第二十九話 城下町の日常と、通り道
城が落ち着いた。
ケスラー様は罪を問われたが、脅迫されていたことが明らかになり、厳罰は免れた。内務官の地位は失った。
ヴォルフさんが連れ帰ったケスラー様の奥方と娘さんは無事だった。娘さんはリーゼ様と同じくらいの年頃で、母親にしがみついて泣いていたとヴォルフさんが言っていた。ヴォルフさんはそれ以上のことは言わなかった。無事だったことが全てだ。
グライフ領への対応は、城主と王都の仕事だ。わたしの手が届く範囲ではない。街道の封鎖は解かれた。外交の話がどうなるかは、いつかテルナー様が教えてくれるかもしれない。
新しい内務官が着任するまで、テルナー様が内務も兼任している。とても忙しそうだ。机の上の書類がまた五つの山になっている。来週また整理しよう。
---
久しぶりの帰宅日だった。
ヴォルフさんと馬車に乗った。冬の終わりの城下町。まだ寒いが、空気に少しだけ柔らかさがある。
「ヴォルフさん。ケスラー様のご家族を連れ帰ったとき、大変でしたか」
「大変ではなかった。監視していた連中は、城門の件が伝わった時点で逃げていた。逃げ足は速かった」
ヴォルフさんは短い言葉で全てを済ませる。わたしがかぶのスープの味を三行で説明するのと似ている。
仕立屋の角が見えてきた。
カティさんの看板が冬の日差しに照らされている。
---
家に着いた。鉢植えの位置を確認した。壁から十二センチ。扉の端から八センチ。動いていない。
下に紙は挟まっていない。もう来ない。
部屋に入った。ヴォルフさんが先に確認してくれた。異常なし。窓も鍵もそのまま。
窓を開けた。冷たいけれど流れている空気。部屋が息をする。
久しぶりの自分の部屋だ。棚には何もない。ワンピースは全部城に持っていった。水差しは空だ。でも鉢植えがあって、壁があって、窓があって、ここはわたしの場所だ。
掃除をした。埃を払って、床を掃いて、窓枠を拭いた。十五分できれいになった。
---
街に出た。ヴォルフさんが後ろを歩いている。
カティさんの仕立屋に入った。
「ミーナちゃん! 久しぶり! 元気だった?」
「元気です。カティさんこそ」
「忙しいよ。冬物の仕上げが立て込んでてさ。でも裏の作業部屋は見てよ、ちゃんとしてるから」
見せてもらった。木箱の名前札が更新されている。反物は棚に横向き。裁断台は空いている。型紙は壁の釘に掛かっている。完璧だった。
「カティさん、維持できてますね」
「あんたが仕組みを作ってくれたからよ。もう崩さないわ」
嬉しかった。仕組みは種だ。蒔いておけば育つ。カティさんが自分で育ててくれた。
カティさんが冬物の端切れで作ったマフラーをくれた。薄い灰色。わたしのワンピースに合う色だ。
「あんた、城に住んでるんだって? 偉くなったね」
「偉くなってません。棚を整理してるだけです」
「はいはい。角を揃えてるだけね。知ってる」
カティさんが笑った。わたしも笑った。この人はわたしの最初の恩人だ。巾着をくれた人。
---
青果屋のおばさんに会った。
「ミーナちゃん! 生きてた?」
「生きてます」
「城で大変だったんだって? 大掃除で倒れたとか」
「ちょっと頑張りすぎました」
「あんたは頑張りすぎるからね。はい、かぶ」
かぶを三つもらった。この人はいつでもかぶをくれる。ありがたい。
「おばさん。ありがとうございます」
「どういたしまして。それと、胸張りなさい。前より顔色いいよ」
「そうですか」
「そう。城の飯がいいんだろうね」
ブルーノさんのスープのおかげだ。城下町の人に褒められたことを後で報告してみよう。
---
パン屋にも顔を出した。棚板の釘はまだ十分に持っていた。リーゼ様が差し入れてくれた焼き菓子が、街でも評判になったらしい。城内で調達したものという箔がついたと言って、お礼として焼きたてのパンをもらった。
城下町の人たちは何も知らない。クーデターのことも、ケスラー様のことも、地下の部屋のことも。普通の日常が普通に流れている。かぶが売られていて、パンが焼けていて、カティさんが布を縫っている。
それでいい。この日常を守ったのだと思うと、少しだけ胸が温かくなる。守ったのはわたしではないけれど。テルナー様とブレンナー様とニクラスさんとヴォルフさんと、城のみんなだ。
わたしは角を揃えただけだ。でも、角を揃えたことが、この日常に繋がっている。
---
帰りの馬車。かぶとマフラーとパンを膝に乗せている。もらいものが多い。
「ヴォルフさん」
「なんだ」
「もう送ってもらわなくても大丈夫だと思います。脅迫も止みましたし」
ヴォルフさんが窓の外を見た。しばらく黙っていた。
「でも、送ってくれると嬉しいです。通り道ではないと思いますが」
「通り道だ」
「……ありがとうございます」
前にも同じことを言われた。あのときは任務だった。今はたぶん違う。
「かぶ、一つよこせ」
「え?」
「前に断ったが、今日はもらう」
短い言い方だったのがおかしくて、少し笑ってしまった。
かぶを一つ渡した。ヴォルフさんがかぶを手に持って、窓の外を見ている。大きな手に小さなかぶ。似合わないが、悪くないなと思える光景だった。




