第四十二話
「……そういえば、貴族の屋敷に掴まっていた人たちはどうした?」
思い出したように言うシルヴィオ。
彼の問いに、エルセリーネは嬉しそうに笑った。
「ちゃんと逃がしたよ。今頃、家族との再会を喜んでいるんじゃない?」
「なら良い」
「で、聞かないの?」
小首をかしげるエルセリーネ。
シルヴィオは訝しげに何をだ。と、問うた。
「そんなこと、お昼にあったロドファン卿のお嬢様が言っていたことに決まってるでしょ!」
「…………あぁ。俺があいつの部下に傷を負わせただのなんだと言ってきた、頭のおかしなやつか」
うんざりとした様子で言うシルヴィオに、エルセリーネは苦笑した。
「そんなこと言うの、シルヴィオ様だけよ」
「そうか?」
「えぇ。だって彼女、結構腕立つし、爵位もあるもの。それに、陛下の許しを得ているから」
「……対して腕が立つとは思わなかったがな」
「それはシルヴィオ様が規格外だからよ」
小さく微笑む彼女に、シルヴィオが思い出した様子で口を開く。
「規格外と言えば、ウェルのやつ。俺が薄情だというがあいつも薄情だと思うがな」
「…………どっちもどっち」
ボソッと言ったエルセリーネの声。
シルヴィオはそれが聞こえず、問う。
エルセリーネは答える代わりに、微笑む。
「それで話を戻すけど、彼女の言った部下の怪我。あれって、風の暴走じゃないのかなぁ?」
「……どうだろうな。勝手に怪我したとかいう奴かもしれないぞ?」
「うーん、それもそうなんだよね。まぁ、もう遅いし、寝よっか!」
エルセリーネはそう言うと、シルヴィオのなかに消えた。
そして彼は、彼女が戻ってきたと同時に、人としての姿の変化と、それを見た三人の反応。
おまけに、先ほどエルセリーネの言った言葉。
それらを知った彼は、顔をしかめた。
この時。
部屋の中が真っ暗で、灯りをつけていなかったことに気づいた。
(なんだ、灯りをつけ忘れていたか。まぁ、あっても無くても一緒だったか……)
シルヴィオはそう考えながら、ベットに入り、眠った。
◆◆◆
何もない闇だけの世界。
そこに女が一人、闇の床に座り込み、上を向いている。
「どこ……? どこに居るの…………。会いたいよ。君に……」
一筋の雫が女の頬を伝う。
女はそれに気づき、顔を覆って俯いた。
手の隙間から聞こえる、小さな嗚咽。
まるでそれを聞きつけたように、闇の中から現れた毛の長い黒猫。
その猫は女にすり寄り、一声鳴く。
すり寄られた女は、猫の声でやっと気づいたのか、涙にぬれた顔を上げた。
猫はまたひと声鳴く。
「ティヅ……。おいで…………」
女は膝を叩き、猫を呼ぶ。
しかしティヅと呼ばれた猫は、女を無視し、すたすたと距離をとり、女が手を限界まで伸ばしても、毛にふれるか否かのところで腰を下ろした。
猫はそこで、後ろ足で首をガシガシ蹴るようにして掻く。
女は猫の反応に、女は口元に笑みを浮かべた。
「ティヅ……。わざわざ慰めに来てくれたんだ……」
猫は女の言葉で首を掻くのをやめ、少しの間だけ女を見た後。
首をひねって背中の毛づくろいを始めた。
とことん猫にあいてをされていない女は、そんな猫から目をそらして俯き、口元を覆う。
そんな女の肩は小刻みに震えている。
猫はそれに気づいたのか、毛づくろいを止め、女を睨む。
「そんなに睨まないでよ。そうだ、ラルドは、どこ……?」
問う女に、猫はぷいっと顔をそらした。
「あぁ、だからそんなに機嫌が悪いんだ」
小さく笑う女。
猫はそっぽを向いたまま、しっぽをびたんびたんと、闇の床にうちつけた。
女は一瞬目を丸くし、微笑む。
「ティヅは本当にツンデレさんだね」
猫はその言葉で女の方を向き、鋭く睨むと、腰を上げて闇の中をしなやかに歩き始める。
そして、少し進んだところで振り返った。
「大丈夫。まだ、壊さない……」
女の言葉に、猫は呆れた様子でふん、と鼻を鳴らした。
「やるなら、じわじわと…………。ね……?」
その言葉を聞いた猫は、女の方に向けていた顔を正面に戻し、数歩進むと闇に溶けて、消えた。
女は猫が居なくなったのを確認し、立ち上がる。
「君のいない世界など…………必要ない………………!」
女はそういうと、動くことなく、闇に溶けた。
◆◆◆




