第八話 秋祭りの前の、忙しい一日
忙しい日は好きだ。
手を動かしている間は余計なことを考えなくて済む。前にいた場所でもそうだった。朝から晩まで動いている日は、部屋に帰って倒れるように眠れた。散らかった部屋が目に入る前に、意識が落ちて泥のように眠れたから。
今は違う。忙しくても、朝起きたとき部屋は整っている。夜帰ったときも整っている。一日のどこを切り取っても、自分の場所が綺麗なままだ。それが安心になる。
忙しさの質が前とは違うのだと思う。前は、忙しさの中に逃げていた。今は、忙しさの中にいても、ふと手を止めたときに息ができる。窓を開ける。空気を吸う。棚の上の水差しが朝と同じ位置にある。それだけで大丈夫だと思える。
秋祭りが近い。城下町が浮き足立っている。
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朝食のパンを齧りながら外に出ると、雑貨屋のおかみさんに捕まった。
「ミーナちゃん、今日暇?」
「時間はありますよ、何かありましたか?」
「祭りの準備でうちの裏が大変なの。ちょっと見てくれない?」
雑貨屋の裏手に行った。祭り用の飾りや仮設の棚板、提灯の骨組み、旗竿。それらが裏口から庭まで溢れている。
「祭りの備品を毎年ここに出すんだけど、去年のがどこにあるかわからなくて」
年に一度しか使わないものだから、仕舞いっぱなしで位置がわからなくなる。よくある話だ。
まず種類を分けた。飾り類、構造材、照明器具、旗。それぞれ庭の四隅に分けて置く。次に、使える状態のものと修理が要るものを分ける。提灯の骨組みが二本折れていた。旗竿の一本は先端が欠けている。それらは別にまとめて「修理」と書いた紙を置いた。
使えるものを種類ごとに裏の納屋に戻す。棚の奥から手前へ、使う順番に並べた。飾り付けの日に、手前から順に出せばいい。
三十分で終わった。
「早いわねぇ! ありがとう、助かったわ。はい、これ」
銀貨一枚と、城下町の食堂「赤とんぼ亭」の食事券を渡された。
「祭りの協賛でもらったんだけど、うちは自炊派だから。ミーナちゃん使って」
食事券。外で食べるのは久しぶりだ。とってもありがたい。
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次はカティさんの仕立屋に顔を出した。前回片付けた裏の作業部屋を見せてもらう。
「維持できてますか」
「もちろんよ。見てく? ちゃんとしてるでしょう」
木箱は注文ごとに名前の紙片が貼られていて、反物は棚に横向きに収まっている。裁断台の上には何もない。壁の型紙も注文別に掛かっている。
「すごい。完璧です」
「あんたに片付けてもらってから、仕事の速さが倍になった気がするよ。探す時間がなくなったから」
カティさんが祭り用の衣装を縫っている。手が速い。裁断台が空いていると、布を広げてすぐに裁てる。道具がすぐ手に届く。片付けた効果が持続している。
「ただ、ひとつだけあってね……」
「はい」
「端切れがまた溜まってきちゃって。あの隙間の棚、もう一段増やせたりする?」
壁と棚の間に作った縦棚を見た。端切れが詰まっている。そろそろ限界だ。
「棚を増やすより、端切れを大きさで分けましょう。小さいものは巾着にまとめて入れて吊るせば、棚の容量を食いません」
余っていた布で袋を三つ作ってもらった。大・中・小で分けて、端切れを入れて、壁の釘に吊るした。棚が空いた。
「天才でしょ、あんた」
「いえ、袋を吊るしただけですよ」
カティさんが祭り用の刺繍ハンカチをひとつくれた。きれいで小さな赤い花があしらってある。色が好きだ。
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昼過ぎ。青果の売り場のおばさんに声をかけられた。
「ミーナちゃん、うちの台の配置、ちょっと見てくれない? 祭りで通りに出すんだけど、いつも並べ方がしっくりこなくて」
通りに出す仮設の売り台。三台ある。今は横一列に並べているが、通りの幅に対して圧迫感がある。
「二台を縦横に置いて、一台を少し離してはどうですか。奥の台に重いもの、手前の台に手に取りやすいものを置くと、お客さんが自然に流れます」
「なるほどね。やってみる。手伝ってくれる?」
三台を動かした。台の脚の長さが一台だけ違っていて、がたつく。脚の下に板の端材を挟んだ。水平になった。
「あら。ずっとがたがたしてたのが直ったわ」
「脚が五ミリ短かったので」
「目で見てわかるの、それ」
「なんとなく」
おばさんが笑って、かぶを三つくれた。最近かぶをもらう機会が増えた。かぶはもう、なんぼあってもええですからね。
なんか今、この世界の言い回しではないものが横切っていった。
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夕方。パン屋の前を通りかかったら、店主が飛び出してきた。
「ミーナさん!ちょうどよかった。倉庫の粉の棚がおかしくて」
パン屋の倉庫に入った。小麦粉の袋が棚から一つ落ちている。棚板が傾いていた。
「留め具が一本外れてます。釘を打ち直せば大丈夫です」
釘を借りて打ち直した。棚板が水平に戻った。粉の袋を乗せ直す。ついでに、袋を種類と購入日の順に並べ替えた。古いものが手前に来るように。
「これで先に入れたものから使えます」
「あんた、片付けの人だって聞いてたけど、本当だね。ありがとう。これ持ってって」
焼きたてのパンを一つもらった。温かい。温かいものはとっても好きだ。
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日が暮れた。今日はよく動いた。
雑貨屋、仕立屋、青果屋、パン屋。四軒。どこも大掛かりな仕事ではなかったが、全部合わせるとよく歩いた。足が少し痛い。
通りを出たところで、おばさんが声をかけてきた。
「ミーナちゃん、今日はあちこちで助けてくれたんだってね。仕立屋のカティも言ってたよ」
「角を揃えただけでも、助けになったなら良かったです」
「あんたって子は。もっと胸を張りなさいよ」
「はあ」
「ほら、ありがとうって言われたら、どういたしましてって言うもんよ」
そうだろうか。でもおばさんの顔が真剣だったので、言ってみることにした。
「……どう、いたしまして」
口に出してみたら、思ったより気恥ずかしかった。けど、悪くないなと思った。
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食事券を使おうと思って、赤とんぼ亭に向かった。
城下町の南通りにある小さな食堂で、扉を開けると揚げ物の匂いがした。祭りの準備帰りの客で満席だった。店主が申し訳なさそうに言う。
「相席でもよければ奥にひと席だけ」
奥のテーブルを見た。見覚えのある二人がいた。
ヴォルフさんとニクラスさんだった。武器庫で手伝ってくれた兵士と、書庫で手伝ってくれた書記官。二人が同じ席にいる。ヴォルフさんが肉の串焼きを食べていて、ニクラスさんがスープを啜っている。二人とも黙々と食べているみたいだ。
「あ、知り合いです。あちらにお邪魔します」
テーブルに近づいた。目が合った。ニクラスさんが小さく頷いた。
「ミーナ殿」
「こんばんは。先日はお世話になりました。満席でして、相席させてもらっていいですか」
「どうぞ」
ニクラスさんが隣の椅子を引いた。ヴォルフさんは串焼きを持ったまま頭を下げた。口がいっぱいらしい。
座って、食事券を出して、今日のおすすめを頼んだ。白身魚の焼き物と、かぶのときのこのスープ。また、かぶだ。でも人が作ったかぶのスープは自分で作るのとは違う味がするだろう。
料理を待ちながら、向かいに座る二人を改めて見た。
似ている。前からなんとなく思っていたが、横に並ぶと瓜二つだった。目の色、鼻の高さ、耳の形。ヴォルフさんのほうが体が大きいが、顔の輪郭は同じだ。
「あの、お二人って」
「双子です」
ニクラスさんがスープを啜りながら答えた。あっさりしている。
「そうだったんですか。どおりで」
「こいつが兄です」
ヴォルフさんが親指でニクラスさんを指した。ニクラスさんが「一刻だけだ」と言った。生まれた時間が一刻しか違わないらしい。双子なのに文官と武官に分かれたのは珍しくないのだろうか。
そんな視線を察してか、ヴォルフさんが口を開いた。
「子供の頃から、こいつは本ばかり読んでいて、俺は外で鍛錬をしていた」
「……鍛錬というより暴れていた」
「母は同じ顔が二つあるからしょっちゅう間違えていた。こいつが叱られるべき時に俺が叱られたり」
「逆もあった」
双子の会話は短いが、息が合っている。お互いの言葉を補い合うように話す。ヴォルフさんが話の輪郭を出して、ニクラスさんが一言で閉じる。二人とも無口だが、二人でいるときは少しだけ口数が多いようだった。
白身魚が来た。焼き目がきれいだ。一口食べてみて、目の前がぱあっと広がるように感じた。身がふわふわで、皮がぱりぱりしていて。
「おいしい」
思わず声に出た。ヴォルフさんが次の串焼きを噛みながら、うん、と言った。ニクラスは少しだけ口の端が動いた。
かぶのスープも飲んでみる。自分で作るのと味が違う。誰かが作ったものは、味付けの癖がある。それがいい。
「祭りの警備で来週から忙しくなる。また前後で仕事を依頼するかもしれない」
口の中が空いたのか、ヴォルフさんが言った。
「そうなんですか、お疲れさまです」
「ミーナ殿も忙しそうだな。さっき通りで見かけた。台を動かしていた」
「青果屋さんの台の配置を直したんです」
脚が五ミリ短かった話をしたら、ヴォルフが「五ミリがわかるのか」と言った。ニクラスが「わかるのだそうです」と答えた。わたしの代わりにいうので、少し面映ゆかった。
食事を終えて、店を出た。秋の夜風がひんやりする。提灯の列が通りを照らしている。
「では、」
「仕立屋の角でしたか」
別れの挨拶をしようとしたところ、ニクラスさんが言った。前に馬車で送ったときの住所を覚えている。
「はい。すぐそこですから、大丈夫です」
「通り道ですから、送ります」
通り道ではないと思う。城は北で、仕立屋の角は南寄りだ。でもニクラスさんの声には有無を言わせないものがあった。ヴォルフさんはもう歩き出していた。兄に合わせているのか、特に何も考えていないのか。
三人で並んで歩いた。ヴォルフさんが一番背が高くて、ニクラスさんがその隣で、わたしが少し後ろ。誰も喋らないけれど、穏やかな時間だった。提灯の明かりが三人の影を石畳に落としている。
仕立屋の角に着いた。
「ここです。ありがとうございました」
「おやすみなさい」とニクラスさんが言い、ヴォルフさんが片手を上げた。
二人が城のほうへ歩いていくのを見送った。同じ背格好の影が二つ、並んで遠ざかっていく。
今日はいい一日だった。
いろんなものを片付けて、いろんなものをもらって、「どういたしまして」と言えた。それから、あの人たちが双子だということを知った。
帰ったら靴を揃えて、棚を確認して、パンの残りを明日の朝に取っておこう。
赤とんぼ亭で食べた料理の香りが服に残っていて、また少し余韻に浸っていたいと思えた。




