不穏な一日 上
本編開始です。
第一話、上中下構成の上編です。
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初代から数千年後のナルス。
「朱己、俺は……朱己がーー」
「こうちゃん! こうちゃん……っ!」
婚約者である彼は私を遺して逝った。正確には、私が彼の魂の核を砕いて、消滅させた。
「許さない……許さない……!」
彼を陥れ、彼が私のことを裏切るように操った時雨伯父上を、私は必ず見つけなければ。彼の雪辱を果たすために。
滴る涙はやがて視界をぼやけさせ、そこから先の記憶はない。
ーーー
あれから一年の月日が経った。
婚約者光蘭の仇である時雨伯父上の消息は全く掴めないまま、日々が過ぎていくことに苛立ちさえ覚えていた時だった。
部屋の扉を叩きもせず、当たり前のように入ってくる男。
「朱己、見回りに行こうぜ」
「……ああ。もうそんな時間か、わかった」
「おい、お前最近根詰めすぎだぞ」
「問題ない、行こう高能。あと扉を叩け」
あしらうように片手を振りながら立ち上がる。
見回りの時間だと呼ばれて気づくなんて、確かに昔はなかったのに。呼びに来た彼が眉間に皺を寄せたままなのも構わずに、中央の見回りを始めたときだった。
中年の男が小刀を持って全力で走ってくるのが見える。男を睨めば指の一本に至るまで動かせなくなったようで、その場に尻餅をついた。男は大げさに震えながら叫ぶ。
「あんたら……中央の性根の腐った連中を、俺は許さねえ! 生活が苦しいのも、中央のやつらのせいなんだ!」
「いきなりなんだ?」
私の隣りでため息をつくガタイのいい男が、めんどくさそうに答える。
「ちっ……めんどくせえ。地方の奴か。俺らは十二祭冠。長率いる部隊の一員だぜ? 俺らが地方の民を守ることはあっても危害は加えねえ。襲うやつを間違えてるぜ」
「高能、私達以外に危害を加えられるのは困るから、むしろ襲う相手は間違ってない……と、そういう話でもなさそうだな」
ーー中央。
このナルスという国は、ざっくりと、中央と地方に分かれる。
「中央」にはナルスを統治する長、そして長の直属の部隊で十二祭冠と呼ばれる十二人の各属性の最高位に君臨する臣下たちと、家族が住まう。十二祭冠は主に国内外の護衛、有事の際の戦闘を優先して行う。
そして今目の前で顔をわなわなと震わせている男は、ここ中央ではなく地方に住まう者。地方は東西南北に分かれていて、地方によって貧困の差があることは、私達も問題として認識している。
大方、中央に住まう者たちが無能故に、地方の自分たちが苦しい思いをしている、という理解をして中央に乗り込んできたのだろう。
「地方の執政に、基本的に私達中央の者たちは関与していない。地方が貧しいなら、それは地方に問題があるが……」
「し、信じられるかよ!」
心底怯えているのだろうか、声が震えている男は次々と必死に文句を言ってくる。もう睨んでいるわけではないのだが、段々と青い顔になっていく男を見下ろして、肩にかかる髪を手で後ろに流しながらため息をついた。
「……中央の者たちに危害を加えないのなら、こちらも貴方にになにかするつもりはないが、何かするつもりがあるなら……そうだな。腕の一つでももらうことになる」
「ひっ……」
「冗談だ。早く村へ帰るといい。だがもし次中央の者に刃を向ければ、私も容赦はしない」
言い終わると同時に立ち上がり、私は踵を返し歩き始めた。
「おい、朱己! ほっといていいのかよ」
「構わない、民に手を上げる気はないよ」
「おいおい……お前今襲われたんだぜ」
「高能黙っていればバレないことだ」
隣を歩く彼は文句を言いたげに眉毛を動かしている。
私達の様子を見て、尻餅をついていた男は震える手で懐からもう一本の小さい小刀のようなものを取り出し、意を決したように私めがけて一目散に向かってきた。見なくてもわかる。彼がため息をつきながら指さしているから。
「このまま帰れるかよお……っ!」
「ほら、言わんこっちゃない。俺は知らねえぜ」
「はあ……高能に出し抜かれるとは」
「出し抜いてねえよ! 誰でもわかるだろ!」
右手をゆっくりと上げる。
近づいてくる男の方には目もくれず、上げた右手を軽く振ると、男は突然その場に崩れ落ちた。
「かはぁ……っ」
まるで倒れた男にだけ、数倍の重力がかかっているかのように地面にめり込んでいる。
「おい朱己、民には優しくしろよ。お前の気圧操作は優しくねえからな」
気圧操作。十二の属性の一つ、風を操ることで限られた空間の圧力を変動させ、今のように対象にだけ加圧させられる技の一つだ。
「高能、安心して。手加減している。それよりもお願いが……」
私は相変わらず表情筋を使わないまま高能に耳打ちをする。高能は面倒くさそうな反応をし、頭を乱暴にかきながらどこかへと去っていった。
一連の流れを切るように、地面と仲良しになっている男は、声を荒らげた。
「な、何したんだよ、俺に……!」
「安心しろ、殺しはしない」
私は突っ伏している男へと近づいて肩に手を起くと、男の体が浮き一瞬で場所を移動した。
次に男が目を開けたときには違う場所にいた。
目の前の鉄格子を見て瞠目し、ここが牢屋であることを悟ったのか、戦意を喪失したように俯いた。
「ここは、どこなんだ? なんで一瞬で……」
「瞬移。空間をいくつも連ねて、その空間を通過する技だ。傍から見たら瞬間移動だな」
鉄格子の外で、私が男の独り言に答える。
独り言に丁寧に回答をもらった男は、またしばらく瞠目してたが、やがて静かに視線を伏せて話し始めた。
「……悪かった。俺がいる南の果ての村は、とてもじゃないが暮らしていけるような環境じゃないんだよ。中央にくれば、中央のやつを襲えばわかってくれると……」
私は静かに男の話に耳を傾ける。
目の端に映る朱色の髪の毛を耳にかけながら、男に視線を向けていた。
「なあ、長ってどんなやつなんだ? いい暮らしをしてるんだろ!?」
顔を上げた男は、勢いよく鉄格子を掴む。激しい金属音が鳴り響き、すぐに静まり返った。
「守秘義務があるから長については答えられん。……だが、民の暮らしを教えてくれて感謝する。私には知る義務がある」
命を狙ってきた相手に言う言葉ではないだろう言葉を言われたからだろうか、男は目の前にいる私を、信じられないものでも見るかのように見つめた。
「あんた……誰なんだ? まさかあんたが長なのか?」
私は思わず小さく笑った。そしてゆっくり首を横に振る。
「私の名は朱己。残念ながら長ではない。だが、貴方がつらい思いをしているのは、私のせいでもある。必ず貴方のいる村にも足を運ぶし、南の執政は確認する。約束しよう。……つかぬことを聞くが、南の果ての村に、最近何か物騒な話はあるか? 変質者いるとか」
「変質者? 変な人間はいねえよ。南の果ての村って言ってもいくつかあるしなぁ。……そういやぁ、仲間のいる隣村にバケモノが最近来たとか大騒ぎだって話は聞いたな」
「バケモノ?」
「ああ。俺は見たわけじゃねえし聞いただけから、よくは知らねえけどよ……」
もう少し話を掘り下げようとすると、遠くから数人が歩いてくる音がした。
「もう少し聞きたかったんだが。残念、時間だ」
「は?」
音がだんだん近づいてきた方に視線を向け、部屋に入ってきた者たちに目配せすると、その者たちが鉄格子の鍵を開けた。
「貴方を村にお返しする。ありがとう、教えてくれて」
鉄格子の中の男はまたも驚く。自分がしたことが犯罪なことくらいわかっている、と言わんばかりに納得できないという顔をした。
「な、なんでだよ?」
思わず頬が緩む。男の顔が可笑しいからでも、呆れているからでもない。
「バケモノについて教えてくれたお礼だ。貴方が襲ってくれたのが、私で良かった」
引き続き、中に続きます。