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焦土  作者: 織部 弘
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一話 帝都 壊滅

 東京に敵大型爆撃機数機、進入中との報が、東京都内の各スピーカーで流れ出したのは、昭和二十年九月四日の未明であった。

 東京都民は眠気眼を擦りつつ起床した。中には起床と同時に着の身着のまま、急いで防空壕に逃げ込む者もいたが、それは稀であった。なぜなら、数機編隊での進入はこれまでの経験上、すべからく偵察のためであり、空襲とは考えられなかったのである。まだ夜の明けきらない時間にたたき起こされた都民たちは、非常識な時間に侵入してきた敵機を呪いながら、慌ただしく朝の支度を始めた。

 そのとき日本陸海軍は、都民と同様に、今回の敵機来襲は偵察のためだと信じてなんら対策を講じなかった。

 だが、東京の高射砲隊だけは馬鹿真面目に、敵機に向けて砲弾を打ち上げていた。もっとも、敵機は高高度を航行しており、日本軍はそこまで届く射程の高射砲を持ち合わせていなかったので全く意味がなかったが。反対に、砲声が辺りにこだまして、都民を刺激するばかりであった。

その後、敵編隊は東京上空を悠々と二度旋回した。その姿はまるで、地上にじっと這いつくばる獲物を虎視眈々と狙う鷹のようであった。

 編隊はその後、皇居の方角に向かって航行し始めた。その間、地上の高射砲は砲身を真っ赤にさせながら、なおも連射を続けていた。

編隊は皇居の上空付近に来ると、突如、何の前触れもなく敵機の内一機が、爆弾倉をかぱと開いた。

 その様子は、高高度の出来事だったため地上からは視認できなかった。機は爆弾倉の扉に風のあおりを受けて、機全体がわずかにくらりと揺れた。その振動がやまないうちに、爆弾倉から鈍色に光る巨大な物体が投下された。

 その物体は、太陽の光を受けてきらりと怪しく光って、くるくると独楽のように回転しながら地上へ向けて加速し始めた。高度千メートルほどで真白な落下傘を開いてその速度を緩め、ふらりふらり風にあおられながらゆっくりと降下し始める。次第にそれは地上の人の目にもとまり、地上は騒然とした。

 高度五百メートルで、それは激しい燭光を放った。まるで太陽が頭上に出現したようであり、地上の人々は思わず顔を伏せ、目を手で覆った。にもかかわらず光は手の隙間から差し込んできて、顔を焼き、瞼を焦がした。全身には焼きゴテを押し付けられたような痛みが広がった。肉の焦げるにおいが鼻腔を刺激する。その匂いが自分の肉体から発せられているということに気づく暇もないまま、針のさすような痛みを持った熱風が体を押し倒した。いや押し倒すというよりは、薙ぎ払うといったほうが近かった。多くの人間が見えない巨大なこん棒で薙ぎ払われたように、立っていた場から数メートル吹き飛んだ。しかし、太陽直下付近の人間は吹き飛ばされた体が地面に落下しないうちに、太陽の発する強烈な熱線に身を焦がされ、一瞬のうちに塵屑となった。

 太陽直下に位置する皇居は、太陽の影響により瓦がまるで飴細工のようにねちゃりと融解した。ついで、熱風が皇居の石垣を様々な角度から襲い、上部の天守ごと地面から根こそぎ吹き飛ばした。

 東京の真ん中に位置する皇居はこの時、二百数十年の長い歴史を閉じたのだった。

 皇居の敷地内の吹上の森の美しい木々は、といえばそれは推して知るべきである。吹上御苑の土地の大半を占めていた銀杏、ケヤキの巨木らは、暴虐の限りを尽くす暴風によって一本残らず消失した。

草木一本にいたるまですべて悪魔の業火に焼かれつくされた。

 皇居からわずか数百メートルに位置する国会議事堂は、強固な煉瓦造りだったが、強力且つ残虐なる爆弾の前には、その抗堪性もなきに等しかった。

 関東平野の上に広がる東京五百万の人々の街も、中心から爆炎が吹き抜けていき、本土交通網の中心といってよかった東京駅、人心のよりどころであった帝劇、いつでも活気で満ち溢れていた浅草・浅草寺。西郷隆盛の銅像がぶぜんとした表情でそびえたつ日比谷公園。木と紙と瓦でできた日本家屋も、地上のすべてが細切れとなって東京の空に舞い散った。

 

 帝都に原爆投下の情報が、日本の中枢である長野、松代大本営に知らされたのはその日午後になってからであった。

 陸海軍首脳たちは、当初この情報を敵連合国による謀略情報であるのではないかと思った。しかし、続々と入ってくる情報はどれも正確さを堪えていて、彼らは信じざるを得なくなった。松代大本営は、直ちに東京救援隊を編成した。それらは軽武装の歩兵三千名で、鉄道車両により東京へとたった。車両には歩兵とともに、食糧他生活用品が満載されている。

 東京周辺の駅は皆、爆弾によって破壊されていたため、汽車に乗った救援隊は三日間揺さぶられて、横浜駅に到着した。

 そのあと、急行軍で東京に到着した。

 彼らは、東京に着いたとき、一様に目をみはった。

 歌詞にもあるような、花の都の東京は全くその煌びやかさを残してはいなかった。

 見渡す限り、建築物の瓦礫が折り重なる焦土であって、灰色の空からは頻りに黒い雨が降り落ちていた。

 存命者の救助と救援を目的としていた彼らであったが、その光景を目の当たりにして、既存の任務がまったくの無意味であると知った。

 彼らがやるべきは、瓦礫の撤去と炭化しきった死者をかき集めて荼毘にふすことのみであった。死者の遺体は、人間と判別できないようなものばかりで、まるで古新聞のカス炭のようで、かさかさとしたものばかりだった。触ると即座に砕け落ちるため救援隊はスコップを使ってそれらを掬い、一輪車に乗せて、瓦礫をどけた地面に一からげに集めて燃やした。

 町での作業を一通り終えた救援隊は、二つに分かれて、作業を行うことにした。一つはそのまま町に残って作業を続け、もう一つは宮城、つまり皇居へ救援に向かう。しかし、爆弾は皇居のすぐ近くに落ちていたため、一人の生存者もいないのは明白だった。

 それをわかっていた救援隊であったが、皇居を見過ごすことは彼らの心が許さないようだった。

 結果から言って、救援隊が皇居へ行ったのは全くの不幸であるといってよかった。彼らが皇居のあったあたりにつくと、生気が抜けたように座り込んでしまった。木々の緑の中に、天守の白い壁が美しいほど目にさえた皇居は今や原形をとどめていなかった。無造作に掘り返されたような、土砂まみれの大地が周りを川に囲まれていた。皇居に向かった救援隊は、ほうほうのていで皇居から去っていった。皆、一様に涙を浮かべていた。

 皇居に行った救援隊の情報は直ちに、松代大本営に送られた。

 

 


逐次投稿していきたいと思っています。できれば週一で投稿していきたいですが、なかなか難しいかもしれません。


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