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第二話「決意の証憑」②

 上空からだとまるで赤い(やじり)にも見える(ふね)が一隻、日本海を大陸に向かって北上していた。

 キャビンクルーザーに近い外観をしたそれは、正面から見ればVの字に見える船底の両脇に、水上飛行機のような足を伸ばし、海面から数十メートル上を低空飛行する。

 しかしクルーザーといいながら、その大きさは桁違いに巨大だ。一般的に船舶の後方部分は「スターン」というのだが、この艦は「スターン」に行くほど幅広になる造りをしている。その理由は、船体の大半を占める格納庫の存在にあった。

 船体のうしろ半分を占める格納庫は、八メートル前後が標準であるグスタフを二機搭載してなお余りある広さだ。いまやそこに鎧武者のごときグスタフ<アームド・ゼルク>が横たわり、空いた空間を錆ついたコンテナが埋め尽くしている。

 彩度の低い赤や緑の色をしたそのコンテナには、乗艦する三人の一か月分の食料のほか、輸送業を営む船主らしい、さまざまな物品が収められていた。

 そこからまた船体外部へ視点を戻すと、前述の「スターン」に、まるでスポーツカーを思わせるウイングが見て取れる。甲板後方の(きわ)に設けられたそれは、速度が売りであることを暗に示すかのようだ。

 燦燦(さんさん)と降り注ぐ陽光をスポーティな赤い船体に白く反射させ、艦は行く。その風貌に違わず、艦は格納庫が満載であっても時速六百五十キロ、最大で時速七百キロまで達することができる。

「それだけじゃあない」

 船主たるぼさぼさ頭の男が語り口にいよいよ熱を込め、本格的に速度の話に取り掛かろうとした時だった。操縦する彼から二列うしろの席で、神楽夜(かぐや)は拳が入るくらいの大あくびを披露した。

 しかし、この男の言説は止まることを知らない。

「おいおい。聞いたら驚くぜ? 大気圏だって突破できるんだ。いまは通常航行で速度は出ない。いや、出しにくい、か。とにかく、形態を変えれば、旅客機なんざ軽く追い抜ける。だからこの艦の名は」

 そこで男の気勢は最高潮に達した。あとはお決まりの文句を言うだけである。

 が、

「ヴェントゥス。その意味は風。さっきも聞きましたよ」

 なんと慈悲のかけらもなく食い気味に、かつ、呆れた調子で、神楽夜は話の要所を持って行く。

 そんな風に先手を打たれたシーカーは、不服そうな目をバックミラー越しにやり、

「わかんないかねえ」

 と、やや嘲るようにぼやいて、目を前方へと戻した。

 だいたい、会って間もない他人のロマンなぞわかるはずもない。ただ、それだけの性能を持つ艦だというならば、ひとつ疑問が湧き上がる。

「なんで宇宙から行かないんですか?」

 姉の隣に座した朔夜(さくや)が、前列の背もたれから頭を覗かせ、そう()いた。

 少年が指摘したのは、なぜ準軌道飛行で行かないのか、ということである。大気圏を突破できるなら、高度百キロメートル付近まで上昇し、衛星軌道に入ることなく地上へ降下するほうが早く着ける、と言っているのだ。

 その際、艦は放物線を描くような軌道を取る。ゆえに弾道飛行とも、あるいは準軌道の名のとおりサブオービタル飛行とも称される。その早さは、航空機のように高度一万メートルを行く場合で七時間かかるところを、およそ三十分で移動できるほどだ。鍾馗(しょうき)から、ロンドンまで向かうよう仰せつかった一行が使わない手はない。

 ところで、なぜ朔夜がこのような問いを投げかけられたかというと、原因はあの大男にある。御剣(みつるぎ)麟寺(りんじ)だ。日本に宇宙へ上がる設備があることを、この少年は知らされているのだ。

 すべては、男児が抱くロマンを応援したいがためであった。

 長大なレールに置いた物体を電磁気力で打ち放ち、宇宙へ飛び立つ補助をする設備、<マスドライバー>。建造に莫大な予算と労力がかかるそれは、地球連合ですら保有数と所在地を秘匿するような戦略的に重要な拠点である。無論、日本においても最重要機密のひとつだ。

 もし小国・日本にそれを有するだけの技術力があると知られれば、一度は併合政策の波を落ち着かせた連合も、また圧を強めてくるに違いない。

 その考えから機密としているにもかかわらず、あの大男は、朔夜を孫同然に愛でるあまり、あれやこれやといらぬ入れ知恵をしていたのである。万が一にも露見すれば、厳格なる翳祇(かげるぎ)鍾馗の憤怒は免れまい。おそらくは国を分かつ死闘となろう。

 さて話を戻すと、準軌道飛行を取らないことには理由がある。

「連合もそうだが、レジデンスの目がなあ」

 シーカーが面倒くさそうに言うように、地球には複数の組織による監視の目があるのだ。地球の実質的支配者である<地球連合>と、宇宙に建造した巨大な施設群に住み、そこで経済をまわす<レジデンス>である。

 一般的に地球と宇宙の境目は約百キロメートル上空、いわゆる<カーマン・ライン>だとされているが、両陣営が特に監視の目を厳しくするのがそこだ。

 ひとたび日本から宇宙へ向けて飛翔体を打ち出せば、その監視網に引っかかる。さきのとおりマスドライバーの存在を公にできず、ましてや、これから世界を股にかけて人探しをする日本にとって、目をつけられるだけでいいことはひとつもない。

 それはシーカーもわかっている。されど、この運び屋の男は、愛機の性能を存分に発揮できないことが相当不服であったらしい。

「ま、そんなことしなくても、このヴェントゥスなら最高時速七百キロ、モードを変えれば――」

 そんな具合でねちねちと語り部を再開した。

(またはじまったよ……)

 神楽夜は恥じることなく大口を開け退屈を表す。

 日本を出て約二時間、彼はずっとこんな調子なのだ。推進器がどうだの、スタビライザーがどうだの、しまいに航空力学的うんちくを垂れ流されては、食う寝るが生き甲斐の格闘技馬鹿な小娘にしてみれば、退屈極まりないことこの上ない。

 それでもシーカーのヴェントゥスにかける情熱は充分伝わり、無下には扱わない神楽夜である。男もそれに免じて、

(ま、子供にはわからんか)

 と、あくびのことは水に流すと決めていた。

 ちなみに、車でもないのになぜバックミラーがついているのか、ということに関しては、

「うしろ見る必要ないのに、なんでバックミラーついてるんですか?」

 と、日本を出立する際に、朔夜の無垢なる問いを受けている。

 これはいわずもがな、無防備に背中を晒さないようにするためだ。

 シーカーが扱うのは、なにも物だけというわけではない。今回のように人を運ぶこともある。そこから漏れいずる情報もまた、彼の貴重な商売道具のひとつなのである。

 そのためヴェントゥスの内装は、一般的な輸送艦と趣を異にする。いま彼らがいるブリッジもそうだ。

 艦橋(ブリッジ)とは、(ふね)の操縦などを行う場所のことである。ヴェントゥスのそれには操縦席を除いて八つの座席が設けられている。操縦席の左隣にひとり掛けがひとつ、そのうしろの列にふたり掛けが左右ひと組ずつ、さらにそのうしろの列、正面に向かって右側にふたり掛け、左側にひとり掛けの計八つだ。座席は壁に沿って配置され、間に大人が悠々とすれ違える通路を挟む。神楽夜ら姉弟が座しているのは、この最後列のふたり掛けになる。

 胡桃色の革張りで、白いステッチが縁取るようにして流れる座席たちは、壁の優しい亜麻色やカフェラテに似た色合いの床によく調和する。

 またブリッジ内部は、後方にかけて広くなる扇状をしていて、前方から劇場のように段がつき、わずかだが出入口に行くほど高さが増す造りである。

 そして、その座席からいま望めるのが、視界の彼方まで広がる青々とした日本海だ。ブリッジ内に段がついている理由がこれである。ブリッジ前方から側面に至るまでガラス張りとなっているからこその絶景を、乗客にあますことなく楽しんでもらうための心配りだ。

 とはいえ、そこには下心もある。さきにも述べたように、この男の商材のひとつは情報だ。

 口の軽い者は見栄を張りたがると、彼はこの稼業で学んだ。極上のシートに身を預け、シャンパンでも片手に優雅な空旅としゃれこめば、さもしい人間なら人の格すら上がったように錯覚するだろう。それでうっかり口を滑らせる。

 特に今回の客は、他国から国交を絶たれたあの日本からであるだけに、シーカーとしても期待値が高い。見たところ垢抜けない餓鬼のようであるし、いったいどんな国内事情を漏らしてくれるのか、男は耳を大きくしていた。

 だが、

「姉ちゃん、あくびしすぎ」

 この姉弟には無意味だった。

「いいじゃん。昨日眠れなかったんだって。ところでさ、ロンドンってどこ?」

 まだ着かないのか、とでも言いたげな物言いに、

(おいおい!)

 ロンドンも知らないのか、とシーカーは喉元に出かかった言葉を飲み込んだ。相手は客である。努めて冷静に案内せねばなるまい。

「アルカン領だ。ロンドンってのは、昔のイギリスの首都さ」

「アルカンリョウ?」

 訊き返す神楽夜に、シーカーは確信した。

(こいつ、馬鹿か)

 とぼけているだけだと思ったが、これは本物だ。浅学にもほどがある。

(いったいいくつだ)

 続けて心中に毒づいた。

「ケイン・アルカンのだよ。連合の。ヨーロッパの西側になる。わかる? ヨーロッパ」

 図らずも嫌みを含んだ言い方になったが、

「サク、知ってる?」

 他人の悪意に触れたことのないこの娘には難しかった。

 話を振られた朔夜は答える。

「ユーラシア大陸の西側、ドイツとかフランスがあった場所だよ。昨日、じいちゃんから聞いたでしょ」

「そうだっけ。なんか、お金持ちのお嬢様んとこ行くんだよね?」

 続く神楽夜のとぼけ振りに、シーカーはたまらず、

「レジーナ・シスルだ。シスル財閥っていやあ、連合に物申せるくらいイカれた金持ちだよ」

 と、もはや呆れ顔も隠さず補足を入れた。

 軍需産業で巨大な富を成したシスル財閥。鍾馗(しょうき)の話では、その当主の令嬢が、神楽夜らの養父と接触した最後の人物らしかった。

 本当に見つける気があるのか。後部座席のやり取りに、シーカーは人知れず嘆息する。

 威武(いぶ)灯弥(とうや)。この男を探すことがどういう意味を持つのか、シーカーは知っている。

(それにしても、俺が子供のお守りとはねえ)

 嘆息ついでに笑みがこぼれた。しかし、状況は笑えたものではない。

 地球を統治する<連合>。宇宙に建設した居住施設による共同体<レジデンス>。その両方から断交を突きつけられた日本が、いま、世界に名を轟かせた男を探している。それも秘密裏に、だ。

 仮に灯弥(とうや)を探していることが知られれば、おそらく日本は国としての体裁を保てなくなる。それだけでなく、百年近く続く連合とレジデンスの冷戦に(くさび)を打ち込みかねない。

 リスクしかない。それでも探そうとするあたり、いよいよ進退が(きわ)まったのだろう。

 そこまで考えた時、シーカーの脳裏にある者の姿がよみがえった。

(あの男……)

 鍾馗(しょうき)のことである。

 城内の応接間で仕事の説明を受ける際、シーカーは彼の存在を意識するのに難儀した。というのも、その姿が視界から外れた途端、まったくというほど気配を感じられなかったのである。

 こちらが書類に目を通す間、鍾馗が窓際へ歩み寄った時、それは顕著になった。自分の斜めうしろ、部屋のそこにいるはずなのに、足音も、衣擦れの音すらも、消えてなくなった気がしたのだ。

 もしその存在に気づく時があるとすれば、それは己の首が落ちた時。そう思わせる気色の悪い体験に、

(明日は我が身か)

 と、シーカーはいま一度表情を曇らせる。

 裏社会で運び屋を営む以上、危険な橋は渡り慣れている。逃げ足ならば自信がある男だが、されど、鍾馗(あれ)を撒くのは容易ではないと勘がいう。

(そうなったとして、どうやって逃げるかねえ)

 思案に耽ると口が寂しくなるものだ。彼は操縦桿(そうじゅうかん)から放した右手をリネンシャツの胸ポケットに向ける。

 そして、そこに収められたシガレットの箱に指をかけたところで、

「そろそろ隠れてくれませんかねえ」

 と、バックミラーの神楽夜たちに言った。

 艦の前方には、目的のウラジオストク港が見えてきている。日本から連合領内に入るには、玄関口となる港を避けて通ることはできないが、無論、渡航は許可されていない。

 そんな状況ではあるが、人間ふたりをロンドンまで非合法に運ぶことなど、シーカーにとっては朝飯前だ。そういった抜け道に詳しいからこそ、この男が招かれたのである。

 神楽夜は男の呼びかけに身を硬くすると、

(するんだ、密入国)

 と昨日覚えたばかりの言葉を胸中に漏らした。

 弟を連れ立って出口へ向かう彼女の背に、シーカーは念を押す。

「朝言ったとおり、四番のコンテナだからな。(ふね)がもう一度動きだすまで、絶対に物音を立てるんじゃない。OK?」

「オ、オッケー……」

 ぎこちない返事を残し、不安げに出ていく姉の有様に、朔夜は昨日の自分を重ね、しめしめと笑いながらあとに続いた。

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