第六話
ついでに、執事が彼を呼ぶときに使う呼び名『坊ちゃん』。
彼は「さすがに『坊ちゃん』は無い」と、何度が抗議した。
しかし、その度、執事の無言の圧力に屈している。
そのため、『坊ちゃん』呼びは続行。
ちなみにニコラについては、使用人の時は『ニコラ』。それ以外は『嬢ちゃん』と呼ばれている。
ロジャードは、「使用人だ」と言い張るニコラに、ふと湧いた疑問を口にした。
「……ところで、昨日は姿が見えなかったけど、どうしてたんだい?」
「朝からお昼までお洗濯してたです。その後、大掃除して、洗濯物を取り込んで、疲れて寝たです」
「そうか……」
昨夜、ロジャードはノエルの飛び火を恐れ、妹分のニコラを気にする余裕すらなかった。
彼はこれに反省し、俯く。
「どうしたですか?」
「いや……。昨夜ノエルさんが爆発したんだ」
「え? あ、そういえば皆さん慌てて帰ってたです」
「そう。あれから悪化してね。ニコラが居なかったことに気づかなかったんだ。ごめん」
素直に自身の非を認め、彼はニコラに謝罪する。
しかし、そんな彼を驚愕の表情で、手を止めて見つめる彼女。
「ごめんなさいです。ニコラその時、もう寝てたです」
「………………」
ニコラの爆弾発言に、彼は沈黙。
彼女は困ったように笑って言った。
「お互い様ですね!」
「……そうだね」
彼は苦笑いを浮かべた。
「ところで、若様。縫い物はいいんですか?」
「あ、やばい!」
ニコラの言葉でハッとし、慌てて踵を返し駆け出した。
彼女は、ロジャードが長い髪を揺らして走っていく後姿を見送る。
そして、たらいに向き直り、指で自身の髪を一房つかんだ。
「お兄様のように髪、伸ばそうかな……」
彼女はつかんだ髪を見つめ、小さく独り言をこぼした。
そのしばらく後。
ロジャードは自室に戻り、ベットに腰かけると、途中まで縫い付けていたハンカチを手に取って、それを急いで縫い始めた。
――数分後。
「ふぅ、終わった」
ため息交じりにいい、糸の始末をしてから針山に針を戻して裁縫箱の蓋を閉める。
それが終わった彼は、ベットから立ち上がり、少し離れた机の引き出しから青と赤の小さな紙袋を取り出して再びベットに腰かけた。
彼は作ったハンカチを、刺繍部分が目立つように畳んでサイトテーブルに置いていた。
残っているもう一枚のハンカチも同様にたたむ。
ロジャードが畳んでいるハンカチには、白猫と黒猫が少し距離を置き、長い尻尾でハートの形を作っている刺繍がされていた。
彼は、兎の刺繍のハンカチを青い紙袋に。
猫の刺繍のハンカチを赤い紙袋に入れ、折って封をする。
そして、それをサイドテーブルに置いた。
「あー疲れた~」と、一つ伸びをして後ろに倒れる。
「さて、二人からのお願いはクリア。あとは……ニコラに髪飾りを作ろうかな?」
そしてロジャードはふと思った。
(俺、ニコラが何が好きなの知らねぇや……)
ロジャードの頭に浮かんだ妹分のニコラは、使用人姿だった。
これに驚いた彼は、バッと跳ね起きて膝の上に肘をついて頭を抱えた。
「何てことだ……。俺としたことが妹の好きなものを知らないなんて!」
ちなみに、ニコラは戸籍上、公爵家の娘ではない。
理由は、籍を入れると言ったときにニコラが猛反対したためだ。
だが、一家の頭の中では勝手に娘になっている。
「昔はあんなにあれが好きだ、これが可愛いと言っていたのに!!」
ロジャードは自分で言い、その言葉にハッとした。
「そういえばニコが使用人を始めてからだ。まさか……避けられて…………?」
ロジャードはその事実に驚き、ゆっくりと顔を上げた。
そんな彼の表情には、驚愕と絶望がありありと浮かんでいる。
しかし、それだけでは止まらず、昨日や先ほどまでの落ち着きはどこえやら。
今の彼は、血のつながらない義父とよく似ていた。
「坊ちゃん。お客様がいらっしゃいましたよ」
「?! ノ、執事。い、いつからそこに?」
彼は突然入り口の方から聞こえたノエルの声に驚く。
そして、危うくノエルと呼びそうになった。
「? 『何てことだ……』と口にされた時ですが?」
「(素のとこ全部じゃん……)」
不思議そうなノエルを前に、再びうなだれ、沈黙。
「坊ちゃん? いかがなさられましたか」
「なんでもないよ。ただ、ちょっとね」
彼は苦笑いし、ノエルに微笑む。
つられてノエルも微笑んだ。
「大丈夫でございますよ。坊ちゃんが坊ちゃんらしくあろうと努力していらっしゃることは、皆知っております」