カンタービレ(8)
・第一音楽室
[場所:第一音楽室]
さて、誰がいるんだろう。誰がどの場所にいるかまでは把握してないからな。まあ誰がいても普通に接するだけだけど。
[吹雪]:「入るか」
俺はドアを開けた。
[吹雪]:「失礼します」
[舞羽]:「あ、吹雪くん」
お、ここは舞羽の練習場所だったのか。
[舞羽]:「どうしたの? あ、ひょっとして」
[吹雪]:「そう、ハーモニクサーのお仕事だ」
[舞羽]:「わー、私なんだ。何か少し緊張しちゃうな」
[吹雪]:「何でだよ? 緊張する要素なんてないじゃないか」
[舞羽]:「あるよー、だって、練習風景を観察されるんでしょう? 吹雪くんのポジションはピアノの先生と同じだよ」
[吹雪]:「そ、そうなのか?」
[舞羽]:「そうです」
[吹雪]:「お前が思うほど厳しくなんてしないよ。安心しろって」
[舞羽]:「本当に?」
[吹雪]:「当たり前だろ? 今まで俺、舞羽に厳しくしたことあるか?」
[舞羽]:「…………」
[吹雪]:「お、おい、どうして黙る?」
[舞羽]:「だって、吹雪くん時々怖いんだもん。見てて」
[吹雪]:「例えば?」
[舞羽]:「繭さんを怒る時とか、怒る時とか、怒る時とか」
[吹雪]:「マユ姉のあれはしつけだ。舞羽には絶対にしないって」
[舞羽]:「……本当に?」
[吹雪]:「本当だ、破ったらマーブルチョコ奢ってやる」
[舞羽]:「わあ、百円で4つ買えるよ」
[吹雪]:「ん? 何か言ったか?」
[舞羽]:「いえ、何でもありません」
[吹雪]:「うん、それでよし。にしても、先生はいないのか? ずっと一人で練習?」
[舞羽]:「ううん、さっきまではいたよ。でも、ここからは一人でって言って出てっちゃった」
多分、俺が来ることも予定の内に組み込まれてるんだろうな。
[舞羽]:「だから一人だったんだ」
[吹雪]:「なるほど」
[舞羽]:「よろしくお願いします、吹雪先生」
[吹雪]:「はい、よろしくお願いします。……何だ? このやりとり」
[舞羽]:「あははは」
[吹雪]:「ま、さっきやってたように練習してくれ。とりあえず横で見てるから」
[舞羽]:「うん、分かった」
舞羽はイスに座ってピアノに向かい合わせになる。
[吹雪]:「じゃあ、弾きます」
[舞羽]:「うん」
舞羽は一回深呼吸して、ゆっくりと鍵盤に指を走らせた。昨日聞いたものよりもスローテンポだ。だがそれは仕方がない、いきなりそんな早く弾けるわけなどないからな。それに素人でも分かる難解なメロディーだ、むしろゆっくりでもペースを乱すことなく弾けていることに尊敬の念を抱く。俺はしばらく聞き入っていた。
……………………。
…………。
……。
[舞羽]:「――ふう」
俺は拍手を送った。
[舞羽]:「あ、ありがとう」
[吹雪]:「今ので全部か?」
[舞羽]:「ううん、これで、半分くらいかな」
[吹雪]:「結構今のでも弾いたよな? でも半分か?」
[舞羽]:「うん、半分」
[吹雪]:「うーん、まだまだ先は長いか」
[舞羽]:「そうだね、でも、私はまだ恵まれてるほうだよ。一応経験してるからね」
[吹雪]:「今日は? 全部通すのか?」
[舞羽]:「そうだね、通せるのならそうしたいな。でも、思った以上に難しくて、まだ半分までしか弾けてないんだ」
[吹雪]:「そうなのか。ちょっと見てみたいな、その楽譜」
[舞羽]:「見たい? これがそうだよ」
[吹雪]:「お、サンキュー」
俺はそれを受け取って少し眺めてみた。
……………………。
…………。
……。
[舞羽]:「吹雪くん?」
[吹雪]:「舞羽、お前こんなの弾いてたのか?」
[舞羽]:「え? う、うん」
[吹雪]:「すごいな……」
楽譜に目を通すのは初めてじゃあない。小さい頃、よく舞羽の弾いてたピアノの楽譜を見たことがあったからな。だが、その頃見たものとは、明らかに格が違っていた。
[吹雪]:「何だよコレ。メチャクチャ難しいじゃないかよ。記号たっくさんあるし、五線紙の中音符ばっかりじゃん」
[舞羽]:「うん、そうだね」
[吹雪]:「……恐れ入ったよ、舞羽さん」
[舞羽]:「え? え?」
これならピアノも人を選ぶのが分かる。
[吹雪]:「舐めてた、俺、どれだけ年越しの行事が大事なのかを」
テキトーにやってたら、間違いなく島が崩壊しているな、きっと。
[吹雪]:「なるほど、だからハーモニクサーか」
[舞羽]:「え?」
[吹雪]:「ああ、俺学園長とさっきまでトレーニングしてたんだ。走り込みの」
[舞羽]:「そうなんだ」
[吹雪]:「「うん、死ぬかと思った」
[舞羽]:「何周くらい?」
[吹雪]:「うーんと、30周くらい走ったかな」
[舞羽]:「ろ、30周!? もうランナーじゃない」
[吹雪]:「ああ、ヘロヘロになった」
[舞羽]:「よく、走りきれたね」
[吹雪]:「後ろから学園長が追いかけてたからな、ほうきに乗って」
[舞羽]:「あ、それはやめられないね」
[吹雪]:「ああ、頑張ったと思うよ、我ながら」
[舞羽]:「お疲れさま」
[吹雪]:「うん。で、その後に学園長が言ってたんだ。ハーモニクサーはこれ以上ないくらい大事な役割を担っているって」
[舞羽]:「うんうん」
[吹雪]:「ハーモニクサーをこれ以上ないくらいに万全な状態に仕上げれば、成功への近道になるって言ってたんだ。その意見が正しいことに、今身を持って感じた。こんな難しい曲を弾かなきゃいけないから、ハーモニクサーが全力でカバーしなくちゃいけないんだって」
[舞羽]:「そうかもしれないね、私から見ても、この曲は難しいもの」
[吹雪]:「やっぱそうだよな? これを簡単だって言ったら、正直気持ちが悪い」
中にはいるのかもしれないけど……。
[吹雪]:「全力でやらないと、四季のピアノに怒られちまうぜ」
[舞羽]:「そうだね、お互いに頑張ろう? 吹雪くん」
[吹雪]:「ああ、そうだな」
[舞羽]:「じゃあ、早速弾かなくちゃ。新しいところにチャレンジだよ」
[吹雪]:「うん、やるか」
俺は舞羽の奏でるメロディーを熱心に聞いていた。