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4話


 再びエンキが長老の家から出かけたのは部屋に引きこもってしばらく時間が経過したあとだった。

 若い男はエンキからつかず離れず後をつけて回る。


 だがエンキは集落の外へ逃げ出そうとはせず、雨を降らせようともしない。先ほどと同じように井戸の様子をうかがい、集落を散策しただけだ。おかしな点は何もない。


 結局見回りが終わると長老の家に戻る。今日は自分たちの願いを叶える気はさらさらないらしい。

 集落は困窮しているのに悠長なことだ。


 おそらくエンキという男に雨を降らせる力はない。奴は神ではないからだ。長老や集落の仲間が都合よく勘違いしたことを逆手にとって自分たちをだましているのだろう。


 男は数名の仲間と交代しながら長老の家の様子をうかがっていた。

 そろそろ自分たちをだますのは限界がきていると、エンキは理解しているはずだ。ならば、そろそろ集落から逃げ出す。

 絶対に化けの皮をはがして報いを受けてもらうと男は意気込んでいた。


 夜も更け、集落の人が寝静まるころ。真っ暗な夜でも男はずっと寝ずに長老の家を見張っていた。


 さすがに夜も更けてくると眠気を覚えてくる。だが、そんな眠気も吹き飛ぶような声が響いた。


「【エンキ】、【外】、【いる】! 【川】、【行った】!」


 集落中に響き渡る声。住人たちも何事かと目を覚ます。


 男は目を見開いた。

 おかしい。長老の家をずっと見張っていたが、エンキの姿は一度も見ていない。エンキは家の中にいるはずなのだ。


 長老の家に押しかけ、エンキのいる部屋に向かう。部屋の前にはエンキの世話をしていた小間使いの女もいる。部屋には小さな窓しかなく抜け出すことはできない。もし外に出たのならば小間使いの女が絶対に目撃していなければならない。しかし彼女もエンキが外に出たところを目撃してはいなかった。


 ドアを開けて、真っ暗な部屋の中に明かりを突き付けるがベッドの上にエンキはいない。どうやって逃げ出したのかはわからないが、長老の家から逃げてしまったようだ。


「畜生、逃げやがった! 逃すものか! 奴を追いかけるぞ!」


 男は怒りに身を任せてどかどかと音を立てながら長老の家を後にする。異変に気づいて起きた集落の仲間を引き連れて、川へ向かった。


 それにしてもエンキはどうやって長老の家から脱出したのだろう。川へと急ぎながら男は不思議に思った。自分や小間使いの女がずっと見張っていたのに、長老の家から抜け出すなどできるはずがない。エンキは本当に神だとでもいうのか?


 疑問に思いつつも川へ走ることをやめない。仲間の速さは一律ではなかった。急げば急ぐほど脱落者も出てくる。

 脱落したのは誰か確認するため振り返って仲間に顔を向けたとき、男は強い違和感に襲われ、足を止めた。先頭を走っていた男が足を止めたことで、エンキが見つかったのかと仲間たちも足を止めた。


「最初にエンキを見たものは誰だ?」


 この場にいた十人を超える仲間たちはみな顔見知りである。この場にいる仲間だけではない。集落のものは長い間全員が家族のように過ごしてきた間柄だ。


「叫び声に起こされたのだろう? あの声はいったい誰だ?」


 だからこそ、集落の全員の声も知っている。

 エンキが外にいると叫んだ声の主。エンキとは別人の若い男の声であり、集落の男の声には似ていた。けれどもはっきり誰が叫んだのか、わからなかった。


 男の問いに仲間たちも困惑する。誰一人自分だと名乗り出るものはいない。不思議なことに、ここにいる全員が逃げたエンキの姿を見たこともなければ、叫んだ主の姿さえ見たことがなかったのだ。

 暗闇の中であるとはいえ、影すらも見たことがないのは不自然ではないだろうか。


 村中に響き渡る大声であるにもかかわらず、声の出元もはっきりとしない。


 冷静に考えれば考えるほど、不自然な点が多かった。

 そもそもエンキはなぜ川へ逃げたのだろうか。川に水があれば舟を使って下流に逃げ出すなんてこともできるだろうが、現在は水が枯渇して舟は使い物にならない。


 もし自分たちから逃げるのならば、エンキが乗っていた不思議な舟がある森に逃げなければならない。あの不思議な舟は空を飛ぶ。だからこそ長老たちはエンキが神であると錯覚した。もしエンキが舟に逃げ込んで空に飛んでしまったら、自分たちは手出しできない。絶対に安全な場所だともいえる。


 不思議な舟のある森は川とは逆方向だ。これでは森から離れてしまうだけだ。


 思えば、自分が向かっている川もあの声を頼りにしたものだ。

 あの声はどこか片言だった。声は違っていたが、まるで言葉を覚え始めたエンキと似た片言。


 もしこれがエンキの仕組んだことだとしたら、自分たちはまんまと川へ誘導されたのではないか。


「しまった、これは奴の罠だ! 奴は村にいる、いや、もうすでに森に逃げているかもしれない! 引き返せ!」


 男たちは急いで村へ引き返し、森へ向かう。


 だが一歩遅かった。

 真っ暗だった闇夜がまばゆく強い光にかき消される。見上げれば、空を飛ぶ不思議な舟が光を放っていた。

 間違いなくあの舟にいるのは、あの舟の主であるエンキに違いない。


 神なのか人なのかはわからない。だがあいつは雨を降らすことなく空へと逃げていく。自身のうかつさと無力さにさいなまれながら、男は膝をつき地面を叩いた。



「……よし、何とか気づかれなかったか」


 部屋に侵入した男たちが離れたあと、エンキはこっそりとベッドの下から抜け出した。


「古典的な手だけど、ティアマトじゃあまり知られていなかったみたいだな」


 案外身近なところに隠れている。サスペンスやホラーでは常套手段だが、意外に気づかないものらしい。


 この集落では夜中になると真っ暗になる。文明の利器がない以上、頼りになるのは松明など頼りない光源ぐらいだ。きちんと調べなければ薄暗い部屋の中、さらに暗いベッドの下を見落とす可能性は十分にあった。


 周囲の様子をうかがいながら、人がいないことを確認すると静かに長老の家から抜け出す。記憶を頼りに井戸の近くへ移動する。


「よかった、これが見つかっていたら終わっていたな」


 再度集落を見回ったときにエンキは枯れた井戸の様子をうかがうふりをして、ウェアラブルデバイスを井戸に隠した。


 ウェアラブルデバイスにはちょっとした細工を行っていた。作成した合成音声を夜中に大音量で再生する細工を。

 合成音声は集落の若者の声に似せたものであり、川のほうへ自分が逃げたと嘘の情報を流し、集落の人の目を欺く。


 エンキが逃げ出すには集落の人の目を一時的にでも別のところに向ける必要があった。そのためこんな大掛かりな手段をとったのである。


 もっともこれも綱渡りだった。もしベッドの下にエンキが隠れていることに気づかれたら、あるいはウェアラブルデバイスを隠したことがばれたら、失敗して身の保証はなかったはずだ。


 だがまだ成功したと安心できる状況ではない。まだ集落には人がいるのだ。ここで見つかっては元も子もない。


 息をひそめながら森へと走る。作業艇の位置はウェアラブルデバイスで表示されるので一直線に向かう。ウェアラブルデバイスのライトをつけても、地理や森歩きに慣れていないエンキは途中で足がつっかえそうになるが、もし逃げきれず追手に捕まるものならば自分の命に関わる状況なので必死に走り続けた。


 幸い作業艇に張り付いている集落の人はおらず、エンキはそのまま作業艇に逃げ込む。作業艇の中に入って扉のロックをかけると、汗だくになったエンキはへたり込んで息を吐いた。


 ここまでくればもう安全だ。早く逃げ出そう。早速作業艇を空へ浮かせ、森から離脱する。

 そのとき、追手であろう集落の人の姿が見えた。


 きっと自分に対してすごく怒っているのだろうとげんなりしたが、実際の様子はそれだけではなかった。

 空を飛ぶ作業艇に視線を向ける集落の人。悔しさをにじませているものもいたが、それと同時に明日からどうするのか絶望したような暗い顔も多かったのだ。


 エンキの歓迎で大量に消費した食料の備蓄。これらを失ったことで集落の崩壊は早まった。自分たちが神だとあがめた存在が一度は希望を見せ、そして絶望に叩き落したのだ。


 エンキは集落の人々の顔を思い出す。あそこには若者だけではない、老人や女子供もいる。神と間違われたとはいえ、大いに歓迎してもらった恩もある。命からがら逃げだしたとはいえ、さすがに罪悪感を感じずにはいられなかった。


「さすがにこのままお別れじゃひどすぎる。恩はちゃんと返さないとな」


 しかし人を救うというのも容易ではない。いまさら集落に戻るわけにもいかない。水不足の問題を解消して結果を出さなければ、彼らも自分を受け入れることはないだろう。


「そういえば、あの川って雨が降る前から水が枯れているって話だったよな。やはり雨とは別問題なのか?」


 川のことを思い出したエンキは、川をさかのぼって上流に向かう。


 作業艇で数時間かけ上流へ行くと集落につながる川は大河とぶつかった。


「ああ、あの川はこの大河の分流の一つだったのか」


 大河の水面が作業艇から照らし出される光を反射していた。少なくとも大河には水がある。どうやら集落周辺は干ばつだが、大河周辺は干ばつの影響を受けていないらしい。


「でもなんで大河には水が流れているのに、分流に水が流れていないんだ?」


 エンキが大河と川の分岐点を調べてみると、大岩が落石して大河と川を遮断している。さらに詳しく調べるため分岐点の近くに降下した。

 調べてみるとこの周辺の地形は岩山のようで硬い鉱石でできている。おそらく大岩も同じ鉱石のようだ。


 集落で使われている金属は青銅製であり、青銅は希少なのか道具は木製のものが多かった。青銅ではこの鉱石よりも柔らかく、鉱石を砕くのは無理がある。


 機械なしに人力だけで大岩を取り除くのは難しい。別の方法、たとえば新たに水路を設け迂回させることは可能かもしれないが、岩山を避けて作るにはかなり遠回りしなくてはならない。

 集落の人を総動員して、いやその百倍以上人がいても年単位でかかるような大工事、しかも高速の作業艇で数時間もかかるような遠い場所する時点でこの案は不可能だ。


 仮に集落の人が大岩でせき止められていることを知っていたとしても諦めるしかなかった。


「よかった、これなら何とかできそうだ」


 もっともそれはティアマト人では、だ。惑星ティアマトよりもはるかに遠い宇宙人であるニビル人のエンキならば不可能を可能にする手段がある。


 惑星探査の任務を円滑に進めるため作業艇には様々な重機が積まれている。その中の一つレーザー切断機。これは惑星探査船が航行中に小惑星などから物資を補給したり、探査した惑星で見つかった貴重な資源を切り出したりする際に用いられる重機の一つである。


 いくら硬い鉱石でも広い宇宙にはもっと硬い鉱石が存在し、切断機はそれらを容易に切断するように設計されている。目の前の大岩もあっさりと切断されてしまい、大河から水が流れ込んだ。


 もし水不足に頭を悩ませ、困っていたティアマト人がこの光景を目撃していれば、あまりにあっさりと解決させられたために愕然としてしまうだろう。


「よし、水量も十分そうだ。でも下流で氾濫が起きるかもしれない。ちゃんと集落まで着くか見届けなきゃいけないな」


 水の流れに合わせて作業艇を飛ばし、元来た道へと引き返す。とっておきの朗報を携えて。



 集落では長老が人々に対して謝罪を繰り返していた。自分がエンキを神だと間違える大失態を犯してしまった。謝ってもつぐないきれない状況でも、長老はただひたすら頭を下げるしかなかった。


 もはや食料の備蓄も残り少ない。体力のある若者を数名、集落から送り出すことぐらいしか生存方法はない。残りの全員を犠牲にして。


 それでも長老を責める言葉は一言も出なかった。怒りがあるとすれば、自分たちをだまし逃走したエンキだけである。


 残った備蓄を使って誰を生き残らせるか、そして誰を犠牲にするか。そんな相談を始めようかとしたそのときだった。


 上空で何か音がして、人々は空を見上げた。

 すると忌々しいあの舟が空を飛んでいたのだ。


 なぜ戻ってきたのか。逃げ出したのではないのか。何か忘れていたために舞い戻ってきたのか。


 いや、違う。

 あいつは高い空の上から自分たちを眺めて哂っているのだ。自分たちが苦しんでいる様を見下ろして。


 なんと忌々しいことか。人々の怒りが頂点に達する。血気はやった人の中には、舟にめがけて石を投げるものもいた。しかし、高い空の上では石など届かない。それすら眺めて滑稽だと哂っているのだろう。人々の怒りは増すばかりだ。


 何度かぐるぐると回った後、今度は川のほうへ舟は降りていく。

 もしかするとあの舟に石や槍が届くかもしれない。集落の人々は武器を手に、見逃すまいと舟を追いかける。


 追いかけ、追いかけ、追いかけ。じりじりと距離が近づいてくる。

 逃すものか、逃すものかと追いかける。

 ようやく石や槍が届く距離まで近づいてくる。


 しかし、そのとき人々の耳に不思議な音が聞こえた。

 それは長い間耳にしたことがない、ひどく懐かしい音だった。


 まさか、そんな、ありえない。幻聴ではないのか?

 おそるおそる舟がいる方向へと足を運ぶ。人々は舟を追いかけてきたはずだった。しかし、彼らはそのことをすっかり忘れている。


 ひんやりとした風が漂ってくる。

 まさか、まさか、そんな、本当に――。


 目の前には自分たちがずっと望んでいた光景があった。

 川に水が戻ってきている。

 そんな馬鹿な。もはや水は枯れ果てていたのではないのか?


 神聖なものに触れるかのように水をすくう。感触、手の隙間から零れ落ちていく。本当かどうか確かめるために口に含む。すっと体の中にしみこむ。

 人々は何もかも忘れて一心不乱に水を飲み始めた。


 火照りも怒りもすべてをかき消していく。

 そんな自分たちの姿を眺めていた舟はゆっくりと降りてきた。


 ああ、自分たちは間違っていた。

 エンキ様は、あのお方は約束を違え、嘘をついて集落を逃げられたのではない。

 約束を叶えるために集落を出られたのだ。


 そんなエンキ様のことを自分たちは恨み、石を投げたにもかかわらず、罰を与えるどころか慈悲を与えてくださった。


 舟からエンキ様が降りてくる。


「みんな、ごめん。逃げ出して本当にすみませんでした。でも川に水を流れるようにしてきたから、これで許してくれないかな?」


 エンキ様の言葉は自分たちにはわからない。けれどもきっと約束を果たしたことを自分たちに伝えているのだろう。


「ん、あれ? みんなのしゃべっている言葉がわからない? ああ、そうか。合成音声を再生したときに、翻訳アプリを切っていたんだった」


 自分たちの感謝の言葉もエンキ様には通じないかもしれない。けれども約束を守り集落に水をもたらしてくれたエンキ様に感謝の思いを伝えよう。


 人々はみな神に感謝を告げるため、神の前でひざまずいた。


「え、え、何これ? もしかしてみんな、まだ勘違いしたままなのか? 違う、違うから、俺、神様じゃないから!」


 人々は口々に神に感謝の言葉をささげる。

 ああ、慈悲と恵みの水の神エンキ様、万歳。


「お願いだから、話を聞いてくれ! ああ、もう! どうしてこうなった!」




 キエンギという地方で伝承されている神話をキエンギ神話と呼ぶ。その神話にはエンキと呼ばれる男神がいた。

 エンキは知恵と魔術と水を司る神であり、人とともにあり数々の神話に登場して人々を助ける。そのため人々に慕われ、信仰され続けた神であった。


 これは、神と人が交わる神話の時代に遥か彼方にある神の国から来訪し、苦しむ人々の嘆きに応えて地上に降り立った慈悲深い宇宙人(かみ)の物語である。


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