ラルゴ(8)
[吹雪]:「さっき、どこまで弾いたんだ?」
[繭子]:「ん? ええっと、ここかな? このページの2小節目」
[吹雪]:「うん。まだ先は長いな」
[繭子]:「やっぱり、そう簡単にはいかないねー」
[吹雪]:「でも達成感はすごくあると思うぞ? これを上手に弾くことができたら」
[繭子]:「そうだね、できないーって逃げることもできないしね」
[吹雪]:「なかなかいい心がけじゃないか」
[繭子]:「トーゼンだよ、教師だもの。たまには真面目なことも言うよ」
[吹雪]:「いついかなる時もそうであってほしいんだが……」
[繭子]:「そう簡単にはいかないよー」
[吹雪]:「いや、いかなきゃダメなんだっての」
[繭子]:「えへへ。サポートよろしくね」
いつもしてるじゃねぇか……。
[繭子]:「でも、ピアノって難しいねー。弾いてみて改めてそう思ったよー」
[吹雪]:「そうだな」
[繭子]:「すごい繊細なんだよね。一つでも和音がズレちゃうとすっごく汚い音に変わっちゃうしー」
[吹雪]:「まあ、分からない人はどれがどの音なのかも分からないだろうしな」
[繭子]:「でしょー? 初めてピアノを触った日のことを思い出したよー。触ったら急に音がして、驚いてたなー。オバケって思ったこともあったよー」
[吹雪]:「オバケね、まあ怪談話にもピアノはよく出てくるからな」
[繭子]:「だよねー。夜の音楽室とかでピアノが勝手にとか、考えるだけで……うー、お腹と背中がくっつきそうだよ」
[吹雪]:「何故だ!?」
[繭子]:「あ、間違えた。震えてくるみたいだよ」
どうやったらそんな間違いが起こるんだよ……。
[繭子]:「一人で音楽室には近づけないね、ゼッタイ」
[吹雪]:「そもそも近づく理由もないだろう」
肝試しでも開かれない限りな……。
[繭子]:「やっぱり、化けて出てくるとしたらベートーヴェンとかなのかな」
[吹雪]:「知らんよ、そんなことは」
[繭子]:「でも、音楽室のお化けが出るとしたらベートーヴェンのエリーゼのためにがオーソドックスじゃない」
[吹雪]:「そりゃ確かにアニメではよくあるけど」
そもそもお化けに定番何てものはあるのか?
[繭子]:「かわいそうだよね。せっかく心を込めてエリーゼさんに曲を送ったのに、音楽室のお化けのテーマソングにされちゃって」
[吹雪]:「いつテーマソングに抜擢されたんだよ」
[繭子]:「だって、多用されてるから」
[吹雪]:「だからって、それがテーマの絶対的理由にはならないだろう」
[繭子]:「じゃあ運命?」
[吹雪]:「それもベートーヴェンじゃないかよ」
[繭子]:「たっくさん使われてるね、こう考えると。やっぱりかわいそうだよー」
[吹雪]:「でも、そのおかげで、さらにベートーヴェンの知名度が上がったとも取れるぞ」
[繭子]:「あ、そうとも取れるのかー。なるほどー」
何か予想外に納得したな。
[繭子]:「でも、怖い印象をみんなに植え付けちゃったのは、ベーさんの望みじゃなかったんじゃない」
[吹雪]:「誰だよ、ベーさんって」
[繭子]:「ベートーヴェンのことだよ」
[吹雪]:「何故そんなにフレンドリーなんだよ」
[繭子]:「そっちのほうが呼びやすいんだもん」
[吹雪]:「だからって偉人をあだ名で呼ぶのはどうなんだよ」
[繭子]:「まあまあ、細かいことは気にしないでいこうよー」
すいません、ベートーヴェンさん。変な呼び方をしてしまって……。
[繭子]:「何とかできないのかなー」
[吹雪]:「する必要あるのか? そもそも」
[繭子]:「あるよー、エリーゼさんがかわいそうだもん」
[吹雪]:「エリーゼさんて……」
[繭子]:「どうにかならないのかなー? ふーちゃん」
[吹雪]:「んー、それは無事に年を越せてから考えた方がいいんじゃないか? それからだって遅くないだろう」
[繭子]:「んー、そうかなー」
[吹雪]:「それに、ベートーヴェンが偉大な人だってことはほとんどの人が分かってるはずだしよ。ちょっと待ってもらえばいいじゃないか」
[繭子]:「うん、そうだね。ベーさん、いいですか? ……うん、いいって」
[吹雪]:「おい、どうして許可をもらえたって分かったんだ」
[繭子]:「何となく、そんな気がしたから」
[吹雪]:「……まあいい。よし、そろそろ再開しようぜ」
[繭子]:「オー、よーし、頑張るぞ~!」
やる気は、十分みたいだな。俺たちはピアノの前に向き合った。