弟は慎重に近づき、覗き込んだ。
なかは緩やかな下り坂のトンネルになっていた。トンネルと言ってもコンクリートで固められているわけではない。壁と天井は入口と同じ質感の白いパネル張りで、床は黒いグレーチングが敷き詰められている。天井の両端で直管型のライトが青白い光を放つが、それは入口側の一部しか点いておらず、奥は薄暗い。
そこに、またしても赤く明滅する光を見つけた。どうやら坂を下ったところにもうひとつ、扉があるらしい。
「どうする?」
ここで二度目のどうする。しかも姉は朔夜を見ていない。くどいようだが、朔夜はよく知っている。ここで退く姉ではない。
「開くかだけ、試してみる?」
どうしても自分から「行く」と言わないあたり、意地が悪い。往々にして、こういう時の姉は厄介事を引き込みやすいので、朔夜とすれば構いたくはない。ないのだが、放っておいてもひとりで行ってしまうから、諦めるしかない。
「開くかどうかだけだよ」
朔夜は不承不承といった様子でさきを促した。神楽夜も「やむなし」といった表情で踏み込むが、喜ぶ犬の尻尾が朔夜にはよく見える。
慎重さの表れか、いらなく頭を低くし、姉弟は壁に手をついて下る。壁はひんやりと冷たく、下に行くにつれて空気まで冷えてくるようだ。ふと足元に視線を落とせば、床である細かい格子の下に、無数の管が流れているのが見えた。
なにかの施設なのか。
そんな疑念を抱きつつ坂を下り終えると、やはりそこにはもうひとつの扉があった。奥に見えていた赤い光の正体は、さきほどと同じ表示灯である。最初に抜けたものより大きく感じられるのは、そちらの枠が土に埋まっているせいだろう。
神楽夜はゆっくりと手を近づけた。
期待に違わず、表示灯は薄緑に変わる。次いで機密性の高そうな空気音がして、扉が横へ流れた。
現れた空間は薄っすらと明るかった。入ってすぐ通路が横切っていて、正面には壁しか見えない。壁は腰高の位置で溝が走り、そこがぼうっと白く光っていた。
神楽夜は「開くかどうか試す」という当初の約束を忘れ、恐る恐る頭だけを出し、まずは右を見た。
通路は直線で、はるか彼方まで続いていた。天井も壁も床も、下ってきたトンネルと同じ白い金属パネルの仕上げだ。明かりは細い電灯が天井の中心に点在するものの、広い間隔で一部が消えており、ところどころに闇が生まれている。最奥に突き当って、さらに左右へ分岐しているようであるが、明かりが少なく、よくは見えない。
続いて左に首をねじ向けるが、そちらも同様の造りであった。ただ、T字になっているであろう突き当りはわずかに明るい。左に折れたさきの通路から、光が伸びてきているらしい。
物音ひとつせず、ひとけはもちろんない。音があるとすれば、空調でも動いているのか、低音が断続的に響いているくらいだ。
「なんなの、ここ……」
ひとしきり確認を終えたところで、神楽夜が扉を抜けた、その時。
耳をつんざく女の悲鳴が左手奥から反響した。
「なに!?」
それだけではない。そのずっと奥から、固い棒かなにかで金属板を突き叩くような、連続した激しい音が大きくなる。姉弟は身を寄せ合って、左の通路を凝視した。
すると、人影がひとつ横切った。そのすぐあとを、こだまする金属音とともにもうひとつ、大きな人影が過ぎ去った。
助けを求める声は続いている。
「姉ちゃん!」
朔夜が止める間もなく神楽夜は走り出した。
こんなところでひとりにはなりたくない。朔夜も慌ててそのあとを追う。
照明がところどころ切れているために生じる、光と闇が交互に繰り返すなかを駆け抜ける。距離にして二百メートル。次第に突き当りの壁との距離が縮まり、神楽夜はそこを右に曲がろうとして、
(うわ!)
と急に足を止めた。
だいぶ遅れた朔夜が何事かと駆け寄れば、そのさきは、踏み込むことをためらうような薄闇に包まれていた。通路内に陰影をもたらすのは、腰高の位置で壁に走る、ぼうっとした青い光の筋のみである。目を凝らせば、それは随分さきまで続いているようであった。
すでに人影はない。あたりは、不気味な静寂が支配している。
「なんなの……」
神楽夜は怪訝に眉根を寄せた。あれだけ騒がしかったというのに、まるで幻であったかのようにぱたりと音がない。
「姉ちゃん、戻ろ……」
やはりここに長居はすべきでない。朔夜は不安げに姉の袖を掴む。それに応じ、神楽夜は疑念をぬぐい切れぬ顔で踵を返した。
途端、
「アルマになにをした!」
突如として轟いた男の怒声に、姉弟は背筋をのけぞらせた。




