第四話 帳簿の角が合わない
雨の日は外に出ない。洗濯もできない。こういう日は部屋の手入れをする。
棚を拭いて、水差しを洗って、寝台のシーツの皺を伸ばす。靴を磨いて、窓枠の埃を払って、床を掃く。全部やっても、この部屋は小さいから一時間もかからない。
前にいた場所では、雨の日が一番つらかった。外に出られない。部屋は散らかっている。朝起きて散らかっている。夜帰っても散らかっている。寝て起きても同じ。目を開けた瞬間に、全部が嫌になる。あの重たさは、今でも体が覚えている。
だから今、目を覚まして最初に見えるものが整っていることが、わたしにとっては何より大事だ。
掃除が終わって、やることがなくなった。干し果物を食べながら、ふと思い立って紙を一枚引っ張り出した。最近、自分にできることの範囲がよくわからなくなっている。
お片付け術(極)。転生特典としてもらったもの。改めて、何ができるのか書き出してみよう。
炭筆を持って書く。
ひとつ。ものの長さ、幅、奥行きが見ただけでわかる。かなり正確に。
ふたつ。数えなくても、並んでいるものの総数がだいたいわかる。
みっつ。何かが足りないとき、足りないと感じる。欠けている場所がわかる。
よっつ。分類の法則が見える。他人が無意識にやっている並べ方の規則に気づく。
いつつ。角が揃っていないとわかる。ほんの少しのずれでも。
むっつ。この世界の文字が読み書きできる。これは片付けの能力なのかわからないけれど、転生したときから不自由がなかった。
書き出してみると、けっこうある。でも、どれも「片付けに便利な感覚が鋭い」というだけで、魔法でも戦闘能力でもない。剣は振れないし、火も出せない。
紙を折り畳んで棚に仕舞った。
そのとき、扉を叩く音がした。
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ルッツさんだった。雨の中、外套がびしょ濡れだ。
「突然すみません。急ぎのご相談が」
雨を拭けるように手布を渡した。ルッツさんが顔を拭いながら言う。
「レンカ城の財務官の方から、ミーナさんに依頼をしたいと」
「城」
「はい。当主がお城の方にミーナさんのことをお伝えしていたようで。帳簿の整理をお願いしたいと」
城。わたしはかぶを買いに行く途中に城壁を見上げることはあるが、中に入ったことはない。
「日当はいくらですか」
「金貨一枚だそうです」
金貨一枚。かぶがいくつ買えるのか計算する気にもならない量だった。
「……行きます」
根菜経済圏でも測れないお金になると、次はお肉かな、なんて考えていた。
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レンカ城は城下町の北端にある。石造りの壁が高くて厚い。門で名前を告げると、衛兵に案内されて中に入った。廊下が長い。天井が高い。壁に掛かった旗が等間隔に並んでいる。間隔は二百二十センチ。きれいに揃っている。城の中を管理している人は仕事ができる人だ。
財務官の執務室に通された。
テルナー財務官は五十がらみの男で、白い髭をきちんと整えていた。机の上は片付いている。この人自身は整理ができる人だ。
「ミーナ殿か。噂は聞いている。ホルスト家の徴税記録を一日で発掘したとか」
「発掘というか、並べ替えただけです」
「謙虚なことだ。……今回お願いしたいのは、城の税務書庫の整理と、その後の突き合わせの手伝いだ。ここ三年分の徴税記録と支出帳簿を照合したいのだが、書庫があまりに雑然としていて、必要な帳簿を揃えることすらできない状態でな」
「まず整理して、それから数字を突き合わせる、ということですね」
「そうだ。照合自体は私がやる。あなたには帳簿を年度別・項目別に揃えて、突き合わせしやすい状態にしてもらいたい」
「書庫を見せていただけますか」
案内された部屋はホルスト家の書庫の三倍はあった。棚が壁面に八つ。中央にも棚が四列。帳簿と書類が詰まっている。量は多いが、壊滅的ではない。一応の分類はされている。ただ、年度の区切りが曖昧で、同じ年度の帳簿が複数の棚に散らばっている。
「元はそれなりに整理していたのだが、辞めた部下が少々杜撰に管理したようでな。ここのところ手が回らなくなってきたので本格的に整理し直したい」
「なるほど……。この量だと、そうですね。三日いただけますか」
「好きなだけ使ってくれ」
初日は全容の把握に使った。棚の中身をひとつずつ確認して、何がどこにあるかを紙に書き出す。配置図を作る。マルケス商会でやったのと同じだ。規模が違うだけで、やることは変わらない。
二日目。帳簿を年度ごとに並べ替える。棚から全て出す。ここでも全部出す。城の書記官が手伝ってくれた。無口な青年で、言われた通りに動く人だった。助かる。
帳簿を床に並べて、年度で分ける。同じ年度のものが同じ棚に収まるようにする。支出帳簿と徴税記録を隣り合わせにする。対になるものは近くに置く。帳簿の背表紙の厚みが微妙に違う。古い帳簿ほど紙が厚くて、近年のものは薄い。紙の質が変わったのだろう。厚みの違いで年代の見当がつく。
角を揃える。帳簿の背表紙の線を棚板の縁に合わせる。統一すると、一冊抜けたときにすぐわかる。棚の端に年度の札をつける。配置図を書く。テルナー財務官に渡す用と、書庫の壁に貼る用の二枚。
三日目。テルナー財務官に頼まれた突き合わせの下準備に取りかかった。年度ごとに揃えた徴税記録と支出帳簿を開いて、照合しやすいように項目と金額を一覧にまとめる。財務官が見ればすぐに検算できるようにする。
並べていて、手が止まった。
徴税の総額と、支出の総額と、残高。三つの数字が合わない。
最初は分類の間違いだと思った。どこかの年度の帳簿が別の年度に紛れ込んでいるのだろう。確認した。紛れ込みはない。すべて正しい年度に収まっている。
次に、転記の誤りを疑った。元帳から写すときに数字を間違えた可能性。一行ずつ追った。転記は正確だった。
それでも合わない。
支出帳簿の金額を全て足すと、徴税額より多い。入ってきた金よりも出ていった金のほうが多い。差額は、三年間の合計で金貨三百枚以上。
おかしい。
夜になった。テルナー財務官は「明日でよい」と言ったが、わたしは気になって帰れなかった。数字が合わないまま棚に戻すのは、瓶の隙間を放置するのと同じだ。気持ちが悪い。
蝋燭をもらって、書庫に残った。
支出帳簿を項目ごとに分解した。紙に書き出す。城壁修繕、兵士の給与、外交費、食料備蓄、祭事費用。項目別に三年分を並べる。
並べてみると、ほとんどの項目は年ごとの増減が小さい。兵士の給与はほぼ横ばい。食料備蓄は季節で上下するが年間の総額は安定している。外交費も同様だ。
ひとつの項目だけ不自然に膨らんでいた。城壁修繕費。三年前は金貨五十枚。二年前は金貨八十枚。昨年は金貨百二十枚。毎年ほぼ倍近く増えている。
蝋燭の芯を替えた。手が冷たい。他の項目も念のためもう一度確認する。間違いはない。城壁修繕費だけが突出している。
城壁は見た。門をくぐるときに見上げた。石は古いが、大規模な修繕の跡はなかった。金貨百二十枚の工事があったなら、新しい石が目立つはずだ。わたしの目は、壁の石の色が変わっている箇所があれば見逃さない。と思う。
けど、わたしは建築の専門家ではない。見間違いかもしれない。
ただ、確かなのは数字は合わないということ。何度並べ替えても合わない。わたしにできるのはここまでだった。
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翌朝、テルナー財務官に報告した。
「三年分の整理が終わりました。年度別、項目別に並べ替えて、配置図も作りました。それと、突き合わせ用の一覧表をまとめたのですが」
「うむ」
「数字を並べていて気になったことがあります。支出の合計が徴税額を超えています。わたしの集計が間違っているのかもしれませんが、何度やり直しても同じ結果でした。差額の大部分は城壁修繕費で、三年間で金貨三百枚以上になります。一覧表に印をつけておきました」
テルナー財務官が一覧表を受け取って目を通した。手が止まった。
「……三百枚」
「はい。わたしは数字を見やすく並べただけですので、この差額が何を意味するのかはわかりません。ただ、揃わないまま出すのが気持ち悪かったので……そのままお伝えします」
財務官がしばらく黙っていた。机の上で指を組んで、何かを考えている。
「ミーナ殿。あなたがやったことの意味を、わかっているか」
「角を揃えただけです。本当に、そんなに特別なことは」
「いや、特別なことだ。――この三年間、私自身がこの照合をやろうとしていた。だが書庫が混乱していて、必要な帳簿を揃えることすらできなかった。あなたがほとんど全てを整理して、一覧にまとめてくれたから、初めて全体が見えた」
わたしにはその言葉の重さがよくわからなかった。数字が合わないから報告した。それだけだ。間違っているところが特定できなくて歯痒いが、感覚でわかる程度では限界なのだ。
「報酬を増額する。三日分で金貨五枚をお支払いしたい」
「いえ、約束通り三枚で」
もともと多い日当なのに、整理しきれなかった結果なのに。すかさず断ろうとした。
「受け取ってくれ。頼む」
テルナー財務官の声が低くて真剣だったので、断りにくかった。なんとなく、ここで整理した話はあまり口に出さない方が良いのかも。
「……では、ありがたくいただきます」
城を出た。空が高い。昨日までの雨が嘘のように晴れている。
金貨五枚。何を買おうか。かぶはもう飽きた。いや、飽きてはいない。でもお肉とか魚が食べたい。干し魚じゃなくて、焼いた魚が食べたい。市場で新鮮なのが手に入るだろうか。
城壁の下を歩きながら見上げる。やっぱり、大規模な修繕の跡は見えない。
まあ、わたしにはもう深く関われないことだ。
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