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3話


 エンキは混乱の極みにいたが、ゆっくりと考えている暇はない。

 不安そうな村長がエンキの答えをじっと待ち続けていた。


 けれどもエンキにしてみればたまったものではない。雨を降らせる方法なんて皆無なのだから。


「【少し】、【時間】、【ほしい】」


 エンキにできることは時間を稼ぐことだった。

 エンキの考えていることが必ずしも正しいとは限らない。ここで安易に回答して間違えたら事態はより悪化する。集落の状況を調べて確証を得なければならなかった。


 村長が露骨に落胆していたがエンキは外へ出て、考えをまとめる。


 まずは現状を確認する必要がある。

 長老は雨を降らせてほしいと願った。

 つまり集落は干ばつが起きて、水不足になっているはずである。作業艇で降り立った森や集落は乾燥した気候だ。たまたま雨が降らない時期が長引き、水不足に陥っている可能性は低くない。


 しかしながら、毎回食事には酒や水が多くふるまわれている。だからこそ集落が水不足であることにエンキは気づいていなかった。


 幸いエンキの後ろには小間使いの女性も付き従っている。彼女に話を聞きながら、水不足によってどの程度村に被害が及んでいるのか、また現状の水の備蓄はどの程度なのか調べようと集落周辺を散策することにした。


 エンキは理解していなかった。

 もし人の手で解決できるような簡単な問題ならば、そもそも人は神に頼りはしないのである。



 調べれば調べるほどエンキは集落の窮状を目の当たりにしていた。

 集落に複数あった井戸は水がつきかけており、百人規模の集落では一月も持たないぐらいの量しかない。

 そして水不足は農作物にも影響している。日照りが続いている結果、作物は枯れ果て食料もおぼつかない状況だ。


 エンキの歓迎で振舞われた料理は、困窮している中で少ない食料を無理にかき集めたものだ。少しでも神の機嫌を取って、雨を降らせてもらうために。


 集落はそのぐらい困窮するほど大干ばつに見舞われていたのである。


 そしてエンキは集落の外れに来ていた。


「ひどい、川の水が完全に干上がっている」


 井戸以外の水源がないか調査したところ、集落の外れに川があった。

 井戸よりもずっと以前に川の水は枯れ果てているようだ。水の一滴もない。露出した川底は小石や乾ききった水草、魚の骨ぐらいしか残っていない。

 魚でも取っていたのだろうか、舟もある。もっとも干上がった川には必要のないもので長い間放置されているようだった。


「【雨】、【いつから】、【ない】?」

「【六】、【月】」


 川の下流には小さな湖があったような痕跡がある。そちらもすでに乾ききっており、わずか半年でこれが井戸よりも先に乾ききるなんてエンキには信じられなかった。


 するとエンキと一緒に村を回った女性が川を見ながら言った。


「【川】、【水】、【ない】。【雨】、【ない】、【少し】、【前】」

「【雨】、【ない】、【少し】、【前】? 川の水がなくなったのは雨が降らなくなる以前からなかったのか?」


 井戸はともかく川の水がなくなったのは雨が降らなくなった前からのようだ。水源が枯れたのかは不明だが、川の水がなくなったのは干ばつ以外の理由なのかもしれない。


 一通り状況を見て回ったので、エンキは集落へと戻る。集落の水不足はかなり深刻な状況であると言わざるを得ない。


(水がないと人は生きていけない。これ以上雨が降るのを待つわけにもいかないし、百人規模でこの集落から近隣の水場まで移動するのも周辺地域一帯が干ばつにあっていたら移動もままならない。集落の人の力だけじゃ手詰まりだったんだな)


 通りで急に現れた正体不明の人物を神とあがめて、雨を降らせるように頼むわけだ。

 そんなことを考えていると、エンキは道の外れに奇妙なものを見つけた。


 野ざらしにされた動物の骨。木に縄で括りつけられていたのだろうか。

 なぜ集落の外れでこんなものがあるのか、不思議に思ったエンキは注意深く骨を観察していると、あることに気づいて息をのんだ。


 あまりにもぼろぼろになっていなかったのだが、その骨は服を着ていた。

 すなわちこの動物の骨は人間の骨。埋葬されずずっと野ざらしにされていたものである。


「ティアマトじゃ死んだら埋葬する習慣はないのか? 身内にしては雑に扱っているようだが。他の人の骨もないし。【あれ】、【集落】、【人】?」

「【集落】、【人】、【違う】」


 小間使いの女性は否定した。骨に向ける視線は侮蔑を含んでいる。


「【集落】、【物】、【取った】。【悪い】、【人】」


 集落の物を取った。いや集落から何かを盗んだ賊のようだ。

 正体がわかっているということは集落の人が賊を捕まえて罰を与えたのだろう。木に括りつけられていたのではなく、木に縛られて逃げ出すことができず、その場で最期を遂げたということ。


「そんなの拷問じゃないか……!」


 犯罪者への非人道的な扱いにエンキは戦慄した。

 集落には裁判所や警察は存在しない。集落で犯罪が起きた場合、法も刑罰も集落の人の裁量によって決まる。


 仮に困窮した集落の人をだまして貴重な食料を巻き上げた一人の詐欺師がいたらどうなるのだろう。集落の人は詐欺師を必ず糾弾するはずだ。


 ここには弁護人もいない。詐欺師は自身で弁護しなければならない。百対一の状況で。これでは確実に敗訴してしまうようなものだ。


 そんな詐欺師の末路はどうなるのか。集落から追い出されるだけならばまだいい。だが、貴重な食料を奪われた恨みは恐ろしい。


 ひょっとすると木に縛られて、自分もあの骨と同じ末路を――。


 エンキはぶるっと身を震わせた。

 恐怖におののきながらもエンキは集落へとたどり着く。

 すると長老の家が騒がしくなっていた。


 どうやら集落の人たちが長老の家の前に集まっているようである。いつもの宴のような和やかな雰囲気ではない。


(あっ、これやばいやつだ)


 えもいわれぬ嫌な予感。集落の人たちの異様な雰囲気にエンキはその場からすぐに逃げたくなった。


 しかし、集落の人がエンキに気づくのに時間はかからなかった。百人近い集落の人の視線がエンキを貫く。

 そしてあっという間に集落の人に囲まれると、彼らは一糸乱れぬタイミングでエンキにひざまずいた。


「【エンキ】、【お願い】。【雨】、【水】、【お願い】」


 集団の先頭にいる長老が地に頭をこすりつけて必死に懇願する。その行動に集団もならった。集落の人は次々に【お願い】、【雨】、【水】を連呼している。


 一人で頼んでもエンキから色よい返事をもらえなかったので、今度は集落の全員を巻き込んだらしい。なりふり構ってはいられなくなったのだろう。実質この集落がそこまで追い込まれているのは確かだ。


 エンキが願いを叶えると約束するまで人々は梃子でも動かない。一歩も引かないそんな覚悟がありありと現れていた。


 もしここで自分が神様ではないことや、あるいは雨を降らせないなんて口走れば、大暴動の始まりだ。おそらく同時にエンキの命日は今日になる。そんな迫力があった。


「【わかった】。【時間】、【ほしい】」


 プレッシャーに押されて言質を取られてしまった。だがここで肯定しなければ、正直自分の身の安全が保障できない。脅迫めいたお願いだ。

 時間を稼いだのも考える時間が欲しかったのと、ちょっとした抵抗の意でもある。


 もっともそんな意図など集落の人にはわかる由もない。彼らが重要視しているのは神が願いをかなえてくれると約束したことだ。

 エンキの言葉に集落の人は涙を流す。そして次々にエンキに礼を述べる。ひきつった笑顔でエンキはそれに応えた。


 集落の人は要が終わったとばかりに引き上げていく。エンキも肩を落として長老の家へと入っていった。


 涙を流さず、エンキに礼も言わなかった若者を残して。



 部屋に戻ったエンキは頭を抱えた。


「どうしよう、これ」


 もうこれで引き返すことはできない。前言撤回しようものなら即人生が終了だ。

 エンキの人生の中でも初めてぐらい必死に頭を回転させる。


 何らかの異常気象が原因で干ばつが起きているのだろうが、残念ながらエンキは雨を降らせることはできない。雨を願う集落の人々の期待には応えられなかった。


 しかし根本的な問題を解決する方法はある。要は水不足さえ解消できればいいのだ。エンキには集落の人では実現できない方法が二つある。


 一つは作業艇で水場のある遠隔地から水を運搬する方法だ。

 ただし問題もある。それは作業艇の燃料だ。百人分の水を運搬すると水場から集落まで何往復もする必要がある。

 しかもこの地の干ばつがいつまで続くかわからない。水場がどこにあるか探索しなければならないし、作業艇の燃料も限りがあって補給できない以上、救助が到着するまで燃料が持つか不確定要素がある。


 もう一つの方法は集落の人々を水場の近くに移住させる方法である。

 これならば水場への往復が少なくなり、作業艇の燃料の消費が少なくて済む。

 もちろんこの方法も問題があって、集落を捨てなければならないことや水場周辺に百人も居住できる環境があるか不明だ。


 どちらも一長一短だが解決法を提示できる。


「なんだ、思ったよりも簡単じゃないか」


 冷静に考えれば解決法はいくつもあるとわかると、精神的な重圧から解き放たれる。


「じゃあ急いで作業艇に向かおう。下手に遅れてまたあんなプレッシャーにさらされたくないぞ」


 善は急げとエンキは長老の家から出る。

 だが、家を出たエンキの前に集落の若い男が立ちはだかる。若い男たちを率いている男はエンキも見覚えがあった。


(最初に長老と出会ったときにいた槍を持った男だ)


 いきなり槍を突き付けられたことから男のことはエンキの印象に強く残っていた。


 男たちは他の集落の人とは違い、明確に友好的な雰囲気ではない。


「【エンキ】、【どこ】、【行く】?」


 翻訳上では感情のない平坦な声だが、男の口から発したのは語気の強いティアマト語。嘘は許さない。そんな強い意志を込めたような声だった。


「【集落】、【外】、【行く】」


 そう、エンキは集落の外へ行かなくてはならない。作業艇の所へ行かなければ――。


「作業艇ってティアマト語でどう言えばいいんだ?」


 エンキが理由を説明しようとするが、説明すべき作業艇の語句に該当するティアマト語など知らない。そもそも科学技術が劣るティアマトに宇宙船の概念が存在するはずがないのだ。


 言葉に詰まっているエンキをよそに男は無情にも首を振った。


「【集落】、【外】、【出る】、【ダメ】。【願い】、【先】」

「そんな!? さっき川に向かうときには何も言われなかったのに!?」


 翻訳が間違っているのかと疑ったが、実際にエンキの行く手を遮っている以上、彼らはエンキを逃すつもりがないのは明白だ。


 男はじろりとエンキをにらんだ。それは他の集落の人とは明らかに違う態度。本来神と思われているはずのエンキに対してひどく不遜な対応だった。


「【エンキ】、【神】、【本当】?」


 その一言で、エンキは凍り付いた。


 男の対応が他の集落の人とは違う意味が分かった。この男は明らかにエンキのことを神ではないと疑っている。

 まだ疑っていることから必ずしも確信があるというわけではないのだろう。彼の直感なのかもしれない。だが胡散臭い視線や神かもしれない相手に失礼な態度をとることからも強く疑っているのは確かだ。


 だがその直感は当たっていた。


「【本当】、本当だから! 【私】、【神】!」


 エンキは懸命に嘘を重ねた。ひたすらこの場をしのぐために。

 絡みつく不穏な視線は変わる気配はない。


「【エンキ】、【集落】、【いる】。【私】、【エンキ】、【ずっと】、【見ている】」


 【私】、【エンキ】、【ずっと】、【見ている】。

 私はエンキをずっと見ている。好意のある異性の情熱的なささやきであれば彼も喜んだであろうが、残念ながら情熱のかけらもない凍土のような冷酷な同性の監視宣言。


「【わかった】。【私】、【家】、【帰る】」


 エンキはすぐさま回れ右して退散した。若い男たちは肉体労働で自然に鍛えられたのか体格がよく、そんな連中にエンキが立ち向かったとしても返り討ちである。


 だが部屋に帰ったところで完全に手詰まりだ。プレッシャーから解放されたばかりなのに、再びプレッシャーに押しつぶされそうになる。さらに状況が悪化したうえで。


 あの男たちは雨を降らせない限りエンキを逃すつもりはない。

 よく考えれば、あの男たちがいなかったとしても集落の人は最初からエンキを逃すつもりはなかったのだろう。

 エンキは女性が単に自分の身の回りの世話をしているだけではないことに気が付いた。彼女たちはエンキの行動を監視する見張りでもあったのだ。


 集落の外に出られない。これはエンキにとって致命的な状況だった。


「どうしよう。これじゃ作業艇に近づけないじゃないか」


 水不足の問題を解決するには作業艇を使うことが必須条件だ。

 エンキ単独では雨を降らすことはできない。このままでは集落の人を裏切り、神を詐称した人物として裁かれるしかない。


「なんとかここから脱出しなくちゃ」


 断罪のときが来るのが先か、エンキが集落から脱出するのが先か。

 エンキは恐怖におびえながら必死に頭を働かせていた。



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