56話:(最終話)澄子さんの葬式と茂田会の解散式
2月4日に、重宗澄子さんの持つ、茂田先輩の遺産を甘太夫妻の口座に移した。翌、2月5日に、東京銀座、田中貴金属へ行き、重宗澄子さんの遺書と、預かり証を持参して、甘太の名義に変更してきた。そして、2月8日が来て、朝8時に、橋本駅は、甘太夫妻が行き、茂田先輩の仲間達の車に分乗して、愛川斎場へ出かけた。この日は、快晴で、寒さも厳しい朝だった。澄子さんの死について、なぜ知らせなかったのかと言う、クレームは一つも出ず、むしろ、茂田先輩、亡き後、内縁の妻の茂宗澄子さんを見守ってくれてありがとうと、お礼を言われたのには驚かされた。
茂田先輩の遺産についての話も全く出ずに済んで、甘太は、ひと安心した。葬儀には仲間たちばかり54人が来ていた。荼毘にふされた後、骨拾いは、誰がやるという話になり、最後に一緒に見てくれた、甘太夫妻にお願いしたほうが良いと言われて、骨を拾って、骨壺に入れた。その後、茂田先輩と同じ、お墓に葬った。これで、あの世で、茂田先輩と澄子さんが仲良く、やっていくだろうなと、甘太は、悲しいと言うよりも、再び、2人が、結ばれたような気がして、晴れやかな気分になった。
すると、雲間から強い日射しが差し込んで、お礼を言っているように思えた。そして、葬儀を終えて、じっくりと、お墓の前で手を合わせていると、茂田先輩が、甘太と仲間に入れてくれたときの思い出が突然、頭に浮かび、その懐かしさを思い出し、目頭を熱くした。最後に、本当に、お世話になりましたと深々と頭を下げて、霊前を離れた。その時、茂田先輩が澄子さんを最初の紹介してくれたシーンを思い出して、その二人が、まるで笑って、肩を寄り添ってる姿が想像されて、涙が流れた。
そして、お寺から出て来て、車に乗った。そして、葬儀の後、相模湖半の姉、平山綾子の所に寄った。すると、うちの亭主が70歳過ぎたので、仕事を辞めようと言い出したと言い、借りた2億円は、まだとても返せそうにないのに困ったと話したので、このホテルが売れた時に、返せたら良いとから、あまり心配しなくても大丈夫と伝えておいた。そして、2017年4月1日、姉の平山綾子から、今迄経営していたホテルを売りに出したと連絡が入った。
もし、2億円返せなくなったらどうしようと、姉が、心細そうに言った時、売れた金額の半分をくれれば、良いよと言うと、本当かいと喜んでくれた。その後、6月7日に、1億円で売れたと連絡が入り、5千万円を送ると、姉が言うので、その5千万円、退職金として進呈するよと言うと、冗談言わないでよというでの、特に、金に困ってないから、本当に受け取ってと言うと、悪いねと言った。その代わり、また、相模湖の方に行ったときに、食事でもしようよ話した。
その話を聞いて言いた、旦那さんの平山健太さんが、電話をかわって、本当に、ありがとうございますと、言ってくれたので、了解しましたと答え、電話を切った。そして、2017年4月3日、茂田先輩の仲間達、総勢37人を横浜中華街に招待して、茂田会の解散式と銘打って、中華街の大きな店を借り切って、食事会を企画して、全員を招待した。そして、その日は、晴れ渡り、午前11時半に、店の前に37人と甘太夫妻の合計39人がそろって、まず、紹興酒、ビール、ワイン、ウーロン茶で乾杯して、ご苦労さんでしたと、仲間達が甘太夫妻に言ってくれた。
次々に中華料理が運ばれ、旨い旨いと食べていき、仲間が、随分高いのだろうねと言うのを聞いて、甘太が、解散式くらい、俺が出すから心配しないで、やってくれと言うと、ありがとうございますと言って、燗の紹興酒が、どんどん空いていった。そして宴もたけなわになり、在りし日の茂田先輩の話が出ると、涙ながら、本当に助かったよなと言う人が多く、これが人徳というものかと、寛太は感心した。
そして京王線が相模原に来るとわかったときの土地を買い集めるときのエピソードを思い出して、あれで、一気に、茂田グループに金が入ったと思い出した。茂田さんのお陰で、息子達に家と土地と、金を残せると言う人が多く、最後に、寛太さんが、最後をしめてくれたと、お礼を言う人が多くいて、飲み過ぎて泣き上戸になる人、飲んで、あんたは偉いと肩をたたく人と、まさに、無礼講の解散式になって、その後、夜22時まで、呑み歩いて、飲み過ぎ人のために、ビジネスホテルを4室、とって、その他は、全員、自宅に辿り着いたようだ。翌朝、橫浜港に昇る朝日に向かって、甘太は、茂田先輩に、ちゃんと解散式を終えましたよと報告した。(終了)




