第二話「決意の証憑」③
速度を落としたヴェントゥスは高度を徐々に下げ、着水する。その衝撃は、目当てのコンテナが見つからず、格納庫でまごつく神楽夜たちを襲った。
姉弟は咄嗟に近場のコンテナにしがみつき、耐え凌ぐ。
やがて揺れが落ち着き、操縦の荒さに文句を言いながら顔を上げると、目の前には、臙脂色の壁に白い英数字で「4」とあるではないか。
「これだ」
神楽夜はすぐさまコンテナの入口を探し、視線を走らせた。着水したということは、港はもう間もなくである。
「サク、こっち」
壁面より一段引っ込んだ場所を見つけ、神楽夜はそこへ駆けた。
見つけた扉は引戸となっていて、取っ手にあたる厚い金属の棒が、かんぬきのように枠に差し込まれている。随分錆びついた、動きの鈍そうな棒である。神楽夜はそれを両手で握ると、眉間にしわを寄せ、時計まわりに手首を返した。
横を向いていた棒が上を向き、扉の固定が解かれる。すると棒は下へ滑り落ちるように移動し、取っ手となった。神楽夜はそれを握り直し、左へと強く引き開けた。
錆びついた金属が擦れ、甲高い音が格納庫に反響する。そのうちに、大人が体を横にして通れるほどの隙間が生まれた。
扉を全開にする必要はない。まずは姉が体を滑りこませる。
なかは扉の隙間から漏れる外光だけでは判然としないが、かろうじてわかるのは、抱えられるくらいの大きさをした木箱が、整然と積み重なっていることだけだ。
神楽夜はシーカーから渡されていたペンライトを点けた。
「……あれだ。サク!」
呼ばれた朔夜は姉に倣い、蟹歩きで進入する。そして、ペンライトで照らしたさきにある、襟首をつかまれたようにぶら下がる人影たちを見て、
「おわ!」
と仰天の声をあげた。
尻をつくかというその勢いに、
「なにやってんの」
姉は小馬鹿にした調子で呆れてみせる。
照らされたそれは、黒いウェットスーツの胸から胴、肩や肘や脛といった部分を鼠色の防具で覆った、細身の宇宙服のようであった。頭部を守るヘルメットは正面のガラス部分にスモークがかかっている。
その正体は、主にグスタフに搭乗する際に着用する、宇宙空間での活動にも適応したパイロットスーツだ。シーカー曰く、大手軍需企業の試作品だという。それが横に三着並び、うしろに三列、計九着ぶら下がっている。
この暗がりゆえに、その佇まいは一見すると、朔夜が誤認したように首を吊っているようにも見える。が、実際は首ではなく、天井から伸びる固定具によって両肩を吊るされる形で保管されていた。
シーカーの指示は、このパイロットスーツのなかに入って検査官をやり過ごせ、というものだ。なんとも無茶な策に思えるが、いまは従うしかない。
着るためには、まずヘルメットを外す必要がある。神楽夜は最後列にぶら下がった一着の前に立ち、シーカーの教えどおり胸の保護具を手探った。そこに、ヘルメットを外すボタンがあるはずなのだ。
しかし、
「え、どこよ」
ちっとも見つかりそうにない。
ちょうどその時だった。
姉弟は停船した慣性に引かれて、あわや倒れかけた。
(着いた!?)
急がねばならない。すぐにでも検査官が立ち入ってくる。
ついに神楽夜はペンライトの端を口にくわえ、両手で全身を探りはじめた。
「どうすんの、これ!」
焦るばかりで埒が明かない。
「貸して!」
しびれを切らした朔夜は割って入るや、だらりと垂れたスーツの手首をむんずとつかんだ。
瞼を閉じ、意識を下へ下へと這わせていく。すると、防護材、断熱材、全身をめぐる配線をたどり、赤い光が朔夜の脳内に現れた。
「ここ」
やにわに目を開けた朔夜が、胸の防具の心臓に近いあたりを押す。押された部分は指先を受け入れるように引っ込んだあと上へと滑り開き、なかから、ぼうっと赤く光る四角いボタンを露わにした。さらにそれを押すと、空気が勢いよく噴出する音がして、ヘルメットが首元からわずかに浮いた。
神楽夜はすかさずパイロットスーツの背面へ移動し、背中のファスナーを下げる。そして、
「入って」
と言いながら弟の脇を抱え、両足からスーツのなかに入れた。
が、そこで朔夜から思わぬ苦情が飛ぶ。
「足つかないよ!?」
しかし、もはや猶予はない。
「いいから!」
神楽夜は、弟が心中に抱いているだろう文句ごとその身を押し込んで、乱暴にファスナーを上げた。なんとも薄情な姉である。
さて次は自分の番だ。隣にぶら下がるパイロットスーツの前に移動し、さきほどの手順を繰り返す。胸のボタンを押す。ヘルメットが外れる。ファスナーを下ろす。そしてうしろにまわって片足をなかに入れた時、
(まずい!)
ついに格納庫のハッチが開く音がしはじめた。検査官がやってきたのだ。時間がない。
急いで体をねじ込ませる。だが、この娘はそこで、はたとあることに思い至った。
(待って。私のファスナー、誰閉めんの!?)
もともとひとりで着脱できる仕様である。けれど焦る娘は、その方法すら思いつかないほど知能を溶かしていた。
そうしているうちにも、ハッチがせり上がることで生じる、金属同士が擦れる音が断続的に響いてくる。
神楽夜はなにを考えたか、こめかみに青筋でも浮くのではというくらい、決死の形相で背面に手をまわし続けた。まったくもって馬鹿というほかない。
腰のあたりから持ち上げられたファスナーは、背中のなかほどを過ぎたところまで至っている。そこまで行ったならば一度手を戻し、うなじを触るようにして、再度背中へ手をまわせばいいのだ。
「あ」
ようやく気づいた。
(これで……)
ファスナー問題を解決し、彼女は一時の安堵を得る。そこへ今度は、ハッチの開く音に混じり、数人の靴音が聞こえてきた。――三人はいる。
「ええ。ヴォルファング社の試作機です。第一基地まで。あ、そっちはホバーバイクです、はい」
おそらく検査官に向けてだろう。妙に聞こえやすいシーカーの声は場馴れしたもので、口振りは操縦席にいる時と違いうやうやしく、姑息さが感じられる。
次第に距離を近づけてくるその声に、神楽夜はパイロットスーツのなかで身を硬くした。
息を整えねば。あとは人形になったつもりでやり過ごせばいい。
ところが深呼吸した瞬間、神楽夜は致命的な失態に気づいた。
(扉、閉めてない!)
どうりで声が通るわけである。
背筋が凍ったのも束の間、重い鉄の扉が引きずられる音が聞こえだした。どこかのコンテナが開けられたに違いない。
その音の合間から、
「壊滅した? おととい?」
と驚愕するシーカーの声がした。
(壊滅?)
穏やかでない単語に神楽夜は眉をひそめ、耳をそばだてる。が、断続的に響く、錆びた金属の擦れる音に邪魔され、続きは判然としない。
音が止んだあと、相手の検査官はコンテナのなかに入ったか、声はくぐもって、一層聞き取ることはできなくなった。聞こえるのはシーカーの相槌くらいだ。
しばらくして、
「――はい。わかりました。じゃあ、そこに」
なにかを承諾したらしいシーカーの言葉で会話は締めくくられた。
足音がまた響きはじめる。次はどのコンテナか。
神楽夜が聴覚に神経を集中させた時、検査官がなにか言葉を発した。
それから間を置かず、
「あ!」
と、慌ただしく足音が近づいてくるのがわかり、神楽夜はぎょっとした。
「し、閉め忘れでしょう。いや、よかった。中身が出てなくて」
コンテナの前でシーカーはそう取り繕うが、検査官の関心を引いてしまった以上、もはや立ち入りは避けて通れまい。
案の定、扉はすぐに引き開けられた。同時に神楽夜は、視界の隅で忙しなく動いた光の筋に、固唾を呑んだ。
そんな娘どもがいるとは露知らず、空色のジャケットを身に着けた恰幅のいいふたりの男は、ペンライトを片手になかへ踏み入ってくる。
幸いだったのは、コンテナは入るとすぐ、水と食料が入った木箱が積み重ねられていたことだ。三、四段あるそれは、検査官の視界をうまく遮った。パイロットスーツはその陰だ。
しかし、姉弟のもとへ至るのは時間の問題である。神楽夜は必死に息を殺し、時が過ぎるのを待った。
すると、どこかの木箱が強引に蓋を開けられる音がする。
(嘘でしょ!?)
神楽夜は人知れず目を見張った。
あろうことか検査官は、木箱を固定した樹脂製のバンドをナイフで切り、なかを確認しはじめている。
生唾を飲み込んだ神楽夜の喉が鳴る。その時、ぱっとペンライトの光がこちらを向いた。
まずいことに、検査官のひとりが素早く木箱をまわり込んでくる。男は吊り下げられたパイロットスーツの前に立つと、明かりをつま先から頭に向かい舐めまわすように当てた。
神楽夜は覚悟した。それは入口で見守るシーカーも同じだった。
万が一には強硬手段に出るしかない。シーカーはゆっくりと腰を落とし、制圧の機を窺う。
奇しくも同じ頃、検査官の肺に発声のための空気が充填されだした。
(やるしかねえ)
騒がれる前に黙らせる。シーカーが腹を決める一方で、神楽夜はきつく目を閉じた。
そして、
「これ、最新のやつじゃないか!」
と、検査官の口から一同の肩を透かす嬉々とした台詞が飛び出した。
シーカーは思わず前のめりになった上体を跳ね起こし、
「あ、ああ! 試作品ですよ。耐圧試験が終わって、本社に持って行くところで」
と即座に作り笑いを浮かべる。
しかし気を抜いてはならない。昨日の朔夜がそうであったように、張り詰めた緊張が解けた時こそ、油断というものは生まれるのだ。
検査官の男がスーツを眺める仕草は、まるで店先で服を物色するかのようである。
と、その手が、つい、とスーツへ伸びた。
(げ)
神楽夜は目を丸くした。男はかき分けるようにして奥へ進み入ってくる。これでは間違いなくこちらの存在が露見してしまう。
万事休すか。そう思われた矢先、
「おい」
木箱を調べていたもうひとりの検査官が呼び止めた。
「第九もやられた。招集だ。戻るぞ」
その検査官は片手の親指で外を示し、パイロットスーツを物色する相方へ「行くぞ」と合図を送る。
渋い顔でコンテナを出ようとするふたりに、
「カウボーイですか?」
と、シーカーは気だるそうな顔で尋ねた。
「ああ。あんたも気をつけな。あとは受付で済ませてくれ」
検査官はそれを最後に、急ぎ足で船体後方のハッチへ遠のいていく。その背中に、シーカーは胸を撫で下ろした。
(なんとか……)
なったか。と思いきや、スーツを物欲しそうに眺めていたほうの検査官が立ち止まり、振り向いた。
途端、シーカーの表情が引きつる。まさかここで気づかれたか。
すると検査官は力強く親指を立ててみせ、
「あのデザイン、イカしてる」
念押しするようにそう告げ、満足げに去って行った。それをシーカーは、
「サ、サンキュー……」
と、死んだ笑顔で見送った。
結局、それからヴェントゥスが再発進するまで小一時間はかかった。
いくら不法入国がほとんどない日本海側の港といっても、やはり連合の関所であることに変わりはない。手続きに時間を要するのは想定の範囲内だ。
その間、シーカーの言いつけどおりパイロットスーツのなかで息を潜めていた神楽夜たちは、艦が動き出す揺れを感じてからコンテナを出た。
ようやく新鮮な空気を吸える。神楽夜は清々した顔で筋を伸ばした。
朔夜もさぞ大変だったことだろう。ここは優しい姉として気遣ってやらねばなるまい。
自分に遅れてコンテナを出てきた弟に、神楽夜は意気揚々と振り返った。
が、
(ん?)
様子がおかしい。朔夜は腕をうしろにまわし、たどたどしい足取りで、なにやらくねくねと歩いてくる。
「どうしたの、サク?」
訊けば、
「……痛いんだよ」
「なにが」
「おしりが!」
弟は姉の無神経さに怒りを爆発させた。
パイロットスーツのなかで足がつかない以上、尻の割れ目で全体重を支えるしかない。そんな状態でも、朔夜は見つかるまいと懸命に耐えた。懸命にだ。少しでも動けば一巻の終わりという状況でそれをやり遂げたのは、褒められこそすれ、笑われる道理はない。名誉の負傷である。
それは姉もよくわかっている。わかっているからこそ、こうしてくつくつと込み上げるものを堪えるのだが。
「もういいよ!」
火に油だったようだ。
朔夜は患部への刺激を極力避けるように、のっしのっしと蟹股で行ってしまう。その珍妙な動きに姉は、
「ごめんて」
と、まったく悪びれた様子もなく言い、あとに続こうとした。
直後、
(あ)
不意に足を止め、その場でくるりと向きを変える。そのままコンテナへ歩み寄ると、今度こそかっちり扉を閉めた。




