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わたしの特技ですか? 整理整頓です。 ~なんでかお城のお偉いさんがたくさん相談しに来るけど、角を揃えただけなので~  作者: 絹田屋


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第七話 蜂蜜菓子と、見えないもの


 お茶の日が来た。


 朝起きて、棚を確認して、顔を洗って、鏡で髪を整えて。今日は少しだけ青みがかったワンピースにする。一番いいやつだ。いい、と言っても四着のうちの一着でしかないが。


 手ぶらで行くのもどうかと思って、市場に寄った。何を持っていけばいいのかわからない。菓子は向こうで出してもらえる。花は財務官の執務室に似合わない。


 革細工の店で、書類をまとめるのによさそうな革紐を見つけた。適度な硬さで、結びやすく、解きやすい。帳簿や書類の束を括るのにちょうど良さそうだ。十本の束で銀貨二枚。


 人のために何かを買うのは久しぶりだった。


 前にいた場所でも、人に何かを渡すことはあった。でもあれは違った。付き合いだから。渡さないとまずいから。そういう理由で選んだものには気持ちが乗っていなかった。受け取る側もそれを知っていた。


 今日は違う。この革紐はテルナー財務官の机の上に並ぶだろう。帳簿の束を括るときに、少しだけ仕事がしやすくなるといいな、という気持ちだ。


-----


 城から迎えの馬車が来た。馬車に乗るのは初めてだった。


 座席に腰かけると、車体が揺れて動き出した。石畳の振動が座席越しに伝わるが、角を曲がるときの傾きが穏やかだ。窓から城下町の通りが流れていく。歩くと二十分の道が、馬車だとあっという間だった。


 いいな、馬車。座っているだけで着く。歩かなくていい。これは贅沢だ。かぶが何個ぶんなのかは考えないことにする。


-----


 テルナー財務官の執務室は、前に書庫へ案内されたときに通った部屋だった。机の上は相変わらず整っている。窓から午後の光が入っていて、茶器が二人分用意されていた。


「来てくれたか。座ってくれ」


 椅子に座った。テルナー財務官がお茶を注いでくれた。それから、小さな皿に蜂蜜菓子が三つ。焼き色がきれいだ。


 一口食べた。甘い。蜂蜜の風味が口に広がって、生地がほろほろと崩れる。おいしい。


「これ、お役に立つかなと思ってお持ちしました」


 革紐の束を差し出した。テルナー財務官が受け取って、手の中で紐の質を確かめた。


「いい革だ。書類を括るのに使えるな」


「そう思って選びました」


「気が利く。ありがたくいただこう」


 二つ目の蜂蜜菓子を食べた。おいしい。三つ目は大事に取っておこう。


「さて。今日はいくつか話しておきたいことがある」


 テルナー財務官がお茶を一口飲んで、こちらを見た。


「まず、あなた自身のことだ。ミーナ殿、失礼を承知で聞く。あなたはどこの生まれだ」


 わたしは蜂蜜菓子から目を上げた。


「……正直に申し上げると、よくわかりません」


「わからない?」


「気がついたら、この街の近くにいました。身分の証書と、ミーナという名前と、しばらく暮らせるだけのお金を持っていて。それ以前のことは、はっきりしません。誰かに連れてこられたのだと思いますが、その人の顔を覚えていません」


 テルナー財務官が眉をわずかに動かした。


「……身分の証書というのは」


「平民の身分証です。レンカ城下町で発行されたものではなくて、どこか別の街の印が押してあります」


「見せてもらうことはできるか」


「持ち歩いていませんが、部屋にあります」


 テルナー財務官がしばらく黙った。指で顎を撫でている。考えている顔だ。


「ミーナ殿。これは可能性のひとつとして聞いてほしい。記憶が曖昧で、知らない土地に身分証と金だけ持たされて放り出される。――人身売買の被害に遭った子供に、よくある話だ」


「人身売買」


「買い手がつかなかった、あるいは買い手から逃がされた子供を、追跡されないよう遠い街に捨てる。証書を持たせるのは、身元不明で捕まらないようにするためだ」


 わたしはお茶の水面を見ていた。揺れている。自分の手が震えているわけではない。ただ、テーブルが微かに揺れているのだ。窓から入る風だろうか……。


「覚えていないのが本当なら、それでいい。無理に思い出す必要はない。ただ、私が気になっているのは別のことだ」


「はい」


「あなたは読み書きができる。計算もできる。礼儀を知っていて、仕事を引き受けるときも報酬に見合った働きしかしない。この姿勢は、それなりの家で育たなければ身につかない」


「わたしは、角を揃えるのが得意なだけです」


「角を揃えるには、何が角なのかを知っていなければならない。それは教育だ」


 答えに詰まった。自分がどこでこれを身につけたのか、わたしにもわからない。前にいた場所の記憶は断片的で、ここで使える知識として残っているものと、消えてしまったものがある。


 テルナー財務官が三つ目の蜂蜜菓子を指さした。


「遠慮せずに食べなさい。話はもう少し続く」


 言われるままに食べた。甘い。軽やかな香りが、少し落ち着く。


「本題に入る。帳簿の使途不明金の件と、武器庫の件だ。どちらも調査が進んでいる」


「はい」


「結論から言うと、両方とも人の手による横領だった」


 横領。人がわざとやったこと。


「城壁修繕費は、修繕の実態がない架空の支出だった。武器庫の剣や弓は、外部に流されていた。どちらも同じ人物が関わっている可能性が高い」


 わたしはお茶の器を両手で持ったまま、テルナー財務官を見た。


「……わたしは、数字が合わないから報告しただけです。数が足りないから一覧表に書いただけです」


「そうだ。それでいい。だが、ひとつ聞きたい」


「はい」


「帳簿の数字が合わなかったとき、あなたは何が原因だと思った」


「分類の間違いか、転記のミスだと思いました」


「人がわざとやった、とは思わなかったか」


「……思いませんでした」


 テルナー財務官が頷いた。困った顔でも怒った顔でもない。ただ、少しだけ心配そうに見えた。


「ミーナ殿の能力は本物だ。棚を整理し、帳簿を並べ、数をぴたりと合わせる。誰にもできなかったことをやってのける。だが、この世には整理されたくない人間がいる。混乱していたほうが都合のいい人間がいる。あなたが整理すればするほど、そういう人間にとってあなたは邪魔になる」


 蜂蜜菓子の甘さが口の中に残っていた。甘いのに、飲み込みにくかった。


「わたしは、ものを並べ替えることしかできません。人が何を考えているかは、わかりません」


「だからこそ危ういのだ」


 テルナー財務官が立ち上がって、窓のほうを見た。


「武器庫の件であなたが疑われたとき、私はたまたまそばにいた。だが、次もそうとは限らない」


 わたしは黙っていた。棚を整理する。角を揃える。数を合わせる。それだけのことが、誰かにとって困ることになる。考えたことがなかった。片付ければ綺麗になる。それしか考えていなかった。


「ひとつ手配をした。紹介したい者がいる」


 テルナー財務官が扉のほうに声をかけた。


 入ってきたのは、見覚えのある青年だった。背が高くて、痩せていて、無口そうな顔。書庫の整理を手伝ってくれた書記官だ。


「ニクラスだ。私の部下で、書記官をしている。今後、あなたが城で仕事をするときは、彼に帯同させる。帰り道も送らせる」


「あ、書庫のときの」


 ニクラスが小さく頭を下げた。前回も無口だったが、表情に敵意はない。言われた通りに動く人だ。それは知っている。


「ニクラスさん、ですね。あのときはありがとうございました」


「……いえ。大したことでは」


 短い返事だった。声は思ったより低かった。


-----


 帰りの馬車にはニクラスが同乗した。


 二人とも無口なので、車内は静かだった。窓の外を夕焼けが染めている。石畳の上を車輪が転がる音だけが聞こえる。


 人がわざと散らかす。わざと数字をずらす。わざと物を消す。それは、わたしの「足りないものがわかる」能力では検知できない。足りないことはわかる。でもなぜ足りないかは、わからない。どうしてそうしたのか、何によってそうなったのかまでは見抜けない。


 誰かがわざとやった、とは考えもしなかった。


「ミーナ殿」


 ニクラスが口を開いた。

 驚いた。喋るんだ。いや当たり前だけども。


「はい」


「……お住まいは、どちらですか」


「仕立屋の角を曲がった先の、二階建ての」


「わかりました」


 また静かになった。馬車が仕立屋の角で止まった。降りて、礼を言った。


「ありがとうございました、ニクラスさんも気をつけてお帰りください」


 ニクラスが馬車の窓から小さく頷いた。馬車が去っていく。


 部屋に帰った。靴を揃えて、上着を掛けて、棚を確認した。朝のまま整っている。


 でも今日は、整っていることが少しだけ頼りなく感じた。


-----


 馬車が城に戻ったのは、日が完全に沈んでからだった。


 ニクラスはテルナー財務官の執務室に入った。財務官はまだ机に向かっていた。蜂蜜菓子の皿は片付けられていたが、二人分の茶器はそのまま残っている。


「送り届けました」


「ご苦労」


「テルナー様」


「なんだ」


「先ほどの話ですが。ミーナ殿に、武器の件がクーデターに繋がる可能性をお伝えにならなかったのは、彼女の安全のためですか」


 テルナー財務官が顔を上げた。


「知らない人間は、問い詰めても何も出てこない。何も出てこない人間は、殺す必要がない」


 ニクラスが黙った。


「あの子は、数が合わないと気持ちが悪いから報告しただけだ。悪意の匂いには気づいていない。それが今のところ、あの子を守っている」


「……承知しました」


「ニクラス。あの子のそばにいろ。何かあれば、まず私に報告しろ」


「はい」


 ニクラスが一礼して退室した。廊下の足音が遠ざかっていく。


 テルナー財務官は机の上に置かれた革紐の束に目を落とした。十本の束。結び目がきれいに揃っている。


 書類を括るために選ばれた紐。あまり表情が変わらない少女の姿が、妙に胸に残った。


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