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いやあ。
お嬢様って、すごいわ。
お仕着せ着るのになんでこんなに時間がかかるんだろう。
それでも繰り返しで慣れてもらうしかないので自分で着てもらい、髪は私が整えてあげた。
まだ幾人か使用人もいて、料理人も、経理担当も、メイドも数人いる。それもいつまでかわからない。
うちから一緒に王都に行ったメイドのナタリは王都に来てすぐに寿退職したらしい。あの疫病神を上手に利用したパターンだ。
お湯を分けてもらい、朝の洗顔用のお湯を用意する。熱すぎず、冷たすぎず。
「ちゃんと手で温度を確認してね」
恐る恐るピッチャーに手をやるその仕草。今まで温度確認してなかったんだね…。
「移し替えると少し温度が下がるから、その辺も計算して…」
「いつもこうやって準備してもらってたのね」
かつては自分が使っていただろう洗面器をじっと見つめながら、うるうると目を潤ませ始めたエリーゼさんに、
「そうそう。ありがたみがわかるでしょ? それ、大事だから。泣いてる暇ないよ。タオルの場所わかる?」
ワゴンに洗面器にお湯の入ったピッチャー、タオルを乗せて、私は元義母のところへ、エリーゼさんは元義姉デボラのところへ。
元義母が無言で顔を洗い終えた時、隣の部屋から大きな音がした。
ワゴンを引いて、すぐに隣の部屋に行くと、デボラが洗面器をひっくり返して怒っていた。
「バラのオイルを入れてって何度言ったらわかるのよ!」
「オイルなんて、もう、ないです」
「おまえが隠し持ってるでしょ! 出しなさいよ」
「本当に、ないんです。本当に。う、うう、ううう、」
「泣くんじゃないわよ、うっとおしいわね」
出た。デボラの好きな、なんちゃらオイル。王都に行ってから流行り出した奴。もう豚の脂でも入れとけばいいんじゃない、と思えど、
「ないなら、お金をいただけたら買ってきますけど?」
そう言うと、デボラはギロッと睨んできた。デボラはお金を出せ、と言われるのが嫌いなのだ。自身はお金を持ったことがなく、お金がいるとなると自分の大好きな物を奪われると思っている。
エリーゼさんに代わりのお湯を持ってくるように言って、水浸しになった絨毯を掃除し、
「次、ひっくり返したら、水で洗顔してくださいね」
と言うと、つぎはオイルなしでも黙って洗っていた。
続いてお食事の準備。作ってもらった物を配膳し、後ろで立っているだけ。
エリーゼさんもさすがにカトラリーの置き方は知っている。今までは使う方だったけど。
終われば掃除。モップで床をこすり、手の触れるところを布や油で磨き上げる。初めはもたついていたけれど、やり方を覚えると少し自信を持ったようだった。
出入りの商人も来なくなったと聞き、翌日、お金をいただいてローズオイルを買いに街に出た。目当ての物を手に入れ、帰ろうとした時、店の前に身なりのいい男の人が立っていた。何となく見たことがあるような気がしつつ、横を通り抜けようとすると、
「失礼。クロフォード家のメイドの方では?」
と声をかけられた。
私の家名を知ってる。だけどメイド…? 足を止めてじっと見ると、少し笑って
「シンシア・クロフォード嬢ですね。コーンウェル家の執事をしていました、ダリルと申します。一度お会いしていますが、覚えていますか?」
コーンウェル家の執事、と言われてようやく思い出した。アレックス・コーンウェル氏が怪我をして我が家でお世話をしていた時に、うちまで迎えに来たあの執事だ。
あの時はすぐに元義母に替わり、二回目に来た時も私が対応することはなかった。
ダリルさんに誘われて近くのカフェに移動し、お好きな物を、と言われたのでスコーンとミルクティ、それにお土産用のスコーンをお願いした。
「あの後、あなたがクロフォード家のお嬢さんだとわかり、あなたもコーンウェル家に来ると思っていたのですが、実家から離れたくないとおっしゃったとか。残念でした。あなたがアレックス氏の看病をしていたのはすぐにわかりましたからね」
まあ、真実でもないけど、嘘でもない。
王都に行く気はなかったし、実家から離れるのも嫌だった。でもそんなこと、一言も言ったことはない。元義母が勝手に決めたこと。でも一々説明するのも面倒だったので、
「そうですね」
と答えておいた。そして
「…お聞きになりたいのは、エリーゼさんのこと?」
まどろっこしい会話が面倒で、直球で聞くと、
「ええ、その通り。今のエリーゼの様子を聞かせてもらいたい」
ほう。元執事でありながら、「エリーゼ」と呼んじゃうわけですか。これはこれは、心配なことでしょう。
勝手な推測で態度を軟化させてしまう私。
ご心配であろうエリーゼさんの様子をしっかりと聞かせて差し上げた。もっとも私の情報も一日分程度だけど、それでも充分だったようだ。
執事をしていただけあって、今のあの家が元義母に乗っ取られ、正常な生計は立てられていない事は充分把握できていた。あの人は使うだけの人。借金も返済しないし、借金があろうが目の前のお金を自分のものと思い、取り崩していく。放っておけば借金は増えるものだということさえ知らない。
「あの家で何かあれば連絡を。この店のオーナーにつなぎをつけてもらえるから」
遠くでオーナーがにっこり笑って会釈した。
「図々しくってすみませんが、一つお願いが。うちから来る手紙をここで預かってもらうことできます? あの家に届くと誰が開封するかわからないので」
そう相談すると、ダリルさんはすぐにオーナーの元に行って話をし、OKをもらってくれた。
まだチャールズが王都にいたので、この店の住所を伝え、今後の連絡はお店にしてもらうことで落ち着いた。
「ちゃんとみんなにお土産買った?」
「あ、忘れてた」
まさかお土産代、遊びにつぎ込んでないよね。…給料、さっ引くぞ。
家に戻り、仕事が落ち着いてからエリーゼさんの部屋に行き、お土産のスコーンを渡した。
「今日、街でダリルさんって人に会ったんだけど、エリーゼさんのこと、とても心配してたよ」
と伝えると、
「ダリルが? 元気にしてた?」
と、ぱっと笑顔を見せた。いい反応。二人はラブラブだったのかな。執事が婚約者ってのも商家ならなくもない。
「元気そうだったよ。このお土産もダリルさんから。…エリーゼさんは家の外には出ないの?」
ふと聞いてみると、エリーゼさんは少し俯いて、
「侍女を連れずに家から出たことないから…」
と、箱入りぶりを披露した。
機会があれば、買い物ついでに連れ出してみるのもいいかもしれない。…あの元義母が文句を言わなければ。でもこのままだと使用人はどんどんいなくなり、エリーゼさんが買い物に行かなければいけなくなる日も遠くない。うちみたいに裏で野菜を育てたり、鶏や豚を飼ったりはしていないから、食べ物だって仕入れの業者が来なくなれば自分たちで確保するしかない。
この子にできるかな…。コーンウェル氏も、もう少し娘さんを鍛えておけば良かったものを。