説明会
中に入ると大学の大教室であった。大学なぞ通っていないのであくまでイメージなのだが。既に広い室内には7割くらい人が居た。年齢層は20~30代の比較的、若い世代が多いように感じる。みな整然と座って落ち着いている。しかも全員がスーツかそれに準じたフォーマルな服装。それに対してよれよれのカットソーにパーカーの男がやや遅れて来たのである。今すぐ帰りたくなったが仕方がない。ここまで来てしまったので、こそこそと教室の端の席に座った。席には『新人研修会資料 死後総合事務本部』という冊子が置いてあった。何だそれ。帰りたい気持ちが先行してぼんやりとした気持ちで思った。程なくしてマイクの入る音がして周りが静かになると男が1人登壇して話を始めた。
「おはようございます。本日、この死後総合事務本部の新人研修会の進行を務めさせていただきます浅上です。長時間になりますがよろしくお願いします。」
教室内の所々でよろしくお願いいたします。と返事をする声が聞こえた。浅上と名乗る男は軽くお辞儀をしてから続けた。
「ありがとうございます。さて、皆さんはご自身がこれから勤務する、この組織の事を充分に理解しておられますでしょうか。我々は死後総合事務本部、と名乗っているくらいですので、ここが現世では無いことはお分かりでしょう。ですが、この場所は俗に言う『あの世』ではありません。現世とあの世のちょうど中間、空と海が交わる場所です。その様な美しい場所にこの本部は存在します。先に我々の業務内容のおさらいをしましょう。……そこの貴方、お答え頂けますか。」
………………ゑ?
耳を疑う言葉が次々に出てきた。ちょ、ちょっと待って。今、さらりと何と言った?え?あの世とこの世の中間???どういう事だ?一瞬で目が覚めた。戸惑うぼくを尻目にマイクを渡された男は
「はい。我々は死して間も無い方々の罪を適切に裁き、次の施設までサポートする事が主な業務です。」
とスラスラ答える。それに対して浅上も
「……ざっくりとした説明ですね。ですが、概ね当たりです。今日、皆様にお集まり頂いているこの本部は亡くなって間も無い死者の方々。まぁ我々は利用者さまと呼称しておりますが。彼らが1番最初に訪れる場所です。生前の罪を裁く裁判所と刑務所が合わさった機関である。とお考え下さって結構です。」
などと返答している。
いやいや、「結構です。」では無いだろう。生前の、と言ったか?聞き間違いじゃないのか。裁判所?…というより何故、他のみんなはそんな事を知ってるのだろう。事前にSNSで繋がって情報交換してるのだろうか。いや、でもぼくが使っていたものでは死後総合事務なんて見た事も無い。ここにいる全員死んでいるのか?何者なんだ彼らは。
とりあえず、ここは新人として真面目に聞いていたほうが賢明だろうが、何もかも初めて聞くことばかりで当惑した。これはクラスの連絡網で自分だけ連絡が来なかった事が分かった次の日の朝の孤独感に似ている。もしくは仲の良い友人が知らない話題で盛り上がっている時のぼんやりとした疎外感。つまるところ全く予想もしていなかった事実を受け止められずに立ち止まっている。ぼくがショックを受けている間にも話はどんどん進行している。
「はい。質問です。」
と女性が手を上げた。
「なにか。」
「罪を裁かれるのは罪人、俗に言う地獄行きの人だけではないのですか。」
浅上はふふっと微笑んで返した。
「良い質問です。現世に生きる方々は皆多かれ少なかれ罪を犯して生きています。現世に産まれたものは皆罪を背負っているのです。キリスト教が説いている様な原罪……というような大きい事を言うつもりはありません。ですが皆様にも心当たりがあるはずですよ。例えば友人に借りたCDを破損してしまったけれどそれを黙っていたり、好奇心からアリの巣に水を流し入れたり、夏休みにカブトムシの世話を怠って死なせてしまったりだとか。」
「あります。姉のプリンを盗んで食べたことも。」
「そうでしょう。お姉さまのプリンを失敬した、なんて事はご家族の中ではありふれた話であります。ですが、人のモノを勝手に使うという意味で厳密には盗難行為にあたります。それらはいちいち裁判所で裁かれるという程ではありませんが、罪は罪なのです。例え天国へ召されるような善人でさえ、そんなものの5つや6つありましょう。全くの無実の方はごく少数。人間みな何らかの罪ありという事で死者の皆様にこちらで裁判を受けて頂くのです。」
彼は教室を見廻してから続けた。
「死者の皆様が行う手続きの流れを一通り説明しておきましょう。後々、受付担当になる方もいらっしゃるでしょう。利用者の皆様はまず、1階の受付で死亡時確認書類を記入および提出していただきます。これには生前のお名前、死亡時の年齢、信仰している宗教などの欄があり、受付担当は専用のタブレット端末にそれらを入力します。タブレットが死者の戸籍データを参照して、自動で生前の善悪の割合と罪レベルを算出し、それを基に善人と悪人の判定を行います。そこからは善人は2階以降、悪人は地下1階以降と分かれて手続きが進行します。ですので皆さん型通りの裁判を受ける事はありません。悪人の場合、裁判から刑罰を与えるまでを刑罰部の方で一貫して行っています。善人の場合も裁判は行います。ですが、近年は小さな罪の総計が規定ラインを超えていないかの確認作業くらいのものですので善人の裁判で一転、刑罰部行きと言うことは大分少なくなりましたね。そして判決が出たあとは先程の書類に基づき、宗派などにより人それぞれです。先に亡くなった御家族や御学友がお見えになる事もあります。海外の方ですと〈神の御遣い〉様がお見えになる事もあります。」
「すみません。私、研修の際に死者の方に『何故、届出などしないといけないのか』と問いただされてしまって……」
また別の女性が手を挙げながら尋ねた。
「なるほど。我々の理念はなにかご存知ですか。」
「死後の安心サポートです。」
「そうです。では、死後の安心とはなんでしょう。」
「苦痛なく過ごす事でしょうか……」
「ある意味で正解です。死ねば二度と現世には戻れません。どのような世界が広がっているか不透明。そこはかとない恐怖を感じるでしょう。そんな時に人は『死んだらこんな世界かもしれない』『こんな世界だと良いな 』と想像します。ですが、自分が死んだ後に自分が考えていた、望んでいた死後の世界ではなかったらどうでしょうか。殆どの利用者の皆様にとって、この死後総合事務本部の存在は想定外の施設です。ですからなるべく皆様の恐怖を取り除くために、ここが終われば皆様の望んだ世界ですと言って安心して旅立って頂くために届出をして頂きたいのです。もちろんこれは刑罰部の方でも必須です。」
教室内がにわかにどよめいた。浅上は少し呆れた様に
「ええ。例えば、日本などは一般的に悪い事をすると地獄でエンマ様に舌を抜かれると言えば通じます。ですが、他国ですとエンマではなく、悪魔だったり精霊であったりと宗教観、文化的背景により恐ろしい物の定義は変わります。その為、死者の所属宗派や文化によって刑罰を変えています。まぁ……尤もそういった信仰や考えが及ばないものが刑罰部に行くのですがね。」
ぼくは日本と古代ギリシャでは死後の世界を取り仕切る人も変わるしなと妙に納得した。
「次に組織の構造と業務ついて少しおさらいしておきましょう。自分の担当を理解することに役立てて下さい。既にご存知かと思いますが、我々の業務は死者を裁判による善人・悪人の振り分け。悪人への刑罰。また死者の戸籍の作成・管理です。死者の戸籍とは業界用語で単に戸籍と呼称する事もあります。これには先の裁判の結果や届出の内容、懲役刑の内容と期間などが登録されております。また、宗派により輪廻転生がございますね。その転生先などの記入欄もあります。さらに非常に稀な例ですと、生前のパートナーとは異なる方との結婚の記録もこの戸籍に登録されます。所謂、死後婚ですね。」
彼は紙を読みながらも丁寧に説明した。そこの説明よりも、ぼくの現状についての説明が欲しいと少しイライラしながら聞いていた。しかし浅上にそんな思いが伝わるはずもなく、淡々と話が続いた。
「……添付資料も併せてご覧ください。各組織の名称と役割です。各部の下に課があり、利用者さまにキメ細かなサポート体制を敷いております。ここでは皆様に関係のありそうな部分のみを抜粋して解説します。まずトップは管理部。この組織全体の統括し、利用者さまの戸籍を管理します。その下に冥利部があります。ここは主に善人の罪の裁定とその後のサポートをします。冥利部は世界の主要な宗教に対応する課に加え、神道や北欧神話に登場するヴァルハラ、古代エジプトなど古代の信仰に基づく課があります。あ、これは刑罰部も同様です。刑罰部は悪人の罪の裁定と刑罰を行っております。……そして生類部、通称『虹の橋』ですね。ここは主にペットとして飼われた動物がいる愛玩課、人間の食料として飼育されていた動物がいる家畜課、そして野生動物の野生課があります。生類部では愛玩課と家畜課動物の世話と野生動物の生活環境のチェック及び転生のサポートが主な業務となっています。基本的に愛玩課を除き、人間との接触はありません。ちなみに名犬として名高い忠犬ハチ公など一部の動物は生類部の管轄外となり、英雄・偉人部所属となりますので、ここに配属されてもハチ公やタロとジロには会えません。」
彼は立て続けに話すと一息置いてから微笑んで言った。
「まぁ。ここで全て覚えろとは言いません。皆さんは冥利部、刑罰部、生類部のどれかに配属されます。実務的な事はそちらで教えてもらえるでしょう。今から紙とペンをお配りしますので、配属希望の部と氏名を書いてください。なるべく皆様の希望に沿う様に配慮します。書き終わった方から前にある箱に入れてお帰り下さって構いません。長時間お疲れ様でした。」
浅上が言うと紙とペンが配られ、教室内が一斉に騒がしくなった。こっそり退室するなら今の内かもしれない。だが、出たところで行くアテが無い。というよりは脳が色々な情報を処理しきれていない。あの世でも無いけれど、この世でも無いというあたりから躓いている。つまり、ぼくは生きてる訳でも死んでいる訳でも無いということか。全く訳か分からないではないか。だが思い起こせば、この場所が元々いた世界とは違う点は沢山あった。電話とインターネットが繋がらなかった事やこの建物以外何も存在しない空間。沈まない太陽。そもそも、木の下で目覚めた時点でおかしかった。
……ぼくはもう家には帰れないのだろうか。
書き溜めていた分です。割合長いです。
ここの部分は後々、訂正などあるかも知れません。
また、引き続き誤字・脱字や表記ゆれがありましたらお知らせください。