ラジヲのノイズ
ザザ、ピュー、ザザザ……
(ん、あれ……電波が悪くなったのかな?)
年代物の卓上ラジオからノイズだけが聞える。
私は作業の手を止めて、ラジオに手を伸ばした。
テレビは苦手だし、音楽だけを流すのは好きじゃない。
そういう意味で音量を抑えて流すラジオは作業のBGMして私にはうってつけだった。
一人暮らしの我が家だ、一日中ラジオを鳴らしていて文句を言う人もいないことからつけっぱなしなこともよくある話。
「あれえ、おかしいな……壊れたわけじゃなさそうだけど……」
普段よく聞くFMチャンネルに合わせっぱなしだし、つい二時間ほど前には綺麗に音声が入っていたはずだ。
それなのにまったく音を拾わず雑音ばかり垂れ流すようになってしまったラジオに、私は苦笑する。
やはり中古品だからだめだったのだろうか、ケチったせいか。
だとすれば最終的には自分のせいだな、と苦笑する。
FMチャンネルが全滅だったので、念のためAMに切り替えて試してみる。
するとノイズ混じりに女性の声が聞こえて、ホッとした。
今日はまだ作業が残っているし、夜になると酷くシンと静まりかえった部屋はなんだか不気味で寂しさを覚えてしまうからラジオがないと困るのだ。
スマホで誰かと電話したりしてもいいのだが、Wi-Fiを繋いでいない我が家としては料金が気になるところでもある。
(いい加減、ポケットWi-Fi契約するかな)
在宅仕事の内容からインターネットだけ繋いでいればいいと思ってはいるものの、色々と引っ越しで物入りとなって仕事に使うパソコンですら型落ち中古のノートパソコンだ、機能だって最低限で容量もいっぱいいっぱいときたものである。
前職を勢いで退職したツケがここにきたと言えばわかりやすいだろうか?
碌な貯蓄もない上に薄給だった仕事を辞めた私としては、もうあまりお金がないのだ。
それでも仕事はしなければならないし、昔取った杵柄ということで幸いにも在宅ワークを得ることができた。お給料は雀の涙だが。
今やっている仕事のお給金をもらったらせめてパソコンを買い換えないとな……と思いつつラジオから聞えてくる女性の声が僅かに明瞭になったことからなんとなく、それに耳を傾けた。
どうやら、とある女性の恋愛相談をしているようだ。
ブツブツと音は途切れるし、ノイズが混じるせいで正確なところはわからない。
結婚を意識している相手がいて、でもその人が浮気をしているらしい。
信じたくないが後輩がそう言った。
でも信じたくなくて後輩に酷いことを言ってしまった。
まあ、要約するとそんな感じらしい。
(……似たような話って転がってるもんなんだなあ)
ブツブツ途切れるその内容に、私は目を閉じる。
私が前職を辞める気になったのは、まさしくその内容にそっくりのことがあったからだ。
その話の中で言えば、後輩が私になる。
お世話になった先輩が、同じ部署の男性と婚約したがその男が受付嬢と浮気していて、それを見た私が先輩に報告――先輩は私が嘘を吐いていると糾弾した。
おかげで私は部の雰囲気を乱したとして左遷、先輩は結婚を機に退職して夫と共に別の県へと移動した。
まあ、ここまでだけなら良かった。良くはないけど。
閑職に回された私はそれでも生活するためにそこで地道に働いていた。
そんな中に聞かされたのが、先輩の訃報である。
なんでも、赴任先で他の浮気相手の女性から刺されたそうだ。
しかも運が悪いことに、何度も刺されたせいで長期入院した挙げ句に亡くなられて、その間も夫の方は更に別の女がいたらしく慰謝料を請求されて家計は気づけば借金だらけだったとか。
そしてそれを面白おかしく話してくる同僚がいて『もっと君がきちんと引き留めてあげたら彼女は死ななかったかもしれないのにねえ?』なんて毎日言われたら頭もおかしくなるって話でしょ……。
先輩のお葬式には、行かなかった。
なんとなく、同僚の言葉が頭から離れなくて行けなかった。
(先輩も、同じように思ったのかな)
私は先輩に不幸になってほしくなくて、それで言葉を選んで伝えたはずだった。
最初は気のせいだと笑った先輩に、確かめてくれと何度もお願いした。
段々とその言葉にいい加減にしてくれと強く返されるようになって、確認だけでもと言ったのがいけなかったのかもしれない。
だけど、じゃあ、強く訴えるってどうしたらよかったんだろうか?
今となってはわからない。
はー。
自分から漏れたため息が、酷く部屋の中に響いた気がした。
(……仕事しよ)
先輩のことを思い出して気分が落ち込んだけど、私が落ち込んだところで先輩が生き返るわけでもない。
元凶である先輩の夫が見つかるわけでもないし……いや見つかったところで私には無関係なのだ。
またノイズが聞こえた。
『―― あな が り た さない ――』
ノイズに混じって聞こえたのは、それまで聞えていたパーソナリティの声でもなかった。
記憶の中にある、先輩の声だ。
「え」
ハッとしてラジオを見たが、ブツ、ブツ、と音がしてまたしばらくすると途切れ途切れにパーソナリティの声がした。
壊れたわけではなかったらしいが、先ほどのは何だったのだろうか。
わからないまま、ただ私は呆然とするしかなかった。
「……疲れてるのかな……今日は早めに休もう」
ノートパソコンを閉じて、寝ることにした。
夢でくらい、先輩に謝れたらいいのになと仕事を辞める前には思っていたがそれが成功したためしがない。
最近じゃあ思い出すことも減っていたので、さきほどのラジオのせいできっと気が滅入ったんだろう。
私はそう思うことにした。
――そう、思ったはずだった。
久しぶりに夢を見たのだ。
それは、私が今のようにテレビが苦手でラジオを聞くでもなくただ流すだけだと言うのを笑われても、先輩はいいじゃないと笑ってくれた、そんな懐かしい頃だ。
先輩はよく笑う人で、私はそんな先輩が好きだった。
人付き合いが苦手で部署でも馴染めない私は、先輩が朗らかに笑っている姿を見るのが好きだった。そこだけ日だまりみたいで、特に会話しなくても先輩が笑ってるなと思うだけで仕事も乗り切れた。
今にして思えばそれは依存だったのかなと思わなくもないけど、とにかく私は先輩が好きだったし尊敬していた。
だから幸せになってほしかった。
夢の中で先輩はあの男と手を繋ぎ、ドンドン遠くへ行ってしまう。
ああ、引き留めなくちゃ。今なら間に合うのに。
そう思って手を伸ばすのに私の足はピクリとも動かなくて、声も出せずに先輩は遠のいて、明るかった世界は途端に消えた。
暗闇に一人取り残された私の耳に、ラジオのノイズが聞えてくる。
もう私の世界にはノイズしかなくて、ピューピューガーガーうるさくて、自分の耳を塞いでその場にしゃがみ込むことしかできない。
(なんでよ、なんでよ、なんでよ!!)
コレは夢だ。
夢だってわかっているのに、ままならない。
夢ならもっと良い物を見せてくれたっていいのに。
―― あな た が しっか り 言えば た 許 ない ――
「違う! 違う! 私はちゃんと言った! でも先輩が恋人を信じるって言ったんだ!!」
―― あな たがしっかり言えば わたし は助かった のに 許 さな い ――
段々と明瞭に聞えてくるその声は、先輩が私を責める声だった。
どろりとした何かが目を、耳を塞ぐ私にまとわりついた。
知りたくないのにその感触を確かめようとする体はゆっくりと目を開き、私の目の前には血まみれで生気のない、そして原型も留めていないようなナニカがにたりと笑う姿が見えた。
それでも私は思わず言っていた。
「先輩、どうして――」
ハッとする。
見慣れた天井だった。
暗がりの中で、ラジオのノイズだけが聞える。つけっぱなしで寝てしまったようだ。
外はもう明るい。
ぐっすり寝ていたようなのに、体はだるかった。
変な夢を見たせいだろう。
(……ラジオつけっぱなしなのが悪かったんだな)
あんなノイズだらけの音を流しっぱなしじゃあ悪夢だって見るというものだ。
きっともう壊れかけだったのだろう、中古で安かったのだし。
安物買いの銭失いというし、長く使うならもう少し奮発していいものを買うべきかと私は重い腰を上げて伸びをした。
「あ、いけね。今日ゴミの日か……」
今日は月に一度ある不燃ゴミだ。逃すわけにはいかない。
ゴミをまとめて、鏡を見る。
寝たはずなのに目の下のクマは消えていなくて、なんだか滑稽だった。
入れっぱなしでまずくなったコーヒーを飲んで、壊れたラジオを手に取った。
外に行くと、まだ朝も早いからだろうか、あまり人の姿はない。
ゴミを置いて、とっととアパートに戻ろうとしたところですれちがってゴミを捨てに行く人がいた。これから出勤するようだ。
朝もはよからご苦労さん、そう思ったところでふと振り返る。
本当に、何の気なしに振り返ったのだ。
男がゴミを捨てる姿が見えた。
その横顔は、誰かを彷彿とさせる。
もう、面影すら残っていない男が誰かに似ているだなんて、どうして思ったのか。
だが男に縋り付くように、私が捨てたラジオから手が伸びて、あの夢に出てきたどろりとしたナニカが男に抱きついた。
男には見えていないらしい。
目らしきところの空洞からどろりとした液体を零した女の形をしたナニカがこちらを見てにたりと笑った。その口元からまたどろりとなにかが、落ちたのを私は見た。
(せんぱい)
あれは、確かに先輩だった。
そんな私の耳に、微かに聞えてくる声がした。
『あなたが言った通りだね』
そして男にまとわりつくその姿は、言葉にならずとも伝わる気がした。
『愛してるから、許さない』
もしかして、と思う。
私が言わなくても先輩は知っていたんじゃなかろうか。
それでもいいと思ったから、しつこく訴える私に苛立ったんじゃなかろうか。
真相はわからない。
でもあの男は案外私の近くにいたし、先輩は……私が思っていたのとは違うけれど、幸せそうだ。
(もしかして、あのラジオを通して私に幸せ報告してきた?)
なんてね、そう思いたいだけだ。
背筋を伝う汗は恐怖からのものだし、朝っぱらから変な幻覚を見るほど私はもしかして疲れていたのかもしれない。
これは今日も仕事をせずに寝るに限る。
そう思って私は部屋へと急いで戻ったのだった。
そして、静けさに耐えられず今日だけだからとスマホでラジオアプリをDLしてつける。
音楽が流れ出して、パーソナリティの朗らかな声が聞えてホッとする。
「続いてのナンバーはこちら! 『幸せな結婚』!」
おいなんだよタイムリーだな止めてくれと思ってアプリを止めようとタップする。
なのに反応しなくて、私はひゅっと息を呑んだ。
ノイズが聞える。
ザザ、ピュー、ザザザ。
次に聞えてきたのは、パーソナリティの声ではなかった。
「ま た ね?」
それは合成音声みたいな声で、一言ずつ区切られて、それぞれ違う音で。
なんだこれ、と思う暇もなくぶつん、とスマホの画面が消える。
私は布団の中で、じっとりとした汗をかいたまま震える。
またって、なんだよ。
終わりじゃないのか。
コレは本当に先輩なのか。
違ってもそうでも、どうしたらいいんだ。
ラジオを手に入れたら、また聞えるのか。
私の頭の中に駆け巡る疑問に、誰も答えられなかった。
何もないはずの部屋のなかで、ラジオのノイズが聞こえタ気がした。




