2話:茂田が参謀で株売買開始
そして茂田作蔵先輩がN証券・八王子支店に勤務して証券部に配属されて、お客さんの株取引を電話で受け、結果を連絡する仕事をする事になったと言った。そこで甘太も証券口座を開いて売買しないかと誘われたが、甘太が俺、賢くないから、無理だよと言うと、耳元で俺が教えてやるからその通りに売買して儲かったら何割かくれれば良いと言った。証券会社に口座を開くには社会人として働いている証明として給料明細をコピーが欲しいと言われた。
了解して4月分の給料明細をコピーして1973年4月26日、茂田作蔵先輩に直接渡した。その後、N証券八王子支店に甘太の証券口座を開いた。甘太はお父さんに株投資を始めるから種銭を頂戴と言うと口座に55万円くれ、すぐに入金した。その時、茂田先輩に甘太の家の電話番号を聞かれて株の売買の指示するから言われ了解した。甘太は1973年4月28日にN証券の証券口座に55万円入れ、いつでも株を買えるようにした。そして茂田先輩が甘太の担当となった。
茂田先輩に、俺の指示通り株の売買をしろと言われて了解した。1974年2月に指示通りソニー株を487円で1千株買い買い残金が6.8万円となった。そうして1974年10月に1400円で売り、税金が11万円となりの資産合計が146万円となり、普通預金から74万円を投資口座に入れ220万円とした。その後12月23日、八王子のレストランに招待してくれ、茂田先輩と2人で忘年会を開き、食事代を出してっもらった。
1974年4月に中学時代同級生だった相模原の呉服屋、木下和彦の妹の2つ年下の木下恵さんと仲良くなって付き合い始めた。日曜日に喫茶店で会って話をするようになり毎月2~3回デートをするようになった。彼女は中学卒業後、地元の相原商業を卒業して実家の呉服屋を手伝って経理の仕事をしていた。甘太に恵さんが将来、洋品店を経営する夢を語った。
その後1974年4月に木下呉服店では新しくできた巨大な多摩ニュータウンに新しく呉服屋を出そうと考えていた時、恵さんが両親に青山甘太君と将来、一緒に店を持ちたいと伝え、彼は商売で儲けて店を出すだけの資産を持っていると話すと1979年5月7日と面談する約束を取り付けた。その時に恵が甘太に銀行口座のコピーを持って来てと伝えた。当日は背広を着てブルーバードで木下呉服店に出向いて青山甘太と申しますと言った。.
当日は背広を着てブルーバードで木下呉服店に出向いて青山甘太と申しますと自己紹介した。事業で成功して資産を作ったので近くに出来る多摩ニュータウンで洋品店をやって成功したいと熱く語った。銀行口座の残金150万円の通帳を見せると父の木下隆三さんが、ほんとだ、すごいと言った。
善は急げと言うから、結婚式は、いつにしますかと、隆三さんが言うので、恵さんに、いつが良いかと聞くと、6月がジューンブライドと言って、縁起が良いと話していたと伝えた。隆三さんがきまったら、すぐ知らせてくれと言った。1975年1月にトヨタ株を165円で12000株買い残金が22万円となった。