ステージ29 百人の勇者ジャン
「いい加減にしなさい!」
「これ以上何をする気ですか!」
「決まってるじゃない、次はお父さんの会社を潰そうとしたホームフードを」
「やめてください!」
「だったら頭を下げて謝りなさいよ!」
玖子は、新次郎を圧倒していた。エネルギーを三つの建物に向けて吐き出したはずなのに、それでもなお力が沸き上がって来る。彼女の魂の負のエネルギーが、体に力を与えていた。魂の負の力が強ければ強いほど魔物が強くなると言う原理が、彼女を強大にさせていた。
(何よこの雑音は)
時々耳にわずかな雑音が入って来るものの、それでも玖子には関係なかった。ハーウィンの力を受けても、新次郎に攻撃する暇は与えられない。文字通りの防戦一方だった。
「逃げろジャン!」
「ああ!」
「逃げるの?お母さんの元から逃げるの?そうやって逃げ切って」
そこに飛び込んだ逃げろと言う言葉に素直に反応して距離を取ろうとするジャンに、サキュバスが襲い掛かる。だがスライムがサキュバスの顔にへばりつき、ジャンはその間に距離を取り倒れた自動車用信号の傍に着地した。
「さすがジャン、行動が速いな」
「アフシールJr.!」
「謀叛人を放っておくわけには行かないんでな!先生のご指導は完璧だよ」
「先生……」
魔王の息子すら、こうして教え諭してしまうのか。アフシールJr.の兄に対する信用の大きさに新次郎は改めて感心した。
二人は、もはや敵味方ではなくなっていた。
無論、このアフシールJr.の行為が玖子の心をさらに痛め付けたのは言うまでもない。元々濁っていた玖子の目は更に濁り、もはや色気を感じる者など誰もいなくなっていた。ケダモノの目、それも発情期ではなく飢えたそれの目。呼吸の荒さは性欲ではなく、美食を目の前にした興奮。
(やっぱり八百長だったんじゃない!どこまでも英雄ごっこに明け暮れて現実と向き合う事を拒否し続け……改めて確信したわ、付ける薬なんかないと!)
正すべき方向に、正してやらねばならない。それが親の務め、もし力があれば泰次郎だって賛同してくれるはずだ。すっかり絡め取られてしまった二人の息子と長男の嫁はもうどうにもならない、一緒に再教化してやらねばならない。玖子はその先の手順をすでに考えていた。
(「玖子…………お前はまだ自分が間違っていたと思わんのか?俺は思っているぞ、もう少し強くお前に出るべきだったと。あのおとなしくわがままも大して言わなかった間っ子の新次郎が初めてと言っていいわがままをお前にぶつけた時、我々はこれを成長だとして快く送り出してやるべきだった。雄太は定年退職しかけの親に頼るのかとお前は言ってたけど、お前の方がよっぽどじゃないか」)
泰次郎がそうやって後悔している事など、玖子は全く知らない。もし今の自分にお前と同じ力があったらお前を止めに行っている、泰次郎はそう自分の無力を嘆いていた。
「お父さんは嘆いているわよ、こんなごっこ遊びをしている姿を。義姉さんも甥っ子姪っ子も」
「証拠を出せよ」
「三十にもなって勇者ごっこなんかしているような奴を尊敬できるの?」
一方で玖子は、伊佐泰次郎や伊佐久美に伊佐祐樹、伊佐由美と言う人格の事などまったく顧みていない事をあっさり認めながら笑った。これまでと同じように、堂に入ったレベルでの話のずらしっぷりをここでもまた発揮している。それこそが議論においての敗北宣言である事になど彼女は気づかない。泰次郎たちが今の伊佐新次郎を嘆いていると言う自分の論旨を証明できるものは何もなく、証明しているのは自分の唱える論旨がただの思い込みに過ぎないと言う事のみ。このやり方で玖子が今まで乗り切れたのはそもそも議論を吹っかけたり吹っかけられたりする機会がなく経験値がゼロであった上に、誰も彼も玖子の地雷を踏む事を恐れて逃げてばかりだったからである。始めたばかりのレベル1でクリアできるゲームなど、どこにもない。
「まったく、先生もお前も弟も立派だよ。父親に似てね」
「そうやって魔王とかって言うオトモダチと仲良くして、改めてこれがごっこ遊びに過ぎない事を証明してくれたわね」
「ごっこ遊びはそっちだろ、かわいそうな母親ごっこなんかやめろよ、さあ行け!」
アフシールJr.の号令と共に、次々に魔物がサキュバスに襲い掛かる。
「これをごっこ遊びと言う勇気には敬意を表するよ、蛮勇っていう類のそれだけど。ジャンにはそれがなかった、真の勇者だからな」
「口を閉じなさい!」
サキュバスは再び双剣を構え、襲い掛かる魔物を薙ぎ払う。斬っても斬っても迫って来る魔物たち、その魔物に混じり銀色の鎧を身にまとった人間が飛んで来た。
「新次郎!ようやく殊勝に反省しに来たのね、でももう許さない、私ができる許しと言うのはこうしてあなたを斬る事だけ!」
サキュバスは我が子を慈悲をもって斬り倒すべく、双剣を握り直した。そしてジャンに向けてその剣を振り、魔力の渦を作り出した。だがその攻撃は突如浮き上がったジャンには当たらず、虚空に飛んだ渦は遠い空の向こうのビルを破壊しただけだった。
――――そして。
「ぐっ!」
また別の剣が、サキュバスの懐に向けて差し出された。間一髪の所で飛び退いたのでサキュバスの肉体をえぐる事はなかったが、それでも打撃を与えた事には変わらない。その肉体を傷つけた剣は、紛れもない伝説の剣だった。
「どこにいたの!」
「すみません、力を使ってしまい回復が遅れました!」
コーファンだ。玖子は先ほどまで自分と対峙し駅の傍で体を休めていたコーファンが変身したジャンに気を取られ、本物のジャンの接近に気が付かなかったのだ。
「コーファン、トモタッキー、ハーウィン。頼むぞ」
「おう!」
「勇者様!」
「頼むよ」
そのコーファンと玖子の姿を見たアフシールJr.の頭の中に、ふと思いついた一つの策。もしその策が失敗したとしてもまだジャンの力に賭ける事はできるし自分だってそこそこは役に立つはずだった。でも成功した場合、自分たちの敗北は決定的になるだろう。
(お前の勝ちだよジャン、世界を守るための方法はもう他にない。あの魂を眠らせるには犠牲が要る。僕がその犠牲になれないのは悔しいが、僕の野望は犠牲にしてやる)
活発な魂、例え目先の戦に敗北してもそれを認めない頑迷さ。それこそが強さの源であり自分たちのやり方である、だがその魔物たちの強さの原則がある限り何も意味はない。
(お前たち、許せ!すべてはこの世界のためだ)
インキュバスが必死に魔力を込めている事は知っている。妻にこれ以上愚行を犯させないために、彼なりに戦っている。彼を巻き込むのだけは心苦しかった、でももはや道はない。目の前の謀叛人を倒すにも、世界を守るためにも。
「母さん!」
「許さないわよ!!」
ジャンがサキュバスに、真正面から突撃した。時は来たとばかりにアフシールJr.もまた、右からサキュバスに突撃する。崩壊したアニメスタジオを背に、黒い蝙蝠の羽をはためかせながら爪を光らせ尖らせた姿で。
玖子は余裕だった。圧倒的な力の差を見せすっかり魅了されてしまった他の兄弟の目も覚まさねばならない。そして自分の思い通りに育て直し、その道の邪魔をする存在は全て自分の力で消し去る。人生に失敗した新次郎やその巻き添えを生まないための正義の戦いはまだまだ続く、こんな所で終わってなどいられないのだ。
「お前だろサキュバス、しつけ直されるべきなのは!」
「あんた何様のつもりよ!」
「魔王様のつもりだよ!」
そこに襲い掛かるアフシールJr.。「謀叛人サキュバス」を処罰すべく、その爪牙をむき出しにして飛びかかる。玖子は魔王様と言う単語を恥ずかしげもなく口にした彼を心底から鼻で笑いながら、浮力を得るには明らかに小さな羽しか持たない相手に斬り付けた。
(心底からの邪悪だよな……)
アフシールJr.が玖子に勝っていたのはスピードだけだった。それも僅差であり、圧倒的な火力の差を埋めるそれではなかった。自分が生み出したも同然の存在をも下回るそれしか持てない自分のふがいなさ、そして相手の力の大きさ。魔王を名乗っていながら結局はこの邪悪さに依存して来た魔物たちの現実、そして人間の恐ろしさ。軍事雑誌から仕入れるまでもなく、結局人間には勝てないのだと言う絶望的な思い。
それでも、負けるつもりはなかった。最後の最後まで逃げるつもりはない、ジャンのように逃げて再起を図るのも手段だとはわかっているが、そのジャンでもこの状況から逃げる事はしないだろうと言う思いがアフシールJr.を動かしていた。
「後ろを見ろ!」
「お黙りなさい!」
「黙るか!」
「覚悟…!」
ものの十数合で追い詰められたアフシールJr.のブラフにしか聞こえなかった声を顧みる事なく、玖子はアフシールJr.の右肩を捉えるべく右手の剣を振り上げた。だが玖子の剣が肩を突き刺そうとする寸前、わずかに玖子の動きが止まった。そしてアフシールJr.ではなく玖子の右肩に、重たい痛みが走った。
「新次郎!」
「勇者様!」
銀色の鎧を身にまとった勇者ジャンだ。その後ろにはハーウィンが控えていた、彼女の力で高速移動したジャンの攻撃を、玖子は受け止められなかった。だが玖子はハーウィンの力を得たジャンのそれを上回る速度で振り向きつつ、左手の剣を振った。
(これが慈愛の剣なのよ!)
玖子は新次郎を斬る事に、何のためらいもなかった。道を誤り続ける我が子を矯正するための正義の刃、そんな風に信じて疑わなかった。
「ああっ!」
「やったわ……!!ついにやったわ!!」
その鋭い剣はジャンの首を正確に捉え、苦痛すら感じさせない表情のまま空へと飛ばした。ハーウィンの悲痛な叫び声と、玖子の心底からの喜びの声が虚空に響く。これでようやく、あの子は幸福になれる。親として素晴らしい成果を上げる事が出来た、あの兄弟もわかってくれるだろう。玖子は自分の勝利を感じ心からの笑顔をした。
「バーカ」
その玖子に頭から水をかけたのはアフシールJr.である。魔王どころか不破龍二と言う高校生らしくもない幼稚な煽り文句だった。だがそうとしか言いようがなかった、実際にバカに見えたからだ。
「バカとは何よ!」
「勇者ジャンは死んでないぞ」
「じゃあ今のは何よ、コスプレのコスプレのそっくりさん!?」
「インキュバスがお前を見捨てた訳が分かったよ」
「どういう意味」
だって言うのと言う言葉は出て来なかった。一人の勇者ジャンを倒して粋がっていた玖子の周りには、数百人単位の勇者ジャンがいたのである。そして百人ほどの勇者ジャンが、一斉に一つの目標に向けて攻撃を開始した。
「悪あがきをやめなさい!!」
玖子はそうわめきながら、魔力の弾を百人のジャンに向けて次々と放った。だが結局半分近くがこの弾幕をくぐり抜け、その半数が今度は剣を振り玖子に襲い掛かる。到達時間には差があったがそれが結果的に時間差攻撃になり、確実に打撃を与えて行く。
「これはまぎれもない現実だ、もういい加減匙を投げろ」
「私はあきらめない!かわいいかわいい息子をたぶらかした全てを滅ぼすまで!」
「僕はお前ほど往生際が悪くないぞ」
「どこがよ、こんなくだらない幻覚を見せつけて!」
「痛みも全部幻覚だって言うんだ、すごいね人類は」
何もかも、何もかもが憎たらしかった。自分の期待を散々裏切り続けて死んだ新次郎、その新次郎にヘコヘコする妖精とやらに、新次郎を宿敵呼ばわりするこの自称魔王にそのお付き。そしてこのバカバカしい作り話を平然と受け入れまったくの別人となった新次郎を応援する兄弟とその嫁。
この世界にはバカしかいないのか!こんな茶番劇を本物のように真に受けられるような人間ばかりなのか!世間がたったこれだけな訳はない、みんなに見せればわかってくれるだろう。だがどうやって教えればいいのだ!
玖子が新次郎たちのバカさ加減にすっかり絶望し閉口していると、また敵が現れた。先ほど数十人のジャンを斬り倒した玖子に迫る、また百人余りの勇者ジャン。数人がハーウィンのサポートを受けて高速で突っ込み、一撃を加えて去って行く。残りを魔力により吹き飛ばすが、また数十人が交わし切って玖子の懐にやって来る。
一撃一撃が、これが夢などではない事を証明する。基本的に小指で付かれた程度のそれに過ぎないが、たまに本当に痛みを感じるような一撃が来る。血も出始めた。
(何よこれ…………どうしても、どうしても、納得しろって言う訳!?)
同じような顔の人間が、次々に襲い掛かって来る。実に気持ち悪い。
だが実はジャンは、これと同じ体験をして来た。ロールプレイングゲームで数多のザコキャラを狩りレベルを上げるように、同じ姿をした魔物と幾度も戦って来た。しかしアフシールの力により色さえも同じ外見でも強さが全く違う魔物たちとの戦いは、決してジャンの冒険を惰性に満ちた物にさせなかった。
しかし玖子はそんな経験はない。第一、ほとんど同じ姿をした存在がこうして集団でやって来るだけでも恐ろしい。集合恐怖症の気があろうがなかろうが、ただのパターンに見えてしまう。敷物や壁紙ならまだしも、こうして実際に動かれるとなおさら機械的で非人間的に思えて来る。ましてやそれがこの大都会にはありえないはずの中世ヨーロッパの騎士にしか見えない存在、勇者ジャンを名乗るコスプレイヤーであったら。
ありえない。何もかもありえない。ここまでありえない状況を作り上げどうしても自分を屈服させようとしているのか。その最中にも次々に攻撃が加えられ、この体を痛めつけて行く。
「どこを見ているんだよ!」
アフシールJr.なる魔王がへばりつき、コスプレイヤーたちに構う隙などあるのかよと言わんばかりに爪を立ててかきむしって来る。背中の柔肌が大きく傷付き、更に出血が増えて行く。彼我の戦力差は圧倒的だと言わんばかりに剣を振るが、ひとりと戦っている間にまた数十人が飛び込んで来る。
「この戦いの後、どうするか覚悟はあるのか?」
「あるに決まってるじゃない!私は、私はあの子を惑わした全てを取り除くの!これからもずっと、あの子がまともに暮らしてまともに死ぬまでずっとずーっと!!」
「だからやってない罪を吹っかけられてもあえて責め立てた訳?」
「世の中の理不尽さを教えるのも親の仕事よ!」
「じゃあ今僕らはお前に理不尽さを教えている訳だな」
「口答えをやめなさい!!」
口答えをするなは、議論において上位者が使う敗北宣言である。結局私の言う事を聞きなさい以上の答えを持たない玖子、その親と言う圧倒的なアドバンテージを持って新次郎を押さえつけ続けて来た存在。
(新次郎が自殺した時、この女は勝ち逃げしたと思ったんだろう。まさかディアル大陸に転生して勇者となっているとまでは思わなかったにせよ、自分の下からついに逃げ切ってやったぞもうお前の言う事なんか二度と聞いてなんかやらねえよと言う挑戦だと取ったんだろう。つくづく報われねえ人間だったんだな、ジャンって奴は)
このアフシールJr.の見識は、ほぼ正解だった。雄太に電話をかけた二日後、新次郎が自殺をした事を聞かされた玖子のいの一番に思い浮かんだ考えは、まさしくそのまんまだった。違うのは、そこまで伊佐新次郎に闘志が残っていなかった事だけである。自分がずっと憎悪を燃やしているから相手もそうだと思ったまま、ついぞ一度もその印象をアップデートしないまま今の今まで過ごして来た。その憎悪がついに解放できる時が来たのだ。彼女の怒りの言葉が口だけなのはアフシールJr.に言わせれば火を見るよりも明らかだった。




