第十九話
便利だなぁ。と気楽に考えようとしたとき。
突如、胸に激痛が走った。
「っ…………?!」
ロジャードは机に片手をついて寄りかかり、痛む胸を抑える。
しかし、衣類に血はおろか傷一つない。
(な、ぜ…………?)
意識が遠のき、足の力が抜けてロジャードは床に倒れた。
――はずだった。
しかし、彼が目を開けたとき。
そこは自室ではなく、木々のしげる薄暗いところだった。
(森? いや、林か?)
ロジャードは辺りを見渡す。
そして、離れた所に淡い金の髪に黒衣の少年を見つけた。
少年の片手には黒い本。
もう片方に手のひら大の玉。
中心にある黒と真紅の小さな炎を、薄い膜のような硝子が覆っているように見えた。
その硝子玉の二色の炎はゆらり、と揺らいだ。
少年はそれを無感情に見つめ、それを持った手を突出し、手を放した。
それは静かに少年の足元に落ちていく。
――パリン。
刹那。硝子は割れ、中の炎が大きく広がり少年を襲った。
(な…………?!)
ロジャードは慌てて駆け出した。
しかし、突如彼の目の前に姿を現した女性が、俯いたまま両手を広げ、それを阻む。
彼女の髪は、炎に包まれた少年と同じ髪の色をしていた。
「どいて下さい! 子供が焼け死んでしまいます!!」
阻む女性にロジャードは怒鳴る。
頭の中は早く助けなくては。
それだけだった。
「大丈夫です。落ち着いてください。我が主、シルヴィオ様」
彼女は落ち着いた声音で言い、ゆっくりと顔を上げる。
同時に、宝石のように美しいアクアマリンの瞳がロジャードを見据えた。
「?! ……それは、どういうことですか?」
彼女の言葉と真剣な瞳に困惑し、問う。
「シルヴィオ様。ここは、貴方様の記憶の中でございます」
「記憶の、中…………?」
彼女は「はい」と返事をして両手を下ろし、正面で手を組む。
同時に今まで見えていた光景が消え、あたりは上も下もわからない暗闇と化した。
そしてしばらくして、暗闇に姿を現す大小いくつもの映像。
先ほどの森も映像として足元にあった。
「過去の事でございます」
数秒後。彼女の言葉をようやく飲み込んだロジャードは、目を見開く。
その彼の様子に、彼女は足元から崩れるようにその場に座り込み、両手で顔を覆った。
「申し訳、ございません……。私。エルセリーネは、命に……背きました。申し訳、ございません」
くぐもった、震える声で言葉を紡ぐ彼女。エルセリーネ。
ロジャードはここが記憶の中だということだけは、かろうじて理解出来た。
しかし、それ以外の言葉の意味とエルセリーネが泣いている意味が解らない。
少しでも疑問を減らそうと彼女に話しかけた。
「エルセリーネさん? で良いですか?」
「……どうぞ、『エルセリーネ』と。敬語は必要ありません。シルヴィオ様」
エルセリーネは座り込んだまま、顔を覆っていた両手を離し、涙に濡れた瞳でロジャードを見つめた。
「……解りました。では、あなたは何者です? 『シルヴィオ』とは誰ですか?」
「………………」
敬語のままエルセリーネの名を呼び、気になることを問うが、彼女は答えず立ち上がる。
そして、ふいに彼女はロジャードの右手を両手で握り、微笑んだ。
「私は、シルヴィオ様。貴方様の一部でございます」
エルセリーネはそれだけいって消える。
彼女に握られていた右手は、先ほど少年が割っていた硝子玉とまったく同じ物を握っていた。
しかし、それは徐々に彼の掌に吸い込まれていく。
ロジャードは完全に姿を消した硝子玉を不思議に思っていたとき、激しいめまいに襲われ、目を固く閉じた。




