第一話 城下町での最初の依頼
朝の空気がまだ冷たいうちに、わたしは窓を開ける。
木の軸が少しだけ膨らんでいて、昨日より引っかかりが強い。湿度が上がっている。洗濯物は室内干しにしよう。
借りている部屋は四畳半ほどで、寝台と小さな棚と、窓際に椅子がひとつ。それだけあれば十分だった。棚の上の水差しの位置を指二本ぶん左にずらす。朝日がちょうど水面に落ちて、壁に丸い光ができた。
よし。
パンの残りを齧りながら靴を履く。靴紐の長さが左右で違うのが気になって、片方を結び直す。揃った。出かけられる。
レンカ城下町の朝は早い。肉屋が軒先に豚を吊り始める頃にはもう通りに人がいて、石畳の上を荷車が音を立てて転がっていく。わたしはその流れに混じって、いつもの道を歩く。青果の並びを横目に見る。かぶが安い。今日の夕飯はかぶにしよう。
仕立屋の角を曲がったところで、知り合いの雑貨屋のおかみさんに呼び止められた。
「ちょっと、ミーナちゃん。あんた片付けが得意なんだって?」
「得意というか、まあ、嫌いではないですけど」
「ちょうどいいわ。うちのお得意さんがね、困ってるのよ」
おかみさんが指さしたのは、大通りから一本入った路地の奥にある建物だった。看板には『マルケス商会』とある。中規模の交易商らしい。
「倉庫がもう手がつけられないんですって。番頭さんが腰を痛めて、若い衆だけじゃどうにもならないって」
「倉庫ですか」
「日当は出るって。銀貨三枚」
銀貨三枚。かぶが六十個買える。悪くない。
「行ってみます」
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マルケス商会の裏手に回ると、倉庫の扉が半開きになっていた。中を覗いて、少しだけ足が止まる。
木箱が積み上がっている。ただし積み方に法則がない。大きさもばらばらで、上に小さな箱、下に大きな箱という基本すら守られていない。通路と呼べるものはなく、入口から奥の壁が見えない。反物の束が木箱の上に無造作に載せられていて、その上にさらに縄で縛った包みが乗っている。
麻袋がいくつか床に直置きされている。中身は穀物だろう。湿気を吸っているはずだ。
若い店員が二人、入口の前で途方に暮れていた。
「あの、片付けを頼まれて来たのですが」
「ああ、あんたが。……見ての通りなんだけど」
背の高いほうの店員が頭を掻いた。
「番頭のグスタフさんがいた頃はまだよかったんだ。あの人が全部仕切ってたから。腰をやってからこっち、誰がどこに何を置いたかわからなくなって」
「搬入の記録はありますか」
「帳簿なら事務所に。でもあれ、グスタフさんの字が読めるやつがいなくて」
なるほど。
「まず中を見せてください」
倉庫に入る。天井は高い。梁に蜘蛛の巣がかかっている。埃っぽいが、換気口は三箇所ある。風が通る構造にはなっている。ただ、物が詰まりすぎて空気が動いていない。
木箱の側面に焼き印がある。産地と品目の印だ。読める。わたしはしゃがんで、一番手前の箱の焼き印を確認した。
ゲルツ街道経由、陶器。
その隣。ゲルツ街道経由、陶器。
その奥。北部港、干し魚。
陶器の隣に干し魚を置いている。匂いが移る。
「あの、何から手をつけますか?」
「全部出します」
「は?」
「中のもの、全部外に出してください。通りに布を敷いて、そこに並べます。箱は箱、袋は袋、反物は反物で分けて出してください。わたしは中を掃きます」
二人の店員が顔を見合わせた。
「全部って……この量を?」
「全部出さないと、中が見えませんから」
わたしは箒を借りて、まず入口付近から物を動かし始めた。最初の一箱を外に運ぶ。重い。中身は陶器だ。丁寧に下ろす。
二箱目。三箱目。店員たちも手伝い始めた。四箱目あたりで、若いほうが「これ今日中に終わるんですか」と聞いてきたので、「終わらせます」とだけ答えた。
二十箱を超えたあたりで倉庫の奥が見えてきた。壁際に棚がある。棚があったのだ。物が積み上がって完全に埋もれていたが、三段の頑丈な木棚が壁の三面に据えつけられている。
「この棚、使っていなかったんですか」
「いや、使ってたはずだけど……いつの間にか前に物が積まれて」
棚の前を塞ぐように積まれた荷物を全て出し終えると、倉庫の全容が見えた。思ったより広い。棚を活かせば、今ある荷物の倍は入る。
わたしは箒で床を掃いた。隅から順番に。埃を集めて、蜘蛛の巣を払って、換気口の前の障害物をどけて風を通した。倉庫の空気が変わった。
それから、外に並べた荷物の整理に入った。
まず焼き印と中身で分類する。陶器はまとめる。干し魚はまとめる。反物は産地ごとに揃える。麻袋は中身を確認して、穀物類は木棚の上段に上げる。地面から離す。それだけのことだ。
木箱のサイズを目で測って、同じ大きさのものを揃える。棚の奥行きに合う箱を奥に、合わない箱は手前に。重いものは下、軽いものは上。壊れやすいものは取り出しやすい位置に。
品目ごとに置く場所を決めて、棚に産地の名前を炭で書いた布を掛けた。
「これがゲルツ街道の陶器で、隣が北部港の品です。干し魚は一番奥の棚にまとめました。反物は左の壁側です。あと、この麻袋三つは底が湿っていたので天日に干したほうがいいと思います」
若い店員が倉庫の中を見回している。何も言わない。
「それと」
わたしは入口の脇に立てた板を指さした。布の端切れに炭で、簡単な配置図を描いておいた。
「ここに何がどこにあるか書いてあります。新しい荷が入ったら、同じ分類の場所に入れてください。箱の角は壁と棚の線に揃えると、隙間なく入ります」
「角を……揃える?」
「ええ。角を揃えただけでも結構変わるんです。通路が確保できるので、奥の荷物も取り出せるようになります」
日が傾いていた。半日かかったらしい。汗を拭いて、わたしは手を洗わせてもらった。
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翌日、かぶのスープを作って食べていたら、扉を叩く音がした。
戸を開けると、マルケス商会の主人だという中年の男が立っていた。恰幅がよくて、上等な布地の服を着ている。隣に、昨日の店員が二人。
「あんたか。昨日うちの倉庫を片付けてくれたのは」
「はい。お邪魔しました」
「いや、その。――礼を言いに来た」
男の声が少しだけ震えていて、わたしは向き直った。
「倉庫を見て驚いた。グスタフがいた頃より綺麗になっている。あんた、あの配置図も描いたのか」
「はい。簡単なものですけど」
「あの図のおかげで、なくなったと思っていた荷が見つかった」
「はあ」
「北部港から届いた青い染料の樽が三つ、半年前から行方不明だったんだ。帳簿には入荷の記録があるのに、倉庫のどこにもない。もう盗まれたか、届いていなかったか、どちらかだと思っていた」
「ああ、あの樽ですか。反物の後ろに横倒しで入っていました。焼き印が見えない向きで置かれていたので、気づかなかったんだと思います。わたしが向きを揃えて、染料の棚に移しただけです」
商会の主人が深く頭を下げた。
「あの染料は特注品でな。一樽で金貨二十枚する。三樽で六十枚。もう弁済するしかないと思っていたところだった」
金貨六十枚。わたしの日当の何倍だろう。計算するのが面倒だったのでやめた。
「あんた、大したものだ。――うちの商会で働かないか」
「いえ、わたしは別に」
「待遇は保証する。番頭の下につけてもいい。いや、番頭の代わりでもいい」
「あの、料理が冷めてしまいますから」
スープに目を落とす。湯気はもう出ていない。まだ温かいかもしれないがぬるくなっている。
「本当に、整理しただけなんです。角を揃えて、同じものを近くにまとめて、重いものを下に置いただけで」
主人は何か言いかけて、隣の店員と顔を見合わせた。店員のほうが小声で「だから言ったでしょう、変な人だって」と呟いたのが聞こえた。
変な人で構わない。かぶは温め直そう。
「お仕事の件は、考えておきます」
扉を閉めて、鍋に火をかけ直した。
窓の外では日が暮れかけていて、向かいの屋根に鴉が一羽とまっていた。明日はあの屋根裏の雨樋を見てもらったほうがいい。傾いている。水が変な方向に流れているはずだ。
かぶのふつふつと音を立て始めた。味見をする。
おいし。
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