第二話 紙の山と、行方不明の徴税記録
たまに夢を見る。
真っ白い場所にいて、目の前に誰かが立っている。顔はよく見えない。ただ声だけがはっきりしていた。
――転生特典をひとつ選んでください。剣聖の才、魔導の極致、不老不死、万能鑑定、なんでも。
リストは長かった。光る文字が宙に浮かんでいて、どれも派手で強そうだった。わたしはそのリストを端から端まで眺めて、ひとつだけ聞いた。
――お片付けに関するものは、ありますか。
沈黙があった。長い沈黙だった。
――……お片付け術(極)、というものが一応ありますが。
――それでお願いします。
――……本当に? 他にも色々あるのですが。
――いえ、それで。
あの人が何か言いかけたのを覚えている。でもそれ以上は思い出せない。夢はいつもそこで終わる。
なぜあれを選んだのか。理由は簡単だ。前にいた場所がひどかったから。床が見えなかった。窓も開かなかった。何がどこにあるのかわからなくて、足の踏み場もなくて、息をするのも苦しかった。あんな場所で目を閉じるのはもう嫌だと、それだけ思った。
だからわたしの望みは、整った部屋で朝を迎えること。それだけだった。
目が覚める。
天井の染みが見える。窓から朝日。水差しの位置は昨夜のまま。棚の上の布巾が少しだけずれていたので直す。
よし。今日も部屋はきちんとしている。
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市場でかぶと人参を買って帰ろうとしたところで、見慣れない人に声をかけられた。
若い男だった。服の仕立てがいい。襟元に小さな家紋の刺繍がある。商人ではない。
「失礼ですが、あなたがミーナさんでしょうか。マルケス商会の倉庫を片付けた」
「ええ、まあ」
「ホルスト家の者です。当家の主より、お力を借りたいと」
ホルスト家。聞いたことがある。城下町の外れに屋敷を構えている下級貴族だ。青果の売り場のおばさんが教えてくれた。領地は小さいけれど堅実な家だ、と。
「お力というのは」
「書庫の整理を。長年手つかずで、もう誰にも手が出せない状態なんです」
書庫。
「帳簿や書類の類ですか」
「はい。先代の頃からの書類が山積みで。当主が最近代替わりしたのですが、必要な書類がどこにあるかわからず、業務が滞っておりまして」
わたしは人参を袋の中で揃え直しながら考えた。
「日当はいくらですか」
「銀貨十枚でいかがでしょう」
なんと人参が百二十本買える。
「明日の朝でよければ伺います」
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ホルスト家の屋敷は、城下町の北の外れにあった。石壁に蔦が絡んだ古い建物で、庭は手入れされているが派手さはない。堅実な家という話に見合った佇まいだった。
案内されたのは、屋敷の東翼にある一室だった。
扉を開けた瞬間、紙の匂いがした。古い紙とインクの匂い。それだけなら嫌いではない。ただ、その量が問題だった。
部屋は六畳ほどある。四方の壁に棚が据えられていて、棚にはびっしりと紙束が詰まっている。それだけでは収まらなかったらしく、床にも紙の山が積み上がっていた。机があるはずの場所にも紙。椅子の上にも紙。窓の前にも紙。
紙束の一部は紐で括られているが、括られていないものも多い。括られているものにも分類の法則が見えない。年度も種類もばらばらに重なっている。
「これは」
「先代が三十年かけてこうなりました」
昨日迎えに来た若い男――ルッツという名だった――が申し訳なさそうに言った。
「先代は優秀な方でしたが、整理に関しては……」
「なるほど」
わたしは部屋の入口に立ったまま、まず全体を見た。
棚は四面で十六段。床の山が七つ。窓の前が二山。机の上が一山。量は多いが、紙は紙だ。重くはない。ただ、順番がない。
「ルッツさん、この家の書類で、今一番必要なものは何ですか」
「直近では、領地の徴税記録です。過去三年分が必要なのですが、どこにあるかわかりません。王都への提出期限が来月の末で」
「来月の末」
「はい。見つからなければ、罰則があります」
わたしは靴を脱いで部屋に入った。
まず窓を開ける。空気を入れ替えないと、この量の紙埃で喉をやられる。それから紐で髪をまとめて、袖をたくし上げた。
「広い場所はありますか。廊下でもいいです」
「隣の部屋が空いています」
「では、ここの紙を全て隣に出します。手伝ってください」
「全部、ですか」
「全部です」
前も同じことを言った気がする。
紙束をひとつ取り上げる。最初の一枚を見る。租税の報告書。日付は十二年前。次の一枚。商人への手紙の下書き。その次。領地の地図の写し。三枚続けて年代も内容もばらばらだった。
括られたものを解いてはいけない。まず括り単位で運び出す。括られていないものは、崩さないように紙の山ごと持ち上げて隣に移す。
ルッツさんと二人で運び始めた。途中から屋敷の使用人が一人加わった。年配の女性で、無言でてきぱきと動く人だった。
全て運び出すのに二時間かかった。
空になった部屋を箒で掃く。棚の埃を布で拭く。棚板の高さを確認する。紙束の厚みに対して高すぎる段がある。棚板を一段下げたほうが、紙を縦に入れられて探しやすくなる。
「棚板を動かしていいですか」
「どうぞ、ご自由に」
釘を外して棚板の高さを調整した。十六段を二十段にした。奥行きは同じだが、一段あたりの高さを紙束の厚みに合わせた。
それから隣の部屋で仕分けに入った。
一枚一枚は見ない。括りの表紙か、山の一番上の紙を見て、内容を判断する。判断基準は三つだけ。年度。種類。重要度。
年度は紙に書いてある。種類は大きく五つに分けた。徴税関係、領地管理、私信、法務、その他。重要度は保管義務のあるものとないものだけ分ければいい。
床に五つの列を作り、年度順に並べていく。
昼を過ぎた。ルッツさんが茶と干し果物を持ってきた。ありがたい。手が埃で汚れていたので洗ってから食べた。
午後も仕分けを続ける。紙束の中から、括りの途中に別の年度の書類が紛れ込んでいることが何度もあった。そのたびに抜き出して正しい列に置く。
日が傾く頃、仕分けが終わった。
徴税関係の列が一番長かった。その中から過去三年分を抜き出す。ここにある。全部ある。紐で括り直して、表に年度と「徴税」と炭で書いた紙片を挟んだ。
残りの書類も種類ごとに括り直し、年度順に棚に入れた。棚の端に、先ほどと同じ要領で分類の札をつけた。一段目から順に、古い年度が上、新しい年度が下。同じ年度の中は種類ごとにまとまっている。
棚に収まりきらない分は、木箱を二つ借りて年度順に詰めた。箱の角を壁に揃えて置いた。
「できました」
ルッツさんが書庫に入ってきて、立ち止まった。
「……これ、同じ部屋ですか」
「はい。棚板の高さを変えたので少し印象が違うかもしれませんが」
「三年分の徴税記録は」
「ここです」
棚の下から三段目を指さした。紐で括った三束が、年度の札とともに並んでいる。
ルッツさんが一束を手に取って中を確認している。めくるたびに目が大きくなっていく。
「……全部揃っています。一枚も欠けていない。――グレーテさん」
年配の使用人が呼ばれて来た。彼が紙束を見せると、彼女も目を丸くした。
「先代が亡くなってから二年、ずっと探していたんです。王都から催促が来ていて、最悪の場合、領地の管理権に関わると」
「はあ」
「管理権に関わるというのは、つまりホルスト家が領地を失うかもしれないということです」
それは大変だ。見つかってよかった。
「あの、本当にどうやって見つけたのですか」
「いえ、特別なことはしていません。全部出して、種類と年度で分けて、順番に棚に戻しただけです。角を揃えただけですよ」
ルッツさんとグレーテさんが顔を見合わせた。
そのとき、奥から足音がして、若い女性が現れた。ルッツさんより少し年上だろうか。質素だが品のいい服を着ている。
「ルッツ、見つかったと聞いたのだけれど」
「はい、当主。三年分全てが」
当主。この人がホルスト家の現当主らしい。代替わりしたばかりだとルッツさんが言っていた。
若い当主はわたしの前に来て、深く頭を下げた。貴族がこんなに頭を下げるのを初めて見た。
「ありがとうございます。あなたのおかげでこの家が救われました」
「いえ、そんな大袈裟な。紙を並べ替えただけですから」
「それが誰にもできなかったのです」
なぜだろう。紙を種類ごとに分けて、年度順に並べる。それだけのことなのに。
「報酬を上乗せさせてください」
「いえ、銀貨十枚で結構です。約束通りで」
「せめて」
「人参が百二十本も買えますから、十分です」
当主が何か言おうとしたが、横でグレーテさんが小さく首を振った。賢い人だ。
帰り道、夕焼けが綺麗だった。人参と、ルッツさんがくれた干し果物の袋を抱えて歩く。明日は人参の炊き込みご飯にしよう。
そういえば屋敷の角を曲がるとき、後ろでルッツさんの声が聞こえた。
「当主様、あの方を城主にご推薦されては」
「……そうね、考えておく」
何の話だろう。まあいっか。
人参が重い。早く帰って美味しいスープにしちゃおう。
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