解説 上海租界とはどんな場所か
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(出典:ウィキメディアコモンズ)
真崎勇気が初めて禮査飯店のロビーに足を踏み入れた時、彼はこう感じました。
「ここが東京でも上海でも、まして日本でもない『別の星』であることが分かった」
これは単なる比喩ではありません。上海の「租界」という場所の本質を、真崎の軍人としての直感が一瞬で嗅ぎ取った言葉です。
本編を読み進めながら「そもそも租界とは何か」と疑問に思った皆さんのために、ここで少し立ち止まって解説させてください。
[黄浦江と外灘]
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■ なぜ外国人が上海にいたのか
話は1842年にさかのぼります。
清朝はアヘン戦争でイギリスに敗北し、南京条約によって上海を「開港場」として開放させられました。イギリスが武力でこじ開けた扉に、すかさず滑り込んできたのがフランスとアメリカです。
特にアメリカのやり方は鮮やかでした。
一発も撃たずに、1844年の「望厦条約」でイギリスと同等の権益を手に入れたのです。「イギリスが戦って開けた扉に外交だけで滑り込む」——このしたたかさは、この時代からアメリカ外交の本質でした。
さらに1860年のアロー戦争で清朝が再び敗北すると、ドイツをはじめとする列強が次々と権益を拡大していきました。
弱った国には群がる。租界とは、その結果として生まれた場所です。
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■ 中国の土地に、中国の法律が通じない
1853年、上海で「小刀会」という中国人秘密結社が清朝に反乱を起こし、上海県城を占拠しました。
戦火を逃れた大量の中国人が、安全を求めて租界に流入しました。皮肉にも、この流入が租界を急激に発展させることになります。
英米仏はこの混乱に乗じました。
徴税権を認めさせ、独自の行政権と警察権を確立したのです。
さらに裁判所まで別物にしました。
「会審公堂」——清朝の判事と外国人陪審官が並んで座る法廷です。名目は共同運営ですが、実態は外国人側が圧倒的に主導していました。中国の領土で、中国の法律が形骸化していたのです。
これが租界の正体です。植民地とは少し違います。清朝の主権は名目上残っていますが、その主権は完全に骨抜きにされていました。
[会審公堂]
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■ 共同租界とフランス租界——同じ上海の、全く異なる二つの論理
租界は一枚岩ではありませんでした。
共同租界はイギリス人居留民による「自治都市」です。本国政府すら直接介入できません。意思決定機関である市参事会の定員9名のうち、イギリス人が7名を占めていました。「住民が自分たちで統治する」という、国家から独立した奇妙な空間です。
一方のフランス租界は、フランス領事が全権を握る「本国直轄」の運営でした。参事会は存在しますが、議長も領事が兼務し、フランス本国の意向がそのまま反映されます。
同じ上海の中に、まったく異なる二つの統治原理が並存していました。しかも両者は仲が悪く、互いに干渉しませんでした。
本編の第12話で秋月が「陸軍と海軍の駐在将校が連れ立っているのを人目に晒すのは得策ではない」と語る場面がありますが、その背景にはこの複雑な権力構造があります。誰がどこで誰を見ているか分からない街なのです。
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■ 人口は日本が最大なのに、実権はイギリスが握っていた
1914年当時、上海に住む外国人の人口はこうなっています。
日本人 :約11,000人(最多)
イギリス人:約 5,500人
フランス人:約 800人
数の上では日本が最大勢力です。しかし市参事会の7名がイギリス人で占められていたように、租界の意思決定からは完全に疎外されていました。
日本人の多くは、共同租界の中心部ではなく「虹口」という周縁の地区に集中して住んでいました。旧イギリス租界の中心部には入れず、フランス租界の高級住宅街に居を構えられたのは一部のエリートだけです。
人口では最大なのに、意思決定の場には加われない。辺境に押し込められている。
真崎が禮査飯店のコーヒー一杯一円八十銭に眉根を寄せた時の、あの感覚——「これが列強の『日常』か」——は、まさにこのアンバランスな構造から来ています。
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■ 法の隙間と、青幇という存在
上海には警察が三つありました。
共同租界の工部局警察、フランス租界の公董局警察、そして中国側の華界警察です。
それぞれが完全に独立しており、管轄外への介入は原則できません。しかも三者は縄張り争いが激しく、協力など望めませんでした。共同租界で罪を犯してフランス租界へ逃げ込めば、正式な通告と同意なしには追うことができません。
つまり「渡り歩くだけで永遠に捕まらない」構造が、上海には存在していたのです。
この法の隙間に生きる組織が「青幇」です。
第17話で真崎が李河から告げられた標的——「ドイツ帝国がバックにいる青幇の末端アジト」——がまさにそれです。列強の後ろ盾を持ちながら、どの法律にも縛られない場所で暗躍する。
真崎が弄堂の路地で青龍刀を持ったゴロツキたちに追われながら泥まみれで逃げ惑った、あの経験は、上海という街の本質を体で学ぶ「授業」でもありました。
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■ それでも、真崎はここに来なければならなかった
禮査飯店のコーヒーを一口すすり、「苦い、ただひたすらに苦い」と感じた真崎は、角砂糖を三つ放り込み、ミルクをカップが白く濁るまで注ぎました。
一円八十銭とはこういう味か——。
その苦さの意味は、本編を読み続けるうちに、じわじわと分かってきます。上海という「別の星」でしか学べないことを、真崎は文字通り全身で吸収していきました。
高杉晋作との邂逅。秋月との再会。石油という黒き黄金をめぐる地政学の謎解き。そして弄堂の泥の中での死線。
これらすべての「授業料」が、この魔都の特殊な構造——租界という19世紀の発明——の上に成り立っています。
[アスターハウスホテル]
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