第21話 ジン、襲来
さらに翌日。
アラタが山のダンジョンに入り、しばらく経ったころのこと。
「支部長! 補佐官! 大変です!!」
受付担当が、支部長の執務室に飛び込んできた。
「どうしたのですか、ノックもせずに」
「それどころではありません!」
苦い顔で文句を言う支部長に怯むことなく、受付担当はずかずかと入室する。
「黒部刃と鵜川辰義が重警備留置所を脱走しました」
「な――」
「なんだと!? そりゃ本当か!!」
補佐官が大声を上げて立ち上がり、言葉を遮られた支部長はまたも苦い顔をする。
「はい。先ほど連絡が入りました」
「いったい、どうやって……」
「監視映像を確認した職員の報告ですと、隠し持っていたショートソードで牢を無理やり破壊したようです」
「ショートソードだと!? ありえん!!」
「しかも彼の手脚は万全の状態だったと」
「……それこそありえん。あの状態からどうやって回復したってんだ!?」
「まさか、黒いオーブ」
支部長がぼそりと呟く。
「支部長、なんだそりゃ?」
「一部機関でスキルオーブの改良研究がおこなわれているのは、補佐官も知っているでしょう?」
「噂程度にしか聞いたことはないが……そいつは、失った手脚を回復できるほどのシロモノだってのか?」
「ものによっては、とんでもない効果もあると……」
「なんてこった……!」
支部長の言葉に顔をしかめた補佐官は、すぐに表情をあらためて受付担当に向き直った。
「それで、被害状況は?」
「軽傷者5名、重傷者3名、死者1名」
「死者が、出たのか?」
「はい。それが……」
「どうした?」
「死亡したのはあの佐原清なのです」
受付担当が告げた名に、補佐官が眉を上げる。
「それはあれか、鵜川のジジイ関連でマークしていたあのキヨシか」
「はい」
タカシの事件でジンを調査したところ、ヤスタツとの繋がりが見えてきた。
そこでヤスタツの周辺を調べると、どうも彼と繋がっているらしい冒険者が何名も浮上した。
キヨシはその中のひとりで、ギルドがマークしていたのだ。
「彼の出勤日には、必ずこちらの手の者を勤務させていたのですが……」
「出勤日をずらされたか」
「実質アルバイトのようなものですので、当事者同士で交代されると、把握が難しく……」
「ったく、厚労省がイキがって自分らで管理しようとするからこうなる。留置所名乗んなら警察庁を1枚咬ませりゃよかったんだよ」
「ゴホン……!」
補佐官の言葉を窘めるように、支部長がわざとらしい咳をする。
「しかし鵜川元議員絡みとなると、面倒ですね。あの御仁、元労働大臣でいまも厚労省に顔が利くうえ、たしかご子息が現厚労大臣でしたな?」
「おいおい、冒険者ギルドは民間団体だぜ?」
「ですが私が厚労省からの出向ということも、お忘れなく」
「かぁーっ! これだからお役所ってやつは嫌なんだよ!」
「おや、ではこの席に座りますか? 私はいつでもお譲りしますけどね」
「あー、いや、それは勘弁。今後ともよろしくってことで……」
――ビーッ! ビーッ!
そのとき、ギルド内に警報が鳴り響いた。
「おおっと、どうやらジンのお出ましか?」
「留置所を出てからの足取りは掴めていませんでしたが、おそらく」
補佐官の問いかけに、受付担当が答える。
「他に情報は?」
「佐原清の武器が紛失しています。おそらく黒部刃が奪ったのではないかと」
「得物は?」
「ロングソードです」
「……鬼に金棒じゃねぇか」
追加情報に、補佐官がため息をつく。
「支部長、とりあえず俺ぁいきますんで、お上と警察に連絡頼んます」
「わかりました、お気をつけて」
○●○●
Sランクが制定されたのは、いまからおよそ3年前。
Aランク上位の実力者でも、本当にごくわずかの者しか到達できない最高ランクである。
Aランクになりたての冒険者とSランクとの実力差は、3ランク以上の隔たりがあるとまで言われている。
ちょうどそのころ、補佐官は冒険者を引退した。
もし数年早くSランクが導入されていれば、彼もまたそこに名を連ねただろうと言われていた。
「ぐふっ……ごほっ……」
その補佐官が、血まみれで倒れていた。
あちらこちらがひどく破壊されたギルドの様子が、それまでおこなわれた戦闘の激しさを物語っていた。
「んだよ補佐官、期待外れもいいとこだな」
ボロボロになったロングソードを手に、ジンが補佐官を見下ろしながら吐き捨てる。
衣服はズタズタで全身血濡れのジンだが、傷らしい傷は見当たらなかった。
「なぜ、こんなことを……なにが望みなのですか!?」
瀕死の補佐官を抱きかかえながら、受付担当が問いかける。
ギルド内には、もう誰も残っていない。
補佐官とジンが戦い始めた時点で、受付担当をのぞくすべての職員と冒険者が避難していた。
その際に怪我人は出たが、幸い死者はなかった。
「いや、Sランク間違いなしっつー噂の補佐官とガチでやってみたかったってとこかな」
「それだけのことで……!」
「あーでも、そりゃついでだったわ。本命は別にあってよ」
「本命?」
「おう。おっさんはどこだ?」
「おっさん……というのは?」
ジンの問いかけに受付担当が首を傾げると、タツヨシが姿を現す。
「アラタのことだ! アラタはどこにいる!?」
タツヨシはものすごい剣幕で、そう尋ねてきた。
「……冒険者の活動について、職員が情報をもらすわけにはまいりません」
ジンの脅威に震えながらも、受付担当は毅然と答える。
「じゃあいいや。適当に1~2時間町で暴れ回って、また戻ってくるからよ、そんときに気が変わったら教えてくれや」
「ま、待ってください!」
さらりと言って背を向けようとしたジンに、受付担当は縋るように声をかけた。
「おっ、もしかしてもう気が変わった?」
偽情報で攪乱すべきか。
だが、嘘が露見し、ジンの怒りを買えば、市民に犠牲が出るかもしれない。
それは、大問題だ。
冒険者を危険視する市民は意外と多く、毎日のようにどこかしらでギルド廃止のデモが起こっているという。
モンスターも怖いが、それを倒せる冒険者も怖い。
そんな冒険者を統括するギルドは、危険極まりない組織だ。
冒険者によって安全を確保されていながら、そんな身勝手なことを言う市民は多く、そういった声を煽る政治家や活動家には一定の支持があった。
そのせいか、冒険者の命は軽い。
このご時世、あたりまえの価値観だ。
「……S-66ダンジョンです」
市民の安全を優先せざるを得ない、苦渋の選択だった。
「S-66? ああ、山のダンジョンか」
そこでジンはニタリと口の端を上げた。
「ククク……そうか、おっさんはあそこにいんのか」
転移室に向かって歩き始めたジンだったが、すぐに足を止める。
「ああ、そうだ。ついでにアイテム庫のカギ貸してくれや」
ジンはそう言うと、ボロボロになったロングソードを床に捨てた。
アイテム庫とは、納品されたダンジョンのドロップアイテムなどを保管する場所だ。
そこにはモンスターの素材や魔石に加え、高品質なダンジョン産の武具などが置かれている。
「待ってください、さすがに私の一存では」
「そうかい、じゃあ」
ジンがちらりと出入り口を見る。
「待ちなさい」
そこへ別の人物が声を上げた。
執務室へ続く階段から、支部長が降りてくる。
「アイテム庫は、このカードで開けられます」
そう言って、1枚のカードを取り出した。
「支部長!?」
驚く受付担当を、支部長は片手を上げて制した。
「へええ、話がわかるじゃねぇか、支部長」
「その代わり、市民には一切手を出さないと約束してください」
「別にいいぜ。オレぁおっさんをぶった斬れりゃあそれで満足だからよ」
支部長からカードをひったくったジンは、タツヨシとともに奥へ姿を消した。
「支部長、どうして……」
「なに、この支部には大した武具もない。それより、補佐官にこれを」
支部長は青と緑の小瓶を受付担当に渡す。
これだけの重傷を治すとなると、かなり慎重にポーションを使わなければならない。
受付担当は補佐官の状態を注視しながら、なんとか傷を回復できた。
ただ、補佐官は相当消耗していたらしく、意識を取り戻すにはあと少し時間が必要だった。
「どうやら、いきましたか」
そうこうしているうちに、ジンたちが転移室からS-66ダンジョンへ転移したことが確認できた。
「では早急にS-66ダンジョンへの転移箱を停止してください。近隣のギルド支部および自衛隊に連絡し、ダンジョン入口を封鎖。黒部刃、および鵜川辰義を、特別討伐対象に認定するよう、各方面に働きかけます」
支部長はそれだけ言い残し、執務室に戻っていった。
なんとか形を保っていた待合室のソファに補佐官を横たえたあと、受付担当はボロボロになったデスクに戻り、作業を始めた。
ほどなく、その手が止まる。
「どうしたのです? はやく転移箱の停止を」
「ですが……ダンジョンにはアラタさんが……」
ジンに情報を伝えておきながら、身勝手な言い分だとの自覚はあった。
「山のダンジョンは広い。彼らが遭遇するにはかなりの時間がかかるはずです。その前に、増援がくる可能性もあるでしょう」
「そう、ですね……それに、あのふたりは、もう……だとしても、万が一……」
「とにかく、転移箱の停止を実行してください」
受付担当の指が、Enterキーに置かれる。
「アラタさん、ごめんなさい……どうか、ご無事で……!」
彼女は祈るように呟き、転移箱の機能を停止した。