第百十七話
奴らは、一件の屋敷の玄関先で屋敷の中の人間と話。
その屋敷に入っていった。
俺たちはその様子を少し離れた、この家の屋敷の塀の傍で見守る。
奴らが何かしらの行動を起こした時、すぐさま行動が出来うるよう……。
俺は、待つこととしよう。
別れは、大切だからな……。
「ダン。私は、人間や異形に心を奪われたことなど、ありはしない。だから貴方やバル、リティ、フィニのように、人に愛着などない。私は……この世界さえ無事であれば、人が死のうとも、何も思わなければ、何も感じなどしない……」
唐突にラルドはそう言った。
暗がりで、奴の顔は見えはしない。
だが、どこが寂しげであった。
俺とラルドの間柄は、人間で言えば、兄弟だ。
そして、親友ともいえる。
こいつが俺の考えていることなどお見通しだと笑うが、俺とてこいつの考えていることなど、容易に検討がつく。
だからこそ、俺は何も言いはしない。
「私は、アルティファスから、何かを愛すると言う感情をもらい損ねたのだろうな……」
自嘲を含んだ声音。
聞いたことのない弱音。
それらは俺の耳から入り、人が示す心とやらに重くのしかかった。
ラルドが、そんな風に思っているのではないだろうか、と。
考えたことのある時期もあった。
だが、会えて何も言いはしなかったのだ。
……こいつはやっと。
悩み続けていたのだ。
この問い自体が見つけられずに…………。
実に不器用な男で、器用な男でもあるなのだ。
だからこそ。
この問いにたどり着くことが出来なかった。
そして。
俺にはこいつがその感情をもらい損ねた云々は分かりなどしない。
答えはこいつの中にしかないのだからな。
ただ。
視野が狭すぎる。
少しは視野を広げろ、馬鹿め……。
「お前がアルティファスと、俺たちの傍に居る理由は、何だ……?」
「…………そんなこと、分かっていたら困りなどしない」
暗闇の中に聞こえた嘆息。
おそらく、頭を抱えているであろうラルドのモノであろう。
まったく。
本当にお前は呆れるほど器用な奴だな……。
だが。
「いつの日か、見つけると良い。答えはお前にしか、分かりはしないのだからな……」
「…………? ダン、それは――――」
困惑の色のある声音に、重なるよく知った力の発動。
この発動はリティエルだな……。
「合図だ。行くぞ、ラルド」
俺はラルドの方を確認などせずに、屋敷に向かい、その扉を開けた。
「もう、良いのか?」
言葉をかけ、その場を確認。
フィルファーニが涙を零しながら、抱えている黒髪の男と、涙を堪えるリティエルが抱きしめている、兎の異形の少女。
どちらも時間が止まっている。
否。
俺たち五人と、アルティファスを除き。
世界が動きを止めている。
フィルファーニとリティエルは、二人そろって玄関先に居る俺たちに目を向けてきた。
「ダンドルディック、ラルフォード……。ごめん、待たせた?」
リティエルはそう言って、下手くそな笑顔を作った。
負けず嫌いなこいつの事だ。
強がっていることぐらい、すぐにわかる。
だが。
何も言うまい。
そう考え、目線をそらす。
「いや。大したことではない。ただ、急がなくてはならないことは確かだ……」
「うん、わかってる。だから、お願い……」
リティエルはそう言って、笑顔と言えない笑みを浮かべた。
どうやらこいつは、最初から俺に記憶を消させる気だったようだな……。
まぁ、良い。
引き受けてやろう。
「あぁ……」
スッと異形の少女の頭に手を乗せ、こいつらについての記憶を消し、歪めた。
続いて男の記憶を消そうとしたが、フィルファーニは男を離さない。
「フィルファーニ……。時間がないことぐらい、分かっておろう」
「っ…………! ですが、ダン兄様。私は、私は! っ消えたくなどありません……!!」
そう言って、フィルファーニは男を抱く力を強めた。
俯いた顔を伝い、男に落ちる涙。
切実な思い。
……『消えたくない』、か…………。
「では……。お前はどうしたい?」
「そ、それ、は………………。分かりま、せん……。でも、消えたく、な、い……です」
…………その気持ちが。
俺に分から無ければ、良かったのだがな……。
残念なことに、身に覚えがある感情だ。
俺の場合失敗したが、愛しく大切な者の中から、自身のみが消えることは、苦しいものだ。
妹にその苦しみを、味合わせずとも良いであろう……?
かつての俺のように。
「…………お前は。娘を産み、数年後に流行病により、死した事としよう」
「だん、にいさ、ま……?」
フィルファーニは、信じられぬとばかりに目を見開き。
俺を見上げてきた。
だが、俺がほしいものはそんなものではない。
時間だ。
「それで良いか? さすれば、お前がここで、この男を愛したことは失われず。この男の記憶に残ることが出来よう」
「ですが……。それは――――」
「安心しろ。記憶を捻じ曲げ、それに気づかなくさせることなど、たやすい事だ……。異論はあるまい?」
「?! ありがとう、ございます……。ダン兄様」
フィルファーニはそう微笑みながら言い。
男から体を離した。
俺はそれを見計らい、男の記憶を消し。
捻じ曲げ、ありもしないことを現実に結びつけた。
あぁ。
このありもしない現実を、作らなくてはな……。
そう思いながら、ウサギの異形の少女の記憶もさらに書き換えた。
そして。
リティルとフィルファーニを知っている者たちの記憶も、すべて彼ら同様に書き換えた。
若干の違和感が出るかもしれんが、その辺は仕方あるまい。
「さて。俺はありもしないことを現実にして来よう。ラルド、リティエル、フィルファーニ。お前たちは一足先にバルのもとに行っておけ」
俺はそう言って、アーニャ・ルイダスの墓を作るため、玄関を出た。
これにより。
先ほどまで気になりもしなかった、懐かしく、愛しい気配に気づいたのだ。
時間がないことは重々承知。
だが、どうしても確認をしたかったのだ。
こうして、俺はその気配のもとにたどり着いた。
気配は、白馬からだった。
白馬は目を閉じ。
藁の上に横たわている。
なぜかこの馬を見て、記憶を消し、捻じ曲げた。
あの愛しく、大切な……無邪気なじゃじゃ馬姫を思い出した。
だが、人間の転生は数百年から数千年かかるはずだ。
……この馬が、あの姫ではないことは間違いないはず。
何を、期待していたのだか……。
俺は自分自信がおかしく、無様すぎて、鼻で笑った。
すると、白馬は目を開け。
とても澄んだ、アクアマリンの瞳をさらし、その馬は柵ギリギリまで寄ってきた。
……まだリティエルの力は発動したままだというのに、だ……。
本来であれば、このようなことは起こりうるはずがない。
だが、この馬は動いた。
このようなことを動物に出来るようにすることが出来る者は……バルフォン。
動物を作ったアイツ以外に居ない。
『ダ、ン…………?』
困惑気な声。
間違いはない。
否、間違うはずがないんだ。
あの、愛しいじゃじゃ馬姫を。
最愛の妻を…………。
「ディティナ……」
『久しぶりね。私、あなたと息子に早く会いたくて、動物になっちゃったわ』
ふふっと笑ったディティナ。
まったく。
お前は困った奴だよ……。
「動物になったら、もう二度と人間には戻れはしない。と、教えただろう……?」
『えぇ。覚えてるわ。でもあの子も貴方たちみたいに死なないんじゃ、何千年も待つなんて馬鹿みたいじゃない』
すねた口調で言ってくるディティナ。
そう言う話ではないのだがな……。
「……馬鹿って、お前な……――――」
『だって、何千年待ちなのよ? それに人間になったら記憶消されちゃうし。だったら、記憶持ったまま数年で生まれ変わって、何年しか生きられない動物になるわ。だって、私は貴方と息子の傍に居たいもの!』
無邪気なディティナ。
俺は馬の顔を見続けてなどいないので、分からないが、人間であれば無邪気に、満面の笑みを浮かべている事だろう。
「そうか……」
『えぇ、もちろんよ! …………ねぇ、ダン。会いに来てくれて、私を見つけてくれて、ありがとう。愛しているわ』
「……お前の様なじゃじゃ馬は、この世界に一人しかいないだろう」
『ねぇ、ダン。愛してるわ』
「…………そうか。では、時間がないのでな」
『もう、馬鹿!! 私の息子に、シルヴィオに何かあったら許さないんだからね!!』
「俺の息子でもある」
そして金切り声をあげるんじゃない。
頭に響く……。
『いいえ! あの子は私の息子です!! だからあなたの様な唐変木じゃないんですから!!!! ふん!』
ディティナはそう言って、顔をそむけた。
まったく。
こいつは腹を立てると、いつもそうやって顔をそむける。
フッ。
困った姫さんだな……。
俺はそう腹の中だけで笑い。
その首筋に片手を回し、軽く口づけ。
少し時間を使い過ぎた気もしたが、気にせず。
彼女に「では、また」と告げ、本来であればありもしない墓を作りに、墓地に向かい、それを作った。
この間にリティエルが力の発動を止めたのを確認。
直後に三人の気配が消えた。
用が済んだので俺もバルのもとへと向かう。
すべては理性を失い、破壊を繰り返す俺たちの主がため。
そして、俺たちは自身の守りたいモノと、それ同等。
否。
それ以上に大切な主がため、俺たちは主に背く……。
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