1話
「やはり自力で帰還することはできないか」
コンソールを操作しながら、男は匙を投げた。
男――名をエンキという――は惑星探査の任務で、母星であるニビルからはるか遠いこの惑星へと惑星探査船で訪れた。
しかし、運が悪く惑星探査船は事故に遭い消失。エンキは惑星探査船に搭載されていた作業艇に乗り込んで命からがら脱出し、探査の目的の惑星であるティアマトに不時着した。
「こりゃニビルから救援を待つしかないな」
母星であるニビルから惑星探査船で約一年。銀河間を航行する惑星探査船とは異なり、作業艇は銀河間を航行するだけの能力と物資がない。自力での脱出は早々に諦めて、本国の救援を待つほかなかった。
惑星探査船を失ったのは不運だったが、何も不幸ばかりではない。なぜなら運よくこのティアマトに不時着できたからだ。
そもそもエンキがティアマトへ惑星探査の任務についたのは、ティアマトがハビタブルプラネットだったからだ。
ハビタブルプラネット――有機生命体が生存できる環境の惑星。特にティアマトはエンキの母星であるニビルとサイズや環境が酷似しており、極めて有機生命体が存在する可能性が高かった。ニビルが観測した惑星の中でも極めて珍しい惑星である。
本来であれば救難信号を送ったとしてもニビルまでの救援が来るまでに時間がかかり、作業艇にある限られた物資だけで生活するには心もとない。
しかしながら、ニビルと環境が酷似しているティアマトならば物資の補給ができる可能性がある。
「とにかく作業艇の外に出て物資が補給できるかどうか調査してみよう。もしかしたら宇宙人がいるかもしれないな。なんて、いるわけないか」
ティアマトはニビルと環境が酷似しているとはいえ、必ずしも有機生命体が存在するとは限らない。ましてやニビル人のような人型の生命体、いわゆる宇宙人とはニビルの有史以来、接触したことはなかった。
エンキは念のため船外宇宙服を着て外へ出る。
惑星探査船からモニター越しに船外を観測していたものの、実際目の当たりする外の風景は印象が異なる。
惑星探査船からのぞいたティアマトは青い海と緑の大地に覆われた生命に満ち溢れる惑星だった。
「観測する限り大気は完全にニビルと同質で安全は確認できたけど」
計器で調べて安全を確認するとエンキはヘルメットをとる。目の前の風景はまったくの期待外れのものだった。
不時着した場所は森の中だ。本来であれば若々しい緑が広がり、動物が森の中を駆け巡り、動物の鳴き声が森に響き渡る。
それなのに枯れた草木、干乾びた大地、風もなく無音に近い静かで殺風景な風景。
「生命に満ち溢れる惑星どころか死の惑星じゃないか!」
表紙に騙されて買った電子書籍のような気分でエンキは思わず叫ぶ。
もっとも生命に満ち溢れた惑星であるニビルとて広大な惑星だ。陸地の中に砂漠や荒廃地も存在する。たまたま不時着した場所が荒れ果てた森の中だっただけに過ぎない。
「仕方ない。別の場所へ移動するか」
幸い不時着したが作業艇の動力は活きており、燃料も十分ある。エンキは作業艇へと引き返す。
がさがさ――。
風が吹いていない森の中で音がした。エンキはぱっと音のしたところへ振り向く。
たまたま枯れ葉が落ちて音を立てたのだろうか。それとも、何かがいるのか。
ティアマトはハビタブルプラネットであり、何らかの動物が存在しても不思議ではない。過去にニビルが発見したハビタブルプラネットでも非常にレアケースだが現地生物は観測されている。
仮に生命がいるのだとしたら、そこにいるのは野生生物である。それが草食性のおとなしい生物であればいい。だが、凶暴な肉食獣であれば話は別だ。襲われたらエンキには自身を守るすべはない。
エンキは音のする場所から目を離さない。それでもいつでも作業艇の中に逃げ込めるよう引け腰になりながらゆっくりと後ずさりしていく。
ぬぅっと正体不明の生物が姿を現す。エンキは驚きのあまり目を見開いた。
「……もしかして、人、なのか?」
現れたのは小柄な老人と若者たちの集団。一様に日に焼かれたのか色黒で、痩せているが筋肉質なのか体格はよい。
彼らの服装は巻衣である。素朴で物珍しい特徴的な服装は、彼らの文化がニビルとは違う異文化であることを強く認識させた。
過去にニビル人がこの宙域を訪れた歴史はない。彼らは正真正銘の知的生命体――宇宙人、ティアマト人なのだろう。
「まさか本当に知的生命体がいるなんて。やばい、これ歴史的な大事件だぞ!」
自分が巻き込まれた不幸な事故のことを忘れて、エンキは興奮した。
有史以来、初の未知の人類と遭遇。教科書に載るであろう大事件の場に自分はいるのだ。興奮せずにはいられなかった。
おそらく彼らは作業艇が不時着したのを見て、異変に気付き、様子をうかがいに来たのだろう。惑星探査船と比べれば作業艇は小さな船だが、作業用の機械を乗せるために相応の大きさがある。地上から見れば作業艇の落下は広範囲で目撃されたはずだ。
「やあ、こんにちは」
友好的に話しかけてみる。だが、記念すべき初邂逅が必ずしも友好的とは限らない。
若者たちは手に持った木製の槍をエンキに突き付けた。
「わっ、わっ、ちょっと待ってくれ!」
「〇△□×……!」
いきり立つ若者たち。急に槍を突き付けられ焦るエンキ。
その若者たちを止めたのが小柄な老人だった。
老人は若者をしかりつけているが、若者も反論する。だが老人が言葉を重ね、しぶしぶ槍を収めた。
彼らが話す言葉はニビルに存在する言語とは異なる未知の言語である。エンキには全く理解できなかった。
「もしかしてこの森は彼らの土地で勝手に侵入したのを怒っているのか?」
事故が原因でありエンキの落ち度ではないが、彼らがそれを理解できるかは微妙である。
銃ではなく木製の槍を持っていることから、彼らの文化は相当に科学技術の発達していない原始的な文化であると見て取れる。おそらく作業艇はおろか電子機器や機械すらこの惑星には存在しない。
つまり、事故の状況を伝えようにも宇宙船の概念、下手すれば宇宙すら彼らには理解できないのかもしれないのだ。
ただでさえ言葉が通じない状況で、相手に弁明するのはもはや不可能に近い。
どうやって彼らに伝えようかエンキが思い悩んでいると、小柄な老人が話しかけてきた。
「×△□★、【アヌンナキ】?」
雰囲気で自分が何者か問われているのだろう、とエンキは察した。特に【アヌンナキ】という言葉が強調されている。よほど重要なキーワードのようだ。
「【アヌンナキ】って何だろう……?」
エンキが首をかしげていると、老人も自分の言葉が通じていないことに気づいたのだろう。老人はすっと空を指した。
「空? 指をさすなら何か理由があるんだろうが」
空を見ても青空だけだ。あるとすれば照り付ける恒星かわずかな雲ぐらい。しかし、老人は特定のものを指しているようには見えない。空よりもずっと遠い。いや、空よりも上のもの。
「ひょっとして宇宙を指している? もしかして宇宙の概念をわかっているのか?」
ありえない話ではない、とエンキは思った。
ニビルも宇宙船すらなかった時代に天体を観測して方角を知るなど、はるか昔から宇宙について研究がなされていたのである。
ニビルから遠く離れたこの惑星でも同様に宇宙について研究がなされているのかもしれない。
「この老人は俺が宇宙から来たのかと尋ねているのか? つまり【アヌンナキ】は『宇宙人』って意味か!」
彼らは宇宙の概念を理解しているようだ。説明する手間が省け、エンキは内心安堵した。
「その通り。俺は【アヌンナキ】。ニビルって星からきた宇宙人だよ!」
エンキは自身が宇宙人であることに肯定の意を返す。
すると彼らは警戒を解き、突然エンキに向かって土下座し始めたのだ。
「えっ、この星にも土下座する文化があるのか? それともこの星の文化じゃ土下座は別の意味を持つとか? ちょっと待って、そっちの落ち度は何もないぞ。いたたまれないから顔をあげてくれ」
エンキは顔を上げさせるが、彼らは顔こそあげるものの姿勢を崩そうとはしない。エンキは無理にやめさせることを諦め、身振り手振りを交えて彼らとのコミュニケーションを図る。
「俺の名はエンキ。わかるかな?」
「★■◆、エンキ◇?」
「よし、通じた。身振り手振りを交えればどうにか伝わるようだな。でも複雑な会話となると理解不能だ。こればかりは会話を重ねて単語を覚えていくしかないか」
槍を収めた彼らはもうエンキを敵視している様子はなかった。ならば友好的に接することは可能である。
事故の説明と物資の補給について彼らと交渉したいところではあるが、互い言葉が通じない以上、時間をかけるしかない。
「☆☆△〇〇、エンキ◇。★■■■●?」
老人は立ち上がり、若者とともにエンキから離れる。エンキは理解できずに呆然と老人の姿を見送っていたが、老人はエンキに向かって手招きした。
「ついてこいってことか。いったいどこへ連れて行くつもりなんだろう?」
命の綱の作業艇から離れることにためらいはあったが、ティアマト人と信頼関係を結ぶためにも断るわけにもいかず、エンキは彼らの後についていく。
老人たちは森を抜けると小さな集落に出た。どうやら彼らの集落のようだ。
ニビルでは見かけることのない光景にエンキは興味深くきょろきょろと眺める。
集落の規模は小さい。せいぜい百人ぐらいの規模だろうか。
家屋は高くても二階ぐらいで、壁は粘土か何かを乾燥させた土壁だ。
道路は舗装されてはおらず、道端には井戸も見受けられる。街灯などは存在せず、夜になればきっと真っ暗闇に包まれるであろう。また動物の糞も道端に転がっており、馬と似た四つ足歩行の動物を飼っていることから、移動手段に利用しているらしい。あるいは農作業用なのだろうか。
農具のようなものには先端に黄金の輝きをさせている金属が使われている。すわ金かと思ったがどうやら青銅らしい。
老人たちの風貌からある程度予測はしていたが、やはり機械化は進んでおらず、ニビルの歴史と比べても相当に初期の文明と認識せざるを得ない。
集落にたどり着いた後、集落で一番大きい家に招かれた。
老人は家人に何事かを伝えると、家人はエンキの前に次々とたくさんの料理を並べて始めた。
「もしかして、俺のことを歓迎してくれているのか!?」
エンキの言葉を肯定するかのように老人は手ぶりでエンキに料理をすすめてくる。
なんということだろう。エンキは感動に打ち震える。
縁も所縁もないはるか遠くから訪れた珍客である宇宙人に対してここまで歓迎してくれるなんて。
「ありがとう。この恩は必ず返すよ!」
ティアマト人と言葉が通じるわけではない。でも言葉が通じなくても異星人であるティアマト人とエンキは心がつながったような思いだった。
必ず彼らに恩返ししよう。少ない物資を融通するわけにはいかないが、幸い作業艇の中には農作業など重労働には便利な道具がいくつかある。それらを運用して彼らの仕事の手伝いぐらいはできるはずだ。
「事故で不時着した時はどうなることかと思ったけど、まさかこんな幸運に恵まれるなんてな。くうっ、異文化コミュニケーションは最高だぜ!」
料理と一緒に運ばれてきた酒をエンキは一気に飲み干す。
集落の人たちも巻き込んで、エンキを歓迎する宴は夜遅くまで続いた。