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買い物をして街から帰る途中、見かけない馬が歩いていた。
手綱をぶら下げていながら、人が乗っていない。結構立派な馬だ。
乗っていた荷馬車を止め、馬の方に行くと、馬は私を誘うようにその道の先へと案内していく。
そう行かないうちに、草むらに倒れている人を見つけた。
驚いて駆け寄ると、その人は額から血を流し、意識がもうろうとしていた。
何とか肩を貸して荷馬車に乗せ、家まで連れ帰ると、客室のベッドに寝かせ、傷を手当てした。客室はずいぶん長い間使われず、多少ほこりっぽいことは容赦いただかなくては。
少し熱もあるようだった。具合が悪いのに馬に乗り、落馬したのかもしれない。
通りすがりの怪我人を連れ込んだことに気がついた義母が、
「そんなどこの誰かもわからないのを連れ込んで。全く不潔だわ」
と言って睨んできたけれど、
「怪我が治るまでいいでしょう? 私が面倒見ますから。」
そう言って押し通した。
二日ほど熱が下がらなかったけれど、三日目ようやく容体も落ち着き、四日後には食事も取れるようになっていた。
父より少し年上に見えたその人は、アレックス・コーンウェルと名乗った。
コーンウェルといえば、王都にある大きな商家の名前だ。きっとご家族の方も探しているに違いないと思い、街に行くと、案の定探し人のビラが出ていた。
すぐに書かれていた連絡先を訪ねると、仕立ての良い黒いスーツに身をまとった若い男性が応対し、事情を話すとすぐにうちまで迎えに来る、と言った。テキパキと指示をする姿から、執事のように思えた。
立派な馬車が入ってきたのを見て何か感づいたのだろう。お迎えの人を部屋まで案内すると、あれほどまで不潔と嫌がっていた義母が、コーンウェル氏のベッドの横に椅子を置いて座っていた。端から見ればかいがいしく世話をしているかのように見える。
私が身なりのいい男の人を連れて来たことを冷静に観察しながら、
「あら、シンディ、お客様かしら。…ご苦労だったわね」
と言いながら目で引っ込めと合図してきた。ここからは、義母が仕切るのだろう。
私は頭を下げて、後ろに下がった。
まるで、義母に言われて迎えに行ったようだ。
同行していたお医者様が様子を見て、街中のホテルに移動するにももう少し安静を保ったほうがいいと言い、もうしばらく我が家でお世話することになった。
あの義母が、
「喜んでお世話させていただきますわ」
と言ったのには耳を疑った。いつの間にか部屋に来ていた義姉も大きく頷き、
「私とお母様に任せてください」
と口をそろえる。もちろん、口だけなのはわかってるけど。
義母と義姉が来客を見送り、姿が見えなくなると、義母は私を呼びつけ、わざわざ客室に同行させて
「では、また来ますわね。あとはなにかあればこの子にお申し付けください」
そう言うと、自分の部屋に戻っていった。
家のことを片付けながら時々様子を見に行き、お暇そうにしている時はお話相手になった。
コーンウェル氏は近くの街に商用で来ていて、少し体調が悪かったにもかかわらず馬の散歩に出かけ、何かに驚いた馬が急に二本足で立ち上がった時、体勢が取れず、落馬してしまったのだそうだ。
義母が変なことを話したみたいで、父が亡くなり、我が家が困窮していることに同情を寄せられた。
「お金は使えば減るものですから、仕方ないです」
気がつけば、そんなことを口にしていた。
食事に出した食器が東国の珍しい物であることをご存知だった。価値を知らない義母と義姉が気がついていないのをいいことに棚にそのままにしていて、いくつかは怒りのままに投げられ、割られてしまったけど、思えばこれも金になると知られれば売られてしまうだろう。それこそはした金で…。隠しておいてもよかったんだけど、もう食器も底をつきそうだった。
「家の者には内緒にしてくださいね」
コーンウェル氏は何かを察したのか、笑って頷いた。
翌朝、朝食を終えるとまた義母が客室に現れ、私に出て行くよう指示をした。私もすることがいっぱいあったので、例え短時間でも義母や義姉が見ていてくれれば安心だった。聖母のような笑顔で接する義母と、不慣れなしぐさで一生懸命感を出している義姉を見て、二人の役者っぷりに感心せずにはいられなかった。まあ一時間もせずに飽きてまた呼び出されてしまったけど。
三日後、コーンウェル氏は近くの街のホテルへと移動した。
大変世話になったと礼を言われ、その後しばらく療養を経て無事王都に戻られたそうだ。
しばらくしてから、コーンウェル家から礼状が届き、お礼を兼ねて我が家に援助の申し出があった。どんなに援助をしてもらっても義母と義姉に渡れば無駄遣いをして終わってしまう。ありがたいけれど、もったいない申し出だと思わずにはいられなかった。けれど、実際の援助は現金は少しで、建物の修繕や物資が主だった。
義母は
「気が利かないわね」
と怒っていたけれど、食材は豊かになり、私の他にメイドをもう一人雇えるようになって機嫌を良くした。
数ヶ月後、我が家に王都行きのお誘いがあった。
コーンウェル家から馬車が出され、義母と義姉は喜んで乗り込んだ。
世話役に同行したのはメイドのナタリで、当然私は留守番。まあ、あの二人と同じ馬車に乗り込んで王都まで我慢するなんて、お互いにとって良くないだろう。
二人がいない三週間、掃除も洗濯も適当にして、久々に読書三昧。鶏が産んだ卵も独り占めして、ああ、こんな生活もいいな、と思った。
もうお嬢様ではないけれど。一緒にいてくれる人はいないけれど。
驚いたことに、それからちょくちょく二人は王都に呼ばれていた。そのたびに持ち物は豪華になり、服も新調され、お土産に持ち帰る物もあったけれど、食材と化粧品以外は私には目に触れることもなかった。
そして、一年ほどが過ぎたある日。
「これでこんな田舎とはおさらばだわ!」
そう言って、義母も義姉も自分たちの荷物をまとめ始めた。
「どこかに行かれるんですか?」
「あなたには関係ないわ。あなたはこのクロフォード家を継ぐんですものね。あなたがそうしたいというのだから、尊重するわ」
そう言って、義母が取り出したのは、何と、アレックス・コーンウェル氏との結婚証明書、そしてクロフォード家からの離籍証明書だった。
この義母が王都へ頻繁に行くようになったのは、コーンウェル氏に気に入られたからだったのか…。
確かに、年を感じさせない若々しさと美しさ。きつい顔も見方を変えればクールな美人と言えなくもない。
父を虜にし、あのコーンウェル氏も手中に収めるとは。恐るべし。その手腕に感心してしまった。
「こんな借金だらけの家でも、あなたには大事でしょう? せいぜい大切になさって」
「ねえ、お母様。新しい義妹のエリーゼは、シンディとは違ってとってもかわいくって、仲良くなれそうだわ」
「そうね、どこかのメイドと違って大事な妹だもの。可愛がっておあげなさい」
わざわざ嫌味を言い残し、あっという間に荷物を片付けると、義母と義姉はメイドのナタリを連れてあっさりといなくなってしまった。
あまりにもあっけなく、玄関先でただ驚いていた。
これを朗報と言わずして、何としよう。
金持ちの義父? そんなものいらない、いらない。
あの義母と義姉から縁が切れ、我が家には私一人。もうこき使われることもなく、自分のために生きていける。こんな嬉しいことはない。
持てるだけの物を持って行き、何も残っていない義母と義姉の部屋は簡単に片付いた。
昔使っていた自分の部屋に自分の物を戻し、隠していた本を父の使っていた書斎や私の部屋に運び込んだ。
義母が来る前に地下室にしまわれていた母の持ち物も義母に見つかることなく隠し通せたので、そのうちの一部を売り払い、まずは借金返済。担保になっていた土地からの収入も入るようになった。
まるで疫病神が出て行ったかのように我が家の家計は回り出した。
私一人なら、贅沢をしなければ充分暮らしていける。そのレベルから、やがてメイドも料理人も雇えるようになった。じいやが知り合いの執事を紹介してくれて、この人がまた優秀で、実用的な農機具を導入したり、用水路の補修を検討してくれたり、そうなってくると本ばかり読んでいるわけにはいかなかったけれど、家を乗っ取られ、人が作った借金に苦しめられ、掃除、洗濯、人の世話で暮らしていたあの頃に比べると、充実した毎日を過ごすようになっていた。
アレックス・コーンウェル氏。
愚母愚姉…、いや義母義姉をひきとってくれて、ありがとう。
あなたの人を見る目のなさに、感謝します。
あなたを助けて良かった。