第二十三話
しかし、彼はその約束に頷き、それを破ってしまったときのことを考えた。
(きっとこの子はそれを信じて待ち続ける。でも、それはかわいそうだ……。だから――)
「ありがとう。でも、ごめんね。それは無理なんだ」
ロジャードはそういって、困ったように笑った。
しばらく反応がなかったニコラは、徐々に顔を下に向け、小さな声で「ばか」といった。
しかし、ロジャードには良く聞き取れず、聞き返そうと口を開いたとき。
「お兄様のバカ! もう戦場でもどこにでも行っちゃえ!!」
そう言って走り去ったニコラは涙をためていた。
「ごめん、ニコ。でも俺にとってこれは――」
ロジャードはそこまで言いかけて止め。
文机のところに行くと、燭台を置いて椅子に座った。
そして、その文机の引き出しから封筒と便箋を。
机上からペンとインクの載った台を引き寄せた。
彼は燭台の灯りを頼りに、白紙の便箋にペンを走らせた。
――翌朝。
起床したロジャードは用意を済ませ、自身が書いた手紙を引き出しにしまった。
そして彼は別れ際に、戻ってこれなかった時のことを考え、すべてに『ありがとう』と『さようなら』を告げる。
彼の言葉に涙を流し、怒りをあらわにする者もいた。
それだけでなく。
別れを告げたはずの者たちに『絶対に帰ってこい』と言われ、彼は曖昧に笑った。
「おい、ロイド。置いてかれっぞ」
ウィルロットが馬上から言った。
ロジャードはそれに返事をして自身も馬に乗り、大勢の人々に見送られる、東の国境へと向かう隊の後を追う。
思い出したくも無かった過去の記憶と共に。
(俺はセメロ公爵夫妻に拾われ、夫妻の子供となったロジャード。過去など知らない。俺は今、守りたいものがある。いや……絶対に守る)
――半年後。
エドレイ王国と同盟国のナフェオ王国が、圧倒的に不利で、大勢犠牲者を出した戦争。
それは、宣戦布告したロンダーナ帝国と、それに加担したアザイド王国、オバオン王国。
この三国の王侯貴族、軍上層部すべての人間が一夜にして何者かに惨殺された。
勢いを無くした三国は、和平という形で戦争に幕を引いた。
殺された犠牲者の中には乳飲み子から、幼子、老人。
中でも妊婦は一瞬のうちに殺され、腹の子まで殺されていた。
目の前で主を失った従者とメイドたちは、口をそろえて『犯人は一人だけだった』と答え、犯人の姿を答える。
『波打つ長い金の髪に、血のような瞳で、黒い片翼の化け物だった』
と。そして、このことは周辺の国にも流れ、エドレイ王国とナフェオ王国に和平や、同盟を申し込む国々が続出した。
だが、件の話に該当する異形はエドレイ王国にも、ナフェオ王国にも存在していない。
そんな筈はないだろうと、いくら探しても見つからないため、両国の人間たちは首をかしげた。
そうこうしているうちに年月は流れ、しだいに人々の間で、『単独犯ではなく、複数犯が同時に襲ったのではないだろうか』と囁かれるようになり、真実は闇の中。
◆◆◆
ウィルロットは終戦後、毎日セメロ公爵家に通い、戦争前より痩せたリルアーの話し相手をしていた。
彼女は、ロジャードが戦争から帰ってこなかったため、ひどく落ち込んでいたが、今では少しずつ元の明るさを取り戻しつつある。
いつものごとくウィルロットが、屋敷を訪れた。
リビングには休みなのかエルウィスがいて、リルアーの肩を抱いていソファーに座っている。
父のノエルも傍らに控えていた。
「おはようございます。おじさん、おばさん」
「あぁ。いらっしゃい。よく来てくれたね、ウィルロット」
彼のあいさつにエルウィスが微笑み、ソファーに座ることを勧める。
ウィルロットはそれに頷き、ソファーに座った。
「ねぇ。エルー、ウィルロット。あの子は生きているのかしら……それとも――」
「大丈夫。私たちの子供だ、無事に決まっている」
リルアーの話を遮り、言い聞かせるようにいうエルウィス。
夫妻の表情は暗かった。
「……あいつはそう簡単に死にませんよ」
元気で明るいはずの夫妻を励ますよう、ウィルロットははっきりという。
これに夫妻は驚いたあと、ふわりと笑った。
「ありがとうウィルロット。ごめんなさいね、毎日同じことを聞いて……」
「いいえ。俺は気にしません。おばさんが安心できるまで、何度でも言いますよ」
ウィルロットは夫妻の笑みにつられ、微笑む。
そして、彼は目の前に用意された紅茶を一口飲み、テーブルに戻した。
その時。
廊下からバタバタと走る音が聞こえたかと思うと、リビングの扉が勢いよく開き、ニコラが飛び込んできた。
「お父様、お母様! お兄様の、部屋の引き出し……っ……から、お手紙が!!」
二枚の手紙を抱きしめた彼女は、頬を染めて息が切れたままいった。
この言葉にリビングにいた四人に緊張が走る。
「お父様! 代表して読んで!」
ニコラは、一通の手紙をエルウィスに差し出し、彼は頷いて受け取ると、封筒から糸で縛られた一房の髪の毛と、便箋を取り出して読んだ。
――公爵家の皆様へ。
私がこの手紙を処分していないということは、この戦争で死んだのでしょう。
ですから、死者の言葉として、受け取ってください。
私、ロジャードは幸せでした。
優しい父と母。太陽のような妹。厳しくも優しい執事と使用人。そして、大切な友。
あなた方ともっと一緒に居たかった。
しかし、私はあなた方の為に死ねたのなら、心から幸福なことだと思います。
なので、お願いです。
私のせいで涙を流さないでください。
私はあなた方の笑った顔が大好きなのです。
愛しています。
どうか、あなた方により多くの幸福が訪れますように……。
読み上げたエルウィスの声が震え、彼の頬に涙が伝う。
リビングは彼の手紙のせいで、涙の沈黙が降りた。
しばらくして、手紙を持っていたエルウィスが、もう一枚紙があったことに気づき、それを読み上げた。
――追伸。
セメロ公爵夫妻様。
あなた方の第一子。ランステッドは生きております
今はウィルロット・ルイダスとして……。
彼は右腰に、小さな王族の証があります。
涙の沈黙は、この追伸によって破壊され、屋敷には激しく動揺が走った。
それからしばらくして。
ウィルロットはゆっくりと時間をかけ、自身の本当の名。
ランステッド・セメロとなる。
その間に、ノエルになぜ『ウィルロット』と名づけたのかと、彼が問うと、ノエルは静かに、産まれて一ヶ月で死んだ息子の名だと答え、彼を誘拐した女の事を話した。
女は夫の暴力と、自身の子を亡くしたことがきっかけで、精神を病み、犯行に及んだということ。
さらに、その女は夫に殺害されていることもわかった。
――そして、一年後。
ウィルロット改めランステッドは、セメロ公爵家の嫡男として、病に没したエドレイ王に代わり、新たに王位についたルファネスの側近を務めることとなる。
第一部は以上です。
お疲れ様でした。
ここまで読んで下さり、誠にありがとうございました。




