08「stage15」
動く気力を無くしてヒロはしゃがみ込んでしまった。
ただでさえ無理そうなのに、これ以上、嫌なものを見たくはない。
彼の前には、校舎から焼却炉へ続く外廊下を塞ぐようにして建つ漆黒の壁面。それは巨大なアトラクタの箱だ。
制限時間が過ぎるのを、ヒロはじっと待っていた。
「潜入ゲームは楽しかったかい?」
「見てみろよこれ。こんなの無理ゲーだ」
「アトラクタの箱、俺もこんな大きいのは初めて見るよ。さぞ見たくない記憶が封印されているとみえる」
高校生の男の子が横に立っていた。
どこかで見たことのあるような、だが初めて会った気もする。
そんなこと、もう、どうでもいい。
「そうやってすぐに諦める所が、このゲームに向いてないんだよね。知性や協調性も大事だけど、一番必要なのは決して投げ出さない強い意志だ」
「もしクリアできないと、俺どうなるの?」
「ほら、諦めてる」
「別に……」
「90分過ぎてアトラクタに到達できなかった記憶は、接続されているサーバーへ全て移行される。結果、その端末である君は、永遠にその記憶に接続することができなくなる」
「ならいいや。むしろ好都合だ」
「ただし、一部分をごっそりと抜かれたプログラムは、正常に起動できなくなる可能性がある。つまり、一生目覚めなくなるかも知れない」
「それでもかまわないさ」
「ふうん。なら了解っと。悪いけど俺も暇じゃなくてね。それじゃ」
彼の手の平から、透明な鍵の束が現れた。
何も無い空間に突き刺すと、鈍い音を立てて扉の様に空間が開いた。そこから出ようとする彼をヒロが呼び止める。
「どうしていいかわかんないのっ! 俺だけこんな目に遭って、不公平だっ!」
「……自分だけだと思うなよな」
「俺だって自分を変えたいっ! このまま生きても辛いけど、逃げるのはもう嫌なんだっ!」
「はぁ。じゃ、最後に一つだけヒント。君が想像しているよりも世界は柔軟で広い。ま、死なないで。それじゃ」
バタンと閉まる扉の後には何も残らない。
……いつしか、涙を流していた。
誰にも言えなかった自分の本音と、ようやく向き合う事ができた。彼の冷たい言い草は、ヒロを奮起させる為だったのかもしれない。
制服の袖で涙を拭き取り、最後の足掻きのために立ち上がった。
時間は無いが、やるしかない!
焼却炉にゴミを出しに来たのだが、そこへ行くにはアトラクタの箱を開けなくてはならない。
だが、既にゴミ袋の中も捜しつくした。周辺の物陰や屋根の上にも鍵は無い。
手を顎にあてて、もう一度考え込む。
「……柔軟に、か」
前提を、考え直す?
ヒロは急にその場から走り出した。校舎へと戻り、上履きのままで渡り廊下から校庭をに降りる。ぬかるんだ地面で汚れる靴を気にも留めずに校庭を突っ切った。
校門のわずかな隙間をくぐり、校舎の外に出た。
ソフトテニス部の時の外周の記憶だろうか、1年間しか続かなかったが辛い記憶はヒロの中に残っていたらしい。
息を切らせて校舎の真裏へと走った。
「ここか。……よしっ!」
助走をつけて壁を蹴り上る。
なんとか手が届いたフェンスの檻を、必死で這い登った。
「うぐぐぐぅっ!」
枠に肉が食い込む痛みに耐え、体を向こう側へと投げ出すと地べたに落下してしまった。
ふらふらと立ち上がり、焼却炉の蓋を開けた。
そう、アトラクタの箱を開けて目的地に行くのではなく、目的地に箱の鍵が入っているのが正解なのだ。
自分の予想が正しかった事に安堵する間もなく、ヒロは鍵を手にアトラクタの箱へと走って行った。