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第二話「決意の証憑」④

 ウラジオストク港を出て、西へと進路を取ること約二時間。地表付近を滑走するように飛ぶ赤き(ふね)<ヴェントゥス>の窓外を流れる景色は、山から平野へと移り変わっていた。それに伴い、あたりには徐々に緑が少なくなり、大地に砂が混ざりはじめる。

 ヴェントゥスが巻き上げる砂塵は、世界四大砂漠のひとつ「ゴビ」の前触れである。艦はいままさに、ゴビ砂漠へ足を踏み入れようとしているのだ。

 世界で拡大の一途をたどる海と砂漠。そのうち砂漠は、残された豊かな大地に住むことを許されなかった者たちの、いわば流刑地である。入るには寛容だが、出るには厳格な審査が課せられる。

 ウラジオストク港を簡単に通過できた理由はそこだ。もちろん、検査官が腑抜けていたことも大きいが、そのあたりは事情に詳しいシーカーのこと。当然織り込み済みである。多少肝を冷やす場面もあったが、滑り出しとしては上々といえよう。

 だからか。

 景色の変遷を呆けた面で眺める神楽夜は、すっかり観光気分であった。麟寺(りんじ)から言い渡された三週間という期限も、なるようになるとすら思えてくる。

 安心感は、ややもすると人を気任せにする。昼時はとうに過ぎたと報せる腹の虫に、神楽夜は視線を窓から操縦席へと流した。

 すると、催促するようなそれが気に障ったか。

「飯なら適当に食ってくれていい。そこ出て左の部屋になんかある」

 シーカーはバックミラー越しにそう言い捨てたきり、手元に意識を集中させた。それに伴い、艦が減速をしはじめる。停船するのだ。

 操縦席に座す彼の前には、操縦桿や艦の状態を報せる画面のほか、さまざまな計器が所狭しと並んでいる。いま視線を注ぐのはその画面だ。画面にはゴビ砂漠周辺を拡大した地図が表示され、その上に、予定の航路が赤い点線で示されている。どうやら砂漠の南側へ進むつもりらしい。

 しかし、それはウラジオストク港で指示された航路だ。当初のものではない。出だしが好調なのはあの姉弟ばかりで、シーカーはこれからロンドンまでいかにして行くか、策を練り直さねばならなかった。

 ちなみに、男がなぜそんなにも真剣に画面と向き合うかというと、この艦には自動操縦がないためだ。一般的な航空機ですら搭載しているのに、いま時珍しいそんな仕様なのは、動かしている実感がないことを嫌ったこの男のこだわりである。

(なんかって)

 神楽夜は突き放された気分で席を立った。弟もそれに続き、姉弟ともどもブリッジ後方の自動扉から通路へ出る。そしてシーカーに言われたとおり、すぐ左手にある小ぢんまりとした調理場へと歩み入った。

 シーカーの言い方は少々当たりの強いものだったが、邪険にしようなどという意図はさらさらない。姉弟(きょうだい)の仕事はさきほどの関所でひとまず終わったが、彼の仕事はここからが本番なのだ。

 それに普段、客を乗せる時は給仕を雇うのだが、今回はそれがない。鍾馗から「いらぬ」と断られたためだ。ゆえに、食事をはじめとした自分のことは、自分でやってもらうしかないのである。

 と、もっともらしい理由を挙げたが、その実、彼は、早くも狂わされた計画に頭を痛めていた。予定していた航路を大きく変更せざるを得なくなったのである。

(カウボーイ、ねえ)

 シーカーは検査官の話を思い出し、顔つきを渋くした。

 ここからは連合の勢力下になる。軍の基地が点在しているが、それでも砂漠地帯は都市部に比べれば少ないほうだ。

 広大なユーラシア大陸を横断する砂漠(ここ)に関していえば、かつて旧ロシアと旧モンゴルの国境だったあたりをはじめ、砂漠地帯を取り囲むように二十七の基地があるのみである。基地は旧カザフスタン西部の第一基地からはじまり、時計回りにその数字を増やしていく配置だ。

 それらのうち、ヴェントゥスは当初、最も西にある第一基地を目指す予定だった。基地同士の兵站(へいたん)線をたどる航路は、盗賊が多い砂漠を踏破するに有用なのだ。

 だが検査官の話によれば、その第一基地がおととい壊滅したという。

 戦時中でもあるまいし、よもや連合の基地が陥落するなど、誰に予想できようか。

 替わって港から指示されたのが、旧中国は武威市にある駐屯地への移送であったのも運が悪い。位置的には砂漠の南だ。シーカーは即刻、目的地を第一に隣接する第二基地へ変更する希望を出したのだが、これまたなんとも手痛いことに、襲撃の対応に追われていることを理由に断られてしまった。

 基地へ資材を運搬するという名目で港を通った手前、指示を無視することはできない。

 連合御用達の軍需企業の名を拝借して、大陸を横断し、ロンドンまで急ぐはずだったものを。シーカーには、ますます<カウボーイ>なる者が(うと)ましく思えてくる。せっかく(表向きは)合法的に、安全な旅の準備をしたにもかかわらず、これでは努力が水の泡ではないか。

 それでも、考え得る策はいくつかある。なんらかの口実で砂漠を迂回して旧ロシア領から行くか、指示どおり南下したあと砂漠を突っ切るか。だが、どちらにせよ、ロンドンにたどり着くのは遅くなる。

(行くしかないか)

 風の名に恥じぬよう、最速で届けるのが彼の誇りである。ならば砂漠を突っ切るほかない。それに、この程度の難事は不測のうちに入らない。仕事上経験してきたことであるし、そもそも砂漠を選んだのは、逃げ道が多いためだ。

 となれば、今回の作戦の仲介人に航路の変更を伝えたほうがいい。連絡を取るべくシーカーは、右手を正面の画面へ伸ばした。

 その時、

「なんかちょっと固いね、このパン」

 いつの間に戻ったのか、口のなかにものを詰め込んだ神楽夜の間抜けな声がした。

 手を止めたシーカーがバックミラーを睨むと、彼女がちょうど、サンドウィッチのふたくち目を頬張るところであった。

 サンドウィッチは、神楽夜が調理場でこしらえたものだ。 

 手のひら大のフランスパンのようなバゲットに切れ目を入れ、薄く切ったハムとゴーダチーズを挟んでいる。それだけではもたついた口当たりになると考えたか、瑞々しいカールレタスも間から顔を覗かせていた。

 さらに神楽夜は、自作したソースも具材の間に忍ばせていた。マヨネーズにマスタードを和えた、酸味がより食欲をかきたてるものだ。が、試食した時、それだけでは香りが足りなかった。そこで、なぜか冷蔵庫にあった和からしを少量混ぜ、砂糖で味を調えたのであるが、

(大正解)

 作った本人も驚くくらい美味くいった。

 はじめはパンの固さにこそ文句を垂れていた神楽夜だが、それもすぐになくなった。噛むほどに感じられる小麦の香ばしさは、普段食べ慣れていないだけあり、娘には新鮮な体験である。それを愉しむように、神楽夜は目をつむって、よく噛みしめた。

 バゲットはパン・パリジャンと言って、フランスパンより太くやわらかい。日本でも模造品を手にすることはできるが、小麦の自給率が十パーセントに満たない日本では、そもそもパン自体、食する機会が少ない。あったとしても米粉のものになる。

 機会が少ないといえば、チーズもそうである。ゴーダチーズははじめて口にしたが、まろやかな味わいは彼女を(とりこ)にした。

 ちなみに、このサンドウィッチの材料はシーカーが用意したものだ。日本、つまり一国家からの仕事とあって、さぞ名高き要人を乗せるものと思い、酒のつまみにそれなりのものを準備したのである。神楽夜が見つけた和からしをはじめとした日本の調味料もそうだ。それが、よもや子供の昼飯になり下がるとは。

(カウボーイといい、ケチがつき過ぎだな、今回は)

 シーカーは姉弟(きょうだい)の座席にバックミラー越しの視線を投げるや、胸中で苦笑した。

 すると、ふと弟のほうが外を見たまま立ち上がり、窓に訝しげな顔を寄せた。

「姉ちゃん、あれなに?」

「あ? なんだあれ」

 訊かれた姉とてわかるわけがない。

 しかし、シーカーはそれを知っている。だから視線を動かすことなく答えた。

「オニキスさ」

 神楽夜たちの視線のはるか彼方、青く(かすみ)がかかるほど遠くに、地表から天高くそびえたつ黒い円柱があった。それだけの距離があっても、太さは神楽夜の両手に収まりきらないほどだ。近づけばさぞ巨大であるに違いない。

 表面に凹凸が見られない、その究極の曲線美は、高さも相まって人智の及ばぬ創造物であると訴えかけてくるようだ。

「オニキス?」

 早くもサンドウィッチを平らげた神楽夜が訊いた。

「ジャミング・タワーなんて呼ぶやつもいる。まったく、誰がつけたんだか」

 ジャミングとは、いわゆる電波妨害のことである。

 シーカーは続ける。

「由来は瑪瑙(めのう)っていうきれいな石ころだ。黒いものに白く(しま)ができているのをオニキスと呼ぶらしい」

 言われて神楽夜は目を凝らした。

「縞……なんて、ないけど」

「見えるのか?」

「うん、まあ」

(なんて目だ)

 オニキスまでは二百キロ以上ある。驚愕するシーカーに、神楽夜は柱を見つめたまま問うた。

「あれは、その、連合の?」

「連合どころか、いまの人類じゃ無理さ。なにでできてるかもわかってない。大砲をぶっ放そうが、グスタフで斬りつけようが、傷ひとつつきゃしないね」

 シーカーは鼻で嗤って、左手を正面の画面に向ける。その指が画面上で数度跳ねると、ブリッジ内の空調が強まり、換気がはじまった。

「ま、見方によっちゃ連合の、と言えなくもないか」

 そう言いながら、左手を画面からリネンシャツの胸ポケットへ流れるように向かわせる。そしてそこから、<ワトホート>と印字されたシガレットの白い箱を取り出し、一本口に咥えると、愛用のオイル・ライターで火を点けた。紫煙とともに、バニラに近い甘めの香りが広がる。待ちわびた時間に、彼は至福の笑みを浮かべた。

 対して、神楽夜は顔をしかめた。身近に愛煙家がいなかったこともあるが、むしろ、これは長くなるなと察したからだ。

「怪電波が出ているんだと」

 悦に入るシーカーが口を開いた。人伝(ひとづて)に聞いたふうな口ぶりが「さきを聞いてくれ」と暗に言っている。

 神楽夜は視線を窓外の<オニキス>に固定して、渋々合いの手を入れた。

「怪電波?」

「そう。人類には解読できない怪電波。ケーブルを引いても駄目だった。解読できないんじゃ仕方ないわな」

 ジャミング・タワーから発せられている電波が、有線・無線を問わずあらゆる通信手段を阻害している。ただこの論は、連合のプロパガンダと見る向きも多い。実際、それを回避する手段を確立したおかげで、現在の連合の繁栄はあるのだ。

 稼業の性か。こうした噂の流布にひと役買っているのは、この男のような運び屋である。とりわけ、シーカーのようにひとりで稼ぐ者には、嘘か誠か眉唾な話でも、暇つぶしには都合がいい。 

 僥倖なことに、いまは聞き役がいる。さらに浅学ときた。男は、その態度が衒学的(げんがくてき)であることを忘れ、つい、合いの手なしで会話を進めた。

「連合はオニキス様様(さまさま)だろうさ。人間はすぐに群れたがる。群れれば余計に縛られるっていうのにな。連合も運よくUCSが完成したから繁栄したものの、もしできてなければいま頃は、海のなかか砂の底か」

(よくしゃべるなあ)

 神楽夜はわざとらしく嘆息しながら、座席にどさりと背を預けた。窓際に座らせた弟をふと見れば、食事を終えて大人しく外を眺めている。

(日本、なくなってないといいな)

 こんな調子で本当に養父を見つけられるのか。そう考えながら、弟の丸っこい頭越しに平坦な砂漠を望んでいると、

「来る」

 と、その頭がぴくりと動いた。

 直後、船体は揺さぶるような衝撃に見舞われる。

 一同は吃驚の叫びを上げた。

「なんだ!?」

 神楽夜はすかさず弟に覆いかぶさって身を屈め、何事かと窓外を睨む。

 すると砂の大地が王冠型に爆裂し、飛び上がった。

(爆発? いや)

 凝視したその瞬間、神楽夜の目は、鉄の弾が砂漠に飛び込むのを確かに捉えた。即座に衝撃が駆け巡り、砂が舞い上がる。

(砲撃だ!)

 それは一定の間隔で、ある一点をめがけているように見えた。

 神楽夜はそこに視線を集中させる。続く幾度目かの衝撃に耐えたその時、

(人!)

 弾け上がる砂の合間を駆け抜ける、一台のホバーバイクが目に留まった。ホバーバイクのうえでは赤色の布がはためいている。おそらくは搭乗者の衣服だ。

「もらい事故なんざ、ごめんだ!」

 シーカーはヴェントゥスを浮上させるべく、すぐさま主機に火を入れた。が、これだけ質量のある艦だ。発進までは相応の時間を要する。

 その間にも、どこからか繰り返される砲撃が船体のすぐそばに着弾し、砂を爆散させた。

 衝撃に船体がまたも大きく揺さぶられる。神楽夜たちは体勢を崩し、睨みつけていた窓側の壁に体を打ちつけた。

「なんでこんなとこでドンパチしてやがる!」

 そう叫ぶシーカーの怒気には、一服を邪魔された不満も含まれている。ようやく浮上したヴェントゥスは、彼の激情につられるように荒々しく砂塵を巻き上げ、加速を開始した。

 神楽夜は痛みに顔をしかめながら、身の固定を急いだ。まずは弟だ。深く座らせ、シートベルトを着用させる。腰の左右から伸びる、金具がついたベルトをへその下で緊結し、さらに、その緊結した金具めがけ両肩からベルトを下ろし固定する。

 それを終えると隣の席に座し、自分も急いでベルトをまわそうとした。が、刹那、神楽夜の視線はなぜか窓外へと引き寄せられた。

 その直感を肯定するように、一発の榴弾が水平に近い弧を描いて飛来する。

(当たる!?)

()けてッ!」

 反射的に神楽夜は叫んだ。

 だが遅い。シーカーが応じるよりもさきに、船内は横へ薙ぐような凄まじい衝撃に襲われた。

 榴弾はヴェントゥスの右側面、推進器すれすれの装甲に直撃した。その衝撃に、ヴェントゥスは尻を振りながら飛ぶ。

 これは流れ弾ではない。明確な撃墜の意を込めた狙撃だ。神楽夜は続く衝撃に姿勢を低くし、頭を抱えた。その姿はまさに絶望する人間そのものだ。

 なぜ。どうして。こんな旅に出てしまったのか。

 だが、

(選んだのは、自分だ……)

 そう。行くと言った。迷いながらも、そう決めたのは自分だ。

 すると、回顧するその脳裏に、

 ――問い続けろ。

 斜陽を背に立つあの黒騎士の姿がよみがえった。

(どうする)

 されど、ない頭で考えたところで、現状を打破するに足る策など思い浮かぶはずもない。だいたい、この娘が行き着く考えなどたかが知れている。

 だが隣に座す弟は、そもそも、まさか姉がそんな思索に耽っていようとは思わなかった。ゆえに隣で姉が立ち上がった時は、

「姉ちゃん、なにやってんの!?」

 と、実に驚愕した顔を左に振り向けた。

「出よう、サク!」

「はあ!?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。出るというのはつまり、出撃をするということだ。

「なに言ってんの! 死んじゃうって!」

 この馬鹿姉はもう忘れたらしい。東京で生き延びられたのは、単に幸運が重なっただけということを。

 焦燥に駆られるあまり口が滑っただけと思いたい朔夜だったが、訝しげに見つめれば、

「このままじゃやられる」

 と姉は本気の目で返してくる。交わした視線には一切の揺らぎがない。その瞳には確信めいた力強さが宿っている。

 姉は信じているのだ。本気で、やれると信じている。

(なんで……)

 真偽を確かめるような朔夜のまなざしを受けた神楽夜は、自分だからこそ断言できるその根拠を明らかにした。

「黄金の騎士(あいつ)より弱い」

「それは――」

 確かに、あの騎士に比べればこの程度の砲撃、防げるだけまだマシといえる。

「でも、相手の数が」

 そう。まだ敵が一体であると決まったわけではない。出て、もし複数の敵がいたら、ここに肉体を残す自分はよくても、機体に乗り込む姉の命は危機に瀕することになる。

 しかし。

「一機だよ。弾の数と間隔が」

 そこまで言い切る姉に、朔夜はもう二の句が継げなかった。なにより、こうだと決めたら姉は猪のように突き進むと知っている。

「……離れすぎちゃ、駄目だからね」

 (だく)の意であった。その弟に、神楽夜は力強く応じる。

「三打で仕留める」

 それきりブリッジの出入口へ向かおうとする姉の背を、朔夜は今生の別れとならぬよう祈りを込め、目に焼きつけた。

「ゼルクで出ます!」

 神楽夜は悪戦苦闘するシーカーに叫んだ。反応は当然、

「はあ!?」

 と朔夜と同じである。しかし構うことはない。神楽夜はすでに格納庫に向け駆け出している。

 走り去る風を合図に、朔夜は座席に身を預け、意識を深く深く潜らせはじめた。

 船内に張り巡らされた配線を伝い、艦の後方へと進んで行けば、格納庫のなかでコンテナに囲まれ、灰色のシートを被せられて横たわる<アームド・ゼルク>が見えてくる。

 朔夜は胸中で唱えた。

(リンケージ!)

 間髪入れず、無人であるはずの鎧武者の双眸に光がともった。同時に、格納庫ハッチの開放が警報とともにはじまる。艦の一部が勝手に動き出す事態に、操縦者たるシーカーは驚愕し、目を見開いた。

(なんだ!? いじってないぞ!)

 いったいなにが起きているというのか。シーカーがバックミラー越しに後部座席を見やれば、神楽夜の姿はすでになく、残っているはずの弟もいやに静かだ。

(まさか)

 悪寒を禁じ得ないシーカーの目の前で、着弾した砂が高々と吹き飛ぶ。赤き艦はそのなかへと勢いよく突っ込んだ。

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