第十三話 衣裳係の部屋と、言葉にならない法則
朝、棚を確認して、窓を開けて、中庭の庭木を数えた。本日も十二本。
今日は特に予定のない日だ。書庫の定期確認を午前中に終わらせて、午後は帳簿の新しい分類を考えようと思っていた。
前にいた場所では、予定のない日が一番怖かった。何もすることがないと、散らかった部屋と向き合わなければならない。何もしない自分を責める声がどこからか聞こえた。誰の声だったかは、もう思い出せない。
今は、予定のない日が好きだ。棚の中身を全部出して拭き直す時間がある。それだけで一日が満たされる。
食堂で朝食を食べていたら、フリーダが駆け込んできた。
「ミーナさん! 今日お時間あります?」
「あります」
「お願いがあるんです。早速わたしの部屋を、見てもらいたいんです」
昨日の約束だ。城で一番散らかっていると言っていた。
「もちろんです。楽しみにしていました」
「楽しみって言ってくれるの、ミーナさんだけですよ……」
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フリーダの部屋は、城の西棟の三階にあった。扉の前に立った。
「心の準備はいいですか」
「えっ」
「いきますよ……!」
扉を開けた。
布の海だった。
床が見えない。文字通り見えない。反物の切れ端、裁断した布地、レースの帯、リボンの束、ボタンの入った小箱、刺繍糸の巻き、仮縫いの途中の胴体型、スカートの試作品、肩当て、襟のパーツ。それらが部屋の全面に広がっている。
寝台の上にも布がある。椅子の上にも。窓際にも。棚は一応あるが、棚の前に物が積まれていて棚にたどり着けない。
カティさんの作業部屋を思い出した。あれを三倍にして、色数を十倍にした感じだ。
「……すごいですね」
「笑わないでください」
「笑いませんよ。感心しています。この量の素材を扱っている時点で、フリーダさんの仕事量がわかります」
フリーダが少し目を潤ませた。感心されるとは思っていなかったらしい。
部屋の中に足を踏み入れた。布を踏まないように歩く。踏める場所を探しながら進む。島伝いに歩いているような感覚だ。
全体を見渡す。物の量は多いが、種類は有限だ。布地。副資材。道具。完成品。仕掛かり品。この五つに分ければいい。ならば最初にやることは……
「フリーダさん、まず全部出しましょう」
「全部? これを?」
「全部です」
「廊下に?」
「廊下に」
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二人で運び出した。フリーダは腕に布を抱えるのが上手い。一度に大量を運べる。さすが衣裳係だ。わたしは小物類を箱ごと運ぶ。ボタンの箱がひっくり返りそうになって慌てた。
一時間以上かけて部屋を空にした。廊下が布の山で大変なことになっている。通りかかったマルタさんが「何事」という顔をして去っていった。
空になった部屋を見る。思ったより広い。棚が二つ、机が一つ、窓際に作業台。寝台の下にも収納の引き出しがある。構造は悪くない。容量もある。ただ、使い方が追いついていなかっただけだ。
床を掃いて、棚を拭いて、窓を開けた。空気が通る。
「きれい……。この部屋こんなに広かったんですね」
「さて、ここからが本題です。戻し方を一緒に考えましょう」
「はい!」
フリーダが紙と炭筆を取り出した。メモを取る気だ。
「あの、何を書くんですか」
「ミーナさんの教えを! 片付け術を伝授してもらうんです!」
伝授。大げさだ。でもフリーダの目は真剣だった。
「えっと、まず……種類で分けます」
「種類で分ける。はい」
フリーダがガリガリと音を立てて止まる。これから話すことを一言一句書くつもりらしい。
「布地、副資材、道具、完成品、仕掛かり品。この五つに分けてください」
「布地、副資材、道具、完成品、仕掛かり品。はい。それで?」
「それで……分けたものを、使う頻度で並べます。よく使うものを手前に」
「頻度で並べる。手前。はい」
フリーダがすごい速さでメモしている。わたしは少し困っていた。
いつもは自分の手で動かしながら考えている。棚を見れば、何がどこに入るか自然にわかる。でもそれを言葉にしようとすると、途端に詰まる。「ここに入る感じがする」とか「この隙間にちょうどいい」とか、そういう感覚で動いている。感覚を言葉にするのは、棚を整理するより難しい。
「あの、フリーダさん」
「はい」
「わたし、理屈で説明するのが苦手みたいです。やりながら見せたほうが早いかもしれません」
「じゃあやりながらでいいです。わたしが見て覚えます」
廊下の布の山から、まず布地を選り分けた。フリーダに聞きながら分ける。
「この布、何に使いますか」
「リーゼ様の冬物のコートの裏地です」
「では仕掛かり品。こっちの赤い布は?」
「これはまだ使い道が決まっていない在庫です」
「では布地の在庫。この二つは別の場所に入ります」
仕掛かり品は作業台の近くに。在庫は棚に。使い道が決まっているものと決まっていないものを分ける。これだけで山が半分になった。
「あっ、なるほど。使い道があるかないかで分けるんですね」
「そうです。使い道があるものは作業の動線の中に置く。ないものは棚に仕舞う。それだけです」
フリーダが猛然とメモし続けていく。
次にリボンとレースと刺繍糸。これらは小さいので、箱にまとめる。色別に。フリーダは色の分類が速い。わたしが「色ごとに」と言った瞬間にもう手が動いている。
「フリーダさん、色の仕分けはわたしより速いですね」
「え? 普通じゃないですか?」
普通ではない。わたしは長さや大きさで分けるのは得意だが、色のグラデーションを瞬時に判断する力はフリーダのほうが上だ。
「色の並びはフリーダさんに任せます。わたしは箱の配置を決めます」
「分担ですね!」
フリーダが色で仕分けたものを、わたしが棚の中に配置する。箱の大きさと棚の段の高さを合わせる。奥行きを測る。隙間を均等にする。
ボタンの箱は引き出しの中に。道具は机の上に立てて収納。完成品は棚の一番取り出しやすい段に。
二時間かかった。
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部屋が別の場所になっていた。
床が見える。窓に光が入る。棚の中身が一目でわかる。作業台の上は空いている。寝台の上にも何もない。
フリーダが部屋の真ん中に立って、ぐるりと見回した。
「……わたしの部屋、こんなだったんですね」
「同じ量ですよ。置き場所を変えただけです」
「ミーナさん。わたし、ずっと恥ずかしかったんです。リーゼ様の衣装部屋はきれいにできるのに、自分の部屋はどうにもならなくて」
「人のものは客観的に見られますから。自分のものは思い入れがあって判断が鈍るんです。わたしだって、自分の巾着に何を入れるか何ヶ月も決められていません」
「巾着?」
「いえ、……なんでもないです」
フリーダがメモを見返している。大作のメモ群ができていた。
「ミーナさん、これ、定期的に見てもらえませんか。また散らかったら」
「いつでも声をかけてください。でも、たぶんしばらくは大丈夫です。フリーダさんは色で分けるのが上手いから、その感覚で維持できます」
「色で分けるのが上手い、って、すごいことですかね?」
「もちろんです。角を揃えただけです、わたしは。色を揃えたのはフリーダさんです」
フリーダが笑った。それから少し泣いた。忙しい人だ。
「ミーナさん」
「はい」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「あとミーナさん」
「はい」
「今度、あなたの服のことも相談させてください。お礼に、絶対似合うのを見繕いますから」
「四着で足りてるんですが……」
「わかってます。でも似合う色を知ってるだけで、気分が変わりますよ」
断る理由が見つからなかった。色を知るだけなら、棚は増えない。
「……では、お願いします」
フリーダの顔が輝いた。衣裳係の目になっている。わたしのそばかすと髪の色と目の色をじっと見ている。品定めされている感じがするが、不快ではない。
控室に戻ると、机の上にブルーノさんからの焼き菓子が置いてあった。食べながら思った。今度、リーゼ様とフリーダと三人でお茶ができたらいいな。焼き菓子を持っていって、並べて、一緒に食べる。そういうのを、たぶん友達と言うのだと思う。




