ラストステージ1 弾劾裁判
ラストステージは2部構成になっております。
簡易裁判所。妖精たちやアフシールJr.は無論、伊佐家の人間もまた生まれてから一度も行った事のない場所。言うまでもなく空っぽ、人は誰もいない。
「これぐらいのわがままを許してくれてもいいと思いましてね」
「子どもたちは親切なじいじと一緒に遊んでるよ」
「それは素晴らしい事ですね」
アフシールJr.とインキュバスは、二人して被告席に立っている。その顔は二人ともすがすがしく、もはや何の執着もないと言わんばかりに堂々としている。
一方でその後ろの傍聴席からはうめき声が響き渡る。
「いい年して何のつもりだよ、往生際が悪いっつーの」
「うぐぐぐぐぐ…………」
伊佐玖子は、猿ぐつわをかませられながらも手足をバタバタさせていた。伊佐総司が心底情けなさそうな顔をしてため息を吐くが、まったく収まる様子はない。
(ものすごい執念だよな、方向が間違ってるけど)
サキュバスの肉体が死んだ後、伊佐玖子の魂は抜け出してなお戦いを求めようとした。もしこの時魔物の肉体がひとつでも残っていたら、そこに乗り移ってまた暴れ出したかもしれない。残っていたのは、五十九歳の女性の肉体ひとつだけだった。
「俺に裁判官の真似事でもさせる気か?」
「頼みます」
「わかったよ、付き合ってやるよ」
伊佐雄太は裁判長の位置に立つ。ほとんど母から逃げるように大学合格と同時に一人暮らしを始めてから十幾年、ほぼその為に就職もし結婚もした。もしあの時、はっきりとした絶縁宣言として婿入りして「浜根雄太」になっていたらどうなっただろうか。あるいはそこで自分の過ちに気付いてくれたかもしれない。
(毒親だったんですかって生徒の親に言われたのが一年前……さっき話した所に因ると総司も似たような事を言われてたらしいんですよ、その事の意味が分かりますか?)
教師となるという事は、どうしても自分の子供時代と向き合わされることを意味する。ディッシュマンズと言う子供時代に触れて来たはずの物に触れていない、触れさせてくれなかった事を知った雄太の生徒の親は、そんな人気があった物を押さえつけた雄太の親を毒親と呼ばわった。勉強しかできない風に育ってしまったのではないか、話が狭く融通が利かないのではないか。もしそんな風に思われたとしたら教師としてはマイナスでしかない。ましてや総司の場合は役者だ、前二つの欠点がより重たくのしかかって来る仕事だ。
「………………」
「………………」
雄太の隣には、赤髪の妖精と勇者ジャンが控えている。万が一伊佐家の家族に手を出すような事があればどうなるかわかっているだろうと言わんばかりに、二人はアフシールJr.とインキュバスを見下ろす。やれやれと言いたげにアフシールJr.が息を吐くと、雄太が転がっていた木槌で台を叩いた。
「静粛に」
「あなた」
「やってみたかったんだよ」
「すげー大根だな」
「うああええんお!」
「判決を頼むよ裁判長」
「ああ」
弁護士席に座る久美が裁判官の真似事をする夫に向けてクスクスと笑う。それに対してプロの役者として突っ込みを入れる総司と相まって、実に和やかな空気だった。そしてうめき声を上げる玖子を無視して、雄太は一枚の紙を広げた。
「判決を申し渡す。被告人不破龍二及び求は」
先ほどアフシールJr.から聞かされた罪が記された紙を適当に、詰まったり読み返したりしながら雄太は述べ上げた。
法務大臣を操り死刑執行をさせた事から始まり、ヤクザ同士の同士討ち、それから仲の悪い夫婦たちの殺し合いの誘発。さらにそれらの魂を奪い取ってたった一人の人間を殺すための道具に仕立て上げた罪、実際にそれを行使した罪。
現実だったとは言え信じがたい話を次々に聞かされて、久美と総司の顔は強張って行く。目の前の気のよさそうな青年がやはり魔王の息子だと言う事を、改めて認識させられた。
「そして最後に伊佐玖子を利用し、ジャンの命を奪おうとしたとある。相違ないか」
「何もありません」
「被告人に問う。それは伊佐玖子がジャンの親と知っての行いであるか否か」
「誓って無関係です、たまたま優秀な魂であるからこそ取ろうとしただけです」
「では不破龍二、此度の犯行に対して後悔や反省はあるか」
「基本的にはありません。犯行の手順を誤った事についての後悔はありますが」
兵器として優秀な魂とは、人間としては劣等と言う事。もし他に優秀な魂があればそれを使ったかもしれない、ただそれだけ。人間が美食を求めるように、自分たちもそうしただけ。アフシールJr.は、淡々と語った。すべての罪は自分から発生し、それを受けるのは自分だけであると言う覚悟を決めている。だからこその顔と、背中。堂々たる魔王らしきそれに久美も総司も感心していた。
(勇者も勇者らしく堂々として欲しいわね、謙虚と言えば体はいいけどディアル大陸とやらを救い、更に今私たちを救ったって言うのに)
(それが兄貴のいい所とも言うけどな)
一方、新次郎にはそれがなかった。相当な功績を上げ、先ほどからそれにふさわしい戦いぶりを見せていたはずなのに、どこか良い意味でも悪い意味でも自信がないように思えて仕方がない。同じ状況に立たされた時、新次郎ならば逃げ出そうとするだろうと思った。潔く死を受け入れるのか、それともまだ見込みがあるのならば逃げて耐えて再起を図ろうとするのか、どっちのやり方が正しいのかは二人にはわからない。
「まあ、その前にもう一人。傍聴席」
「あいよ」
雄太は総司に向けて手を振りかざし、玖子の猿ぐつわを解かせた。玖子は苦しそうに息を吐き出しながら、ジャンを睨み付ける。ジャンが無表情のまま立ち尽くす傍らで、雄太は母を睨み返す。
「あなたにこれからラストチャンスが与えられます」
「何の話よ!」
「十六年前のやり直しですよ」
「とっととそんなコスプレをやめさせなさいそこの教師!」
「コスプレと言えばコスプレなんでしょうけどね」
「お義母さん、お気づきにならないのですか」
「かなり拙劣な出来で申し訳ありません」
本物より10センチも背の低く顔も女っぽいその勇者ジャンの正体がコーファンである事は、玖子以外最初から気付いていた。そして本物の伊佐新次郎が何をやっているのか、その答えもまた玖子以外全員が知っていた。コーファンが変身を解くと玖子はまた吠えかかろうとしたが、すぐさま総司に猿ぐつわを噛まされた。
「今何時だ」
「あんなに激しい戦いだったのにまだ午後三時だな、時計が正確ならば」
「大丈夫ですよ、正確ですから」
「さすがにまだ早いですけどね」
そこまでの事を自分に対してしておきながらの、和やかな日常の会話。改めて腹が立つと共に、自分の居場所がどこにもない事を改めて玖子は思い知らされた。
「アフシールJr.様、最後の晩餐がまもなく参りますよ」
「最後の晩餐か………………」
最後の晩餐。生きとし生ける者みな死からは逃れられない、どうしても「最後の晩餐」は存在する。せめて美味い物を食べて死にたい、それはみな変わらない欲望だ。だがアフシールJr.もインキュバスももうそれを選択する権利がない事はわかっていた。だからこそその最後の晩餐の作り手に、最大限の期待を込めていた。
「もうそろそろだってよ」
「お待たせしました」
ハーウィンの声に応えるようにトモタッキー、いや北本菊枝がおかもちを持って法廷に入り込んで来た。おかもちから出された皿には二人前十二個の餃子が並び、湯気を放っている。菊枝はプラスチック製の箸を配り、玖子の前に座り込む。
「僕の期待を裏切らせないでおくれ……」
「そうですよ、アフシールJr.様の期待を裏切らせないでくださいよ」
アフシールJr.とインキュバスは最後の晩餐を目前にしながら、料理人に対する期待を込めてつぶやいた。覚悟を決めたと言わんばかりの表情を崩す事もないまま、餃子が出す匂いを嗅ぎながら魔物らしく鋭い歯を剥き出しにして笑った。
雄太、久美、総司、アフシールJr.、インキュバス、コーファン、ハーウィン、そして玖子。各人が取り皿にひとつずつ餃子を乗せられ、箸を渡される。それと共に玖子の両手を縛っていたロープと猿ぐつわも解かれ、手に箸を持たされる。
「いただきます!!」
トモタッキーの合図から放たれたその言葉に合わせるように、また別の勇者ジャンが法廷に入り込む。その足音と同時に七個の餃子が口の中に運ばれ、咀嚼され始める。そしてもう一つの餃子が玖子の口に運ばれる。
「…………」
十四と二個の視線が口を動かしながらその中年女性を見つめる中、玖子はすぐさま答えを出した。
「まずい!」
その玖子の言葉を聞くや否や、アフシールJr.は口を動かしながら右手を玖子に向けて伸ばした。そして右手を握りしめると共に、玖子がうめき声を上げ出した。そしてアフシールJr.は口の中身を嚥下すると、深くため息を吐いた。
「まったく、だからこそ強い魔物になったんだけどねえ。先生、彼女はラストチャンスを生かせるほど殊勝な人間じゃありませんでしたよ」
「本当だな」
裁判所の床に、まったく形の崩れていない唾液塗れの餃子が転がる。
咀嚼などまったくされていない証拠だ。
大学一年生が高校教師になり、小学校六年生が俳優になり、高校二年生が二児の母になるほどの時間を過ごしておきながら、彼女はまったく変われなかった。その時すでに四十三歳だった伊佐泰次郎さえも部長から常務取締役にまで出世できたと言うのに、伊佐玖子だけはそのままだった。
「もし十六年前、お前が伊佐新次郎の料理についてもう少しましな評論を下していたら伊佐新次郎は死ななかったよ。それなら勇者ジャンが生まれる事もなければ、そのジャンが父さんたちを殺す事もなかった。だからお前が父さんたちを殺したとも言える」
「屁理屈を……やめ、なさいっ…………」
「その通り屁理屈だよ、でも事実だ。あるいは別の魂がジャンに注ぎ込まれていたかもしれない、その場合結果はどうだかわからなかった。僕らが勝っていたかもしれない。よくもまあこんなに欲望の少ない魂を作り上げてくれたもんだよ、お前も含めどいつもこいつも。こんな魂を作り上げた奴はみんな戦犯だとも言える、だからせいぜい兵器として再利用してやろうと思った訳さ。一部三人の妖精たちに先を越されたけどな」
「その件に関しましては代表してお詫び申し上げます勇者様」
コーファンが深々と頭を下げる。かつて主から大金を貢がせた女性に対する私刑を行ったのは倫理的に許されていい物ではない。勇者の部下がそんな事をしていいのかと言われたら何も言い返せない事はよくわかっている。
でもアフシールJr.のやり方を思うとそれは阻止するための方法だったし、単純に相手を許せなかった。トモタッキーもハーウィンも、まったく同じ気持ちだった。
「恥ずかしくないのっ………………」
「恥ずかしいだろうね、あんなに自分のわがままを突き通してあっちこっち壊すような親を持つのは。でしょう先生」
「ああ!」
「何よ………………この、この恩知ら……ず、ども……!」
「味わった上でまずいと言うならばまだいいけれどそれすらしないで即このザマだからね、お前を助ける人間なんか誰もいないよ」
魂をアフシールJr.に握りしめられながらも、玖子はなお足掻く。その玖子を助けようとする人間は、ここには一人もいない。雄太も、久美も、総司も、皆このただただ過去にしがみつく頑迷固陋なだけの人間を助ける気にはなれなかった。
「私は恥ずかしいのよ!高校生にもなってあんな幼稚な代物に惑わされて、それでちょっとその事を教えてやったら拗ねてあの世まで逃げて、そのあげく更に別人同然になっておいて未だに夢から覚めてないだなんて……私は、私は……!」
「黙れよババア」
アフシールJr.が少し魂の拘束を緩めたのに伴い顔を真っ赤にして言葉をほとばしらせる玖子を、総司は足蹴にした。その親不孝極まる非道な行いにより倒れ込んだ音に対し反応したのは、ジャンだけだった。
「あんたはどれだけ偉いんだ?何が恥ずかしくて何が恥ずかしくないか決められるほど偉いのか?この魔王様だってそんな事決められやしねえのに?今からでも這いつくばって謝れよ兄貴に、あんたの最後の味方に」
「何よ、何よ、何よ……どうしてみんなあんなのに、あんなのに振り回されるのよ、もうみんなバカばっかり、世の中みんなバカばかり!私は、私は……あぐ、あが、あががが……………!!」
アフシールJr.は玖子を見下ろしながら魂を全力で握りしめて粉砕した。伊佐玖子と言う存在の魂は、今ここに完全に死んだのである。残った肉体はぐったりと倒れ込み、口からよだれを垂れ流している。文字通りの魂の抜け殻となったその肉体を見て涙を流したのは、ジャンひとりだった。




